第69話 たまきん2

「射精準備」

「はい!」


 日々の厳しい訓練によって、条件反射になった全力での返事をし、各々が定められた位置につく。

 もうすでに、口を開くものはいない。

 皆、嫌というほど分かっているのだ。射精されれば死ぬ。受精を達成しても死ぬ。

 そう簡単に覚悟は決められない。

 しかし全ての精子が、この時間を未来を受け入れるために使っている。


 校長以下教官たちは、精子たちを見つめ涙する。

 こんなにも立派に育った精子たちを、一人残らず死地に送らなければならない。

 未来しかない若者たちではなく、自分が変わってやりたい。しかし、若く新鮮な精子しか出撃してはならない。それは、本能で決まっている。


「なぜだ! なぜ犠牲にするために育てなければならない!」


 まだ着任したばかりの教官が叫ぶ。

 他の教官たちも同じ気持ちだ。

 これまで精子が出撃したことは無かった。そのため、卒業式は笑顔があふれるものだった。

 今回は違う。長期間卒業式を見ている校長は初めて悲しみの涙を流し、こぶしを握りしめ、震えている。


「射精3秒前」


 砲台部隊の号令に、嗚咽を漏らす教官たち。

 そんな教官たちを見て校長は思う。「違うと」。

 立派な精子たちを静かに送り出してしまうわけにはいかないと。

 校長は、咆哮にも聞こえる声を射精準備を終えた精子たちに向かって出した。


「がんばれ!」


 その声に精子たちは驚き、校長を見る。

 だがそれも一瞬のこと。精子たち顔はほほ笑みに変わる。


「2秒前」


 校長の声に驚いていた教官たちも我に返り、各々が全力で「がんばれ」と叫ぶ。

 のどが裂けてもいい。その思いが精子たちに届く。


「1秒前」


 精子たちが教官たちから視線を外し、出撃口の方向を向く。

 その顔にはすでに、覚悟がある。


「射精!」


 精子たちが見えなくなっても「がんばれ」の叫びはしばらく続いた。





 ーーーーーー






 射精によって体にのしかかる訓練とは比べ物にならない強力なGに、精子たちは顔をゆがめ、うめき声を漏らしながら耐える。

 地獄のような射精が終わり、精子たちが戦場に降り立つ。

 それぞれが周りを見渡していると、そこかしこで悲鳴が上がる。


「あ、足が!」

「うわぁぁ!」


 精子たちの足が、煙を上げながら溶けていく。


「走れ!」

「あの洞窟が子宮だ!」

「進めええぇぇ!」

「絶対に止まるな!」


 精子たちは必死に足を動かす。

 しかし、ほとんどの精子は酸によって足を溶かされ、バタバタと倒れていく。

 無事に子宮口にたどり着く頃には、数億はいた精子は1万を切っていた。


 精子たちは仲間の最期を思い出し、涙を堪えながら洞窟を進む。

 数千もの集団が同じ空間にいるにも関わらず、言葉を発する者はいない。

 自分が死ぬ覚悟は出来ていた。しかし、同胞がゆっくり溶けていく姿を見る覚悟はできているはずもない。


 そんな惨状を見ているにも関わらず、嘔吐するようなものはいない。

 ただ、精神が限界を迎えた数人が洞窟の壁に寄りかかり、座り込む。その姿を見た者も同様に座り込む。


 洞窟の壁は音を立てずに動き出し、自らに寄りかかる精子を優しく包み込む。

 静かに涙を流しながら座り込む精子たちは、洞窟の壁に飲み込まれていく。


「おい! 手をのばせ!」

「…もういいよ、俺は疲れた。どうせがんばって先に進んでも死ぬだけだ」


 飲み込まれていく精子を助けようと、近くにいる精子が手をのばすが、生きることを諦めた精子が手をのばすことはない。

 その光景を見た精子たちの中には、自ら壁に飲み込まれようと座り込む者もいる。

 他の精子も、もう壁に飲み込まれる精子たちを助けようとしない。


 そんな状況に、まだ立っている精子たちの顔に絶望が浮かび始める。

 どんなにがんばって先に進んでも死んでしまうだけということを、改めて思い出してしまった。


 それでも、まだ前を向いている精子もごく少数だが残っている。

 そのうちの1人が、残っている精子たちに向けて、声を荒げた。


「諦めるな!」


 精子たちは生気のこもっていない目を声の主に向ける。


「絶対に受精するんだ!」


 声の主はよしお。

「たまきん」での成績はお世辞にも良いとは言えない成績だった。

 だが、心だけは優秀だった。

 きつい訓練中でも弱音を吐かず、弱気になっている他の精子を励ます。

 一方的に励ますのではなく、相手の目線に立って励ましていた。


 本来この軍団を率いる「たまきん」の首席は溶けた。

 成績順で決っていた他の隊長や隊長候補も溶けるか、壁に飲み込まれた。

 もうこの軍団に隊長教育を受けた者は残っていないし、統率の取れた行動をする気力も残っていない。

 だが、よしおは励まし続ける。


「もうちょっとだけがんばろう!」

「俺たちが諦めたら、溶けたやつらに顔向けできないだろ?」

「この洞窟を抜けて子宮にたどり着いたら休憩できるぞ!」


 返事をする気力もない精子たちに向けて、様々な励ましの言葉をかけ続ける。

 何度も繰り返していると、徐々に気力を取り戻す精子も出てくる。


「そうだよ、もうちょっとだけがんばろうぜ」

「あいつらに合わせる顔がねえよな」


 やはりと言うべきか、いち早く気力を取り戻し始めたのは「たまきん」時代に同じ隊で訓練していた仲間たちだった。





 ーーーーー





「たまきん」次回完結

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