第18話
昨日のことはなるべく考えないようにしながら、桃は今日も寝ぼけ眼を擦って登校する。昔のことを思えばあり得ないことだ。まさか自分が、こんな時間に起きてるなんて。
旧世界で暮らしていた時なら、確実にこの時間は寝てたし、昼過ぎになってようやく愛美に起こされる。
思いっきり欠伸しながら教室に入ると、珍しいことに、先に登校していた愛美と可愛らしく欠伸を噛み殺していた。
「おはよ、愛美ちゃん。珍しく眠そうだね」
「おはよう。昨日ちょっとね」
「あ、もしかして昨晩はお楽しみでした?」
「違う」
まあ、それもそうか。今あの事務所には、織と愛美の二人だけでなく朱音も住んでるのだから。そう簡単に二人きりでイチャイチャできないだろう。
「仕事よ、仕事。織からは寝とけって言われたんだけど、そんなこと言われたら意地でもついて行きたくなるじゃない」
「そのお陰で寝不足、と。生徒会長様が朝から情けないね」
「毎日寝不足で登校時間ギリギリの副会長に言われたくないわよ」
チラリと時計を見てみると、朝礼開始まで5分を切っていた。大人しく自分の席に座って、暫くしてから担任が教室に入ってくる。朝礼が始まっていくつか連絡事項を伝えられ、今日はそれだけで終了。今後は文化祭も近づいてくるから、この時間を利用して生徒会長から諸々の説明なんかを挟んだりもするだろう。
まあ、愛美は基本的にその辺りを、学級委員に任せている節はあるけど。
曰く、自分は生徒会長だが、このクラスの代表は学級委員なのだから、そちらに任せるのが筋、だそうだ。
とても我が親友らしくて、つい笑みが漏れてしまう。
隣の席から怪訝な視線が飛んできたが、それに構わず次の授業の準備。
「あ、そうだ。愛美ちゃん、今日事務所お邪魔するね」
「いいけど、なにかあったの?」
「ちょっと頼みごとがね」
言葉濁す桃。ここでは話せないことだと察してくれたのか、愛美は頷きを一つ返すだけ。さすが親友、多分こちらの頼みごともある程度理解してくれてるだろう。
「そう言うわけだから、今日はわたし生徒会休むよ」
「仕方ないわね。葵たちには私から言っておくわ。シルヴィアによろしく伝えておいて」
「りょーかい」
「ねえねえ桐原さん! ちょっといい?」
と、話がひと段落すれば、クラスメイトの女子生徒が数名、愛美の席に集まってきた。彼女らはクラスの中でも、特に愛美や桃と仲良くしている子たちだ。休日に遊ぶこともあるし、友達と言っても差し支えない程には。
「この前、会長がイケメンと歩いてるとこを見た、って子がいたんだけど」
「もしかして愛美、ついに彼氏できたのか⁉︎」
「ふふっ、どうかしらね。ご想像にお任せするわ」
「勿体ぶってないで教えてよー!」
どうやら、織と愛美が一緒にいるところを目撃されたらしい。
実際は彼氏どころか旦那と言っても過言ではないのだが、まさか素直にそう言うわけにもいくまい。愛美は微笑んで曖昧に濁しているが、クラスメイトたちの追求は止まらない。
どこの学校に通ってるのか、同い年なのか、いつから付き合ってるのか、どこで出会ったのか。
などなど、マシンガンのように降り注ぐ質問の嵐。さしもの愛美も困ったような顔をしている。
「はいはい、そこまでそこまで」
「愛美さん困ってるでしょ。いい加減にしときなよ」
見兼ねて間に入ってきたのは、同じくクラスメイトの花蓮と英玲奈だ。この二人は愛美との繋がりを通して、旧世界の記憶を取り戻している。だから織と愛美の関係はおろか、朱音のことも知っているから、これ以上追求されるのは愛美が対応に困るだけだと分かってくれているのだろう。
質問攻めしてきたクラスメイトたちとはたしかに仲がいいけど、この二人とはそれ以上に仲良し。
この高校に入った時、記憶を取り戻すよりもずっと前から。
「ありがとう、二人とも。あれ以上追求されてたら記憶消してるとこだったわ」
「さらっと怖いこと言うなし!」
