第4話 過去の亡霊は突如

「今、なんと言った?」


 アングルフォールにおける三大国が一つ、ウェストカイザー帝国の皇帝、フェルナンド・ヴォルドー・ウェストカイザーは玉座で頬杖をつきながら不愉快そうに聞き返す。三十半ばの見た目でありながら若さが嘶きをあげるかのような、荒々しい雰囲気を纏い、筋骨隆々な体を惜しげもなくさらす様子は誰であっても等しく恐怖心を煽られる。

 両脇には全身鎧に身を包む騎士と和装に身を包み、腰に二本の刀を差した侍が堂々と仁王立ちしていた。


「小国トロンへと向かった軍は…全滅しました。」


 少しでも油断すればその場で崩れそうになるほどのプレッシャーに当てられながら改めて報告するのは小国トロンでの一部始終を見届けるために派遣されていた全身黒い布に身を包む男。三人の上位者から見下ろされ、また目の前で見た光景を再び思い出しながら具体的な説明をする。

 最初は自軍の勝ちが確定した戦争を見届けることに面倒だと感じていたが、一振りで大群が真っ二つにされる姿、若く短慮ではありながらも一軍を率いるだけの能力を持つ将が文字通り一蹴される光景。気づけば汗がとめどなく溢れ、足はウェストカイザー帝国のほうへと向いていた。


「まさか小国トロンがあれだけの戦力を覆すことができるだけの何かを持っていたわけではねーよな?」


「……いえ、それはないと思います。」


 予想と真逆の結果だったことで生まれる当然の疑問を皇帝から投げかけられ、思考しながらも答える。

 一瞬で全てを覆した一人の存在は小国トロンの動きから双方にとって予想外だと考えられた。あれだけの存在を小国トロンが抱えていたのなら、わざわざ軍を配備する意味が無いからだ。


「じゃあなんだ?一軍を簡単にあしらえるだけのやつがたまたま開戦直前に現れて、たまたまこっちの軍だけを全滅させてったとでもいうのか?」


 不機嫌さを隠そうともしないままそう呟く皇帝。自然と空間を異常な緊張感が支配する。横の皇帝の侍の口角は上がり、報告していた男は今にも意識が飛びそうになる。そんななかそれまでずっと考え込んでいた騎士が不意に皇帝へと声を掛け、耳元で何かを囁く。するとそれまで必要以上に放たれていた威圧感が一気に増した。それはまさに殺気がオーラとなって可視化したように感じさせるほどである。


「……なるほど、わかった。」


 その一言とともに空気の緊張が若干弛緩したことで報告していた男は油断してしまった。


「へっ?」


 一瞬の出来事。首と胴体が別れを告げる。それは同時に己の命が散ったことを意味していた。

 殺した張本人である皇帝はいつの間にか手にしていたクレイモア(厚い刃の大剣)を投げた後だった。


「なんで殺したんだ?」


 侍がさほど興味はなさそうに問いかける。殺してもいいとは思うがわざわざ殺すまでの何かがあったのかが気になっていた。


 それに皇帝が直接答えようとするが、それを制した騎士が代わりに答える。


竜人化ドラゴノイド計画の唯一の生き残りが主犯の可能性があります。」


 三大国が休戦協定を結ぶ以前、ウェストカイザー帝国において進められた、太古に生きた竜の力を人間に適合させることで戦闘特化型の強化人間を生み出す計画。具体的にはいろんな場所から子供たちを調達しては偶然発掘された竜の死骸から成分を抽出した液体を注射していった。九割がたは耐え切れずに死んでいったが、残り一割は体の一部が竜の体と同じような形に変異することで、力を増幅させていった。


 極秘裏に進められた実験のため計画の存在自体を知る者すらあまりおらず、そもそも計画自体を中止にせざる事態に追い込まれたため、もろとも闇に葬られた計画でもある。


 この当時皇帝はこの計画に積極的に関わり、陣頭指揮まで執っていた。騎士のほうもそんな皇帝のサポートのために計画に携わっていた。今現在最も竜人化ドラゴノイド計画に詳しいのがこの二人といってもよい。であるからこそ疑問が浮かぶ。武勇に長けるウェストカイザー帝国の皇帝とその筆頭護衛である騎士が計画を中止させられるとはどれほどのイレギュラーなのかと。大国のトップが解決できない事態とはどういったものなのか。


「あいつは改めて思い返してみても不気味な野郎だった。」


 そういって当時のことを語りだす皇帝。




 ウェストカイザー帝国の王城地下深く。極悪犯が投獄されるような監獄のさらに下に計画に必要な子供たちと竜の死骸は同じ場所に入れられていた。そこに生者はいない。皆が等しく死んでいた。生物学的に生きていると判別される者たちが紛れ込んでいるだけで、そこは死者の棲まう檻でしかない。蝋燭明かりが揺らめくだけの仄暗いほろぐらい空間。蛆虫すら寄り付かないそこには、計画に携わることを許された皇帝の直属の部下だけが実験及び経過観察のために嫌々ながらも直接訪れる。


