第68話 たまきん1

 屋根の上で見つめあう二人。

 一人は自分のお腹を撫で、もう一人は汗だくでうつむいている。


「もし子どもができたら、どうしたらいいと思いますか?」


 キュリーの優しい声色に、一段と汗が吹き出るルイス。


「…す、健やかに育つと思います」


 ルイスのわけの分からない返答に、にっこりと笑顔を返し、また一段と優しい声色になるキュリー。


「結婚という制度をご存じですか?」


 ルイスは声を絞り出すように、震えながら答える。


「…は、はい。しています」

「知っているようで安心しました」

「あ、いや、ち、違います…。もう僕はけ、結婚、しています」

「離婚しなさい」


 キュリーの凍てつくような声色にガタガタと震え、滝のような汗をかいているせいで足元には水たまりができている。


「で、できないと思います」


 ルイスの言葉にキュリーは「そういえばルイスは育ちが良かった。若くして結婚していてもおかしくない」と考えた。


「お子さんでもいるんですか?」


 王族や貴族であれば12歳くらいで結婚する者も少なくない。

 そうであれば、子どもがいても納得できる。


「…は、はい。16歳の娘がいます。いや、でも、娘は関係無くて、物理的に離婚届を出せないというか…」


 キュリーの額に、何本もの青筋が浮かぶ。

 この男は結婚したくないという理由だけで、あからさまな嘘をついているのだ。

 どこからどう見ても20歳以上には見えない容姿をしている。

 それなのに、16歳の娘と来た。

 3歳で子どもを作ったとでも言うのか。ぶち殺すぞ。

 いや、落ち着こう。そもそもまだ妊娠したかどうかも定かではない。

 男からすれば、「え? 責任を取るには早すぎるくない?」というところだろう。

 本当はそう言いたいが、怖くて言えないという可能性も考えられる。

 そういうことにしておこう。


「わかりました。いずれ、妊娠が確定してからもう一度話しましょう」

「…わかりました」


 明らかにほっとしているルイスを見て、額の青筋を1本増やしながら朝日に目を向ける。

 何年前のことだったか忘れたが、同じようにドラゴン媚薬騒ぎを起こしてしまった際には、ただただ周りを見てイライラするだけだったが、今回は少し違う。

 横の男には腹が立つが、どこか達観している自分に気づく。

 これが、女になったということなのだろうか。いや、母になったということなのだろうか。

 分からないが、悪い気分ではない。

 キュリーは少しほほ笑み、自然と目を閉じ、ゆっくりと深く息を吸い込んだ。




 ーーーーー




 ルイスの「たまきん」のおはなし



「この時をもって、君たちは出撃する」


 出撃の時を迎えた兵士の顔は様々だ。


 ここは卵子にたどり着く強靭な精子を育成するための教育機関「対漫湖機動団(たいまんこきどうだん)」通称「たまきん」。一期ごとに1億人を超える卒業生を送り出す軍学校の卒業式は、最後の校長の挨拶が進んでいる。


「君たちは、時に競い合い、時に助け合い、強靭で精悍な精子となった。出撃した際には、必ず卵子にたどり着き、受精しなければならない」


 校長は、真剣な眼差しで自分を見つめている精子たちをもう一度眺める。

 特に思い入れのある精子もいる。努力を続けていた者、最初から優秀だった者、他の精子の支えになっていた者。


 この中で、たった一人。

 たった一人のみが、受精できる。

 一度出撃すれば最後、その一人を除き、全員が死ぬ。

 受精を果たした精子さえも、家族のもとに帰ることはできない。

 そのことが分かっていながらも、この学校に入学し、厳しい訓練に耐え、見事に卒業した。

 校長の目からは、自然と涙があふれる。


「私は、任期中に出撃することはできなかった。そのような精子は山ほどいる。しかし、君たちは違う。すでに出撃準備は整っている」


 校長を見つめる兵士たちが、一斉に唾を飲み込み、緊張感が充満する。

 覚悟を決めている精子たちに、もうこれ以上の言葉は必要ない。


「君たちの受精を、心から願っている」


 校長が敬礼をすると、精子たちが一糸乱れぬ敬礼を返す。


 教官達は、皆一様に涙を流している。

 校長も現場で少ないながらも指導に当たっているが、やはり常に学生たちと行動を共にしていた教官たちの思いは強い。嗚咽を漏らしている教官も少なくない。


「解散」


 校長の号令の下、精子たちは出撃準備に入るため、卒業式会場を後にした。


 出撃口に続く道に、数多の精子がひしめいている。

 皆各々、近くの精子と談笑している。

 そのほとんどが、たまきん時代の思い出話だ。


 その中で少数ではあるが、今までの感謝を伝え合う者もいる。


「なあ、もうお前と飲みに行くことも無いんだよな」

「そうだろうな」

「俺はさ、お前がバディで良かったよ」

「最後に泣かせにくるなよ」


 いつも冗談を言い合う関係のバディの言葉に、おちゃらけた態度で返す兵士。


「ばか、本心だよ」


 そう言うバディの目には、薄く涙が溜まっている。


 兵士の目にも涙が溜まり、何かを言おうとゆっくりと口を開く。

 その瞬間、砲台部隊から号令がかかる。


「射精準備」

「はい!」


 精子たちの返事が、響き渡った。






 ーーーーーー






「たまきん」もう少し続きます。

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