我らの絆は流星の如く
第23話
放課後の部活が終わり、帰ってきてから。最近の日課として、朱音はアーサーと散歩に出かけている。
旧世界の記憶も取り戻し、自然と知能レベルも当時のものに跳ね上がった狼犬。リードや首輪は必要ないのだけど、一応世間体的にあった方がいいだろう、と父親から言われてしまったので、不本意ながらリードをつけての散歩だ。
しかしアーサー自身からは不満なんて全く表明されていないから、自分の気にしすぎなのかな、と思ったりもする。
今日も今日とていつものように、いつものルートをアーサーと練り歩く。向かう場所は決まっていて、棗市北側の住宅街にある、とある公園だ。
「丈瑠さん!」
そこで待っていた市立高校の男子生徒へ声をかければ、振り返って優しい微笑が投げられる。リードを手放すと、アーサーはその男子生徒、大和丈瑠のもとへ駆けていった。
「こんにちは、桐生。アーサーも」
「こんにちはです」
特に示し合わせたわけではない。互いに言葉で確認することもなく、なんとなく。二人はほとんど毎日、この公園で会っていた。
今はもう、ここに丈瑠の友達だった猫たちはいないけど。
それがまるで、家にある少女漫画や恋愛小説みたいな状況で、朱音はちょっとだけドキドキしていたり。
ベンチに座って、今日もいつも通り、他愛のない雑談を繰り広げる。
「聞いてください丈瑠さん。今日は次の天体観測の場所を決めようって言ってたのに、ちっとも決まらなかったんですよ」
「他の二人と喧嘩でもした?」
「いえいえ、私と翠と明子は仲良しですので。喧嘩なんてするわけありませんが」
「だったら、アンナ先生だっけ? 新しい顧問の人が?」
「そうなんですよ! アンナ先生が温泉旅行行きたいって言って、パンフレットたくさん持ってきてたんです」
「温泉かぁ。でも桐生、つい最近サーニャさんの別荘に行ったんでしょ? その時温泉入ったって言ってなかったっけ」
「入りましたが。サーニャさんを悪く言うわけではありませんが、あの露天風呂はダメです。緋桜さんがすぐに覗こうとしてきますので」
当時のことを思い出して、朱音はプンプンと頬を膨らませながら言う。ああいうのは一種のお約束というやつなのかもしれないけど、女風呂を覗くなんて最低な行為だ。
いや、結局未遂に終わってるというか、実行に移す前に制裁を加えたんだけど。
「覗くって……よくそんなことしようと思ったね、緋桜さんも」
「そうですよ。母さんとか葵さんとか桃さんとかいたので、結果なんて目に見えてるようなものですが」
あの後温泉から出たら、葵と桃にめちゃくちゃ怒られてたっけ。特に桃はすごい怒ってた気がする。
けれどまあ、そんな出来事ひとつ取っても、かけがえのない幸せな日常の一ページだ。
きっとこれからだって、そういう思い出がたくさん増えて行くのだろう。
でも、今朝愛美から聞いた話が本当なら。
不意に気分が沈んでしまい、顔を俯かせてしまう。足元のアーサーが心配そうに見上げてくる。
それに大丈夫だと笑みを返して顔を上げれば、今度は丈瑠がこちらを覗き込んでいた。びっくりして少しのけぞって、それからちょっぴり顔が赤くなる。
前から思ってたけど、丈瑠さんはたまに距離感おかしい時があるのですが。
「どうかした?」
「いえ、大したことじゃないので。昔に比べれば、本当に」
そう、昔に比べれば。旧世界の時に比べれば、本当に大したことじゃない。
朱音がひとりでなにかを背負い込んでるわけでもないし、誰かが命の危機に瀕しているわけでもない。
ただ、朱音にとって大切な人が、少し遠くに行ってしまうかもしれない。それだけだ。
会えなくなるわけでもなし、朱音が考え込む必要なんてなにもない。結局最後に決めるのは桃で、引き止める理由なんて朱音にはないのだから。
そんな気持ちが表情に出て、力のない曖昧な笑みが浮かんでしまう。
こんな顔をしたら、余計に心配させてしまうだけだ。だってほら、丈瑠はやっぱり真剣な目で、朱音の目をジッと見つめている。
「大したことじゃなくても、聞かせて欲しい。前にも同じようなことがあったけどさ。僕じゃ力になれなくても、話だけでも聞かせてくれないかな?」
