第22話

 上空から雨のように降り注ぐ、緋色の矢。同じ数だけ放たれた光の鏃がぶつかり、小さな爆発が連続して起こる。


 矢を通して感じるシルヴィアの魔力に、桃は歓喜の笑みを浮かべていた。

 魔女と呼ばれた自分ですら未知の領域にある、異世界の魔力、あるいは魔導。

 こちらを敵と見定めたシルヴィアに、先ほどまでの困惑した様子はカケラも見えず。強力な魔力と共に鋭い視線が飛んでくる。


 だがまだだ。異世界最強の龍神。その娘である彼女の力が、この程度なわけがない。


「強い……!」

「ちゃんと本気出しなよ! こっちは殺すつもりでやってるんだからさっ!」


 シルヴィアの周囲に、なにもない虚空から緋色の桜が出現する。容易くその全身を覆い隠すが、内部から強烈な光が放たれた瞬間、桜の花びらは全て焼け落ちた。


 中から現れるのは、無傷のシルヴィア。

 ここまで桃の攻撃を全て、辛うじてではあるが捌き切っている。その事実こそが、彼女の実力を物語っているけど。


 向こうから攻撃してこないのは、どういうことか。

 あの目を見れば、シルヴィアも戦う気になっていることは理解できる。しかし今のところ、彼女は迫る攻撃を迎え撃つだけ。積極的に攻撃してくるわけでもない。


 怪訝に思いながらも次の術式を構成し始めた、その時。

 脳をハンマーで直接殴られたような衝撃が、桃を襲った。


 目に見えない攻撃。頭は勢いよく横に揺れて、視界が明滅する。おそらくは精神干渉系の魔導だ。向こうから攻撃してこないと思ったら、この下準備をしていたのか。

 そっち系の魔術には耐性のある桃だからこの程度で済んだものの、本来ならこの時点で決着がついていたかもしれない。


 意識がはっきりしない中でも、地上で魔法陣を展開するシルヴィアの姿を捉えた。


 全身に過剰な魔力を流して、それを気付け薬代わりとする。再び開いた視界の先には、魔力で形成された巨大な光の龍の頭が。

 今にも桃を噛み砕かんと、その顎を大きく開いていた。


闇を砕く煌輝の顎グリッターファング!」


 その牙が突き立てられるよりも、速く。全身に巡らせていた過剰な魔力を、全て外へ放出する。

 無形の衝撃は龍の顎を掻き消し、散っていった先で桜の花びらへと変化した。意思を持ったように蠢く刃が、地上のシルヴィアへと殺到する。


 まさかそれだけで終わらせるわけもなく、魔女は続く術式を組み上げた。


「我が名を以って名を下す! 其は大地を揺るがす獣の雄叫び!」


 刃と化した花びらから逃げ惑うシルヴィアを囲むように、魔法陣がいくつか展開される。その場から逃れようとしても、花びらは執拗に追いかける。

 そしてそれぞれがスピーカーとなって、地面を揺らすほどの音の衝撃が奏でられた。


「頭が……!」

「さっきの仕返しだよ!」


 鳴り続ける轟音に、シルヴィアの足が止まる。ドラゴンと言うからには人間よりも五感が発達していると思っていたが、見事にビンゴだ。

 ヒトの姿をしている今はどうかというのが不安材料ではあったけど、わざわざアドバンテージをなくす必要もない。一瞬の判断が命取りになる戦場において、人間よりも優れた五感は手放すには惜しい。


