第26話
「スパイが紛れ込んでるか……まあ、予想の範囲内だな」
織と愛美が持ち帰った情報を聞いても、緋桜は至って冷静だった。頭の回る彼のことだから、事前にその可能性は疑っていたのだろう。
同じく冷静な魔女は、時間をおいて少し落ち着いたのか、いつもの調子で緋桜に尋ねる。
「お姫様の側にいて、怪しいやつとかいなかったの?」
「見てないな。そもそも、部屋に出入りするやつがいなかった」
「部屋の中は緋桜とお姫様、それに側仕えの女性だけってわけね。やっぱり怪しいのは黒服の誰かかしら」
「順当にいけばそうだろうな」
ただ、違和感が残る。あくまでも直感的なものでしかなく、具体的なことは何も言えないが。織はそう簡単な話とは思えないのだ。
あの黒服たちは誰が用意したのかは知らない。エウロペが自分で用意したのか、それとも織たちのように、政府の方から要請があったのか。どの警備会社に所属しているのかも知らないし、その辺りの情報も洗い出さなければならない。
「ところで、この二時間近くで何人くらいの敵と遭遇した?」
「俺と愛美は二人っすね。そのスパイと、愛美曰く三流以下の雑魚」
「わたしは五人。そのうち二人はスタッフに紛れ込んでたよ」
一日目のこの数時間で、既に七人。
相手の総数が分からない以上はなんとも言えないが、まだ少ない方なのだろう。
ここからどれだけ数を増やしてくるか。仲間がやられてることには敵も気付いてるはずだし、それが今後の展開にどう影響してくるかも考えておかねばならない。
「お話は終わったかしら?」
部屋の片隅で話していた四人に、依頼主で護衛対象であるお姫様が話しかけてきた。
淡い笑みを浮かべた彼女は、手前に立っていた緋桜へソッと寄り添う。
「そろそろレストランに行きたいから、あなたがエスコートしてくださる?」
「レストランに向かうのはまだ一時間先だろうが……勝手にスケジュールを変えないでくれ。振り回されるのは俺たちだけじゃないんだぞ」
「それくらいは理解しているわ。だから提案しているのじゃない、振り回してあげましょう、と」
どうやら、先ほどの話を聞かれていたらしい。身内にスパイがいるかもしれないのなら、当然こちらの情報は筒抜けだし、エウロペの予定スケジュールも把握されてる。
だから敢えて、こちらからズラしてやればいい。予定にない行動を起こし、相手に揺さぶりをかける。わざわざ知られている予定の通りに動く理由はないし、これで相手を炙り出せたら僥倖だ。
エウロペから提案されずとも、愛美か桃あたりからこの案は出ていただろう。
しかし、ただの我儘お姫様だと思っていたばかりに、エウロペの口から出てきたのは意外だった。
「随分と落ち着いていらっしゃいますね。仮にも、命を狙われているというのに」
同じことを思ったのか、愛美がそんな風に尋ねる。
落ち着いているというより、こういった状況に対して随分と慣れている感じがする。まるでどう対処すればいいのか、最初からわかっているかのようだ。
そんな織の考えもあながち間違いではないらしく、エウロペはクスクスと喉を鳴らして答える。
「だって昔からだもの、命を狙われるのは。いえ、昔の方が酷かったかしら。それに比べれば、今は随分と可愛らしいものだわ」
言った瞬間。エウロペの瞳に、僅か仄暗い色が宿った気がして、織はゾッとした。
だが直ぐに元のにこやかな表情に戻り、まるで気の所為だったように思える。
ただ、織が気付いたということは、当然他の三人もそこに反応していて。
愛美はピクリと眉を動かして訝しげにエウロペを見つめ、緋桜は神妙な面持ちをしている。そして桃は、小さくなるほど、と呟いていた。
「さあ、そうと決まれば早くレストランに向かいましょう?」
「緋桜と織は先に向かってて。私と桃は、もう一度周辺を見て回ってから行くわ」
「了解だ」
予定にない動きをするのだから、敵味方関わらず多少の混乱は起こる。愛美と桃が残るのは、その現場を見ておきたいから。
多分それだけじゃないとは思うが、まあ愛美に任せよう。そこは織が出張ってもあまり意味がない。
愛美と桃の二人を残して、織と緋桜、エウロペの三人は船内レストランに向かう。
どうやらどこぞの有名シェフを招いているとかで、さっき愛美と軽く見回った時には、既に大盛況となっていた。
健啖家なパートナーは今にもその中へ飛び込んでしまいそうだったのだが、そこはさすがの桐原愛美。鋼の理性で耐え切ってみせた。これが仕事じゃなかったら、と思わずにはいられない。
どこか上機嫌なお姫様の数歩後ろを歩きながら、すれ違う人たちを警戒する。あからさまに観察したりはしないし、愛美みたいな超高感度センサーじみた直感も持っていないが、その代わりに織は立ち振る舞いである程度推察することができる。
