婚約者は理系男子

木林 森

第1話 ゴール

 事件現場に残された物を科学的観点から調べあげ、事件解決に尽力する科学捜査研究所―通称「科捜研」。警察本部の刑事部に属する機関だ。そこでリーダーを務める那由多美蘭さんの元、大学生の僕は時々お手伝いをしている。


 お手伝いという言い方は適切じゃない。何せ僕はただの大学生……数学とプログラムと電子工作が好きなな大学生。


 ちょっとややこしいけど、手順はこう。


 美蘭さんが科学捜査で行き詰まる事があると僕を呼び出す。事件に関する事を警察と無関係の僕に話すわけにはいかないので、彼女はデスクに座りながら独り言をつぶやく。事件に関する重要な内容を。その独り言を聴いた僕は、彼女が何をして欲しいかを判断し、行動に移す。


 僕が新たに発見した事実は、美蘭さんにうまく伝える。僕も独り言をつぶやく事もあれば、発見した内容がわかるものを形にして残す事もある。お互い直接事件について話さなくても、事件を通してコミュニケーションは取れている……と思う。


 数日前、とある私立学校で殺人事件が起きた。警備員が教師を殺害した後、首を吊って自殺。遺書も現場から見つかり、自ら教師を殺害した事が書かれていた。この事件は被疑者死亡で処理されるはずだった。


 しかし僕は見つけてしまった。この事件に第3者が関与している事を。


 美蘭さんはこの事件に捜査第一課所属の刑事、山崎さんが絡んでいるはずだとつぶやいた。僕は今、Uber Eatsの制服を身につけ、タクシーで彼を追っている。


 山崎さんの靴には、僕が自作した電波を発するジェルが塗られている。警察本部で偶然彼にぶつかった際に塗りつけたものだ。そこから発する電波を、ドローンが受信し追跡。


 現在、彼は事件が起きた学校に向かっている。ドローンは80~100m上空にて、現在進行で追跡するだけでなく、リアルタイムで映像データも僕のスマホに送ってくれる。


 デリバリー業者の格好でタクシーに乗り込んだ僕を、運転手は不審に思っているに違いない。そう思っていた時、幼なじみで美蘭さんの一人娘である凛から「学校に向かっている」と連絡が入った。凛もまた、事件に繋がる何かを独自のルートで手にしたようだ。


 凛と山崎さん、2人が学校に向かっている……偶然と思いたいけど、とても嫌な予感がする。凛には危ないから学校へ近づかないよう警告したんだけど、それは逆効果だった。「するな」と言われたら「する」のが凛だと知っていたはずなのに……。


 とにかく一刻もはやく山崎さんに追いついて、彼が何を意図して行動してるのかを知る必要がある。事件に関連した動きを見せる可能性も十分ある。同時に凛の動きも把握したい。


「学校まで、時間はどれぐらいかかります?」

「この混み具合なら12~3分ぐらいかな」


 ドローンで追跡中の山崎さんは、学校近くの民家の前で車を止めた。ドローンからの映像を凝視していると、一軒家の呼び鈴を押す。知り合いの家だろうか?


 しばらくして家の玄関に、白髪のお爺さんが現れる。瞬間、山崎さんがお爺さんの首を絞めた。


「あ!」


 思わず声をあげたので、バックミラー越しに運転手さんに睨まれてしまった。


 プロレスで言うスリーパーホールド。お爺さんの後ろに周り、左手が頸動脈を抑え、右手で左手をロックし首を締め上げる。やがてお爺さんはグッタリ地面に倒れた。


 最初は殺したのかと思ったけど、右足がプルプル震えているのが確認出来る。この映像は僕のスマホを通しても録画済みだ。今のシーンを美蘭さんに映像データとしてすぐに送った。


「現場に警察を送るわ」


 すぐに返信が届く。確実に何か悪い事が起きている。僕は無意識に


「学校まで、時間はどれぐらいかかります?」


ついさっきしたばかりした質問を運転手にしてしまった。


「10分ちょっとだよ」


 僕にいい印象を持ってない事がよくわかる、ぶっきらぼうな返事だ。印象悪いついでに、僕は凛に電話をかけた。


「優?」


 よかった、すぐに出てくれた。


「学校近くで、お爺さんが男に襲われた。今から警察が来るので、凛はすぐにそこを離れた方がいい。危ないよ!」

「あの事件の真犯人を見たかもっていう学生に会うだけよ。心配いらないわ」


「その真犯人かもしれない人が、今、近くにいる可能性もあるんだよ!」

「私は大丈夫。何かあればすぐ逃げるから。それに、もう着いちゃったし」


「どこ? 正門?」

「最初は正門で待ち合わせだったけど、人が多い所は嫌みたいで、西口の方で会う事になった。プールがある所ね」


「人が多い所は嫌? その人、怪しくない?」

「私のブログの読者よ。とにかく危険を感じたら、必ず逃げるから」


「わかった。僕も学校へ向かってる。何かあったら、とにかく逃げてよ」

「心配性なのよ、優は」


 そう言うと電話が切れた。今度は美蘭さんにメッセージを送る。彼女へは直接電話しないように言われているので、そうするしかない。


「凛も学校向かっているそうです。何か悪い事に巻き込まれないか心配です」


 そして、今度はドローン映像のチェック。タブレットを持ってくるべきだった。スマホはマルチタスク処理をするのに向いていない。山崎さんは……いた!


