第四話 世界一幸せな成人式

土曜日、教えられた原宿にある咲さんのマンションへ行く。チャイムを鳴らすと普段着で薄化粧した咲さんが笑顔で迎えてくれた。

「いらっしゃい、待っていたよ」

 後ろに咲さんの旦那さんが立っている。

「よく来たね、さあ上がって」

 咲さんって結婚していたんだ。そう思いながら挨拶をする。

「今日はお世話になります」

 そして靴を脱ごうとして、ふと小学生の時に友達が靴を揃えていた事を思い出し、上がってからさっと靴を揃えた。

「ああ良い子だ、きちんと靴を揃えて」

 旦那さんが褒めてくれた。

「親が水商売の割にきちんとしているわね」

 という友達のお母さんの言葉を思い出しながら、リビングへ。

「わあ」

 色とりどりの華やかな着物と帯、小物がたくさん並べられてある。あらかじめ咲さんが用意してくれていた。嫌な思い出が一瞬で吹き飛ぶ。

 咲さんがにこやかに言う。

「好きなの、選んで。着付けも私がするから」

 心が弾む。嬉しくてたまらない。

 いちばん華やかな着物と帯を選び、咲さんに着付けてもらう。髪も結ってもらい、メイクまでしてもらった。

「お、似合うねえ。綺麗だよ」

 着付けの間、寝室で待っていてくれた旦那さんの健さんがリビングに来て言う。

「私も着替えるわ」

 そう言って咲さんがあっという間に髪と化粧を整え、着物を纏う。何か、日本舞踊でも踊っているような身のこなしに見とれた。健さんもスーツを着て三人で玄関を出た。

 連れだって歩いていると本物の家族のような気がしてくる。家族愛を知らない私に神様がこの夫婦を与えてくれたのかも。

 近くの神社へ。おまいりをして、何枚も写真を撮ってくれ

「焼き増しして舞ちゃんにあげるからね」

 と言ってくれた。ウキウキしながらマンションへ戻る。

 咲さんが手早く料理をしてくれた。テーブルの上に隙間なくご馳走が並んでいく。

「わあ、咲さん、料理うまいんだねえ」

 感心して心から言った。この日の為、私の為に、何日も前から準備してくれていたんだろう。

「舞ちゃんの成人式を祝って、乾杯」

 三人でシャンパンを飲む。店で飲むドンペリニョンより何倍もおいしく感じる。

「いただきます」

 咲さんは着付けも化粧もうまいけど、料理も本当にうまかった。どれもこれもおいしくて、こんなご馳走を食べたのは初めてだと感動してしまう。なんせ生まれた時から今に至るまで、出来合いのお弁当ばっかり食べてきたからね。味覚がおかしくなりそうだったよ。学校の給食と、働いたレストランのまかないだけはおいしかったけどさ。

 何より、二人が私なんかの為に、成人式をしてくれた事が、祝福してくれた事が、有り難くてたまらない。

「本当に有難う。式典に行くよりずっと幸せな成人式になったよ」

 心からお礼を言う。




 後片付けを済ませ、三人で音楽を聴きながら話した。

「舞ちゃんを見ていると、昔の自分を見ているような気持ちになるわ」

 咲さんが言う。

「私、自分のお母さんが本当に嫌いで、早く家を出たの。だけど食べていけなくてスナックで働きながら、友達の家を泊まり歩いたり、邪険にされたり、お金も取られたり、本当にぎりぎりの生活をせざるを得なくてね。つらかったわ」

 分かるよ、咲さん。私もそうだよ。何か、同じような環境に育ち、同じような経験をしてきた者同士が強く惹かれ合って、今こうしているような気がする。

「その頃、俺とも知り合ったんだ」

 健さんが言う。咲さんと同い年の健さんは赤坂でバーテンダーとして働いている。

「でね、十七歳の時、お店に来ていたお客さんと一緒に暮らすようになったんだけど、その人、私を裏切って別の人と結婚して子どもまで作って…。私、許せなくてその人を刺してしまったの」

 びっくりした。咲さんにそんな過去があったなんて。

「幸いその人、命に別状なかったんだけど、私は少年院に送られて、もっとつらい日々を送るようになったの」

 もっとびっくりする。

「未成年だった事もあって、一年で出所出来たんだけど、まともな働き口は見つけられなくて、また水商売を始めたの。だけど男性に騙されてばかりでつらくて、段々精神的におかしくなっていって、今度は精神病院に強制入院させられたの」