丈瑠の両手が、包み込むように朱音の右手を握る。
自分のものよりも大きな手。それはとても温かくて、その熱が伝播して、頬は熱くなるばかり。
こういう状況だと、旧世界での別れ際を嫌でも思い返してしまう。
出会えて良かったと、万感の想いを込めて贈られた言葉を。
そこに宿った、丈瑠の感情を。
朱音は母親のように恋愛偏差値ポンコツではないので、どうしても察してしまうのだ。
「桐生? 顔赤いけど、大丈夫?」
「だ、大丈夫ですがっ!」
「そ、そっか……大丈夫ならいいんだけど……」
誰のせいだと思ってるのだ。
まさか丈瑠が、そんな鈍感系主人公じみたことを言い出すなんて。いや、彼の場合は自己肯定感の低さに起因するのだろうけど。
どうせ、朱音が自分のことを好いてくれてるわけがない、とか思ってるに違いない。ラノベで呼んだよそういうの。
まあ、それはさておき。
「丈瑠さんから見て、桃さんってどんな人ですか?」
「桃先輩? うーん……難しいな」
「難しい、ですか?」
「うん。記憶が戻ってからは特になんだけど、印象が一定しないというか……普段は優しいし、僕のことも色々気にかけてくれるんだけどさ。ふとした拍子に、すごく大人びた、どこか遠くを見てるような目になるんだ」
それは、案外的を射ている答えだ。
記憶が戻ったことによる弊害。旧世界とこの新世界での、年齢の差。丈瑠は桃についてのそのあたりを知らないはずだけど、これは丈瑠が聡いのか。あるいは、それだけ桃が分かりやすいのか。
多分どちらもだろう。丈瑠は結構人を見る目があるし、桃は桃で結構バカだから。
「まあ、それを言ったら桐生も似たようなものだけどね」
「わ、私は仕方ないですが」
日常の中にある少女としての顔と、戦場にある魔術師としての顔。
朱音を初めとした魔術師は、そういった二面性を持っているものだ。織や葵はそのあたり裏表がないけど。
「でも、桃先輩は桐生と違って……なんて言うか……」
「おばあちゃんみたい?」
「いや、うん、端的に言ったらそうなんだけどさ……それ、桃先輩に直接言ったら怒られるよ」
「さすがの私も、そんな度胸ありませんので」
間違いなく怒られるし、なんならゲンコツ食らわされるかもしれない。
魔女の前で年齢の話はNGだ。
「それで、桃先輩がどうかしたの?」
「それが……」
ある程度噛み砕いて、桃の現状について説明した。
旧世界での桃は、二百年も生きた魔女だったこと。そのせいで、この世界での暮らしに違和感を感じていること。こことは違う異世界に移り住むのを、望んでいるかもしれないこと。
それを引き止めたい。けれど、引き止めるだけの理由がない。
新世界でどのような暮らしを送るかは、人それぞれだ。そこに他人が口出しする権利なんてなくて、例えばもう戦いたくないという人がいれば、朱音も織も愛美も、他の誰も咎めることはないだろう。
だから、それと同じ。桃がドラグニア世界に住みたいというなら、やはり朱音には引き止めることはできないから。
そこまで話して、丈瑠から返ってきた言葉は。
「どうして?」
シンプルな疑問だった。
本当に不思議そうに、目の前にある彼の顔は傾げられている。
「どうしてって……だって、それが桃さんの選択で、あの人の望む未来だから……」
「桐生はどうなの? 桐生が望む未来には、桃先輩もいるんだよね?」
「……はい」
「だったら止めなきゃ。仮に桐生が異世界に行くって言ったら、僕はきっと、みっともなく縋り付いてでも止めるよ」
絞り出すような言葉。自分に力がないと自覚していて、いつも朱音を見送るしかできない丈瑠だから。
手を握る力が少しだけ増して、無力な少年の気持ちがそれだけ流れ込んでくる。
「好きな人と、大切な人と一緒にいたいって思う気持ちは、誰にも否定できないものだよ。桐生が桃先輩のことをそう思うなら、それだけで桃先輩を引き止めていい理由になるんじゃないかな」
桐生朱音が望んだ未来。
私に優しくしてくれた、大好きな人たち一緒にいられる未来。
それ自体が、桃を引き止めていい理由になりえる。例え朱音の自分勝手な我儘なのだとしても。