これは探偵の師である父親から教わった技術だ。
「どうだ織」
「今のところは大丈夫そうっすね。相手がプロだから、オレが見抜けてないだけって可能性もありますけど」
今頃あちらさんは、エウロペの予定外の行動に混乱してくれている最中だろうか。
時間を一時間早めただけではあるが、ただそれだけでも、綿密に組まれた計画にとっては大きな誤算となる。
「俺の方でも一応探っとくから、お前は引き続き目視で頼む」
壁や床に、鮮やかな緋色に染まった桜の花びらが、いくつかくっ付いている。恐らく、探知用のものだろう。本来緋桜に任せるはずだったものだ。
前を歩くエウロペをチラリと見て、こちらの話を聞いていないことを確認してから、織は前々から気になってたことを小声で質問してみた。
「緋桜さんの魔術って、ちょっと特殊っすよね。桃も使ってるけど、元々緋桜さん特有のもんでしょ?」
「心想具現化って言ってな。うちの家に代々伝わる術だ。今思えば、それもうちに受け継がれてきたキリの力の影響なんだろうが」
術者の心を映す魔術。黒霧家ではその初歩として、まず体を霧に変える術を学ぶ。そこから発展させていき、文字通り、各々の心想を具現化させる。
その理屈でいけば、桃が緋桜と全く同じ形で術を使えているのはおかしい。
あの旧世界で、たしかに緋桜の力は桃へと引き継がれたけど。それはあくまでも心想具現化の力のはず。緋桜の心、あるいは魂そのものを受け継がない限り、魔女があの桜を使えるとは思えない。
可能性として浮かび上がるのは二つだ。
本当に緋桜の魂まで受け継いでしまったのか、もしくは。
彼女の心の奥底に、それほどまで深く、あの桜が刻まれているのか。
◆
織たちを見送った後、愛美は部屋を出ることもなく、共に残った親友と向き合っていた。
聞きたいことが、言ってやりたいことが山ほどある。桃がドラグニアから戻って来てからというもの、どうにも間が悪くて中々二人きりで話すタイミングがなかったのだ。
このままだと、なあなあで流れてしまいそうだったから。こうして無理矢理時間を作った。
「あの人、なにか隠してるね」
「でしょうね、緋桜と同じ匂いがするわ。表ではニコニコ笑ってても、裏で何考えてるかわかんないわよ」
先ほど話に割り込んできたエウロペの、あの目を思い出す。
あれは、日の当たる場所を歩く者がする目じゃない。後ろめたいことがあるとは限らないが、胸中にとんでもない爆弾を抱えているのは間違いないだろう。
その辺りは、魔女の方が詳しいはず。
「昔のわたしともちょっと違う、悪事に加担してるってわけでもなさそう。ちょっと読めないな」
「命を狙われるくらいなんだし、これくらいは当然でしょうけどね」
しかも彼女の言い方だと、今回に限った話でもないようだし。緋桜がうまく取り入って聞き出してるかとも思ったのだが、口を割らなかったらしい。使えない男だ。
ともあれ、エウロペ本人の事情にはそこまで深く首を突っ込む必要もないだろう。あれば有益な情報に違いないけど、ようは彼女を守りきればいいだけの話なのだから。
そして愛美は、こんな話をするために桃と二人で残ったわけではない。
仕事なんかよりも余程大事な話がある。
改めて親友へ向き直れば、微笑みを返される。もう随分と見慣れた、どこか憎たらしさも感じる笑顔だ。
「さて、なにか話したいことでもあるんでしょ? いいよ、聞いてあげる」
「オーバーロードを使ったんですってね」
「織くんから?」
頷きを一つ返す。
ドラグニア世界の住人にしか使えないはずの技。魂に魔力を逆流させることで、魔術や魔導ではあり得ない力を手に入れることができる。それがオーバーロード。
愛美は直接それを見たことがあるわけじゃないけど、その技術の原型となったものなら何度も見ている。
彼方有澄を始めとする龍の巫女や、龍神の娘が作った龍具を所有する織が使う、ドラゴニック・オーバーロードだ。
あれも原理は殆ど同じだが、彼女たちや織は自分自身の魂に魔力を逆流させているわけではない。
龍の巫女は、その身に宿した龍神の魂に。織は、龍具自体に魔力を逆流させ、過負荷を与えることで発動している。
しかもあれは、ドラグニア世界の住人であれば誰でも使えるわけではない。
それなりの実力を持つ限られた者にしか、その使用は許されていない。かなり繊細な魔力コントロールが必要だ。それが可能でなければ、こちらの世界の住人と同じで普通に死ぬ。しかしそれでも、使える可能性自体はあちらの住人ならば誰もが等しく持っている。
たしか、魂の構造が違うから、とイブが言っていたか。
桃はこちらの世界の住人にも関わらず、そんなオーバーロードをぶっつけ本番で成功させてしまったらしい。
理由はひとつ。
桃瀬桃の魂が、この世界に生きる人々とは異なっているから。