 咲さんの、普通の人が一生経験しないような事を経験してしまいましたって雰囲気はそこから来ているんだなと、妙に納得する。

「俺、その頃の事、忘れられないんだけどね。見舞いに行くと、薬でどんなにヘロヘロになっていても、俺の顔を見てにっこり笑うんだ。ああ絶対にこいつを守ってやりたいって思った」

 健さんが懐かしむ目で言う。

「それなのに私、入院中に担当してくれた医師と恋仲になってしまって、退院したら一緒になりたかったんだけど、その先生ったら退院が決まった途端、離れていったの。患者とそういう関係続けられないって言って。病院に隠れて、散々私と関係しておいて、退院が決まった途端にそんな事を言って逃げるなんて許せなくて、その先生の顔を包丁で切り付けた上、階段から突き落として両足に重い障害を負わせてしまったの。今度は刑務所に送られたわ」

 健さんが静かに頷く。

「何度も面会に行った。罪を償ったら今度こそ俺を選んでくれって言って、俺たち、獄中結婚したんだ」

 びっくりして言葉が出ない。

「舞ちゃん、私を軽蔑する?」

「しないよ、絶対しない!」

 こんな優しい人たち、誰が軽蔑するものか。


 私の成人式をやってくれた、たいせつな人たちを、私が守る。私が慈しむ。

 ああここにも青い鳥がいてくれた!

 

 世界でいちばん幸せな成人式になった。




 咲さんは江里子組で押しも押されもせぬスターホステスになっていた。ママ以上の人気ぶりで、看板ホステスと言って良かった。水商売新聞にも掲載され、テレビの取材が入った時も、咲さんがナンバーワンとして画面いっぱいに映り、来るお客さん、来るお客さんに

「テレビに出ていたねえ。見たよ」

 と言われ、ご満悦だった。私も大好きな人がスポットライトを浴びていて、ご満悦だった。

 どこの店もそうだが、江里子組は咲派と京子派に分かれていて、私は当然恩義のある咲さんの傘下に入っていた。そうしていれば安心で安全だったから。咲さんもママも私を可愛がってくれ、本当にこの店に入って良かったと、今幸せの絶頂だと思っていたし、青い鳥を捕まえて有頂天になっていた。

 日当も三万円になり、昼間の画廊を辞めて江里子組一本で行こうかと考えるようになっていた。そうすれば店がはねた後、お客さんに付き合って飲みに行ったり、カラオケに行ったり出来るし、昼間もゆっくり過ごせるし、夜だけで月収六十万以上稼げるようになり、生活もだいぶん楽だったし貯金も八百万円を超えたし。

 ただ、昼間の仕事を手放すのはぎりぎり躊躇する面もあった。何となく、まともな部分を自分の生活の中に残しておいた方が良いような気がしていたからね。クラブ勤めを否定する気はないけど。

 週末は画廊の展示会で、デパートや美術館で仕事をする事もあったが、休みの事も多く、そういう時はだいたい咲さんたちと一緒に過ごしていた。三人で川の字になって寝たり、おしゃべりしたり、竹下通りを歩いたり、二人といるのはとにかく楽しかった。

「うちは三人家族だから」

 って、健さんも言ってくれたし。ずっとこんな日が続けばいいって思っていたし、私のアパートにも何回か二人で来てくれたし、ようやく楽しくてたまらない人生が手に入った、ってご機嫌な毎日だったな。

「舞ちゃん、うちのマンションのワンルームに住めばいいのに。そうすればもっと家族みたいに行き来出来る」

 って、咲さんに言われた。うん、是非ともそうしたいね。健さんはともかく、地理に弱い咲さんは、私のアパートの場所分からない、とか言っていた。あはははは。 そうそう、よく掛け持ちで働くと確実に体を壊すとか聞くけど、私は幸いそういうのはなかったよ。若いし、タフだし。

 ただ、木曜日の朝に疲れを感じたね。金曜日は今日乗り切れば明日は休みだ!って、気合で乗り切るけど。

 毎週木曜の朝にふっと疲労やら空しさを感じ、土日どっちか寝だめしたり、家事をしたり、咲さんたちと過ごしたり、夢が叶った訳だからこれで良いんだって自分に言い聞かせたり、そんな日々だったよ。




 確かに幼少期より、少女時代より、楽しい事は楽しかったし、お金も持っていた。

 だが、私の心の奥底に変な病気が燻っていた。




 クラブのお客さんはだいたい名刺をくれる。それはホステスにとって生命線だ。中には当時まだ珍しかった携帯電話を持つ人もいた。携帯を持つって事は、お金もあるって事だろう。そう踏んだ。