「ご、ごめん……偉そうに言いすぎたかな」
返事がないことを不安に思ったのか、あるいは自分がなにを口走ってるのか自覚したのか、間近にあった丈瑠の顔がぶわっと赤く染まる。
言いながら離れていこうとする両手を、今度は逆に、朱音から掴んだ。
「いえ、そんなことはありませんが。ありがとうございます、丈瑠さん。もし桃さんが、本当に異世界に行くなんて言い出したら……私は、絶対に止めることにします」
「……うん」
「それが、私の望んだ未来ですから」
「うん。その方が桐生らしい」
仮に桃が望んでいなくても、私の望んだ未来がある。ただそのためだけに、私は動けばいいんだ。
この後、手を繋いだまま離すタイミングを逃してしまい、ちょっと変な雰囲気になっちゃったけど、それはまた別のお話。
◆
翌日の放課後。
朱音は学校が終わってすぐ、部活も休んで家に直帰した。普段から持ち歩かなくなった短剣と銃を取りに帰るためだ。
「使わないに越したことはないけど……」
鞘に収まった短剣が取り付け可能となってる、改造ホルスターを手に取り呟く。
むしろ使わない可能性の方が高い。朱音も彼女も、どこぞの殺人姫のように血の気が多いわけじゃないから。話し合いだけで終わるはずだ。
ホルスターを腰に巻いて、認識阻害をかける。父親はどこかへ出掛けてるから、留守番してくれているアーサーに行ってきますと告げて、事務所を出た。
先方にはメールで待ち合わせ場所を送ってる。正直、来てくれるかどうかは賭けだ。両親には今日のことを伝えているから、愛美からなにか言ってくれていたらいいのだけど。
覚悟を決めて、一歩踏み出す。
向かう先は商店街、そこにある喫茶店だ。織や他の知り合いたちもよく利用していて、もはや常連とも言える。
話す内容を頭の中で反芻しながら、ゆっくり歩みを進める。それでも事務所から比較的近いそこには、十五分ほどでたどり着いてしまった。
店に入り、顔馴染みの店長に軽く挨拶してから、窓際の席に向かう。
その先に座っていたのは、朱音が待ち合わせしていた人物。
市立高校の制服に身を包んだ、おさげ髪の少女。その実態は、旧世界で二百年の時を復讐に費やした魔女。
桃瀬桃。
朱音にとって、親友であり恩人であり、しかしそのどちらもが、記録されることのなかった時間軸での話。今の朱音にとっての桃は、果たしてどういう関係に収まるのか。
「や、朱音ちゃん。急に呼び出して、どうしたのかな?」
「少し、お話したいことがありましたので」
「そんな物騒なもの持って?」
「癖のようなものですが。むしろ、これがないと落ち着かないです。桃さんなら分かりますよね」
やはり、朱音の認識阻害は軽く見破ってくるか。まあいい、周りの一般人に見えていなければ問題ない。
腰のホルスターに差してある銃と短剣は、この平和な世界に不必要なもの。女子中学生が持つべきものじゃない。
けれど、桐生朱音にとってはあって当然のもの。戦いの中でしか生きられなかった少女は、常に武装していないと心身ともに落ち着かなくなる。
それは、桃だって同じのはずだ。
境遇は違えど、ともに復讐のために生き、戦い続けた者同士。
この世界に対して思うところがあるのは、朱音だって同じ。
決定的に違うことがあるとすれば、この世界での平和な未来を望んでいるかどうか、というところか。
「たしかに、ある意味この世界は窮屈だね。わたしたちが培った力は殆ど意味をなさなくて、たまに出てくる魔物を倒すだけ。落ち着かないって言ったらその通りかも」
「なら、ドラグニアはどうでした?」
「いいところだったよ」
微笑みながらコーヒーカップを傾ける桃だが、その表情にはそこはかとない薄寒さが感じられる。
たしかにあの世界はいいところだ。朱音も同意する。ドラゴンと人間が共存する社会とは、朱音たちの常識で考えるとかなりぶっ飛んでいるし、それが可能なだけのなにかが、あの世界にはあるということなのだろう。
なにより、ご飯が美味しい。
けれど桃は、それらに対して言っているわけではない。