 ついに緋色の桜がシルヴィアを捉え、その全身を切り刻む。畳みかけるように魔力砲撃を撃ち込むが、しかし。

 次に視界に収めたシルヴィアの体は、予想に反して傷が少ない。全身に輝く鱗のようなものが表出していて、それに防がれたのだと悟る。


「さすがドラゴン、硬いね」

「硬いだけじゃないんだから!」


 全身の鱗が、強く発光する。反射的に目を瞑ってしまい、一瞬視覚を奪われた。

 単純な目眩し。だがこれ以上ないほどに効果的だ。実力者同士の戦いにおいて、たった一瞬の隙があれば十分。


 気がつけば、シルヴィアは地上からいなくなっている。まさかと思い上空を見上げれば、そこには既に、術式構成を済ませて魔法陣を展開しているシルヴィアがいて。


天を堕とす無限の輝きパラダイスロスト!!」


 無数のか細い光が、絶大な威力を込めて撃ち出された。

 防護壁の展開は無意味。織と全く同じ技ということは、まともに受け止めようとしても簡単に貫かれてしまう。そもそも、桃が空中にいる時点でアウトだ。


 天を堕とす。

 まさにその言葉通りの力を持った光は、空中にいる敵に対して絶大な威力を発揮する。今まで織が使っていた時だって、彼は空を飛ぶ敵に対して、更にその上へ飛んで叩き落とすように使っていた。一瞬の概念干渉だ。


 おまけに彼女の背には燦々と輝く太陽が。輝龍の特性上、太陽の登っている時間帯は無敵と言っても過言ではない。


 対処法はない。ひたすら避け続けることしか出来ないが、ならばこの場で創ってしまえばいいだけのこと。


 降り注ぐ光の雨を巧みに躱しながら、桃は力を解放して詠唱を紡ぐ。


「我が名を以って名を下す! 其は混沌より産み落とされし大地の女神! 星の嘆きを怒りと変えろ!」


 地面が揺れて、大地が割れる。

 この世界のこの星にも、桃たちの世界と同じような地脈、魔力の通り道が張り巡らされている。それはこの世界に来た時に確認済みだ。

 そしてこの城は、地脈が一点に収束する場所に建てられていた。


 割れた大地からは地脈の魔力が噴出して、振るわれる魔女の腕に連動し、巨大な槍となって空高くを飛ぶシルヴィアへと襲いかかる。光の鏃は全てが弾き落とされて、さしもの龍神の娘でも予想外だったのか、目を丸くして驚いている。


 だが、その次の行動は早い。

 一転して今度はシルヴィアが上へ上へと逃げ、槍はどこまでも真っ直ぐに追いかける。大空を駆ける小さな影は、みるみる内に大きくなっていった。

 やがて槍よりも少し小さい程度、人と比べるとかなり巨大な姿へと変わり、光り輝くドラゴンが現れた。


『もうっ、こっちの姿になるつもりはなかったのに!』


 輝龍シルヴィア、本来の姿。

 人の姿に変わっていた時とは違う、制限された力が全て解放された状態。今の彼女は、龍神の娘としての力を惜しみなく使える。


『オーバーロード!!』

「……っ」


 更にその上で、まだなにか唱える。

 遠隔で槍を操る桃の背が、ゾワリと震える。神経を直接撫でられたかと錯覚するほど。


 シルヴィアの魔力は、彼女の巨体へ隈なく行き渡る。いやそれだけじゃない。

 あれは、魂に魔力を逆流させている?


『モモのお望み通り、これがこの世界の魔導師だけが使えるものよ!』

「まずっ……!」


 輝龍の体が、槍へ突っ込んでいく。

 激突は一瞬未満。瞬く間に地脈の魔力から生成した武器は破壊されて、そのまま低空を飛ぶ桃へと迫る。


 寸前で防護壁を展開したが、突っ込んできた輝龍の腕に容易く破壊され、桃の体は地面に落ちた。地割れが勝手に直っていたのは不幸中の幸いだ。地脈に生身で落ちてしまえば、いくら魔女といえどただじゃ済まなかった。


