第43話 おしとやか

「怖かった~」


 鍛冶工房から出たルイスが呟く。

 強面のおじさんに怒鳴られれば、誰でも怖いだろう。

 怒鳴られるという、現代社会で生きていれば、なかなか出会うことのない稀有な経験をしてしまったルイスは、少し落ち込んでいる。


 確かに自覚はある。

 自分の話し方が、少しなよなよしていることに。

 喋る時に、ついつい最初に、あ、とかついてしまうし、え?、とか言ってしまうのは分かっている。

 でもしょうがないじゃないか、癖だもの。


 開き直ったルイスは、いつも通りB級ダンジョンに向かうため、歩き始めた。

 のんびりと歩きながら、たまには空を見上げてみる。


「いい天気だな~」


 日本にいるとき、空を見上げることなどあっただろうか。

 いや、無かった。

 歩いている時に、空を見上げるなど、考えたこともなかったかもしれない。

 ルイスの視線の先で、薄い雲が流れている。

 ゆっくりとした速度で、まるでこっちに挨拶をしているようだ。


 そんな雲を眺めながら、のんびりゆっくりとダンジョンに到着したルイスの目に、ジェシカの姿が見えた。

 いつもは、ルイスが朝にダンジョンに来て、2時間ほどたった頃でないと来ていないはずだ。

 なのに今日は、いつもより少し早く来ている。

 しかも、なぜか弓を木に向かって構えている。


「おはよ~」

「おっ!?」


 ルイスが近寄るまで全く気づかず、弓を構えていたジェシカは、ルイスを振り向き、驚きすぎて弓を地面に落とした。


「あっ、ごめんごめん、ビックリした?」

「…ちょっとだけな」

「ごめんね?」

「いいよ、別に」


 ルイスはジェシカの頭を撫で、地面に腰をおろした。

 なんだか今は、ぼ~っとしたい気分になったのだ。


「ダンジョン行かねぇのか?」

「行くよ~、行くけど、ちょっとだけね」

「ふ~ん」


 地面に腰をおろしたルイスは、そのまま地面に寝転がり、体を伸ばして空を見上げた。

 そのまま空を見上げていると、ジェシカも横に寝転がった。


「いい天気だよね~」

「そうだな」

「おっちゃんさ、空を見上げるって、たぶんすっごい久しぶりなんだよね」

「へぇ~」


 のんびりとした時間が過ぎ、数分したころ、ルイスの上に、ジェシカが乗ってきた。

 空を見上げるルイスに、顔を下にして乗り、ルイスの顔を見て、嬉しそうな笑顔をつくる。

 ルイスはジェシカの頭を撫で、そのまま何も言わない。


「なあおっちゃん?」

「ん?」

「おっちゃんはさ、今、幸せか?」

「うん、すっごい幸せだよ」


 ルイスにとって、今の生活は、尋常ではないほど幸せだ。

 レベル上げが趣味で、ゲームの中にしか幸せを感じなかった人生。

 それが今では、ゲームの主人公ではなく、自分のレベル上げを楽しんでいる。

 これを幸せと言わずして、何が幸せか。

 ルイスはその感情を表情に出し、心から幸せそうな笑顔でジェシカに答えた。


「えへへ、俺も」

「そっか」


 ルイスの上で、ルイスと同じように、幸せそうな笑顔をするジェシカの顔を見て、ルイスもさらに幸せになる。

 これほどまでに、自分になついてくれる子供。

 そんな愛らしい子供を抱き締め、寝転がったまま頭を撫でる。


「えへへ」

「どしたの?そんな楽しい?」

「うん、楽しい」

「そっか、よしよし」

「…なあ、おっちゃんってさ、どんな女が…す、好きなんだよ」


 ルイスの上で、顔を真っ赤にしたジェシカが、ルイスの胸に顔を埋めながら、絞り出すような音量で、ルイスに問いかけた。


「…どうだろ、明るいけど、おしとやかな子かな?」

「明るいけど、おしとやか…年下でもいいのか?」

「どっちでもいいよ、年上でも年下でも」

「…ふ~ん」

「ジェシカは?どんな子が好きなの?」

「え!?お、おれか!?」

「お、照れちゃってんの~?」

「て、照れてねぇし!」

「言っちゃえ言っちゃえ~」


 ルイスはかわいい反応するな~、という感情でジェシカを見つめている。

 小学生くらいの男の子は、こういう反応なのかという感じだ。

 ジェシカが女の子なのは知っているが、心は男の子なのだ。

 好きな女の子のタイプを聞かれただけで、ここまで照れることが出来るのも凄いな~と思っている。


「絶対言わねえ!」

「え~、教えてよ~」

「嫌だ!おっちゃんにだけは絶対教えねぇ!」

「え~」


 そんな会話をしながら、のんびりと空を流れる雲を見上げていたルイス。

 その間、左手でジェシカを抱き締め、右手で頭を撫で続けている。


「あ~、幸せだ~」


 心からの呟き。

 日本での人生は、この世界に来るまでの、ただの準備期間だった。

 ルイスはこの世界で生きるために、これまで生きてきたのだろう。

 ルイスは、現在の生活の、幸せを噛みしめた。


「…俺も…わ、私も、幸せ」


 ジェシカの小さな呟きは、ルイスの胸に吸収され、ルイスには聞こえなかった。


「よし!行ってこよ!」

「うわっ!びっくりしたぁ!」

「あ、ごめん」

「…いいよ」

「じゃあ、ダンジョンに潜ってくるよ」

「ああ、…うん、気をつけてね?」

「オッケー」


 ルイスは、自分の上に乗っているジェシカをおろし、頭を撫でて、ダンジョンに入っていった。


 残されたジェシカは、先ほどまでの事を思いだし、顔を真っ赤に染め、地面にうずくまった。

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