 夕方、私はその人の携帯に電話を掛ける。朝ではなく夕方。朝はまだその日の予定も立っていないし、夕方の方が都合良いのだ。

「逢いたいです。逢えますか?」

 電話の向こうで相手が慌てふためいているのが分かる。

「今、銀座の〇〇ビルの一階にある喫茶店に居ます。来てくれますか?」

 仕事もあるだろうに、やりくりつけて私の元へすっ飛んでくる男たち。

「店でゆっくり話そう」

 そう言って、そのまま同伴出勤してしまえばいい話だ。

 別の日、他のお客さんに電話する。

「逢いたいです。逢えますか?」

 その人も電話の向こうであたふたしている。

「今、新橋駅降りた所に居ます。来られますか?」

 そう、前もって約束せずとも同伴出勤が叶う。店も喜ぶ、ママも喜ぶ、私の株も日当も上がる。お客さんは貢献したって顔でいる(あちゃー、舞にしてやられたって顔をする人はひとりもいなかった)。恋人のような雰囲気で接客をする。相手はすっかり良い気分でいる。このお客さんの今月のお小遣いは幾らだろう?そう思いながら、なるべく安く済ませてあげる。次もまた来させる為だ。たまに来させて目一杯散財させるより、コンスタントに来店させる方が良い。私は長い目で見ていた。

 勿論手帳には、いつ誰に電話した、どこに呼び出した、同伴した、アフター(店がはねた後、食事やカラオケ等に行く事)した、どこの何という店へ行った、どんな会話した等、ぎっしり書き留めてあった。あまりに大勢を相手にするから混乱しないようにする為にね。




 新しい腕時計をしているお客さんにはこう言った。

「どうしたの?その腕時計、素敵!」

 相手は得意気に言う。

「係長に昇進したお祝いに買ったんだ。自分へのご褒美だよ」

 私はしばらく時計を見てからこう答える。

「そうして欲しいものを次から次へ買っていったらきりがないでしょう?これからは私がやりくりしてあげる」

 その場で給与と生活費に幾らかかるか聞き出し(みんな案外素直に答えてくれた)、電卓(ボーイ長に借りた。一回目は何?と言う顔をしていたが、二回目からはこれが舞の常とう手段だって顔していた)を叩いて、飲み代を確保。

「これからも毎月、私がちゃんとやりくりしてあげるね」

 そう、これで相手は普通のサラリーマンでありながら、銀座で酒を飲む事が出来る。




 会社経営している人には勿論そんな事はしない。そういう人にはわざと下の名前にさん付けで呼んだ。

「まさゆきさんって呼んでも良いですか?」

 相手は最初びっくりして、それから呆けた顔になって頷く。そう、いつも会社では苗字に役職(〇〇社長、〇〇会長等)で、家庭ではお父さん、と呼ばれている人にとって、それは新鮮な響きなのだ。

「舞といると、俺は肩書も何もない、ただの男に戻れるんだ」

 嬉しそうに、しみじみ言ってくれた。そして必ず私を指名してくれた。




 何か悩みを抱えている人は(言わなくても分かる)一緒にいて心が痛む。つらい思いを抱えながらも虚勢を張り、ぎりぎり踏ん張っているその人に、心から言った。

「○○さん、何かあったでしょう?分かるよ」   

 相手は意を突かれたような顔になり、そして何があったか(長年苦楽を共にした仕事仲間を左遷せざるを得ない状況になった、親が経営する病院が訴訟沙汰になり経営が立ち行かなくなった、まだ二十代の娘が癌になった等)話してくれる。頷きながらじっと聞き役に徹し、一通り話してくれてから精一杯共感し、心をなだめてやる。そうしているうちに私自身、涙が溢れる事もあった。お席でそのお客さんと一緒に泣く事も多々あった。

 自分につらい事があった時は、ただじっと我慢すればいい。けれど人が何かつらい事を抱えている時、それは自分では我慢のしようがない。だから接客に心を込めれば込める程、涙腺は緩む。

 男だから、社会的地位が高いから、家庭の長だから、その人の親御さんにとって非の打ちどころのない自慢の息子だから、だから泣けない人は多い。だったら代わりに私が泣く。心を込めて泣く。相手は、私なら自分のすべてを受け止めてくれると、自分と一緒に、または自分の代わりに泣いてくれると心を開いてくれ、色々な話もしてくれるし、指名もしてくれる。