「……いいね」


 立ち上がり、口から血の混じった唾を吐き捨てる。

 それでもなお、魔女が浮かべるのは愉悦の笑み。好奇心と探究心の宿った、狂ったような表情。


「それ、わたしも使わせてもらおうかな」

『えっ、ダメよモモ! あなたたちの体じゃ……!』

「オーバーロード」


 静止の声なんて聞く耳持たず。

 魔女は、新たな領域へと踏み込む。



 ◆



「随分派手にやってるな」

「ルシアの次はお前らかよ……」


 すでに観戦を切り上げて執務室に戻った王太子に代わって、今度は枠外の存在である二人が凪の元へ現れた。


 アダム・グレイスとイブ・バレンタイン。

 あらゆる世界から拒絶された二人は、しばらくの間このドラグニア世界に滞在している。

 曰く、今まで訪れた世界と比べて、この世界の強度は格段に高いらしく。二人がいても五十年くらいは問題ないらしい。


 目の前の修練場は大地が裂けて光の雨が降り注ぎ、もはや地獄絵図といえる状態だ。

 頃合いを見て止めに入ろうと思っていた凪だが、もう諦めた。ここに割り込んだら普通に死ねる。


「ほう、地脈の魔力を直接操作しているのですね。魔女がこれほどまで腕の立つ人物だったとは」

「あの馬鹿に唯一勝てる可能性があるやつだ。これくらい出来て当然だろう」


 アダムがやけに桃のことを評価しているのは、十六年前にエルドラドの件で助けられたからか。

 実は凪があの時桃と接触を避けていたのは、なによりもアダムの件が大きかったのだが。まあ、そんなことは今どうでもいい。


「それで、止めなくてもいいのか? この調子だと、修練場の結界がいつまで持つか分からんぞ。城が壊れる」

「なんだ、お株が奪われそうで不安か?」

「馬鹿言ってる暇もないだろう」


 アダムが顎で示す先。戦場へと視線を戻してみれば、割れた大地から巨大な魔力の槍が出現していた。

 その余波で、修練場の結界が割れる。


 観客となっていた周囲の兵士たちが慌て始めるが、次の瞬間には修復、補強されていた。すぐそばにいるイブの仕業だ。


「結界なら私がいくらでも直しますよ。この戦いには興味がある」

「へぇ、あんたほどのやつがねぇ……」


 ジッと戦場を見据えるイブ。かたやアダムは、やれやれと言った様子でため息を吐いている。


 戦況は一進一退。どちらも致命打を与えられずに、互いの大技がぶつかったところだ。

 シルヴィアの技、パラダイスロストは織が使うもののオリジナル。当然その威力も折り紙付であるが、魔女が地脈から噴出させた魔力は、槍の形を持って光の雨を全て弾き、シルヴィアへ向けて突き進んでいた。


 更に上空へと逃げるシルヴィアは、その姿を本来のものへと変える。真正面からぶつかり、槍は粉々に砕け散った。


「オーバーロードを使ったのか。一気に決めるつもりだな」


 そのまま突っ込んで、魔女を地面に叩き落とした輝龍。


 魂から直接魔力を汲み取るこの世界の魔導師だけが使える、いわゆる奥の手。魂へと魔力を逆流させ、通常ではあり得ない力を手にすることのできる、時間制限付きのパワーアップ。それがオーバーロードだ。


