第6話 ただの人

♦リノンは回避に専念していた。現在こちらを追って来る火夏星に対して自分が最前線で剣を交えその背後からシゲユキが氷槍”凍月”で攻撃と防御の補助をする。更に離れた位置にハッピートリックがおり、専用水銃”五月雨”の群れを両の掌で高速回転させながら豪雨の勢いで射撃。火夏星と二体の劫火に対して同時に牽制をかけている。


 己は眼前の炎の女に二刀を振りかぶり、斬る。それは容易く回避され軽く握った拳が来る。それを刀で外へ軌道を逸らそうとするも上手くいかない。相手の力が強すぎるのだ。背後から槍が放たれ腕を外軌道へと突く。己も内に回避する。直撃は避ける。だが、そのわずかな干渉の衝撃にシゲユキもろとも吹き飛ばされる。追撃の姿勢に対し、ハッピートリックが連射をしかけていなければ今ので終わっていた。被害状況を確認する。掠った右腕の防火服が焼ききれ、その内の肉まで焦がしている。あばら骨もいくつか折れている。シゲユキなどは片腕を折っていた。完全に無事なのはハッピートリックだけと言えるだろう。一殴ると十殴り返される。殴らないとその倍殴られる。状況は絶望的だ。ミホシ到着予定の通告から30秒しか経っていない。誰か一人でも落ちれば一瞬で瓦解する綱渡りの状況は長くは続かない。


 「させないって~いってるしぃー?」


 攻めの為の腰を落とした動きを取る火夏星に対して足元に集中射撃し上に飛ばせたハッピートリックは同時に前に出ている劫火の足を集中砲火で潰し、もう片方を核狙いで攻撃することで退かせる。一瞬の余裕が生まれた。三人がそう思った時だ。


 「ヤッバ!?」


 ハッピートリックの足元で音がした瞬間、彼女は両の手に持つ銃群を全て前方の劫火へと向けて乱射を敢行する。


 場の流れを瓦解させかねぬ方針転換であったが彼女の全てを投げ打つような乱射は前方の劫火を打ちのめし、核を露出させ、破壊する。その直後だ。ハッピートリックの足元の地面が膨らみ、砕け。地下から勢いよく劫火が新たに飛び出し彼女を打撃する。


 「ハッピートリック殿!?」


 シゲユキの驚嘆の声が虚しく響く中ハッピートリックは力なく地面に落下し、動かない。

 オオサカには地下道が多く存在する。把握しきれていないものも、だ。地上と違いレーダーによる熱源感知が難しくなる地下を。敵は移動し、タイミングを伺っていた。ハッピートリックはそれにいち早くそれに気づき、最早避けれないと判断した彼女は強引にでも数を減らそうと動いたのだろう。果たしてそれは為された。だが、状況は依然最悪だ。


 最小の弄火、巨人や獣型の怪火、竜型の劫火。形態はさまざまであるが共通している特徴がある。それは皆一様に頭がないこと。彼らからは意思は感じられる。だがどれも似たような反応で多様性がない。更に言えば場当たり的な活動しかない。戦術を立てるなどもっての外だ。これは頭がないことに起因しているのではないかと推論が立てられている。そんな炎が戦術的に動いている。原因は恐らく火夏星。唯一頭が存在し、姿形こそ異なるものの出現するたびに同一個体として振舞う。この火夏星本体の女こそ全ての炎の意思そのものであり、彼女が現出している時のみ理性的に炎が運用されているのではないか。そう、研究者でもあるキリヒコは提唱していた。

 

 ハッピートリックによる牽制がなくなった分自由になった火夏星と劫火二体。それらが一斉に突撃姿勢をとり襲い来る。


 三方から襲い来る地形を変える猛撃の回避にリノンとシゲユキは最早完全な回避は望めない。掠った衝撃が身を震わせ、砕かれた路面の破片が防火服を超え身体各所に傷をつける。


 リノンの動きは次第に精彩を欠いていき。やがて、


 「お仕舞なんだぁ」


 「しまっ!?」


 負荷がたたり血を吐いた隙をついて火夏星の手のひらから豪炎が放たれる。避けるのも受け流すのも叶わない。直撃だ。そう思った直後、肩を掴まれ後ろへと投げられる。


 シゲユキだ彼はこちらを強引に攻撃範囲から逃がすと槍を掴みなおし炎へと真っすぐに突きこむ。するとその槍の周囲の炎が掻き消え、火夏星に僅かにその穂先が突きこまれる。しかしそこまでだ。消し切れなかった炎がシゲユキの身を焼く。それでは終わらず劫火による横薙ぎの一撃が振るわれシゲユキの痩身は軽々と吹き飛ばされる。


 ミホシ到着予定まであと二分。


 「私が……!くそッ!!」


 「うーん後一人かあ。もうちょっと頑張るかと思ってたけど。私が相手じゃ仕方ないわよね~。どうする?まだ続ける?私はすっごく優しいからあなたのこと生かしてあげてもいいのよ?」