「実はうちらも記憶消されてたりして……」
「ちょっと花蓮!」
二人がクラスメイトたちを追い払ってくれたお陰で、愛美は困ったように眉を寄せながらも微笑んでみせる。花蓮と英玲奈のじゃれあいには、可笑しそうに笑っていた。
それを側から眺めていた桃は、なんだか感慨深いものを感じてしまう。
殺人姫として生きてきた彼女を知っているからだろうか。こうやって、普通の女子高生みたいに。恋バナに花を咲かせ、友人達と笑い合う。
親友がそんな日常を送っている。それが、我が事のように嬉しい。
なんて、そんな風に思ってしまうから、わたしはその日常とやらに馴染めないんだろうけど。
ふっと漏らした自嘲の笑みを、目敏く見つけたのだろう。愛美の視線が、一瞬こちらに向く。
首を横に振って、なんでもないと伝えた。
本当に、これくらいは、なんでもないのだから。
◆
今日も恙無く授業は終了。
正直、桃からすればどれもこれも知っている知識ばかりなのだが、詰まらないということはない。記憶を取り戻した今、他人から教わるというのも中々に面白い体験だ。
一方で愛美は、体育の授業に手を焼いているようだったけど。上手く手加減できない、とかなんとか言ってた。
今日の体育はソフトボールだったのだが、とんでもない弾丸ライナーがサードを守ってた桃に強襲したし。咄嗟だったから魔力使っちゃったし。てか使わないと捕れなかった。おまけにみんなポカンとしてた。花蓮と英玲奈はオロオロと慌ててたけど。
あれ、わたしだったから良かったものの、他の子たちなら死んでたんじゃないかな……。
未だ親友には少しの不安が残りつつも、しかし高校生活を謳歌してくれているようでなにより。
生徒会の仕事を任せてしまって申し訳ないけど、残念ながら今の桃は、愛美たちのように普通の日常を楽しめそうにないから。
「お邪魔しまーす」
「だから! なんであいつらまで巻き込むんだって聞いてんだよ! 俺らだけで十分だろうが!」
学校から直接足を運んだ桐生探偵事務所。
その扉を開けると、中から所長の怒号が飛んできた。織はスマホを耳に当てて、電話先の相手に怒鳴り散らしている。
なにごとかと事務所内を見回せば、ソファの上には既に先客が。
「おう桃、お前も来たんか」
「魔女殿も、Mr.桐生に呼ばれたのか?」
安倍晴樹とアイザック・クリフォード。
桃と同じ市立高校に通い、去年は同じクラスだった男子生徒二人。そして、旧世界の記憶を持っている魔術師でもある。
桃や緋桜なんかと同じく、織たちに協力して街に出た魔物の駆除なんかもしてくれていたはずだ。
旧世界でも、同じ日本支部に所属していたし織の友人でもあるから、面識くらいはあった。
「いや、わたしは呼ばれたわけじゃないんだけど……あれ、どうしたの?」
「なんや依頼の仲介人と揉めとるらしいわ。政府の人間やって言うとったけどな」
「あー、小鳥遊の知り合いの転生者だね」
「どうやらこの様子だと、また厄介な依頼らしい。俺たちが来た時からずっと言い争っているのだよ」
肩を竦めるアイクは、ソファから立ち上がって桃の席を開けた。さすがは英国紳士、レディの扱いがなっている。どこぞのチャラい大学生とは大違いだ。
アイクはそのまま勝手に事務所の電気ケトルを使って、紅茶を淹れ始めた。織は未だに言い争っていて、それを眺める晴樹は退屈そうだ。
「二人は何しにきたの?」
「定期報告と今後の対策やな。思ったより魔物の数が多いのは、桃かて分かっとるやろ」
「旧世界に比べれば少ないが、それでも想定していたよりは多いのだよ。魔女殿にとっては小さな違いでしかないと思うが」
「いや、そんなことないよ。さすがのわたしも、学生と魔術師で二足の草鞋はちょっとキツいしね」
なにせ平日の昼間は殆ど身動きが取れない。本気でヤバい相手が出てくれば、例え学校にいても放ったらかして出撃するのだけど。出てくる魔物は、大して強くはないやつばかり。数が多いだけで、普通の魔術師である晴樹やアイクでも対応できるレベルだ。
