最後のニマス

葵月詞菜

第1話 最後のニマス

「ねえ椿ちゃん、いい加減腹括ったら?」

「うううううううぅぅぅんんん」

 椿は思い切り眉間に深い皺を刻み、究極の選択を迫られたかのように低くて長い唸り声を漏らした。

 肉の並ぶ冷蔵ショーケースを挟んで、この精肉店の看板娘である友人は曖昧に微笑んだ。

「あとスタンプ二つで制覇なんでしょ? 諦めるのはもったいないよ。景品も豪華だって言うし」

「ううう~でも~。かよちゃんの店でスタンプ三つ押してくれない?」

「いやいや、さすがに無理だよ」

「あああああ」

 椿はがっくしと肩を落とした。一店舗スタンプ一つのルールなので仕方ない。

「はい。とりあえずうちのスタンプね」

 かよがスタンプシートに精肉店のスタンプを押して返してきた。見ればお肉らしきマークの赤いスタンプがマス目に収まっていた。

 商店街で開催中のスタンプラリー。マス目は全部で縦横四マスの十六マスだ。決まった値段以上の商品を買うと一店舗でスタンプを一個押してくれる。その個数によってもらえる景品が違い、一番豪華なものがスタンプ十六個――つまりシート全制覇である。

 椿の手元に戻って来たシートはまさにあとニマスが白いままだった。

「もうこのまま出して景品と交換してもらおうかなあ」

「ええ~もったいない」

 商店街で現在店を開いている店舗は十六店舗以上ある。よってどの店を選ぶかは参加者の買い物の都合によって決まる。椿はよく利用する店をあらかた回ってしまっていて、あと二店舗をどうしようかと頭を悩ませていた。

「タカのとこの青果店と稔のとこの和菓子屋にしときなよ。一番馴染みあるじゃん」

 かよの言葉に椿はまた唸った。

「それに全制覇は商品券とか図書カードとか金券がつくじゃん。大きいよ」

 そうなのだ。今の段階で出してしまうと金券の類はもらえない。これは確かに大きな差だった。

「でもなあ~」

 それでもまだ踏ん切りがつかない椿に業を煮やしたのか、かよがショーケースの内側からエプロンを外して出てきた。

「しょうがないなあ。じゃあ私と一緒に行こう」

「え」

「一人では行きたくないんでしょ。その代わり、和菓子屋で何か一つ奢ってね」

「……それくらいお安い御用ですとも」

 かよは店にいた母親に一声かけると、さっさと椿の腕を引っ張って表の通りに出た。


「まずはどっち行く?」

「……どっちも嫌だけど」

「はい、じゃあ近い方からね。タカの青果店!」

 かよに連れられるままに足を動かし、青果店の前に辿り着く。店の入り口から中まで、新鮮で瑞々しい、色とりどりの野菜と果物が並んでいた。買い物に来ていた主婦たちが、店主夫婦と世間話をしている。

 店内をさっと見回して、奴がいないことを確認した時だった。

「おい、お前ら買い物か?」

 後ろからぶっきらぼうな声が聞こえて振り返る。

「げっ……タカ」

「げっ、って何だ。それはこっちのセリフだよ」

 会いたくないと思っていた奴が目の前に立っていた。この青果店の次男坊で同級生の少年だった。顔を顰める椿にかよが溜め息を吐く。

「椿ちゃん、諦めなよ。さっさと買い物してスタンプもらって行こ」

「……うう」

「スタンプ?」

 タカが眉間に皺を寄せながらも小首を傾げた。かよが椿のスタンプシートを彼の目の前に突き出した。

「へえ、お前あと二つじゃん。それでうちに来たってか」

「別に来たくて来たわけじゃないわよ。……ここの野菜と果物はおいしいけどね」

「俺も別にお前の顔なんて見たくねえけどな。さっさと買っていけ」

「言われなくてもそうするわよ!」

 売り言葉に買い言葉。元々椿とタカは顔を合わせれば口論が始まる犬猿の仲である。

(ああだから気が進まなかったのよ)

