五年
五回目の初夏を迎えても子供は相変わらずだ。
私の世話をして、それ以外の時間は武の鍛錬を繰り返して、夜になると本を読んで、夜半過ぎになると眠る。そして早々に起きてまた私の世話。鍛錬。読書。毎日毎日、同じことばかり。
変わったことと言えば、にょきにょきと背が伸びたことと声変わりをしたことくらいか。
「子供」
暇を持て余した私は、ひたすら鍛錬をしている子供へ声をかけた。
子供は動きを止め、手ぬぐいで汗をぬぐってからこちらへ向き直る。
「いかが致しましたでしょうか、鉄仙様」
「いやな、お前がずうっとひとりであれやこれややっているから私も哀れに思ってな。どれ、私が稽古をつけてやろう。遠慮は要らぬぞ。ほれ、かかって来い」
「……光栄にございます」
深々と頭を下げて。
「参ります」
子供は見事なまでの型通りに私に一撃を入れた。それを弾き、私は子供の様子を見る。
なるほど才はある。日々の努力も見受けられる。人の身でありながら、ましてや子供でありながらこの域に達するとは。……少し見くびっていたか。
しかし、所詮人。
弱い。速さも強さも私の足ともにも及ばない。足もとどころか、この子供が地面に立っているとするならば私は月まで行ってしまうことだろう。なんと弱く脆く哀れな生き物か、人というものは。
少し小突いてやると、子供はあえなく後ろずさってうずくまった。
「はは。人が努力したとてこの程度であると思い知ったか。分かったら子供らしくあやとりでもしているが良い」
「……今一度、お願い申し上げます」
「……ほう。立つか、子供」
ふらつきながらも構える子供。
まあ何度か繰り返せば動けなくなって懲りることだろう。もしかしたら泣いてしまうかもしれないな。
思えばこの子供の笑った顔も泣いた顔も見たことがない。これは見物だ。
一撃。二撃。やはり弱い。先程の私の軽い打撃のせいで余計に弱くなっている。
また小突いてやる。倒れる。
……立ち上がる。
「今一度」
「飽きないなあ。まあいくらやっても構わんが」
一撃。弱い。小突く。倒れる。立ち上がる。一撃。弱い。小突く。倒れる。立ち上がる──。
……もう何度目だ? 気づいたら日が暮れている。
「なあお前、そろそろ死んでしまうぞ? もうやめ──」
あくび混じりに私が言いかけた刹那。ぺち、と情けない音がした。
私の頬に当てられた弱々しい拳。
「……は?」
……この子供、私に拳を当てたのか?
確かに油断しきっていた。確かによそを見ていた。とは言え──神の創作物たる私に──完全にして唯一なる私に──星をも破壊する力を持つ私に──この私に、一撃を与えたというのか?
子供は一瞬だけ嬉しそうに目を輝かせて、そのままへなへなと倒れ込んだ。当たり前だ。一日中飲まず食わずで動き続け、私からの打撃を食らい続けたのだから。
それでも、それを乗り越えたというのか。蟻にも等しい人ごときが。
「──子供」
倒れた子供の肩を揺する。子供は薄く目を開いた。
「名を申せ。子供、お前の名を教えろ」
「……楼、にございます」
「楼。楼というのだな、お前。良い。実に良かったぞ楼。幾千年生きてきて私を殴った人などお前が初めてだ。私の名のもとに命ずる、楼。お前はずっと私の傍に居ろ。良いか、片時も離れてはならぬぞ。良いな」
「……は。光栄、にて……」
かすれきった声でそう答えて、子供は──楼は気絶するようにして眠った。
そうか。楼、か。
私は初めて人の『個』を認識した。
楼を抱き上げ、部屋へ連れていこうと庭から家屋の方を見ると。この家に住む人々が怯えきった瞳でこちらを見ていた。きっとこの者達からすれは、私は子供を殴り倒す悪辣非道の化け物に見えているのだろう。別に良い。構わない。楼が居れば私はそれで良い。
その日、楼は終ぞ起きないまま次の日の朝を迎えた。
私はその寝顔をずっと見ていた。
見れば見るほど、まだ幼さの残る顔だった。
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