そのことについての相談に来た、というわけか。確かに今は、魔術絡みの話なら取り敢えずこの事務所に持ってくるのが正解だろう。
紅茶を淹れてくれたカップをアイクから受け取り、ありがとうと礼を言えば恭しく頭を下げられた。さすが英国紳士、レディの扱いがなっている。どっかのチャラい大学生とは大違いだ。
これでアイクも、桐原愛美狂信者じゃなければとてもモテてたんだろうけど……なんで身内の男は変なのしかいないのかな……。
「はぁ……悪いお前ら、待たせたな」
やがて話がついたのか、電話を切った織がこちらに顔を向ける。桃が入ってきたことには気づいていなかったのか、顔を見て少し驚いたように目を丸めた。
「ほんまに待ったわ。どんだけ客を待たせんねん」
「サイトのレビューに星1つけて、めちゃくちゃ批判コメントしてあげようか迷ったよ」
「いやどこのサイトだよ……」
疲れたように突っ込む織は、実際少し疲れているのだろう。表情からは隠しきれない疲労とか、苛立ちとかが滲んでいる。
「にしても、珍しい組み合わせだな」
鼻根を指で押さえながら、織は比較的穏やかな声音でそんなことを言った。
まあ、この新世界のことをあまり知らない織からすると、そう見えるものなのか。
「魔女殿とは、去年同じクラスだったのだよ。他との繋がりもある故、それなりに仲良くしてもらっていたのだ」
アイクの言う他との繋がりとは、晴樹の従姉妹で婚約者である明子と、桃と愛美の可愛い後輩黒霧葵の従姉妹、というか妹の翠が友人であることを言っている。
かなり遠いところではあるが、たしかに仲良くなったのはそこの繋がりからだ。
「それに今日はたまたまだしね。愛美ちゃんなら生徒会で遅くなると思うよ」
「知ってる、さっきLINEあった。で、それぞれ何の用だ?」
尋ねられ、晴樹たちに視線でお先にどうぞと促す。魔物云々の話は、桃だって耳に入れておきたいから。
「定期報告や。思ったよりも魔物の数が多くてな。手こずっとるわけやないけど、思っとったよりはおる」
「ほぼ連日、どこかで魔物が現れている。昨日も放課後に一体倒してきたばかりだ」
「あ、わたしも。ただの小鬼だったけど、タイミングはちょっとギリギリだったかな。通りすがりだったし、あの道通ってなかったら人を襲ってたかも」
「なるほど……もう既に街の内部にいるなら、結界を張っても意味ないしな……一回大掃除した方がいいか……?」
「うーん、それはあんまりオススメしないかな。後処理が大変そうだし」
「せやな。こっちがデカい動き見せたら、あいつらかて黙ってやられんやろ。それこそ他の人らが巻き込まれるで」
「休日は俺たちも、出来る限り街を巡回しよう。まだ魔物になっていない純粋な魔力の塊なら、我々の腕でも魔導収束で対応できる」
ひとまずは、アイクの案がベターな策か。
対処療法でしかないけど、魔物の発生源を事前に潰すことは必要だ。
街全体に魔導収束を使えれば、話は早いのだろうけど。そうなると、対象が無差別になってしまう。仲間たちの魔力すらも吸収してしまうから、いざと言う時に動けなくなる。
小鳥遊蒼ならあるいは、と言ったところだけど、彼はもういない。現状魔導収束を最も使いこなせるのは織か朱音で、その二人であっても不可能。
幻想魔眼を使えば済む話だが、それだってさっきと同じ反論を返される。
その後に何かあった時、魔眼の力が必要になった時に使えなかったら。
あまり先のことを考えすぎるのもよくないとは思うのだが、
「んじゃまあ、取り敢えずはいつも以上に気合入れてくれってことで」
「雑な指示だなぁ」
「桐生やからしゃーないわ」
「おいどう言うことだ」
「俺には伝わったぞ、Mr.桐生! つまりは我々の力を信じてくれているということだな!」
「ああもう! 耳元でデカい声出すなていっつも言うとるやろが!」
