第八章の⑮:年賀状とは虚礼か?

新年もあけて、年末年始の休暇をいかがお過ごしだろうか?

私も御多分に漏れず食っちゃ寝の生活を満喫し、胃もたれMAX状態である・・・

さて、タイトルにある通り『年賀状とは虚礼なのか?』という事についてちょっと駄文を書いてみる。


ネットで虚礼を検索してみると、『見かけばかりで実質が伴わない礼儀・礼式。』とある。SNSが普及し、LINEのあけおめスタンプなどに代表されるようにはがきを購入して印刷もしくは手書きで一枚ずつ作成する年賀状がめんどくさいとかいろいろ言われて少しずつ需要が減っているのは周知のとおり。

私の勤めている会社でも、対外的な取引先に対しては年賀状を出すものの身内のグループ会社や関連部署等については『虚礼廃止』と言う名のもと今年の年賀状から廃止されてしまった。

そこで『虚礼とは何ぞや?』と素朴な疑問を持ち、年賀状と言うものについて少し調べてみた。


そもそも年賀状の由来としては平安時代にさかのぼるものが始まりだとの事。年始のあいさつ回りで付き合いのある相手先に年始に出向いて挨拶をしていたのが、交流範囲が広がるにつれ訪問しきれなくなった事から手紙を認めて送り始めたのがその由来だそうな。

年始二日の書初め時に手紙を書き付き合いのある方々に送り届けていたのが始まりらしい。

それが連綿と続き、明治以降の郵便制度導入と全国均一の郵便料金導入、お年玉付きはがきの導入等により爆発的に広がり、その後現在の様にSNSに取って代わられるまでは年末年始最大の挨拶であったらしい。


これを聞いたとき、私はハタと思った。『虚礼とは何ぞや?』と。


確かにSNSが普及し、手軽にメッセージを送れるようになった事もあり年賀状の勢いがかつてのようなものではないことはよくわかる。

特に若い世代にとっては年賀状とは煩わしいものでしかないという人も多いだろう。

だが、企業が身内のグループ企業に対して『虚礼に過ぎない』と年賀状を廃止するのはいかがなものだろうか?とも思う。

確かに、営利企業と言う観点からすれば年賀状にコストと手間をかけて身内のグループ企業に発送したとしても、それが大きな利益につながる行為かと言われればそうではないだろう。

さりとて、それは取引先に対して贈る年賀状も同じこと。如何に創意工夫を凝らし、取引先のキーマンに年賀状を送ったとしてもそれが即売り上げにつながるかと言えば年賀状とはそういう性質のものではないはずだ。


私が思うに年賀状とは礼儀の一種。そして、一年の節目に対し取引先への感謝や敬意を表して『無駄とわかっていても』送るものであり、それは身内に対しても同じことであろう。

今回の社内での虚礼廃止による身内への年賀状廃止は、確かに合理的で現代に即したものであるのかもしれない。私の勤めている会社の親会社が号令一下身内への年賀状を無駄なものとして排除したのも企業経営からすれば間違った事ではないのかもしれない。

ただ、そこに内在するある種の不安は私にはどうしてもぬぐえなかった。

グループの関係性崩壊という不安である。

身内同士の挨拶すら虚礼として廃止する姿勢、それはともすればグループ企業としての関係性や緊密な連携すら軽視する風潮につながるのではないかという事である。

古き良き牧歌的な時代の戯言と言われればそれまでだが、私には今回の虚礼廃止の美名のもとに長年続いてきた年賀状と言う風習を取りやめたことが、今後無機質な企業経営に成り代わってしまうのではないか?と言う懸念がぬぐえない。


そして何より、親会社の人間が『虚礼』と言ったことにより、親会社が年賀状の風習の背景や由来を全く知らないのではないか?文化に対する敬意が欠片も存在しない集団なのではないか?とも疑念を抱くわけである。

先に挙げたような年賀状の由来を正確に把握していれば、身内同士で廃止するのは致し方なしとしても、『虚礼』と言う言葉が出てくること自体が年賀状とそれが内に携えて来た歴史・伝統と言ったものを軽視しすぎているのではないかと危惧するのだ。


無論、企業内でグループへの年賀状を廃止することそのものには反対はしない。ただ、虚礼と言う言葉を使用することにより文化や伝統と言うものに理解を示さない、軽佻浮薄な企業風土であるという懸念を従業員としては抱かざるを得ない。


年賀状はまだまだ虚礼などではない。SNS等で連絡がつけられない、普段は会えない人への年一度の欠礼をお詫びしつつ近況の確認もできる重要なイベントであると私個人としては断言したい。

そして、虚礼と言う言葉も軽々しく使用してよいものではないし、社内全体に発信された言葉としては非常に浅はかな言葉を選んだものだと思う。むしろ『コストの無駄だからやめます』と正々堂々という方がよほど清々しいものであったのではないだろうか?

私にとってはコストの無駄と言う本音を隠すために、結局のところ平安時代から続く伝統と文化を軽視する最悪の言葉を選んでしまった、苦し紛れの悪手を選択したようにしか見えない。

無論伝統を守り続ける事だけがよいわけではない。LINEスタンプなどに代表されるようなSNSでの連絡も、時代の変遷を経て今の時代に適した連絡方法であるとは思う。良い意味で新旧共存の道が存在すればよいものだとは思う。


折角転職した企業に対して失礼ではあるが、この程度の文化レベルの企業で働いている事について正直疑問を感じざるを得ないとだけ言って筆をおこうと思う。


とっぴんぱらりのぷう

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る