ひとりとひとりがふたりになる日

宵野暁未 Akimi Shouno

愛を奪われた僕は、愛を与えられなかった君と出会った

 僕には研究に追われる毎日しかなかった。

 アシスタントロボットが指示通りにテキパキと動き、研究成果は自動的に記録されていく。僕は次々に新しい研究に打ち込んでいく。研究し、開拓すべき分野は山ほどあった。寝る時間さえ惜しかった。

 それで良かったのだ。哀しい記憶を思い出さなくて済むから。


 今の時代、婚姻によって子供を作ることは殆どない。市民は、成人に達すると精子や卵子をバンクに保管し、気が向いたタイミングで子供を作る。だから、シングルだろうと同性カップルだろうと子供を持つことが出来るし、大抵は人工子宮を使うけれども、性別に関係無く自分の体内に子供を宿して出産することも可能だ。

 但し、生まれてくる全ての子供の遺伝子情報が管理されているし、体内で胎児を育てる場合は出生前検査も義務付けられているから、不都合な子供は基本的に生まれてこないし、天才児の可能性が高ければ生まれる前から徹底した管理下に置かれる。


 僕の母親は、自らの体内に子供を宿して出産することを望んだ。そして、天才児が生まれる可能性が高いと分かった時、管理が強化される前に秘境へと逃亡したのだ。自然の中で人間らしく僕を産み育てたいと願って。

 けれど体制は例外を許さず、僕が7歳の時に僕達は見つかってしまった。

 いや、本当はもっと早く見つけていたのかもしれない。早く見つけていながら、敢えて時期を待っていたのかもしれない。秘境と言えども、今や体制の管理の目が届かない場所など世界の何処にもないのだから。


 天才児を一人でも多く手中にすることが組織の権力を高めるから、世界中の組織が天才児を奪い合っていた。僕達は複数の組織に狙われ、その結果、僕に愛情を注いで育ててくれた母は僕の目の前で死に、7歳の僕は組織に拉致されたのだ。


「拉致なんてとんでもない。我々は奪い返しただけ。子供たちは組織のもの。それを拒否して逃亡したお前の母親こそが、我々から子供を拉致した者なのだ」


 そうかもしれない。僕と母とが遺伝子的には他人であることは、5歳の時に母親本人から聞いていた。

 僕を産んだ母親は、子供の頃のウイルス感染による後遺症で生殖機能を失ったのだという。それでも子供を産んで育てたかった、僕を世界中の誰よりも愛していると、そう言って、母は僕を抱きしめた。


「もしも、あなたが世界中から嫌われるようなことになっても、母さんはあなたの味方。何があっても、いつまでも、愛している」

 あの日の、母の最期の言葉だった。


 僕はウイルスとワクチンと特効薬の研究をしている。こんなにも徹底的に管理された世界なのに、ウイルスとの闘いに終止符は打たれていない。僕は母のように苦しむ人を無くしたい。きっと母もそれを望んでいると思うから。 

 世界中から集まるサンプルを調べ、データを解析し、睡眠以外の時間の殆ど全てを研究に費やしているけれど、次々に変異するウイルスに悩まされ、先手を打つどころか足止めすら出来ない状況に、僕は自分の無能さを思い知る。IQ測定不能の僕に出来ないことなんて無いはずなのに。


「成果が出ないのは自分を追い込み過ぎだからだ」


 僕の前に現れたのは、精巧に作られたアンドロイドのような完璧な美女だった。


「私はゼロ号研究所の主席研究員だったけれど、この1号研究室の成果が出ないので、君の教育の為に呼ばれてきたんだ」


「僕には教育係なんて必要ない」

 時間が惜しかったし、母を突然目の前で失った幼い頃のトラウマを忘れていられるのは研究に熱中している時間だけだったから。


「15歳の人間である君が仕様スペックに応じた最高の性能パフォーマンスを発揮する為には、睡眠や適度の運動も無駄ではないのだよ」


「君はAI搭載のアンドロイド?」


「AIは瞬時に何億通りもの模擬シミュレーションや演算を行い、ビッグデータから解答を導き出すから、凡人が何億人集まっても勝てない。しかし、そんなAIでも天才の直観や直感=閃きには及ばない。私は人間であり、君と同様の天才だ。但し、君は私には勝てない。愛などに執着している君にはね」