「お前も十分声でけえよ、晴樹」
ギャースカ騒ぐ三人。仲良いなぁ、と少し微笑ましい気持ちになる。
「で、桃はどうしたんだ?」
「あー、わたしは後でいいよ。それより、織くんはさっきの電話、なんだったの?」
尋ねてみれば、疲れたようなため息が。
そんなに面倒な案件だったのだろうか。政府のお偉方から直々にということは、それなりに大きな仕事なのは確かだろうけど。
「要人護衛の依頼が入ったんだ。今週の土曜日、豪華客船に乗るどっかの外国のお偉いさんの、暗殺計画を掴んだらしい」
「へー、そんな漫画みたいなこと、この世界でもあるんだね」
「残念ながらな。で、向こうからメンバーの指名が入った」
小鳥遊蒼の知り合いというからには、織の仲間たちを全員把握しているだろう。殺人姫に魔女、半吸血鬼や聖剣の担い手まで。その一人一人が、一個師団レベルの力を個人で所有している。
はてさて、誰が指名されたのかと思っていれば、織がじーっとこちらを見つめる。
「え、わたし?」
自分を指差しキョトンと首を傾げれば、重苦しい頷きがひとつ。
自分のデスクに腰掛けている友人は、嫌で嫌で仕方ないと言った顔だ。
「俺と愛美、それから桃と緋桜さんで来てくれってさ。意味わかんねえ人選だよな」
いや、人選的にはおかしな点があるわけじゃない。その四人なら、全体的にバランスも取れている。後方支援が主な織に、室内でも十分戦える愛美、緋桜は隠密もできるし、真正面の火力なら桃の出番だ。
そういう面で見れば、依頼の仲介人をしている転生者の判断は正しい。
正しいのだけど、桃の個人的な感情で言えば、なぜこのタイミングで緋桜と一緒にされるのかと。
まあ、所詮は個人の感情。些事にすぎない。わざわざ魔女を指名したのだから、それなりの脅威があるはず。
「うん、分かった。わたしは別にいいよ」
「いや、でもな……俺と愛美はともかくとして、お前と緋桜さんまで巻き込むってのは……」
「なんで?」
「なんでって……」
あまりにも素で返してしまったからか、織は返答に窮している。
繰り返すようだが、向こうはわざわざ桃を指名した。それだけでなく緋桜や愛美まで。なにかあるのでは、と疑う方が普通だ。
やがてガリガリと頭を掻いた織は、本日何度目かのため息を落としてから口を開いた。
「お前も緋桜さんも、ようやく普通の暮らしを手に入れたんだぞ? 街に出てくる魔物を駆除するのとは、またわけが違うんだ。日常の延長にあるものじゃない、明らかにそのレールから外れる」
「でも桐原は巻き込むんやな」
「そりゃまあ、あいつは特別だからな」
晴樹からのヤジみたいな言葉に、織はどこか誇らしげに答えた。
桐生織にとっての、桐原愛美。
ただ愛する人というだけではなく、彼にとって彼女は必要な存在なのだ。いつ何時も、互いに支え合わなければならない。
だから、特別。
巻き込んでもいいと思えるくらいの相手。
ほんの少し、羨ましい。
そんな感情は頭の中から追い出して、桃は困ったような笑みを作った。
「わたしがなんて言われてるのか、織くんが知らないわけないでしょ? 魔女に普通の暮らしは無理だよ」
「いや、でもな……」
「それより、次はわたしの話聞いてよ。それ手伝うから、お礼にちょっと連れて行ってもらいたいところがあるんだよね」
無理矢理話を逸らして、こちらの用件を口早に伝える。
それ以上何か言うのは諦めたのか、あるいは呆れられたのか。織はこちらの話を聞く態勢になった。
それでいい。魔女に普通の暮らしは無理だ。そんなこと、わたしじゃなくても分かってるはず。織だって、愛美だって、緋桜だって。
欲しいと思ったのは事実だけど、自分自身と世界との温度差に、桃は耐えきれないから。
だから諦めた。
「連れて行って欲しいって、もしかしてドラグニアか?」
「うん、有澄ちゃんの異世界。連れて行ってくれるって、この前言ってたよね? 今から連れて行って欲しいんだ」
