第70話 たまきん3

 洞窟を抜けた精子たちの進む先は二手に分かれる。

 右に進むのか、それとも左に進むのか。片方の道にしか卵子は無いため、不正解の道を進んでしまうと、ゴールにたどり着いたにも関わらず、受精することはできない。


「左右どっちだ?」

「左だ」


 他の精子からの問いかけに、自信を持って答えるよしお。

 彼が持っている計器によれば、左に進むのが正解だ。


「このまま進むか?」

「いや、少し休憩しよう。俺も休みたい」


 よしおの言葉に同意したバディが「休憩だ」と近くの精子に伝えると、その言葉がさざ波のように広がり、全員に伝わる。

 精子たちからホッとした様子を感じ取ると、よしおも座り込む。


 射精直後の全力疾走から洞窟を抜けるまで、一度も足を止めずに進んできた精子たちには疲れが溜まっている。

 それに加え、仲間が次々と死んでいく光景を目の当たりにし、気力も限界に近い。

 静かに座り込む者もいれば、近くの精子と談笑する精子もいる。それぞれの精子が各々自由に体力と気力を回復させている。

 しかし精子たちに、ゆっくり休むことのできる時間など無い。


 何か起こるかもしれないと、何割かの精子は警戒を続けている。そのうちの一人が、ゆっくりと歩いて向かってくる白一色の女の姿を発見した。


「白血球だ!」


 たった一人の叫び声。

 その叫び声が、精子たち全員を戦闘態勢に変えた。


 座学や訓練で何度も仮想敵として登場した白血球。

 この白血球から逃げ切り、子宮の奥深く、卵子がある場所まで進まなければならない。それがどんなに強力な敵だとしても。


「総員! 迎撃態勢!」


 よしおの指示をきっかけに、向かってくる白血球に対し、訓練で何度も繰り返した迎撃態勢をとるための移動を各々完了する。


「構え!」


 一斉に銃口を向け、荒い呼吸音しか聞こえなくなる。

 明らかな敵意を受けているにも関わらず、白血球は薄い笑みを浮かべたまま優雅に歩いて向かってくる。


「撃て!」


 数千の精子たちが持つサブマシンガンから一斉に発射された銃弾は、そのほとんどが白血球に命中した。


「噓だろ...」


 しかし、白血球は先ほどと全く変わらない姿と優雅さで向かってくる。


「白血球を撃ちながら卵子の方向に走れ!」


 パニックに陥りそうな精子たちの雰囲気を感じ取り、よしおが指示を出す。

 だが、冷静に見えるよしおも内心ではパニックになっている。

 精子であれば一発ではじけ飛ぶような銃弾を何万発もくらっていながら、何事もないかのようにこちらに向かってくる白血球。

 よしおは今、常識では測れない怪物の存在を初めて認識している。


 唯一の救いはスピードが遅い可能性があるという点だ。

 しかし白血球は歩いているため、走ったらどうなるか分からない。だが、その一点に希望を持つしかない。


 白血球から直線距離で50m(精子比)はあるだろう距離を先頭集団が走り抜けようとした時、白血球が消え、先頭集団の精子たちが突然後方に吹き飛んだ。

 よしおは発砲せずに白血球の動きを注視していたため、なんとか視認することができた。


 白血球は凄まじい速度で走って先頭集団の進行方向の前方に移動し、一度の回し蹴りで精子たちを吹き飛ばし、その内の1人を丸呑みにした。

 吹き飛ばされた精子たちは何が起こったのか分からず、混乱しながらも立ち上がる。


 先頭集団が吹き飛び、先ほどまでは離れた場所にいたはずであるにも関わらず、突如白血球が現れた光景を見た精子たちは気づいてしまった。

 目の前にいる存在は精子たちを敵だと認識していない、ただのエサとして認識していると。


 だが、精子たちの目に絶望は無い。

 絶望の目をしているのはよしおだけだ。


「どうしたらいいんだ…」


 よしおが絶望を隠そうともしない声色でつぶやく。

 その横にいる、たまきん時代からずっと苦楽を共にしてきたバディが叫んだ。


「総員武器を捨て、突撃!」


 よしおは驚き、そんな指示を出したバディに「おい!」と詰め寄る。


「どうせ銃も効かねえし、突っ込むしかないだろ?」


 ニカッという効果音が聞こえそうな笑顔を浮かべながらよしおに返事をするバディに、怒りがこみ上げる。


「突っ込んでどうするんだ! 全員死ぬぞ!」


 バディの襟を両手で掴み怒鳴るよしおに、なおもバディは笑顔のまま答えた。


「俺はよ、お前が受精してくれればそれで満足なんだよ」

「は?」

「あと、ありがとな。お前がバディじゃなかったら、俺は訓練で死んでたよ」

「そんな話をしている場合じゃないだろう!」


 よしおの激昂を気にもとめず、バディはよしおを突き飛ばした。


「走れ! 俺たちは時間を稼ぐ!」


 バディの叫び声を聞いた他の精子たちが、次々とよしおに檄を飛ばし始めた。


「俺もお前がいなけりゃ死んでたな」

「お前のおかげで生きて卒業できたんだ」

「病気の母ちゃんに射精金を残してやれた」


 よしおへの感謝の輪はみるみる広がっていく。


「ありがとな!」

「絶対受精しろよ!」

「この人数で足止めすりゃ、お前でも逃げられるだろ!」

「お前、麻雀弱すぎんだよ! なんで国士に振り込むんだよ!」

「寝てる間にリーゼントにしたの、実は俺だ!」

「ドラクエ返し忘れてたの今思い出した!」

「野球拳大会楽しかったぞ! いっつもお前だけ全裸になってたよな!」


 よしおの脳裏に「たまきん」時代の思い出が次々と蘇り、目から涙があふれ出る。

 呆然と仲間たちを見回すよしおをよそに、バディが声を荒げた。


「行くぞお前らぁぁぁ!」

「「「よっしゃぁぁぁぁ!!!」」」


 数千もの雄叫びがこだまし、一斉に銃を捨て、白血球に向かって走り出す。

 本来であれば雄叫びに飲まれて聞こえないはずのバディの声が、よしおの耳に届いた。


「よしお! 走れ!」


 よしおは涙をぬぐいながら、走り出した。






 ーーーーーー






 終わらなかった。

 次こそほんとに「たまきん」完結

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