「あんなにも魔力に溢れていて、わたしの知らない法則が沢山あって。なにより、全ての元凶がいる」
探究心に満ちた笑み。瞳の奥には、仄暗い炎が灯っている。
全ての元凶。この世界に幻想魔眼と賢者の石を齎した、キリの人間の願いに応え、世界の変革を起こした存在が。
赤き龍が、あちらの世界にはいる。
超常の力なんてなければ、と。一度くらいはそう考えてもおかしくない。
賢者の石に全てを狂わされた魔女なら、なおさらに。
「やっぱり、復讐のためですか……」
「なにが?」
「桃さんが、ドラグニアに住みたいと思ってる理由です」
ほんの少しだけ、桃の目が丸く見開かれる。驚きを露わにしたのは、悟られていると思っていなかったからか。あるいは、こうして直截に聞いてくることに対してか。
「私は、嫌です。桃さんがこの世界からいなくなるなんて、絶対に嫌です」
「朱音ちゃん……」
「だってあなたは……俺の恩人で、私の親友で……私たちの、大切な人だからっ……」
潤んだ瞳で、ともすれば睨んでいるとも思えるほどに、強く見つめる。返ってくるのは困ったように眉根を寄せた、曖昧な笑みだけ。聞き分けのないワガママな子供に、優しく言い聞かせるような。
どこか諦めたようにも思える表情は、見ていて痛ましい。
「わたしはね、今のこの世界、結構好きだよ。愛美ちゃんがいて、織くんがいて、朱音ちゃんがいて、葵ちゃんたちもいるし、ついでにグレイもいる。なにより、あいつが生きてくれている」
「だったら……」
「だからだよ。そのみんなが未来に向かって歩き出してるのに、過去に囚われたままの馬鹿な女は必要ないでしょ?」
桐生朱音と桃瀬桃の、決定的な違い。
この世界で、平和な未来を求めているかどうか。ならば二人はどこで道を違えたのかといえば、やはり復讐に行き着く。
本来の時代に戻って、そこでグレイとの決着をつけた敗北者と。
志半ばで倒れてしまい、どころか悪魔の手によって蘇ることになってしまった魔女。
復讐を果たせた者と、果たせなかった者。
その両者の間には、目には見えなくとも大きな断絶がある。
「……それでも、私は言い続けます。私の未来には、桃さんが必要だって」
「ならわたしも、言葉を選ばすに言ってあげる。わたしの未来は、この世界である必要性がない」
「殺してでも止める、って言ったとしてもですか?」
「無理だよ、朱音ちゃんには。そうだったでしょ?」
腰のホルスターに手をかけるが、銃を抜く度胸が本当にあるわけじゃない。また桃に銃口を向けるなんて、二度とごめんだ。
そして、理解する。
朱音の言葉では、桃に届かないのだと。
「別にさ、わたしが向こうに住むからって、二度と会えなくなるわけじゃないよ。愛美ちゃんのこと、ほっとけないしね」
「でも……」
「朱音ちゃんは重く捉えすぎ。ただ住む場所が変わるだけなんだからさ」
違う、そうじゃないんだ。たしかに桃の言う通り、住む場所が変わるだけかもしれない。二度と会えなくなるわけじゃないかもしれない。
それでも、朱音が描いていた未来予想図とは、大きくかけ離れてしまう。
なんでもない日常、なんでもない放課後に、ちょっと遊びに出掛けたり。
そういう、かけがえのない普通が、異世界というだけで遠く離れたものになる。
「それより、せっかく来たんだからなにか頼みなよ。わたしが奢ってあげるから」
返事ができずに黙ってしまった朱音を見て、話は終わりだと言わんばかりにメニュー表を広げる桃。
事実として、朱音にはもうこれ以上の言葉がなかった。
「カフェオレと、それからここからここまで、ケーキとパフェ全部ください」
「……三十品くらいあるよ?」
「関係ありませんが」
「ほら、夕飯前だし、織くんの料理食べられなくなるんじゃない?」
「私が父さんの作ったご飯を残すなんて、あり得ませんので」
「お金足りるかな……」
腹いせにしては少し子供っぽすぎたかな、と思わないでもないけど。
桃の財布に大ダメージを与え、おまけに店のスイーツを一日で完全制覇したことで、少しは気が晴れた朱音だった。
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