行こう、ピリオドの向こうへ

三衣 千月

走り続ける私の話

 卒業式が終わり、私は今日で女子高生という立場ではなくなる。

 教室では涙の別れや再会を願う言葉などが飛び交っている。


 しかし。

 しかし、だ。


 わたしにとっての一大事はそこではない。

 そりゃあ、高校卒業を一つのゴールと捉える人もいるだろう。そこに異論はない。


「わたしのゴールは、そこじゃないのよ」

「どうしたの明日香ちゃん。クラウチングスタートの姿勢なんかして」

「あ、いいところに。ちょっとよーいどんって言って」

「え、え?」

「早く早く」

「あ、あの、よーい、どん?」


 友の控えめな号砲を合図に、わたしは走り出す。目指すは3年2組。卒業と同時に高松君に告白をしようと、前から心に決めていた。

 始まりは、スタートはいつだったのだろう。去年、体育祭の片づけでうっかり用具倉庫に二人で数時間閉じ込められた時から? 同じクラスだった一年の時に、同じ委員会活動で放課後の時間を共有することが多かったから? どれも正解だし、きっとどれも違うのだろう。

 はじまりは、どうでもいいんだ。大事なのは、これからだ。


 校舎を駆け抜け、すぱぁん、と3年2組教室のドアを開ける。


「高松君、いる!?」

「うぉッ!? い、いや、もう帰ったけど」

「ちいぃッ! 遅かったかあ!!」


 くるりとターンして下駄箱へ。

 素早く高松君の靴を確認し、すでに外に出ていることを知る。


 追いつかなきゃ。

 高校生活の最後を、明るいエンドで締めくくるのは、女子高生の嗜みだから。


 靴を履き替え、ぐ、と地を蹴る。

 校門前で、彼の姿が見えた。だけど、隣に誰かいる。女子。あのスカーフの色は、二年生だ。急ブレーキをかけて桜の木の陰に隠れる。


「あの、ありがとう。手紙、読んだよ」


 なんだ、手紙って。高松君に手紙を出したのか? あの後輩ちゃんが?


「ありがとうございます、あの、私、センパイのことが……好きです! お付き合いしてください!」

「あ、うんん、僕でよければ……喜んで」


 なんだとぅ!?

 高松君の隣にいるのはわたしのプランなんだぞ。飛び出して行ってやろうかしら。


「幼馴染なのに、なんだか今さらって気もするね」

「ふふ、それもそうだね」


 あ、ダメだ。これわたしがモブの立ち位置なヤツだ。高松君の物語は幼馴染エンドだわこれ。


 どうしようかしら。このどうにも発散しがたいこの気持ち。


 とりあえず、走るか!!


 良くわからない青春の発露は走るに限る!!

 青春をゴールできなかったわたしのゴールを探しに行こう。


 校門前で照れ照れとはにかみ合う二人を尻目に、わたしは走る。

 どこへ? そんなの知らない。後悔とか、自分の不甲斐なさへの怒りとか、ちょっぴり、高松君への恨みとか。八つ当たりもいいところだけどさ。

 目的地はないけれど、なんかもう、走るしかないよね。


 河原? とりあえず、こういう時は河原かしら。

 教室にカバンを置いたままだった気がするけど、なんかもう、どうでもいいや。


 河原。土手の道に着いた傷心のわたしの前を、体育会系の連中がだんだか固まって走っている。ええい、追い抜いてやる。

 わたしを誰だと思ってる。物語の主役になれず、あまつさえ女子高生の身分までも失った卒業生様だぞ。


 大きく速度を上げて、その集団を一気に抜き去る。

 そのままの勢いで橋の下をくぐり、土手の終わりまで走り、街中へ入る。


 沿道には人だかり。

 前方にはマラソン選手。


 ええい、わたしの前を走るやつは根こそぎ追い抜いてやる。理由? 知らん。ヤケになった女子高生の生きざまを見ろ。あ、もう女子高生じゃないんだったっけ。


 ほっほっとリズミカルにアスファルトを蹴り、選手たちを追い抜いていく。


 沿道からはどよめきざわめきの声。

 誰だ誰だと声が聞こえるけれど、そんなもんわたしが知りたい。


 誰か教えてくれないかな。

 なんかもう、どうして走ってるのかもわかんないけどさ。


 それでも、前を走る人がいるなら、抜いてやろうじゃない。

 先頭集団に近づくにつれて、沿道のざわつきは声援に変わる。


 関係者らしき人が止まりなさいと叫んでいるけれど、行き場を失くした青春の発露が、そんなスピーカー1つで止まると思ったら大間違いだ。

 2位集団も抜いて、残すは先頭を走る一人だけ。


 いい加減、学校から走りっぱなしだから心臓が破裂しそうだ。

 髪が汗でべったりと頬について気持ち悪い。せめて髪ゴムで括ってから走ればよかったかな。

 ジャージに着替えてからとか。


 いや、それも違うか。

 わたしは走りたくなったから走っているんだ。


 そこに理由や答えなんかなくて、ありもしないゴール目指して走るこの瞬間が大事なんだ。


 先頭に追い付けば、ぎょっとしたような顔で選手の人が振り返る。


「君は誰だ!?」

「わたしが教えて欲しいくらい!!」


 相手が負けじと速度を上げる。

 そりゃあ、珍妙な乱入者に勝利を渡すわけにはいかないだろうし。


 でも、勝ちだの負けだの、そんな小さなことにはこだわらない。

 わたしはただ、目の前を走る人がいるから抜き去りたいだけ。


 足がどんどん重たくなる。

 酸素が薄くなっていく。どれだけ吸い込んでも中身のないからっからの空気しか入ってこない。

 心臓が、破裂しそう。


 どこかの競技場に入って、デッドヒートを繰り広げて、最後の最後、ゴールテープを切る直前で叫び声と共に体を倒して体半分の差で勝った。


 そのまま倒れたわたしは二回転、三回転して手足を投げだして大空を見る。


 全力で走った。

 すべてを置き去りにして、全てを出し切って走った。


「あー! すっきりしたー!!」


 心臓がうるさい。

 とりあえず、今日のゴールはここってことにしておこう。


 また明日になれば、新しい生活がぬるりと始まって、わたしの意思とは関係なしにゴールが定められていくのだろう。

 せめて。

 せめて今日だけは自分で決めたゴールに飛び込んだ自分をほめてやりたい。




   〇   〇   〇




 しこたま怒られたうえに、卒業した翌日に学校に呼び出されたりもしたが、わたしは後悔していない。


 なぜあんなことを、といやになるほど聞かれたが、わたしの答えは同じだった。


「ちょっと、ゴールを探して走ってただけです」

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行こう、ピリオドの向こうへ 三衣 千月 @mitsui_10goodman

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