 さっきのお爺さん、気を失った状態で車の運転席に乗せ、シートベルトを締めている。どういう事? レクサス。その家の駐車場にある車だから、お爺さんの車だろう。


 山崎さんは車の外からエンジンをかけたようだ。気絶した人を運転席に乗せて、エンジンをかけるって……いったい何を?


 今度は双眼鏡を取り出し、どこかを見つめている。学校の方向だ。1kmぐらい離れた位置だけど、高台にあるその家からなら西側校舎がはっきり見えるはず。


「まさか…」


 僕はドローンの向きを変え、双眼鏡の先の景色を確認した。校舎の西出入り口が見える。土日は閉まっているはずの出入り口。ワイヤーネットで校舎と校外が仕切られており、「創立50周年」と書かれた大きな看板の下に彼女はいた。


「凛!」


 スマホをいじって、ネットに背もたれている。まさか、彼は凛がここに来る事を知っている? 校舎西口は細長い道の突き当たりで、ほとんど人も車も通らない。とはいえ、山崎さんの視点ではその人が凛である確証はないはず。


 この時の僕は、凛が右手に腕時計をつけている事に気づかなかった。実はそれが凛であるサインだったのだ。


「凛を呼び出したのって、まさか……」


 その可能性が高い。再びドローンを山崎さんの方向へ。


「車が動いている…」


 山崎さんは家の玄関前で立ったまま、スマホを横にして両手で何かを操作している。そして、気絶したお爺さんを乗せた車が勝手に走り出した。


「……」


 スマホによる車の遠隔操作。市販されてはいないけど、すでに実用化されている技術。そして車はスピードをあげながら、凛のいる方向に向かい始めた。


 その高台から凛のいる学校西口までは人通りも車通りもなく、なだらかな一直線。僕はすぐに凛に電話をかける。


 100mを4.5秒ぐらいか。すでに時速80km近く出ている。30秒もあれば、学校へつくスピードだ。


 間違いない。凛を狙って彼は車を操作している。凛のいる場所は、校舎を仕切るワイヤーネットを背にした袋小路。。十字路へ出るまでには20mほど歩かなければならない。


 このままだと、車は20秒で凛の所へ飛び込んでしまう。


「何よ!」


 出てくれた!


「車が凄いスピードでそこに向かってる! 早く逃げて!」

「なんであんたが私の……」


 言葉が途切れた。たぶん、凛も車を確認したんだろう。凛の場所からなら、ゆるい上り坂から車が真っ直ぐこちらに向かっているのが見えているはずだ。


「どこに逃げろっていうの……」


 凛のか細い声が聞こえた。あと10秒で車は凛というゴールに辿り着く。その時だった。不思議な事にこの10秒は僕にとって1分、いや100秒ぐらいに感じた。


「……」


 見えた。僕は驚くほど冷静に、そして的確にドローンを操作する。まず、凛の真上にある看板の真ん中を下から上に向かって勢いよくぶつける。留め金が外れ、看板は一瞬空中に放り出された後、重力にしたがい凛の手前3mの位置に落ちた。


 ギリギリの距離。


「凛! しゃがんで! 出来るだけ頭を下げて!」


 僕の叫びに運転手は怒って注意しようとしていたが、それどころではない。


「しゃがめーー!」


 タクシーの中で人生最大のボリュームで声をあげた。僕のドローンを落ちた看板の下にもぐりこませる。凛側の方がやや持ち上がる形だ。


「……」


 声を出さず、凛は頭を抱えながら思い切りしゃがんでくれた。瞬間、車はやや傾いた看板に乗り上げる。小さなきっかけだけど、これだけのスピードがあれば、必然とジャンプする。車は凛の頭の上をかすめるように通りすぎ、ワイヤーネットを突き破った。


 お爺さんにとっても運が良かった。


 固いワイヤーネットが第1、エアバッグが第2、校舎内の水の張られたプールが第3のクッションになり、後に生きて保護される事になるからだ。


 車は凛をそれた。その様子を見ていたであろう山崎さんは、慌てるように現場へ向かう。再び凛を狙うのか、証拠隠滅を計るのかはわからないけど、美蘭さんが手配してくれた刑事に逮捕される事になる。


 看板の下にあったドローンは、車の重みにつぶされ木っ端みじん。凛の命が助かればそんなものは安すぎるぐらいだ。


 山崎さんがお爺さんの首を絞めた映像は証拠にならない。ストレートに言えば違法捜査になるからだ。でも、そこは美蘭さんの出番。後に車の突っ込んだ現場からしっかり山崎さんに繋がる証拠を見つけ出してくれる。


 後で聞いたけど、美蘭さんは数件の事件で山崎さんが関与していた可能性を感じていたとのこと。逮捕に到るだけの証拠を確保出来ず、そこで今回、僕を呼んで独り言をつぶやいたというわけだ。


 僕がこの事件で表に出る事はないが、その方が僕にとっても都合がいい。


 とにかく今は、僕の婚約者である凛を抱きしめる。それだけだ。

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