 龍の巫女が使うドラゴニック・オーバーロードから派生した技術で、確立されたのは比較的最近。使える者も限られているが、その分効果は絶大。


 これは勝負アリだ。

 いくら魔女がとてつもない力を持っていたとしても、オーバーロードを使った龍神の娘は、更にその上を行く。

 ここから魔女が勝つ可能性は、万に一つもありはしない。


 地べたに腰を下ろしていた凪は立ち上がり、ボロボロで帰ってくるだろう魔女の介抱の準備をしようとして。


 新たな可能性が、一つ開いた。


「あいつまさかっ……! おいやめろ桃! 死にたいのか!」


 瞳を橙色に輝かせた凪は、戦場で狂気じみた愉悦の笑みを浮かべる魔女へと叫ぶが、聞こえている様子がない。いや、聞こえていたとしても、彼女は無視していたことだろう。


 桃の全身に巡る魔力は、むしろ反対に少しずつその反応を消している。

 魂へ魔力を逆流させる。すなわち、オーバーロードを使おうとしているのだ。


 凪や桃の世界でも、魂と魔力は密接に関係している。しかし魂の在り方がこの世界の住人とは違うし、当然ながらその扱い方にも差は出てくる。

 オーバーロードは、この世界の魔導師特有の技術。桃では使えない。むしろ魂に魔力を逆流させてしまえば、体が内側から破裂する恐れもある。


 彼女は息子の大事な友人。こんなところで死なせるわけにはいかない。言って聞かないのなら、力尽くで止めるまで。

 腰のホルスターから愛銃を抜き、一歩踏み出そうとすれば。

 足を何かに取られて思いっきり転けた。

 顔から地面に突っ込んだせいでめちゃくちゃ痛いし、側から見たらすごく間抜けだ。


「いってぇ……なんで止めるんだよイブ!」


 足に絡みついていたのは鎖。となれば犯人は一人しかおらず。


「言ったはずですよ、凪。私は、この戦いの結末に興味がある」

「だからってあれは!」

「桃瀬桃なら問題ない、彼女は特別だ」


 イブが告げるのと同時。

 ザァァ!!! と、夥しい数の緋色の桜が現出した。それは広い修練場全体を包み込み、淡く、それでいて力強く輝いている。


「なるほど、これはいいね。魔力の質と量を強制的に引き上げるだけじゃなくて、身体能力や五感に神経系まで、全部強化される」

『ま、まさか本当に成功させてしまうだなんて……』


 上空で絶句しているシルヴィア。凪はもう開いた口が塞がらなかった。

 どうして織の周りにいるやつらは、こうも簡単に新たな可能性を作ってしまうのか。これでは千里眼も意味がなくなってしまう。


「とりあえず、自慢の一発をいってみようか!」

『っ……! させない!』


 桃の手元に、修練場を覆っていた桜の花びらが全て収束する。弦のない和弓と矢が、再び握られた。

 ゆっくりと矢を番えている魔女へ向けて、上空の輝龍が砲撃を放つ。


 オーバーロード状態にあるシルヴィアの一撃は、空に輝く太陽の光を吸収して、空気を切り裂き時空間すら歪める勢いで地上に落とされる。


 正真正銘本気の一撃。

 龍神の血を引くものだけに許された、絶対的な破壊。

 イブの結界がなければ、凪を含めた観衆も巻き添えを喰らっていたに違いない。シルヴィア本人もそこまでの威力で撃つつもりはなかっただろう。


 裏を返せば、シルヴィアにそうさせるだけのものが、今の魔女にはある。


 魔女の小さな体は、予想外にも容易く砲撃に飲み込まれた。

 衝撃が結界を揺らす。

 枠外の存在が張っているはずなのに、そのイブに苦しそうな表情すら浮かべさせて。


 そして。

 光が晴れた先には、焼け落ちた桜の花びらが。その向こう側に、笑みを浮かべた魔女がいる。


「ごめんね、シルヴィアちゃん。わたし、一人で戦ってるわけじゃないんだ」

『嘘……』

「緋桜一閃」


 力一杯引き絞られる弓。

 魔女が持てる限り全ての魔力が、その一点へ収束していき。


 次の瞬間、全てが消えた。


「時間切れ、ですね」


 イブが呟けば、魔女のドレスが桜の花びらとなって散って解け、その体がゆっくり地面に倒れていく。

 一瞬前までの緊張感は霧散して、ハッと我に帰った凪は倒れた桃の元へ駆け寄る。


「おい桃! 大丈夫かおい!」


 抱え起こせば、薄い胸元は上下して呼吸はしているようだ。とりあえず最悪の可能性は避けたのだと安堵する。

 しかし瞼は閉じてしまい、意識を取り戻す様子はない。


『いきなりオーバーロードを使ったからね。モモの意思とは反して、魂の側が勝手にセーフティをかけたのよ』


 地上に降りてきた輝龍は、申し訳なさそうに首を下げている。

 自分がオーバーロードを使わなければ、とでも思っているのだろうが、それは間違いだ。


「シルヴィアが使わなくても、こいつはそのうち勝手に使ってたさ。むしろ、俺たちの目が届くところでこうなったことを幸いと見るべきだよ」

『ならいいのだけれど……』