 年齢としは僕よりは上かも知れないけれど、僕を見下す氷のように冷たい瞳は、まるで100歳も年上であるかのようだった。


「私の事はゼロと呼ぶのだ。君の事はワンと呼ぼう」


 こうして、ワンと呼ばれることになった僕は、ゼロという呼び名の君の管理下に置かれることになった。


 ゼロは全てが機械のように正確で、秒単位で僕の全てを管理した。感情を表すことも無く、笑うことも泣くことも怒ることさえ無かった。

 僕が時間を守らない時も、ただ冷たく見下した瞳を向けるだけ。僕の研究が一定の成果を上げても、喜ぶことも褒めることも無く、眉さえ動かさない。実はやはりアンドロイドではないのかと僕は怪しんだ。


 けれどゼロは美しく、思いつめた表情をした時の母にどこか似ていた。


「ゼロ、君は、本当は今の自分が嫌なんじゃないの? 組織に従って仕方なくゼロを演じているんじゃないの?」


 ゼロは氷の視線を僕に向けた。


「私はいつも合理的で効率的な最善の答えを出して実行するが、君は愛という名の牢獄に繋がれ、自分を制御すら出来ない。私と同等の頭脳を持っていながら、ワン、君の愚かさは万死にも値する。君が7歳になるまで待つように組織に指示したのは私だ。人間の親によって愛などという不確かなものを刷り込まれた影響を見てみたかったのだが、間違いだったな」


 僕は、その言葉にフラッシュバックを起こした。複数の組織が僕を奪い合い、僕を庇って血まみれで死んでいった母。その母から引き離され、叫びたくても声さえ出なかった7歳の僕。僕さえ生まれなければ、母は死なずに済んだ……。


 僕は気を失った。






 気が付くと、僕は何か柔らかいものにしがみついて寝ていた。


「やっと気が付いたか」

 ゼロの冷ややかな声。


 僕がしがみついていた柔らかいものとは、ゼロの胸だった。


「言っておくが、『母さん、母さん』と泣いてしがみついて離れなかったのは君の方だからな」


 確かに、母の夢を見ていたような気がした。


「すみませんでした」


 僕は恥ずかしさに飛びのき、ゼロはゆっくりと立ち上がった。


「ワン、愛など知らなければ、苦しみも哀しみも感じずに研究に打ち込むことが出来たものを」


「ゼロ、君にだって育ての親くらいは居ただろうに、会いたいとは思わないのか?」


「私には育ての親など居ない。育児ロボットは義務的に世話をこなし、AIが言葉や知識を与えてくれた。私は感情に左右されること無く必要に応じて合理的に行動出来る。愛情など必要ない」


 ゼロの冷たい瞳が、僕は哀しかった。


 惜しみなく与えられた愛を一瞬にして奪われた僕。僕に愛を注ぎ、僕の為に命を落とした母を想い、僕は自分を呪う。

 けれど、僕の中には、母を失った涙と共に母の笑顔もある。思い出すのは辛いが、僕に向けられたほころぶ花のような母の笑顔がある。


 この世界に生を受けて一度たりとも愛を与えられずに成長したゼロ。愛を知らないゼロ。ゼロの中には何があるのだろうか。もしかしたら。ゼロの中は空っぽなのではないか。空っぽの自分を、ゼロは本当は哀しんでいるのではないだろうか。


 僕は思った。ゼロの心に誰の笑顔も無いのなら、僕の笑顔で満たしたいと。


「ゼロ、君は僕のことが嫌い?」


「質問の意味が分からない。答える必要があるとも思えないが?」


「僕は、ゼロ、君に笑って欲しいんだ」


「笑う? それに何の意味がある。下等な霊長類がトラブルを避ける為に、悪意が無い事を示そうと歯をむき出した結果の表情に過ぎない。そんな表情を作らなくとも、君と私の間には合理的で正確な伝達手段である言語があるではないか」


「それでも僕は、ゼロ、君に笑って欲しいんだ。花のように軽やかな瞳で、僕を見て欲しいんだよ」


「ワン、君は全く不可解な生き物だな」


「そうかも知れないね。君と僕は正反対だから」


 それでも、ゼロ、たぶん、誰よりも君を理解できるのは僕で、僕を誰よりも理解できるのも君に違いないと僕は思う。

 いつか君が花のように笑ってくれる時が来るだろうか。その時まで、君がどんなに冷たい瞳で僕を見下そうと、僕は君に笑いかけよう。いつか君の中が僕の笑顔で満たされるように。


 いつか君が僕に微笑んでくれること……それが僕の目指すゴール。


「ワン、体調が戻ったのなら、研究に戻れるだろうな?」

 ゼロの視線は相変わらず冷たい。

 

 まだゴールは遠いな。それでも、きっと、そのゴールは君と僕のスタートにもなるのだと僕は信じる。


「了解した。ゼロ、君となら喜んで」


 僕を見たゼロが少しだけ笑ったように見えた。


    (了)

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