嘘になったり【企画参加作品】

 初恋の街と記憶している。寂れた花屋に飾られている赤い花と目が合って、この有名なかたちの品種も知らない自分の二十二年間を恥じる。まばらにすれ違う人間達は、立ち止まった私に目もくれない。二月の寒い日の事だった。



 「どうしてもミュージックビデオを撮りたいんです、お願いします!」


 保科と名乗った、大学生くらいの小柄な女性が、昼下がりの喫茶店には似合わない大声で言い放ち、ばっと椅子から立ち上がって頭を下げる。暇そうにグラスを洗っていた店主と、カウンターで午睡をしていた看板猫が同時に振り返った。私は少しの居心地の悪さを感じながら、隣に座っている小南さんに目配せをした。

 私を主演にして、この商店街を舞台としたミュージックビデオを撮りたい、と学生は言った。既に楽曲は完成していて、自分は映像担当。いろいろロケ地の候補を回ったが、ここが一番適していると思った、と早口でぺらぺら話す。商店街での撮影許可のお願いをするというよりは、とにかく自分の考えた完璧なミュージックビデオ案を聞いて欲しくて喋っているという印象を受ける。困った末、ええっと、それはどんな歌なんですか、と聞くと、片想いの恋が叶うラブソングです、と微笑まれた。

 私は生まれも育ちもこの近辺だが、お世辞にもこの商店街は、そんな恋の歌のミュージックビデオには似合わないと思った。昔と比べてすっかり活気も失われ、建物は古錆びて、少しは居たはずの観光客もあまり見かけなくなった。今日ここに来るまでの道中も、少し前よりシャッターの閉まった店舗が増えたような気がして、勝手に寂しくなったものだ。

 ええっと、保科さんはこの商店街で、どうしても撮りたいっていうんだよね。私の隣に座って、苦笑いを口元に浮かべながら首を傾げている小南さんは、商店街の責任者。私を含む地元民たちからの印象は、良くも悪くもどこにでも居そうな優しいおじさんという感じだ。あまりにも突飛な提案に、彼が困ってしまっているのはすぐわかる。助け舟を出すように、重い口を私が開いた。


 「……でも、なんでですか? この商店街にこだわる理由って」


 ホットコーヒーのカップをことんとコースターの上に置き、気になった話を率直に切り出す。私も小南さんも暇ではない。おそらく外部から来たであろう、この保科さんという学生が提示した話にはどうも乗り気になれない。小南さんも同じだろう。いくら寂れて廃れてしまったとはいえ、私たちが触れ親しんできた商店街ということには変わりない。観光客もほとんど見なくなった今、外部から訪れる人はそれだけで少し警戒してしまう。大切にしている思い出の場所にずがずがと土足で入られたら、誰だって嫌だろう。


 「ここで、すてきな花屋さんを見つけたんです。それにこの商店街ってすごく長いでしょう?あのお店の花束を持って、商店街の入口から最後まで歩いたら、恋が叶う。そんなストーリーでビデオを撮ったら、すごく良くないですか?」


 保科さんの瞳は、少女漫画を自分のお小遣いではじめて買う女児のようにキラキラしていた。一方こちらは、さらに頭を悩ませることしか出来ない。

 にゃーお、と退屈そうに看板猫が鳴く。

 すてきな花屋、それは大体検討がつく。商店街には優しいおばあさんが営んでいる園芸店があって、品ぞろえの豊富さ、品質、そしておばあさんの人柄の良さからわざわざ遠くから買いに来る客も多く居る。おそらく、そこのお店の話をしている。

 そして、この商店街は、入口から出口までがすごく長くて、たしかに工夫しだいではミュージックビデオどころか短編映画くらいは撮れるかもしれない。

 花束を持って、商店街の入口から出口まで歩いたら恋が叶う。話としてはロマンティックだけど、今この時代、そんなものはウケるんだろうか。次々と押し寄せる疑問に、小南さんも私も質問が追いつかない状態だったし、なによりこの学生はよく喋る。私たちは揃ってぽかんとしていた。


 「私は、すごく良いと思ったんです!ここでしか撮れない、素敵なビデオになると思うんです!」

 「……そうでしょうか、私はそんなに……なん、ですけど」


 気まずくなって、飲みかけのコーヒーに視線を落とす。売れない女優の顔がゆらゆらと揺れていた。劣等感だらけのくせに、夢を諦められない馬鹿な自分の顔。私は、目の前の学生が、大好きな商店街をさも自分のモノのように語るのが嫌だ。結局私たちはいつまでも閉鎖的で、自分らのコミュニティが一番で、もちろんお客さんは大切にするけれど、経営者との壁は確かにあって……


 「悪いけど、今回は縁がなかったということで、なんとかお願いできないかな。見てのとおり、春花ちゃんも乗り気でないし、きっと他にも、素敵な場所は沢山あるだろうし……」