 「お前……何をいっている?」


 「さっきのギャルとジジイの首を斬って。ミホシに投げてあげなさい。そしたら私はもういじめないであげるわ」


 「ハッ。何が優しいだ。大方事が済んだら私以外は手をださないとはいってないなどと言って劫火でもけしかける気だろう」

 

 リノンの吐き捨てた言葉に火夏星は手を叩き身を乗り出す。

 

 「すっごーい!なぁんで私の考えてることがわかったのかしら。きっといつも私のこと考えてるからよね~。愛されてるのね私。ふふっ、いいわご褒美に抱いてあげる」


 火夏星は10M以上離れた距離のリノンに対し腕を広げ抱擁の姿勢を見せる。次の瞬間距離は至近となり炎の腕は交差される。


 「体真黒になっちゃうけど。ご褒美よね?そういうの、たまに流行ってるし」


 死の抱擁を前にリノンは身を極端に下げてのバックステップで回避する。先に着地した脚を軸足に時計回りの高速回転を為し一閃。後ろから迫っていた劫火の腕を両断する。回転の勢いのまま抱擁が空振りした火夏星に向き直る。


 「貴様のような下衆と抱擁を交わすぐらいなら死んだ方がマシだ!」


 「あっそう。じゃあそのまま死になさい。バイバ~イ」


 火夏星が手を振った途端。リノン背後の劫火が気配もなく急な突撃を仕掛けた。劫火が自らそうしたのであればリノンは即座に察知し一手早く動けていた。そうならなかったのはその突撃が更に奥に移動していた劫火によって手前の劫火が打撃されたことによって発生したからである。本人でさえも意図しなかった突撃にリノンは咄嗟に前方への回避を選択する。選択してしまった。自らの首を狩る炎の大鎌が迫っているとも知らずに。


 ラリアットだ。


 首狙いの一撃をリノンは咄嗟に右の六華を差し込むことで防御とする。だがその薄氷は容易く割れ、砕き、昇華される。攻撃の軌道は僅かに逸れ胴部へと放たれたそれは炸裂する。快音一発。リノンの身体は砲弾より早く飛び硬い路面を何度もバウンドし地に転がる。


 リノン口元から粘りのある真っ赤な血が溢れ出る。身体が震える。左手の六華はまだ離さない。離すべき時ではない。



 「ウッソ~!?そんな状態で息してるなんてきんもちわる~い!で・もぉ~。もう立てないのねぇー」


 そう、火夏星の言葉通りリノンは立ち上がることができない。意思はある。その瞳も力を失ってはいない。だが、力が足りない。僅かに身を起こす力さえ彼女には残ってはいなかった。 

 

 「そうやって出来もしないのに立ち上がろうとするのほんっと見苦しいわね。それで~これからどうするのかしら?つよいつよーいミホシが間に合うように祈ってみる?」

 

 「何?」


 ミホシ到着予定まであと一分半。


 火夏星は頬に手を沿わせゆっくりと倒れ伏すリノンへと歩みを進める。


 「あの娘なら。今の光景全部をひっくり返すこともできるかもしれないものねえ。だってあの娘は特別だもの。私と同じ」


 貌のない。それでも恍惚としていることが伝わる声色で火夏星は宿敵の名を呟く。その言葉に異議を返すものがいた。


 「……気にくわんな」


 「ハア?」


 リノンだ。彼女は残った左の六華を地面に突き立て、支えとし身を起こす。その身体から血が滴り、落ちた血液は六華の纏う凍気により血雹と化す。それでも立つ。決して認めてはならない言葉を聴いたからだ。


 「気にくわんといっているのだ……どいつもこいつもミホシミホシと」


 気にくわない。誰も彼も何かがあればミホシが解決してくれる。そういった空気がある。冗談ではない。彼女は万能の解決装置ではないし、そうであれば自分たち消防士は存在を丸ごと否定される。だが、実際にそのような言説はあり、中には火災で亡くなったものはミホシが救わなかったから死んだのだと、彼女が選ばなかったから死んだのだと。そのような声すらある。


 組織にも。ましてや個人であるミホシには限界というモノが当然ある。それを度外視した言説が流れるのは彼女が個人などというものに囚われない特別な存在であると認識されていることの証左だ。それを誰も否定できない。誰も彼女に並び立てるものはいない。昔はそうではなかった。常に彼女を導くもの、隣に立とうとするもの、その背中を守ろうとするものがその時々の彼女を支えた。みないなくなった。自分はそうはできなかったし、なれなかった。だが自分はここで言う。 


 「あいつはそんな……特別な存在じゃあない」


 他と隔絶した能力を持っていても、常に人々に飄々とした態度を見せていても、彼女には心がある。人を救えぬたび、謂れのない中傷を受けるたび、仲間が傷ついていくたびに彼女の心は傷付き摩耗していく。そのような場を自分は見た。 