「別にいいけど、随分急だな。俺は土曜の準備しないとだし」
「織くんは扉開くだけでもいいよ?」
「いや、そういうわけにもいかないんだよ」
曰く、異世界に行くのなら幻想魔眼の保持者が連れ添わないといけないらしい。
アダムやイブ、蒼のような枠外の存在がいてくれれば、そんなことはないのだが。こちらから向こうに出向くとなると、幻想魔眼が基準点となって扉を潜ることができる。
あの鍵のような魔導具があれば、誰でも勝手に異世界へ行けるわけではないらしい。
「朱音もまだ帰ってきてないし……てなると、後一人しかいないんだよなぁ……」
「あれ、もう一人いたっけ?」
たしか魔眼はこの時代での保持者である織と、未来の時代での保持者である朱音だけだったはず。
もう一人いるなんて話は聞いていないのだけど、果たして誰のことを言っているのか。
「なあ桃。お前たしか、俺の父さんのこと知ってたよな?」
「知ってるのは知ってるよ。会ったことはないけどね」
「なら話は早いな。俺の父さん、桐生凪も幻想魔眼の保持者だ。悪いんだけど、そこを頼ってくれ」
なんだか、意外な展開になってきた。
本来なら灰色の吸血鬼打倒のために、旧世界で協力を仰ぐ予定だった探偵。
今となってはどの様な人物か気になるし、織の言う通りにしてみるか。
◆
桃が事務所を出て行ってから、織は残った友人二人に胡乱げな視線を向けた。
「んで、お前らはいつまでいるつもりだよ」
「なんやつれんこと言うなや」
「そうだともMr.桐生。俺と君の仲じゃないか」
報告も受けたし今後についても打ち合わせたと言うのに、晴樹とアイクの二人は、未だに来客用のソファで寛いでいる。
いやまあ、別にいいんだけどさ。やることないのにこんなところいるとか、暇なの?
「にしても異世界か。俺も一度行ってみたいものだな」
「こっちの仕事終わったら、いくらでも連れてってやるぞ。今はレコードレスも必要ないしな」
「龍の世界やろ? こっちでドラゴン言うたら、ただの魔物やからな。俺も気になるっちゃ気になるわ」
「向こうのドラゴンは凄いんだぞ」
「うむ、俺も旧世界の最後の時、一度だけ見たことがある」
「ああ、あの光っとったやつか」
確実にシルヴィアのことだ。旧世界での最後の戦いの時、アイクと晴樹はイギリスにいたし、たしかシルヴィアもイギリスで加勢してくれていたはずだ。
我が友人のことが誇らしくなって、織はまるで我が事の様に鼻が高くなる。
「あいつ、俺の友達だからな」
「なんでお前が自慢げやねん」
「友のことを誇るのは当然のことだろう!」
「だからいきなり叫ぶな言うとるやろ!」
拷問が好きなぼっちの宮廷魔導師だが、自慢の友人であることには違いない。
いや、別に拷問が好きってわけじゃないんだっけか。まあ似た様なもんだし別にいいか。織は考えるのをやめた。
「ただいまー」
「お、お邪魔します」
引き続き三人でくだらない話をしていると、朱音が帰ってきた。その背中には、恐る恐る事務所に足を踏み入れる、小動物チックなメガネのお姉さんが。
スーツを着こなす彼女は、織も知っている女性だ。
「アンナさん?」
「あ、お久しぶりですみなさん! よかった、覚えてくれてた……」
豊かな胸を撫で下ろすのは、旧世界で知り合った魔術師の一人。
織と愛美にかけられた首席議会暗殺の容疑を元に、本部から日本支部に監査として派遣されたアンナ・キャンベルだ。
この様子だと、彼女も愛美との繋がりを通して、記憶を取り戻したらしい。
「おお、Ms.キャンベル!」
「随分久しぶりやなぁ。なんでこんなとこおんねん」
「おい、こんなとこってなんだ」
「いちいち突っかかってくんなや」
晴樹の言う通り、いちいち文句を言っていたら話が先に進まない。三人揃って視線を戻すと、朱音が説明してくれた。
「アンナさん、うちの中学の先生になったんだよ!」
「ああ、桐生らが倒した転生者の代わりやな」