 椿はタカからすっと視線を外し、店内の果物に目を遣った。今はイチゴが多くて安い。家族もイチゴは大好きなのでこれを二パックと、あと適当に何か買っていくことにする。

「おや椿ちゃん! いらっしゃい!」

 タカとは違って愛想の良い彼の母親が手際よく包んでくれた。

「まあ、これでリーチじゃない!」

 フルーツが形どられたスタンプを押してもらう。

「はい……まあ……」

「あ、まだ稔君のところは行ってないのね」

「今から行こうと思ってるんです」

 横から口を挟んだかよにタカの母親はふふと笑った。

「良いわね。今ならまだ桜のお菓子が並んでいるんじゃないかしら」

「ですよね!」

 かよが弾んだ声でこたえるのを聞きながら、椿はこれから向かう和菓子屋のことを思って憂鬱になっていた。

 そこにはこの青果店のタカよりもさらに会うのが気が重い相手がいた。

 イチゴを手に提げて青果店を後にする。迷いなく先を行くかよに椿は力なく尋ねた。

「かよちゃん……本当に行くの?」

「今さら!? だってスタンプあと一個でしょ?」

「そうだけどぉ……うう……」

 今日は唸ってばかりだ。アプリゲームで好きなキャラを手に入れるべく、予想以上の課金をする時の心境に似ていた。

「どうか会いませんように」

 そっと呟いて、いざ最後の店の前に立った。年季の入った和菓子屋だ。

「こんにちはー」

 慣れたように入っていくかよの後に続いた。

「いらっしゃいませー。って、え!?」

 応じた声が驚きに変わる。それだけで相手が誰か分かってしまった。

(最悪だ)

 誰よりも会いたくなかった同級生のみのりが、美しく眩しい笑顔を浮かべて椿たちを出迎えた。この和菓子屋の三男坊だ。

「どうしたの? 椿ちゃんがうちに来るなんて珍しい」

「……ええと」

 椿はかよを盾にして彼の眩しいオーラを避けようとした。だがかよは逆に椿を前に押し出した。

「ほら、椿ちゃん。さっさとラスボス倒してスタンプゲットしよう」

 マジでラスボスだ。椿はこの見るからにキラキラしている男子が苦手だった。

 稔から視線を逸らし、体ごとお菓子が並ぶ棚へと向ける。先程タカの母親も言っていたように、桜もちを始め桜をかたどった練切などが上品に並んでいた。普段は椿の母親が来客に出すため、もしくはお土産にと買いに来ることが多い。

 しかし一方で、お手軽に食べられるようにみたらし団子や三色団子、大福のばら売りなども充実しているのがこの店の人気の一つだった。

「かよちゃんはどれにする?」

「え? ホントに良いの? 私はその桜あんの大福が食べたいな」

「はいはい。じゃあ私の分もそれと……」

 大福二つではスタンプ分の値段にはならない。もう少し他に足さなければと考えたところで稔がひょいと椿の顔を覗き込んできた。

「椿ちゃん」

「っ、近い!」

 たいていの女子より長いのではと思うような睫毛が間近にあってびっくりする。実は稔はこれでも学年一の美少年と持て囃されている男子だった。

確かに目の保養になる美しさではあると思う。だが残念ながら、椿は二次元のイケメンの方が惹かれるのであった。これには椿と同類のかよも同意してくれている。

「大福五つと団子五つで、少しおまけしてあげるよ」

「え?」

「やったね椿ちゃん! 稔もたまにはいいことするじゃない」

 かよが椿の方を軽く叩いて、稔に「ナイス!」と親指を突き立てた。

「え、いやでも……」

「どうせもう少ししたらセールにするし、それが少し早くなるだけだよ」

 稔は言いながら、紙箱に桜あん大福と団子を詰めた。

「スタンプシート出して」

 椿がシートを出すと、最後の一マスに店の紋が入ったスタンプを押してくれた。他のマークに比べると、その紋はどっしり重い感じがする。

「最後がうちの店だなんて光栄だなあ」

「何であんたがそんなこと思うのよ」

 呆れたように返すと、稔はなぜかふふと嬉しそうに笑う。

「いや? 椿ちゃんの役に立てたなら嬉しいなあって」

「……確かに大福は私とかよちゃんのお腹を満たしてくれるけどね」

 全てのマス目が埋まったシートを見る。これでゴールだ。あとは回収している本部に持って行って景品と交換してもらうだけだ。

「良かったね、椿ちゃん。金券ゲットしたらまた漫画かお気に入りのキャラグッズでも買うの?」

 稔が自然にそう問うてくるのを聞いて固まる。

「あれ? 椿ちゃん推しのマイナーキャラがいよいよグッズ化するって耳にしたんだけど」

 見るからにオタクからは程遠い所にいそうな陽キャが、世間話のように話してくる。

「……何であんたがそんなこと知ってんのよ?」

「ほら、この前椿ちゃんの推しキャラが気になったからアプリゲーム始めたでしょ。それからちょいちょい情報が入ってくるんだ」

 そういえばそんなこともあったか。椿の頭が痛くなってきた。ちなみに彼にゲームの手解きをしたのは隣にいるかよである。

「椿ちゃんの推しは僕のライバルだからね。敵情視察は基本だよ」

「だから何でそうなるのよ!」

 不敵に笑う稔に椿は頭を抱え、かよがボソリと呟いた。

「うん、稔ってホントこういうとこが残念よね……」


 何はともあれ無事にスタンプラリーのシートは全てが埋まり、椿は無事に金券をゲットできたのである。もちろんその使い道の半分は彼女の趣味に費やされたという。

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最後のニマス 葵月詞菜 @kotosa3

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