「舞といると俺は気が休まるんだ。家よりも気が休まるし、心からほっとするんだ」

 涙が乾いた目で、そう言ってくれた。




 仕事でミスをして落ち込んでいる人にはこう言った。

「○○さん、私が三十歳になっても、四十歳になっても、一緒にいてくれる?」

 その人はこんな自分に、という顔をしながらこう答えた。

「こっちのセリフだよ。舞、ずっと一緒だ。ここに来れば必ず舞に会える。舞が癒してくれる。会社でどんなダメージを受けても、ここに来れば舞が俺の傷を受け止めてくれる」

 心を込めて頷き、こう言う。

「所で、どんなミスしちゃったの?」

 その人は気まずそうな顔で、仕事の失敗談(頼まれた事を忘れた、秘密と言われた事を公にしてしまった、担当者を間違えた、相手の役職を間違えた、日時や場所を間違えた、手順を間違えた等)を話してくれる。一通り聞いてから答える。

「私だったらどうするかなあ」

「どうする?」

「あ、こうしたらどうかな?」

 と言って、アイデア(言われたその場でメモを取り、三十分ごとにタイマーを鳴らし、鳴ったらそのメモを見る習慣を付ける、人間の記憶は案外キャパシティが狭いので、忘れないよう、忘れたら忘れたで何分後かにメモを見れば思い出すので。何かする前に確認作業を忘れない為、付箋紙に重要事項を書き留めて、尚且つその付箋紙が剥がれないようにセロハンテープで書類の上に張り付け、そのメモに書いてある事項をしないと次の作業が出来ないようにしておく、秘密事項は暗号で例えばHMT等書いておく、この案件の担当は誰とその都度明記する、相手の役職が変わったら名刺を書き変え、○○部長等暗唱しておく、日時や場所は、くどくて済みません、と言いながら、本当にくどい程確認する等)を、思いつく限り出す。

「あ、それ良いな」

 その人は心から感心したように頷く。

「舞、頭良いなあ」

「〇〇さんの方がずっと良いよ」

「俺の秘書やらない?」

「それ良いね。あははははは」

 明日からその人がまた頑張れるよう励ましてやる。




 本当の愛が分からないという人にはこう言った。

「実は私も分からないんですよ」

「舞も?」

 真剣に頷く。

「な、そうだろ、な、分からないよな」

「はい、本当に分かりません」

「愛って何だろうな?」

「本当に分かりませんね。形もないし匂いも味もないし」

「本当に愛ってなんなんだろうな」

「分かりませんねえ、謎ですねえ」

「ただな、俺ひとつだけ分かる事があるんだよ」

「何でしょう?」

「舞は俺の理想そのまま、寸分変わらぬ形で俺の前に現れたって事」

「あらまあ、嬉しい事言ってくれますねえ。もっと言って。なんちゃって」

「舞は俺の理想、舞は俺の理想、舞は俺の理想。これでいいか?お前は可愛いな」

「〇〇さんも理想のお客様ですよ」

「だろ?…ああ、愛ってなんだろなあ。俺の舞に対する思いかなあ」

「守ってあげる事でしょうか?」

「ん、俺が舞を守る、ああいいねえ。他になんかないかなあ。愛をばっちり表現出来るの」

「ほんと、ばっちり表現したいですねえ」

「本当の愛ってなんだろうなあ」

「なんでしょうねえ。ゆっくり考えていきましょう」

「そうだな」

「あははははははは」

 お互い笑い合う。笑ってごまかすのではなく、共感して楽しく笑う。これでいいのだ。




 妻とうまくいかないと悩んでいる人にはこう言った。

「奥さんの良い所、十個言ってみて下さい」

 その人は少し考えるような顔をして、料理がうまい、基本的には優しい、懸命に子育てをしてくれる、家事をきちんとやる、まめでよく気が付く、病気の時に献身的に看病してくれた、自分の親の面倒を嫌な顔ひとつせずに見てくれる等々、話してくれる。そして必ず言っているうちに神妙な顔になり

「そんなに悪い女房でもないって気がしてきた」

 と言う。

「良い奥さんですね、だから〇〇さんもこんなに素敵なんですね」

 と返すと

「素敵かどうかは」

 と言う。

「私は〇〇さんの良い所を二十個言えますよ!」

 と言って、優しい、ハンサム、スーツが似合う、センスが良くていつもネクタイの色と、ハンカチの色、靴下の色が合っている、仕事が出来る、出世が早い、上司や部下に信頼されている、人を傷つけない言葉を言える、私に会いに来てくれる、手が綺麗、指もしなやかで綺麗、育ちが良い証拠だ等々、指を折りながら延々とその人の良い所を話す。その人は必ずどんどん笑顔になる上