 城の方からシルヴィアのパートナー、ダンテが替えの服を持ってきたのを見て、ドラゴンは人の姿に戻る。

 すぐに着替えたシルヴィアは、桃の体を軽々しく抱き上げた。


「医務室に連れて行くわ。外傷はなくても、体の中はボロボロになっていると思うから」

「悪い、頼む」

「友達のためだもの、これくらいは当然よ」


 去っていくシルヴィアの背を見つめながら、どうしたものかと思案する。


 これで彼女には、この世界に住む理由がひとつ増えてしまった。

 その件に関して、凪はあまり賛成したくはない。最終的に決めるのは桃自身なのだとしても、彼女はあまりにも周囲の人間のことを考えていなさすぎる。


 桃が本当にこの世界に住むことになったとして、織や愛美たちは、どう思うのか。

 そこから目を逸らしている限り。この世界に移住したとしても、魔女が未来を見れることはないだろう。



 ◆



「おはよう、桃。気分はどうだ?」


 目が覚めると、知らない部屋の中に友人の姿が。鼻につく薬品の匂いで、ここが医務室なのだとは分かる。

 しかし、どうして指揮がここにいるのか。起き抜けの頭では、意識を失う前の記憶もあやふやだ。


「お前、また無茶したんだって? 父さんに聞いたぞ」

「あー、そうだっけ……」


 たしか、オーバーロードをぶっつけ本番で使ってみて、魔術を撃つ前に倒れたんだったか。いやはや情けない。こんなザマでは魔女の名前が泣いている。


 しかし、問題点は粗方把握できた。あとはそれを改善して、より自分にフィットするように作り替えていくだけ。


「ところで、織くんだけ? こういう時って普通、愛しの親友様がいてくれるものだと思うんだけど」

「それか緋桜さんか?」

「……随分と憎たらしいことを言うようになったね。昔とは大違い」

「男子三日会わざれば、ってやつだ。初めて会ってから一年経ってるんだぞ」


 実際、目の前で面白そうに笑う探偵の卵は、とても頼もしくなった。それは桃だけでなく、愛美や朱音も同じように思っているだろう。実力的な意味ももちろんあるけど、それよりなにより、織は精神的にとても成長している。


 それはそれとして、どうしてここに織がいるのか。視線で尋ねれば、ため息がひとつ。


「いい加減帰りが遅いから、迎えにきた。ていうか、父さんに回収しろって呼ばれた」

「回収って……人を物みたいに」

「父さんも、桃のこと心配してたぞ」


 凪には悪いことをした。この世界に連れてきてくれたのは凪だけど、まさかこんなことになるなんて、彼の千里眼でも視えていなかっただろう。


 当然だ。

 オーバーロードは本来、桃たちの世界に住む魔術師には使えない技。それを桃が無理矢理にでも使ってみせたのは、土壇場で自らの魂にオーバーロード可能となる機能を創ったから。

 つまり、可能性をひとつ新たに作り上げた。


「愛美ちゃんは来てくれなかったんだ。いい加減愛想つかしちゃったかな」

「愛美がお前に愛想つかすわけないだろ。むしろ逆だよ」

「逆?」

「今迎えに行ったらなに言っちゃうか分からないから、ってさ。今頃向こうで、作り置きしてきた晩飯でも食ってんじゃねえかな」

「そっか……」


 きっと、桃がなにを言わずとも、愛美は全部察してくれているのだろう。

 あの旧世界で、それだけ濃い時間を、彼女とは過ごしたから。魔女と呼ばれた自分の、唯一の親友だから。


 きっと、彼女と向かい合わないことには、この世界に移り住んだとしても意味がない。残すことになる親友のことが気掛かりになってしまうだけ。

 なら今の桃にそれができるかと聞かれれば、首を横に振ってしまう。

 理由は自分でもよく分からないけど。


「とりあえず、体が大丈夫なら帰るぞ。あんま長いこと学校も休んでられないだろ」

「まあ、それもそうだね……文化祭の準備もあるし」

「土曜には昨日言ってた仕事もあるからな。そっちも頼むぜ」

「もちろん」


 笑み混じりにそう返したのだが、織はそんな桃の表情を見てなにか言いたげだ。視線でどうしたのかと問うと、躊躇いがちに口が開かれた。


「なあ桃。お前は、復讐の先にある未来を、ちゃんと見れてるか?」


 すぐに言葉を返せなかった。適当に混ぜっ返して誤魔化して、その場凌ぎの言葉で曖昧に笑えばよかったのに。

 そうできなかったこと自体が、ひとつの答えになってしまっている。


「……見るくらいなら、できてるんだけどね。今のわたしは、ちゃんとそれを望めているのか分かんないや」


 やがて口から漏れたのは、弱々しい本音。

 正直に言えたのは、織だからだろうか。これが愛美や緋桜相手なら、こうはいかなかったと思う。


 本当に伝えたい相手にこそ、なにも言えなくなるのだから。

 我ながら、面倒な女だ。

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