「旧世界で、一回死んで生き返ったから。多分世界構築の時に変なノイズが入って、魂に影響が出たんだろうね。今のわたしは、ドラグニア世界よりの存在なんだよ」
弾んだ声。喜色の含んだそれは、本来なら歓迎すべきではないはずなのに。
「だから、あっちに移り住みたいって、そういうの?」
「……」
「自分がこの世界の住人とは違うから、私たちとの暮らしを捨てて向こうに行くって?」
「それは……ちょっと違うかな。魂のことに関しては、後付けの大義名分に過ぎないよ」
「なら、どうしてっ」
「愛美ちゃんにはわからないよ」
明確な拒絶があった。
笑顔こそ浮かべているが、瞳の奥には仄暗い色が隠せていない。
その瞳を、何度も見たことがある。
例えば、魔女と初めて会った時。あの時も、この子はこんな目をしていた。
「朱音ちゃんはちょっと分かってくれたけどね。でもやっぱり、わたしはあの子とも違う。朱音ちゃんは成し遂げて、わたしはそれが出来なかったから」
魔女と殺人姫を別つ絶対の壁。
過ごして来た歳月よりも、復讐というそれひとつが、親友との間に大きな壁を作る。
「それにわたしは、魔女だから」
「そんなこと言ったら……私なんて……」
「殺人姫は優しすぎるんだよ。だから人を殺せなくても、幸せな日々があれば生きていける」
けれど、魔女はそうもいかない。
本質的に優しい人間ではないから。どこまでも己の欲求に従ってしまう。未知なる知恵を求める。
殺人姫にとっては幸せな日々でも、魔女にとってはぬるま湯に浸っているように思えて仕方がない。
桐原愛美は選ばない。選択肢の全てを掴み取る。そしてそれだけの意思と、可能とするだけの力がある。
桃瀬桃は、選ぶ。どこまでも非常に、冷徹に、切り捨てるものと掴み取るものを。その判断基準は、いつだって自己中心的なもの。
そんなこと、とうの昔から知っている。
まるで流れ星のように一瞬で過ぎ去ったあの日々の中で、この親友と、バカな先輩と、たしかな絆を紡いだのだから。
だから、魔女がどういう選択を取るのか、知っている。
そういう意味では、愛美に選択肢なんて最初から与えられていなかったのかもしれない。例えその全てを掴み取れるだけの意思と力があっても、選択肢そのものが存在しなければ意味がないのだ。
ならばどうすればいいのかなんて、それこそひとつしかないだろう。
「私は、嫌よ……」
魔女の選択を変えさせればいい。
理屈や理論をどれだけ積み重ねたって、この子は納得しないから。正しさを振りかざしたところで、魔女には通用しないから。
ただ、いつものように。自分の感情を真正面からぶつけてやれば。
「私は嫌、絶対に嫌! またあんたと別れることになるなんて、二度とごめんよ! 私があの時、どんな気持ちだったか分かる⁉︎ 生まれて初めて出来た、世界で一番大切で大好きな親友が、目の前でいなくなったのよ!」
恥も外聞もなく叫ぶ。
初めての親友に、今まで言ったことのない本音をぶつける。
それでも目の前に立つ魔女は、まるで子供を相手にしているように、優しく微笑んでるだけだ。
「もう一生会えないと思ってたのにッ、昔みたいに、笑い合えないって思ってたのに……それでも今、こうやってまた、あんたと一緒にいられるのに……お願いだから、もう私の前からいなくならないで……!」
気がつけば、声には嗚咽が混じっていた。自分よりも小さな肩を掴んで、縋り付くように泣いている。これでは本当に小さな子供みたいだ。
でも、だって、本当に嫌だから。この世界では、もう離れ離れになることなんてないって、無邪気にも信じていたから。
「ごめんね、愛美ちゃん」
心からの叫びも、魔女には届かない。
ゆっくりと肩から手を離されて、あやすように頭を撫でられる。
それが、言葉以上に雄弁な別れの証だった。
同時に理解する。私でも、この子は止められないのだと。桃の心はもう決まっていて、そこには例え親友であっても入り込む余地がないのだと。
「別に、二度と会えなくなるわけじゃないんだからさ。いつだって会いに来て、そうやってわたしの前で泣いてくれてもいいんだよ?」
「……なら、緋桜はどうするつもりよ」
眦を拭って、おそらくは桃にとって一番触れられたくない部分を的確に突く。
どうやら効果はばつぐんのようだ。困ったように眉を下げ、一転して迷子のような声が出た。
「どうしたらいいんだろうね……そもそもわたしは、あいつにどうして欲しいんだろう」
「自分で探しなさいよ、バカ」
それがわからないうちは、絶対にこの世界に引き止めてやる。桃があいつとの決着をちゃんとつける、私がそれを見届ける。
そのあとだったら、異世界にでも別宇宙にでも、好きなところへ行ってしまえ。
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