「俺もそんなに悪い亭主でも悪い奴でもないよなあ」

 と言って、みるみる元気を取り戻していく。

 お会計を済ませ、帰る頃には笑顔爛漫になり

「舞、また来るよ!有難うな!」

 と、溌剌とした足取りで駅へ向かう。きっとそのまま笑顔で家路につくのだろう。


 誠心誠意を込めて接客する事で、相手が活力を取り戻してくれるのを見るのは嬉しかった。それがこの仕事の醍醐味だった。




 ボーイ長が接客中の私に小声で囁く。

「舞さん、T銀行の頭取からのご紹介で、Y証券の社長がお見えです。常連の〇〇様の指名も入っていますが、どちらを優先しますか?」

「Y証券の社長を優先します」

 即答しながら時間配分を頭の中で素早く済ませる。ボーイ長が答える。

「では常連の〇〇様は、香織さんに接客してつないでもらいます」

「香織さんはあまり話上手ではないから、清美ちゃんにつないでもらって下さい」

「はい」

「この後、このお席は美香ちゃんに任せます」

「はい」

 ボーイ長が私の指示通りに動く。

 そう、私は指名客も、ヘルプのホステスも、選ぶ立場なのだ。

「〇〇さん、御馳走様でした。またお待ちしていますね」

 名残惜しそうな顔をする客を席に置いて、私は誇りを持って席を立つ。

 そう、私はこの店のスーパースターなのだ。




 水商売をする上で、自分に課している事が二つあった。

 ひとつはお客さんと同伴出勤やアフター以外で、店外で会わない。 

 もうひとつ、こっちの方が重要だったけど、絶対に枕営業をしない。

 やっている女の子もいたけど、その相手になったお客さんは必ず別の女の子を指名するようになるし、麻耶組や深雪組に行っちまう上、悪い噂も広がるし、かえってマイナスだった。




「やらせてやったのに!指名してくれないばかりか麻耶組に行くなんて」

 更衣室で、そう言って悔しがる奈々ちゃんという女の子に私は言った。

「上辺だけでやっているからだよ」

 本当にそうだ。頭を使わず、上辺だけで仕事しているから、まして枕営業なんて安易な方法で客を得ようとするから、だからそんな目に遭うのだ。

「私も舞ちゃんみたいにやろうかな」

 奈々ちゃんは懲りたように言う。

「舞ちゃん、お客さんの事、よく考えているもんね。私は全然考えていなかったな」

 私は心から言った。

「もう二度とやっちゃ駄目だよ」

 よく納得したように頷く奈々ちゃん。同じクラブで働く仲間だ。同じ間違いを繰り返さないで欲しいと、馬鹿な事をしないで欲しいと願わずにいられない。




 お客さんってみんな外で会いたがるし寝たがるけど、そんな事をしたらどうなるか、やらなくても分かる。

 それより一発で名前や経歴を覚える、前回どんな会話をしたか記憶しておく、そして次に来店した時に、その話から始める。

 何よりお席を盛り上げる、楽しい思いをさせる、話をとことん聞いてやる、共感してやる、自分だったらどうするか名案を出してやる、癒してやる、和ませてやる、恋人のように寄り添いながらも、ぎりぎりのラインは保つ。

 その人が連れてきたお客さんを立てる。勿論その人もバランス良く立てる。

 独学とはいえ英語も勉強しておき、外人のお客さんにも対応出来るようにしておく(お陰で外国人のお客さんが来た時、必ず私が担当させて貰え、みんなに尊敬の眼差しで見られた)。

 新聞を毎日隅から隅まで読み、どんなお席のどんな話題にも付いていけるように社会勉強もしておく。

 相手が咳をしたら喉飴を、涙を流せば清潔なハンカチを、くしゃみをしたらティッシュを、携帯電話が鳴ったらメモとペンを、間髪入れずに差し出す。相手がして欲しい事を、して欲しいタイミングでする。

 何より上辺だけでなく、通り一遍でなく、心を込めて接客する。

 勿論ここに来なければ会えない存在であり続ける。

 その方が長続きするし、信用もされるし、長く引っ張れる。

 それが私のステータスだった。

 そしてそれは正解だった。

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