 小南さんが、ちらちらと私の方を見ながら言う。まるで自分を盾にされているみたい。そう思っていると、保科さんはまた勢いよく頭を下げた。


 「……わかりました。やっぱり……突然こんなの、迷惑でしたよね。小南さん、春花さん、ごめんなさい、私帰ります、っ」

 「そ、そんな、謝るのはこっちの方ですって!協力できなくて、ごめんなさい」


 保科さんの大きな瞳には涙すら浮かんでいるように見えた。彼女はクリームソーダを頼んでいたが、一口も飲まずにずっと熱弁し続けていた。白いアイスが、緑の炭酸にじわじわと飲み込まれ始めている。ここのクリームソーダ、美味しいのにもったいない、と話しかける隙すらなかった。

 それじゃ、失礼します、と彼女は荷物をまとめ始める。許可を取れたらさっそく今日から撮影を始めるつもりだったのか、カメラの他に名前も知らない重そうな機材が何個も床に置いてあった。学生は代金をテーブルに置いて、逃げるように店を出てしまった。


 「……春花ちゃん、付き合わせて悪かったね。今日も舞台のオーディションがあったんだろう?」

 「いや……私なんか、どうせ、落ちるので……そんなことより、なんか、変な学生さんでしたね。商店街でミュージックビデオなんて、考えもしなかったですし」


 しまった、外ではちゃんと、女優の卵としてネガティブな発言は控えるつもりだったのに。

 でもまあ、あんなことがあったら、愚痴のひとつやふたつ零したくもなるよなあ、と思っていたその時。からんからんと来店を知らせるベルが鳴り、店主が迎えた。どうやら常連客のようで、嬉しそうに語らう声が聞こえてくるどころか、看板猫すら店主に寄り添って客人の話を聞いている。


 「あら!春花ちゃんじゃない!」


 はてさて、どんな客なのか……と興味本位で振り返ると、そこにはよく見知った、上品な服に身を包んだ老女が居た。彼女はこの商店街で花屋を経営していて、その品ぞろえの豊富さや品質、そして人柄の良さで親しまれている方で、と回想しながら、さっきの学生のことを思い出した。


 「おばあさん、ここ最近変な客来ませんでした? なんか、ミュージックビデオがどうたらとか言う……」


 すると、おばあさんはぽん、と手を叩いて。文字通り花が咲いたように、にっこりと笑った。


 「ああ、保科さんね。どんなものになるか楽しみだわ、自分の作った花束がビデオになるなんて嬉しいわあ、しかも女優さんが、春花ちゃんだなんて」


 嬉しそうに語るおばあさんに、看板猫もすっかり懐いているようで、しっぽを揺らしながら近づいていく。私たちは喫茶店の日陰で、ただ黙っていた。保科さんの分のクリームソーダに乗ったアイスは溶けきって、下の炭酸と混ざってしまう。

 あの話、ボツになったんです。今の私と小南さんは、そんなこと、言えなかった。おばあさんの小さなお店に飛び込んできた学生は、綺麗な花に目を輝かせ、ミュージックビデオが、花束が、と話したのだろう。そして、おばあさんはいつもの柔らかい笑顔で、快諾、したんだろう。


 「……商店街を閉鎖的にして、寂れさせてるのは、私たちの方なのかもねえ」


 落胆の交じった小南さんの声。私はさっき保科さんにぶつけた暴言を思い出す。今から店を出て連れ戻そうか。いや、もう手遅れか。

 商店街が寂しくなったのは、駅前にできた大きなデパートやビルのせいではなくて、私たち自身のせいなんだって。まざまざと知らされてるみたいで嫌だった。私が売れない女優としてここで立ち止まっているのと変わらない。オーディションだって、どうせ受からないと最初から諦めて、撮影会などのつまらないバイトで食いつなぐだけの人生で。

 商店街には大きな屋根があるけれど、それでも耳を覆うように聞こえてくる雨の音がうるさい。

 学生は無事に帰れただろうかなんて心配できるほどの心の余裕もなく、私は残っていたカフェオレを飲み干した。あら、保科さん帰られたのね。おばあさんの優しい声が、遠い鐘のように聞こえてくる。

 看板猫だけがこちらを向いて、にゃーおと鳴いた。



 初恋の街と記憶している、から始まる歌詞。この花束を持って、商店街の最初から最後まで歩ききれば、恋が叶うらしい。いま私の腕の中には赤青黄の色鮮やかな花束がある。その一歩を踏み出した。観客も、カメラマンも、舞台監督の学生も居ないのに。

 真夜中、たったひとりの上映が始まる。別になんてことない、女優業の修行の一環だ。保科さんに後ろめたい気持ちなんかない。それなのに、どこか胸が苦しくて切ない。寂れてしまった商店街で、いつしか私は歌を口ずさんでいた。保科さんとイヤホンを片方ずつ分け合って聞いた、ミュージックビデオのあの歌を。


 たったひとりの上映会は続く。



/.


三角さんかくさん主催の、あだん堂商店街企画に参加させていただきました。

https://kakuyomu.jp/works/16816927860795239230


地元の変な風習が残る閉鎖的な商店街って感じになってしまいましたが、

本当はもっと明るくしたかったんです…

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