「全く、こんな実験で本当に強力な戦力が生まれるのか?まだ一人も適合者がいないんだぞ。」


「一応科学的根拠はあるし、何よりフェルナンド皇からの最上特異命令だぞ。」


 基本ツーマンセルでの行動が義務付けているため、二人で駄弁りながらも実験場へと向かう二人。専用のエレベーターに乗って最下層まで。いつもどおりに実験を行い記録する。それだけだと思っていた。




 檻の中から一人引っ張って来る。幽鬼のような凄みを持った青年。死の淵におり、死を当然の運命と悟っているはずなのに、これまでの奴らと違い絶望に呑まれた様子がない。


 嫌な予感がする。


 それがその場にいた二人共通の認識だった。その青年は推定三歳の頃に闇組織からこの場所へと連れてこられ、今まで生きている。今から十年前、計画スタート時のことだ。平均十ヶ月ほどで死に至るという異常な世界で十年以上も生きているのだ。また実験においても普通は体が爆ぜるか腐食するか、はたまた全身から血しぶきをあげて死ぬか。にもかかわらずこの青年は過去にも実験台になりながらも一切の身体的変化や精神的変化がないことが記録として残されている。また十年間もこんな陰鬱な空間にいた影響か表情の変化もなかったようだ。


 そのときに比べると雰囲気が違う。しかし違うのはあくまで雰囲気だけ。明確な証拠がない以上実験を中断することは許されない。皇帝から受けた最上特異命令は撤回されるまでは何よりも優先され、命令した皇帝と命令を下された者だけしか内容を知らないまさにトップシークレットであるため、下手に相談することもできない。何より裁量権は皇帝に一任されているのだ。つまりこの場にいる二人の一存で中断ができないのだ。


 二人は示し合わせたように目を合わせ頷く。覚悟を決めた。楽観的に考えるならば、これほどの迫力を滲ませる存在なら完全な竜人化を果たせるかもしれない。計画の成功を皇帝に報告できるかもと考えるとここで計画進行するのも悪くないと思えたのだ。


 いつもの要領で実験の準備をする。注射には竜の死骸から生成した漆黒の液体が入っている。それを見ても当事者である青年は顔色を変えない。何度も見ているからだといえばそれまでだが、今二人はそんな無反応っぷりにすら警戒する。


「いくぞ。」


 それは注射を刺される青年ではなく、二人の呼吸を合わせるための掛け声。


 注射を刺した瞬間の青年の変化は顕著だった。青年の全身を黒い靄が覆い始める。突如発生した非常事態に本来ならば対応すべき二人は目の前の光景に唖然としていた。もし仮にこの光景を見て冷静だったとしても、何が正しい対処なのかわからないだろう。


 そうこうしているうちに黒い靄は晴れる。そのあとに見えるのは全身を漆黒の光沢を持った爬虫類の鱗に身を包む青年だった。特別姿は変わらず、ただ青年の体を黒い鱗が全身を覆っただけ。その姿を見てなんとなく想像する。もっと竜の姿によると考えられていたが、これがおそらく実験成功の瞬間なのだろう。


 同時にその結論にたどり着いた二人はその場で飛び跳ねて喜ぶ。実験の成功による喜びというよりも皇帝に良い報告が出いるという出世欲からくる喜びだった。しかし次の瞬間二人は顔面蒼白になる。


 それは一瞬だった。ただの一睨み。その一睨みが二人にとっては鉄槌のような衝撃。気づけばその場に膝から崩れた。


 二人がおとなしくなったのを確認した青年は子供たちと竜の死骸がある檻の中に向かい、竜の死骸に触れる。すると先程と同じように今度は竜の死骸を黒い靄が覆ったと思えば、靄が晴れた時には刃渡り1.5m、つか0.5mほどの長方形型の刃を持った巨大な剣を右手に握っていた。これが断絶剣・骸砥むくろとぎ誕生の瞬間である。


 次の瞬間一振り。気づけばその場の子供たち全員をまとめて閉じ込める透明な立方体の空間ができていた。


絶空閃ぜっくうせん転界てんかい


 ボソッと一言。次の瞬間隔離空間ごと子供たちの姿は消えていた。それが転移させたのか文字通り消滅さてたのかはわからない。だが明らかに。幼年期にこんな隔離空間にいた者の動きではない。むしろその動きの自然さは強者の威厳すら滲ませている。


 これだけのことをしでかした張本人はいまだ立てないでいる二人を一瞥した後、一瞬にしてその場から消えた。陰鬱で薄ら寒いこの空間に溶け込むかのように。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る