「どるなるかと思っていたが、辻褄が合うように動くものなのだな。しかし、我々の知り合いが異動してくるというのも、奇妙な縁を感じる」
「あー、それ多分あれだ、アイク。俺と朱音がこの世界作ったから、世界の中心点はここなんだよ。だから、不自然に空いた穴を埋めるのは、俺たちに近い人が選ばれるんだと思う」
なにはともあれ、アンナともこうして再会できてよかった。最後の戦いでも無事かどうか心配だったのだ。
なにせ彼女、蒼にかなり信頼されて、それが高じてこき使われていたようだし。
「もうちょい早くきてたら、桃にも会えたんだけどな」
「魔女もこの街にいるんですか?」
「殺人姫も吸血鬼も、だいたい全員揃ってるぜ」
戯けたように言えば、アンナの顔から笑みが漏れる。どうやら緊張は解れてくれたらしい。
「アンナ先生は天文部の顧問にもなってくれたんだよ!」
「はい、なのでこれから、みなさんとは関わることも多いと思います」
「そっか。うちの娘のこと、よろしく頼むよ」
「ついでに俺の従姉妹もな。じゃじゃ馬が変なことせんよう、見張っといてくれや」
「ええ、もちろん! 教師としての職務は、しっかり全うします!」
キリッとした表情で言うその姿は、完全に出来る女だ。しかし彼女の小動物じみた、庇護欲を掻き立てる可愛らしい姿も知っている身からすれば、どこか微笑ましく見えてしまう。
「そう言えば、魔女といえば」
「魔女殿がどうかしたのですか?」
丁寧な口調でアイクが聞けば、アンナは少し言い淀む。しかし意を決したのか、大丈夫だとは思うんですけど、と前置きして話し始めた。
「私は旧世界で、学院本部の監査委員でした。それはみなさんも知ってますよね」
「うむ、俺の家はキャンベル家とも交流があったからな」
「そもそも、知り合った経緯があれやしな」
「監査といえ仕事の都合上、彼女のこともよく耳にしていたんです」
魔女。
旧世界での魔術界隈において、その名は敬意と畏怖を以って呼ばれるものだった。
学院側からすれば、核爆弾を抱えているようなものだ。魔女一人で各方面への抑止力になるが、一方で暴走してしまえば手のつけようがない。
人類最強のように、自由奔放というわけではないのが唯一の救い。その目的が分かっているから、まだ御しやすいと判断していた。
「彼女の印象は、どうにも生き急いでいるというものでした。200年生きているのに、そんな印象を持ったんです」
「桃さんの目的を考えたら、当然だと思いますが」
灰色の吸血鬼への復讐。
同じ目的を持っていた朱音がそう言うのだ。特に愛美と出会う前の桃は、その傾向が顕著だったのかもしれない。
しかし、それは復讐という目的を持っていたからだ。
「今の世界で、そういう心配はいらないんじゃないか? もうあいつは、普通の暮らしを送れるわけだからさ」
「いえ、そうではなくて……200年を復讐に費やした彼女が、その目的を失ったら。新たな目的、生きる糧を失ったら。そう考えると、少し心配になってしまって……」
目から鱗、とはこのことか。
全く考えていなかった。桃は、ある意味で目的を達成できなかったのだ。蘇ってからの彼女が、結局何のために戦っていたのかは知らないが。
復讐という目的は、成し遂げることができなかった。
そんな彼女が。200年の人生を復讐に費やし、志半ばで死んでしまった彼女が、果たしてこの世界になにを思うのか。
今送っている普通の生活とやらを、素直に享受できるのか。
「完全に言葉をミスったな……」
舌打ちをひとつ。友人のことを慮ることができなかった自分に、心底腹が立つ。
巻き込みたくないと言った織に、なぜかと純粋な問いを投げてきた桃。その意味が今になって理解できた。
しかし、そうなると先程の桃の話も、違った角度で見えてくる。
あいつは、ドラグニアでなにをしようとしている?
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