第64話 怪物と謎の女

 ズボンの上からでも分かる、人類の限界を軽く超える怪物。

 その先端は顎に届こうかというレベル。


「す、すごい…」


 媚薬がいつ効くのかと、ソファーに座るルイスを見つめていた青年は、ルイスのズボンが張っていくとともに、震えを大きくした。

 自分が逆立ちしても敵わないからか。

 それとも、あんなものを使えば軽く人が死ぬと感じたからか。


 青年は震える足を気力で動かし、嬢を呼びに走る。

 廊下を走る間、自然と零れ落ちそうになる涙をこらえながら、何とか嬢が待機する待合室にたどり着き、出来るだけ事実を伝える。


「と、とびきりのイケメンです。欠点がありません。歳は18前後、スタイルも完璧です。か、下半身も」


 青年の報告に、嬢たちが色めき立つ。

 いつもなら「イケメンですが、少し鼻が低いです」や「イケメンですが、少し目つきが悪いです」など、直接見れば全然そんなことないようなことまで報告がある。

 しかし、今回の客は完璧らしい。

 仕事ゆえに面倒くさいことには変わりないが、どうせなら女心が躍るような客が良いに決まっている。

 全員がキャイキャイとはしゃぎながら、化粧を直し始めた。


「下半身も完璧ってなに?」

「あれよ、キュリーさんがドラゴン媚薬の販売してるじゃない」

「もう飲んじゃったのかしら」

「我慢できなくなって、もう脱いでるんじゃないの?」

「きっと早漏ね」

「イケメンで早漏なんて、最高の客じゃない」


 いつもなら全員が顔見せに出ることなど無い。

 何人かは気乗りしなかったり、予約が入っていたりするのだが、今回は別だ。

 予約客を待たせることになってもいい。

 選ばれなくても、一目見てみたいという好奇心が勝った。


 しっかりと化粧を直した嬢達がルイスの前に並ぶ。

 嬢達全員の体が震えている。

 嬢達は、自身の目に映る者を、もはや人間とは認識出来なかった。


 普段であれば、その芸術品のような美しさに感動していたであろう容姿。

 血走った目、小刻みに超高速で振動している体、体から立ち昇る大量の湯気。

 そして、ズボンの下から圧倒的な存在感を放っている、人類の限界を超越した怪物。


 その姿は、まるで化物。


 ルイスの前に並ぶ嬢達は、言葉を発することすらできない。

 皆一様に目線を下に向け、震え、青ざめている。

 ロビーに存在する音は、ズボンから発せられるミチミチという音と、フシューという荒々しい鼻息、時折ルイスから発せられる謎の「ぬぅん」という、とても言葉とは思えない音のみ。


 この空間をルイスは恐怖で支配している。


 ルイスの目に、理性の色は無い。

 もはや人間ですら無い、性欲に支配された何かである。


 そんなルイスが、とりあえず一番近くに立っている嬢に手を伸ばしかけた時、開いたままになっていた扉から、小太りのダンディなおじさんがドラゴン媚薬を抱えてホクホクとした笑顔で入ってきた。

 このおじさんこそ、この娼館の経営者にして、うっかり青年にルイスのことを教え忘れた張本人である。

 おじさんはルイスを見て、即座に体を動かした。


「ル、ルイス様!」


 常軌を逸したルイスと嬢の間に割り込み、ルイスの手が届く距離に立つ。

 これだけでも相当の勇気ではあるが、次の行動はさらに称賛に値する。


「無理でございます! ルイス様を受け止められる者は、ここにはおりません! 何卒! 何卒お引き取りください!」


 おじさんは勇気を振り絞った。

 これまでの人生で最も勇気を振り絞った。

 その勇気を受け、ルイスの目に少しだけ理性が戻る。


「ぬぅん」


 ルイスは素直に、娼館を後にした。


 冒険者ギルドまでの帰り道。

 ルイスは体から湯気を出しながら、道を雄大に歩く。

 目に涙を貯めて震える女を、血走った目で凝視しながら。

 道にいる全ての人々に畏怖の目を向けられながら。




 ーーーーーー




 化物が去った娼館のロビーには、嬢たちのすすり泣く声が響き、謎の湯気が漂っている。

 先ほど、勇者でも成しえない偉業を行った経営者は座り込み、手を震わせている。


 通常ではありえないほど静かな娼館。

 もう少し時間がたてば、娼館通りも賑やかな雰囲気になるが、現在の不気味な娼館には誰も入らないだろうと思われるくらい静かな娼館に、1人の謎の女が静かに、誰にも気づかれずに入る。


 死屍累々の状況になっているロビーを見回すこともなく、ソファーの陰に隠れて震える客引きの青年に一直線に向かい、声をかける謎の女。


「よくやってくれました」


 客引きの青年には聞こえていない。

 とても人の言葉を理解できる心理状態ではないからだ。


 客引きの青年に声をかけた謎の女は、当然そんなことは分かっているし、聞かせるつもりもない。

 販売している何百倍にも薄めたドラゴン媚薬ではなく、魔力のゴリ押しによって作成した、5倍濃縮ドラゴン媚薬を、犯人が分からない状態で飲ませることに成功したため、お礼を言いたい気分だっただけだ。


 お礼を言い終わり、もう一度ゆっくりと口を開く。

 柔らかく開かれた口から紡がれる優しい歌は、座り込んでいる経営者を落ち着かせ、すすり泣く嬢達を穏やかな気持ちにさせ、ソファーの陰に隠れている客引きの青年を眠らせる。


 全員が落ち着いたのを確認した謎の女は、この場にいる全員に存在を気づかれる前に、客引きの青年のポケットから、残った5倍濃縮ドラゴン媚薬を抜き取り、漂う湯気を引き連れながら、音も無く姿を消した。


 その湯気は一瞬だけ、冒険者ギルドの方向へと伸び、空気に溶けていった。

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