第67話 賢者タイムは脇汗

 真っ白な蒸気が冒険者ギルドに充満し、もう数メートル先すら見えない。


「ジェシカ! 子どもたちのところに行きなさい!」


 すぐ隣にいる受付嬢が、最後の理性をふり絞るような声で叫ぶ。

 ただ事ではない切羽詰まった声に、ジェシカは返事をすることなく、記憶だけを頼りに蒸気の中を走る。

 途中、何人かにぶつかり、いつもなら「ごめん」と声をかけるところだが、そんなことをすれば自分に危害が及ぶのではないかと思い、できない。


 無我夢中で走り、孤児院の子どもたちが集まっている会議室に入ると、外の喧騒におびえる子どもたちが一斉にジェシカに群がる。

 口々に「こわいよぉ~」などと訴え、一番年上であり、頼りになるジェシカに抱きつこうとする。

 子どもたちを落ち着かせるために全員の頭を優しく撫で、自分も落ち着こうとする。


 ジェシカも怖かったのだ。

 白煙の中で薄っすらと見えた受付嬢の目は血走り、真っ赤に充血していた。ジェシカのことを見ているようで見ていない。何か、自分を満たすことが出来る獲物を探しているような目だった。


 その目を思い出し、ジェシカは顔を赤くし、恐怖に震える。

 鼓動も激しいし、じっとりと汗ばむ。

 周りでおびえている子どもたちを励ましながら、どんどん早くなる鼓動を落ち着けるために、深呼吸を繰り返す。


 子どもたちが落ち着きを取り戻したことを確認したジェシカは、ドアの前に椅子や机を積み上げるように指示を出す。簡易的なバリケードだ。

 子どもたちは必死に動くが、まだ幼く、力がない。そのため、ほぼジェシカが一人でやっているような状況だ。

 バリケードを設置し終わると、ジェシカは子どもたちに感謝の言葉をかけていく。

 いつもとは少し何かが違うが、大好きなジェシカに感謝の言葉をかけられた子どもたちは、誇らしそうな表情になり、笑顔を取り戻した。


 バリケードの設置からそれなりに時間がたったが、ドアの外から聞いたことのない種類の叫び声が聞こえる。

 圧倒的に女の声のほうが多く大きいが、時々男のうめき声のようなものも混じっている。

 痛いとも、嬉しいとも、なんとも言えない多数の絶叫が鼓膜を打ち鳴らし、全身に震えが走る。


 気が付けば、ドアの向こう側だけでなく、窓の外側からも叫び声や振動が聞こえてくる。

 全員で無我夢中になってドアの前に積み上げたバリケードのおかげで、時折向こう側から力ずくで開けようとしているのであろうドアはまだ閉じているが、開けようとする間隔と強さがだんだんと短くなっている。


 子どもたちが怯えながらバリケードの奥にあるドアを見つめていると、どこか建物内から思わず飛び上がってしまうほどの大きな何かが発射され、すさまじい勢いでぶつかったような破裂音が鳴り響き、周囲が静かになったが、それも一瞬のこと。

 一度静かな時間を体験したため、より一層喧騒が大きく聞こえるようになる。


 子どもたちは音やドアに走る衝撃に怯える時間を過ごしている。

 時間がたてばたつほどドアを押し開けようとする力が強くなり、椅子や机を積み上げたバリケードがゆっくりと崩れ始める。

 最初は少しずつだったバリケードの崩壊が一気にスピードを増し、土砂崩れのように押し流される。


 男にあぶれ、男を探し求める目を血走らせた女達が部屋になだれ込む。

 その目に子どもたちは映っていないが、子どもたちにそんなことは分からない。

 子どもたちの恐怖が絶望に変換された時、風がふき、部屋の中にいる女たちがバタバタと倒れた。


 子どもたちが驚愕し固まっていると、いつの間にか部屋に入って来ているキュリーが子どもたちを安心させようとし、声をかけようと口を開く。

 その瞬間、キュリーに追いつき、部屋に駆けつけたルイスが子どもたちに声をかけた。


「みんな大丈夫!?」


 久しぶりにまともな状態のルイスを見たジェシカの目に、涙が溜まる。

 今のルイスは、なぜかズボンが前に飛び出していないし、「ぬうん」も言わない。やっといつものルイスが戻ってきた。


 まだ幼く知識も無いゆえに媚薬の効果が十分に発揮されることはなかったが、ジェシカも吸い込み、僅かに効果を発揮している。

 ジェシカは全力でルイスに抱きついた。

 思春期にあるまじき行為。思春期に入ったばかりの子どもが、好きな人に抱きつくなどという行為は、媚薬が効果を発揮していないと絶対にできない。


「よしよし、もう大丈夫だからね」


 聞きなれた優しい声に、涙が止まらない。

 ルイスの服を涙と鼻水でベトベトにしながら、上半身はいつも通りの恰好をしているが、下半身はなぜかベッドシーツを腰に巻いた状態のルイスの顔を見上げる。

 すると、ルイスが口を開いた。


「もう大丈夫だよ」


 今まで感じたことのないほどの強烈な感情が胸いっぱいに広がり、安心感と幸福感でいっぱいになりながら、ジェシカはルイスの匂いを思い切り吸い込む。

 いつものルイスの匂いの中に、謎の生臭さを感じながら、極度の緊張状態を長時間続けていたジェシカは眠りについた。


「寝ちゃいました」


 カクンと落ちたジェシカの体を抱き上げ、キュリーに声をかける。


「こちらもです」


 ジェシカの周りには、眠りについた子どもたちが積み重なっている。

 二人で優しく子どもたちを床に並べ終えると、キュリーが倒れている女たちを引きずり、ドアの外に転がし、ドアを火魔法で溶接した。


「これで開くことはないでしょう」

「…これ、部屋の中が蒸し風呂になってませんか?」

「少し温度が上がった程度でしょう。問題ありません」

「…いや、でも石が溶ける温度ですよ?」

「問題ありません。そんなことよりも、他の子どもたちを助けに行きますよ」

「…分かりました」


 もうすでに媚薬成分を含んだ蒸気は街を覆うほどに拡大しており、そこらじゅうが乱痴気騒ぎになっている。

 子どもは孤児院だけではない。街中にいる。

 救助を待つ子どもたちは無数にいる。


 二人は、別々の方向に動き出した。



 ーーーーーー



 周りの大人に怯える子どもたちを全員救助し終わったころには、すでに朝日が顔を出している。

 その朝日を、二人は冒険者ギルドの屋根の上から眺めている。

 いまだに街のそこかしこで乱痴気騒ぎが繰り広げられており、まだ当分終わらないだろう。

 だが、子どもたちは安全を確保している冒険者ギルドに軟禁している。

 ルイスがほっと一息つくと、キュリーが口を開いた。


「来ますね、この街に」

「え…何がですか?」


 まだ何かあるのかと、ルイスが身構える。


 キュリーはルイスの顔を横目で見ながら、自分のお腹を撫で、ゆっくりと小さく呟く。


「ベビーブームです」


 ルイスの脇から、大量の脇汗が噴き出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る