 同期の葬儀の際、誰も彼もが死を悼み、俯き、嘆いた場でただ一人顔色を変えずに部屋を出ていったのがミホシだ。自分は追いかけて文句の一つでも言ってやろうとしたが違った。誰よりも顔をぐしゃぐしゃに破顔し隠れて涙を流していたのが奴だった。見つかったことで堰が壊れたのか彼女は離れた葬儀の場にすら響く程泣き叫んだ。ミホシはあれで涙もろい奴だ。


 だからと言って映画館にいったら安い恋愛モノの予告編でハンカチを濡らすのはどうなんだとも思う。泣くところあったか?恋に惚けた男と女が全力で走ってるだけで終わったぞ。わからん。鑑賞に集中しづらいから我慢してくれないかなと思う。


 ともあれミホシは案外普通の奴だ。美味い食い物に関しては意地が汚い。不正はしないが自分が多く取り分を得られるように働きかけたりもする。休日を与えられれば手持無沙汰になり街を徘徊し知り合いを見つけると顔を綻ばせる。


 「ただの人間だ。アイツは」

 

 ただの人間。そのように思ってやることが一番出来ないのが他の誰でもなく己であることがまた気にくわない。それでも。それでも立ち上がり、目の前の何もわかっていない馬鹿に言ってやる。


 「ただの心優しい。私の同期の消防士だ」 

  

 言ってやった。最早刀も満足に触れぬ満身創痍の身ではある。だが、それでも人類を恐怖に包む最悪の現象。その象徴である女の言に決定的な否を叩きつけてやった。見れば彼女の身体は揺らめきバチバチと弾ける音がする。


 「なによ……それ」


 目の前の女。火夏星は苦虫を噛み潰したような声色で呟くと一層その身の火勢を強くする。


 「この期に及んでなんなのよその世迷言は……」


 「ぐっ」


 火夏星がリノンの身体を掴み地面に叩きつける。その衝撃は小規模なクレーターを発生させリノンは体中から鮮血を吹き出す。だが火夏星はそんなことは関係ないというようにリノンを見下ろす。


 「ミホシは特別。そうでしょう?だから私とも渡り合えることができるし。みな彼女に信頼を寄せるのよ。でも、だからこそあの娘は失われるのよ自分が守ってきた者たちによって、ね。そうでしょう?そうでなければ,ね」


 火夏星が言うことも的外れではなかった。それは炎を倒した後のことだ。炎の意思を完全に殺し切る研究は極秘裏に行われている。仮にこれが実を結び、世界が炎の脅威から解放された後、世界はどうなるだろうか。炎と戦うために超人的な身体能力を持って生まれた炎祓は役割を失いどうなるだろう?人々にとっては炎という明確な敵のいない炎祓。自分たちと同じような容姿を持ち社会に参加する圧倒的に戦闘力の違う存在など恐怖以外の何者でもないだろう。その究極ともいえるミホシであれば猶更だ。世界は炎祓を、彼女を祭り上げるかそれとも排斥するか。恐らく後者だろう。それは各隊長たちやミホシの共通認識である。そうならないように色々と手は考えられているがそのような未来を回避できる保証はない。だが、


 「そうはならんさ。人間はそこまで愚かではないし。私たちもアイツを守るからな」


 「そうなるのよ!私の時みたいにねえ!!」


 「お前とミホシでは何もかもが違う!」

 

 激昂した火夏星はリノンの右腕を掴むとその腕と自らの腕を同化し始める。


 侵食が進むごとにリノンの右腕は黒に染まり爆ぜていく。炎に耐性を持つ炎祓のそれも首都オオサカで隊長に座するレベルの身が炭化している。


 「がッ!?ああああぁ!?ぐ、ぎ、ぐぅうううううううぅぅ、ああああああ!?!」


 火夏星が腕を離すと炭化したリノンの右腕は地に落ちそのまま砕けた。リノンはうずくまり失った右腕を必死で左手で押さえるがその身を火夏星が脚で取り抑える。彼女は顔の前に掲げた左腕の炎を一層輝かせ宣言する。


 「もうちょっと楽しむつもりだったけど。いいわ。それ以上何も喋れないように今すぐに消してあげる」


 ミホシ到着まであと三十秒


 火刑が執行される。


♦はるか昔に廃止された時代遅れの刑罰はいつまでも実行されなかった。代わりというように空気が断裂したような音が響き、執行者たる火夏星が遥か向うの建物に吹き飛び突っ込む。殴り飛ばされたのだ。超常の存在。その頂点である火夏星が。


 リノンの眼前に地を踏む脚が見える。少し見上げると蒼の長髪が熱風にはためく。それはリノンの良く知るものだった。


 「お……まえ……」


 「間に合った……とはとても言えないようだね。うん」


 ミホシ同期がそこにいた。 

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