第16話

「あ、おい織! テメェ未来視使っただろ!」

「勝てればいいんだよ勝てれば! 悔しかったらカゲロウも異能使ってもいいんだぞ? そしたら俺は魔眼使うだけだけどな!」

「こいつ……! 絶対吠え面かかしてやる!」

「たかがババ抜きでムキにならないの」


 手元に並べていた三枚のカード。そのうちの一枚を適当に取った愛美が、自分の手札を全て捨てた。これで残されたのは織とカゲロウだけだ。未来視で確定させていたはずなのに、ドベの可能性が見えてきた。


「俺未来視使ったのに!」

「固定された事象は異能とか魔術で干渉しやすいのよ」

「知らなかった……」

「学院で習ったはずだけど?」


 最初は桃と葵も参加していたババ抜き。二人はちゃちゃっと上がってしまったため、三位になった愛美はどこか不満そうだ。桃に負けたのが納得できないのだろう。


 残された男二人は、真剣な表情で互いの手札を睨んでいる。意を決したカゲロウが、織の手札へ腕を伸ばす。

 そこには何の迷いもなく、まるで今から取るカードがジョーカーか否かを分かっているように。


 いや、ようにではない。事実カゲロウは、織の手元に残された二枚のカードの情報を、閲覧済みなのだから。


「よっしゃ、オレの勝ちー!」

「んがぁぁぁ! 情報視るのは反則だろ!」

「異能使えって言ったのは織だろうが。そっちだって魔眼使おうとしたくせによく言うぜ」

「いや待てよ……? まさか葵がやたら早く一位で抜けたのも……」

「そんなことより織さん! 朱音ちゃんどこ言ったんでしょうね!」


 大きな声で話を逸らして誤魔化す葵だが、それがなによりの答えになっていた。いやまあ、別にいいんだけどさ。終わったことだし。異能使ったのはみんなそうだし。


 さて、そろそろ夜も更けてきて、現在時刻は21時過ぎ。健全な高校生たちが眠るような時間ではなく、一同は食事を終えた後に和室の大広間へ移動して、それぞれ適当に寛いでいた。

 織たちのようにトランプに興じたり、蓮と緋桜はチェスをしていたり。


 しかしいつの間にか、娘の姿が見えなくなっていたのだ。サーニャが探しに行ってくれたのだが、翠は心配しすぎているのか、さっきからオロオロと落ち着きがない。


「本当にどこへ行ったのでしょうか……まさか、また一人で……」

「少し落ち着け、翠。かつてのルーサーならいざ知らず、今の桐生朱音にそのような心配はいらんだろう」


 元の姿に戻って酒を呷るグレイが、己の娘である翠を宥める。

 なんて話をしていたら、部屋の扉が開いて朱音とサーニャが入ってきた。


「朱音、どこへ行っていたのですか」

「ごめんごめん、ちょっと外の空気吸いたくなってさ」


 すぐに駆け寄る翠。たはは、と誤魔化し笑いを見せる朱音だが、目元が少し赤くなっていた。

 それに翠も気付いたのだろう。なにかを言いかけて、やめる。朱音とサーニャ、二人の間でなにかしらのやり取りがあって、恐らくはそこで全部吐き出したのだろうから。

 聞かれたところで、朱音も返答に困ってしまうだろう。


 親である自分ではなく、サーニャの前で。そのことに思うところがないわけではないが、朱音がサーニャのことを慕っているのはよく知っている。

 未来でのこともあるから、あの二人にしか共有できない、あるいはサーニャにしか吐き出せない感情もあっただろう。

 織は出来る父親なので、無理に聞き出そうとは思わない。


「さて。全員揃ったことだし、ちょっと話してもいいか?」


 朱音が愛美のすぐ近くに座り、サーニャも畳の上に腰を下ろしグレイから酒を注がれているのを見てから、織は立ち上がって切り出した。


 あの戦いの日から今日まで、この場の全員が揃うことは一度もなかった。しかし、全員と共有しておきたい話がいくつかある。


「もしかして、赤き龍について?」


 桃の言葉に首肯を返せば、彼女はうんざりしたようにため息をこぼした。

 よくよく考えれば、魔女は二百年のうち殆どを学院本部で過ごしていたのだ。その近く深くに封印されていた存在については、織たちよりも詳しいかもしれない。


「手を出さない方がいい、ってのがわたしの意見だけどね」

「俺だって、出来ればそうしたい。端末でもあれだけの力を持ってたんだ、本体となんか戦いたくねえよ」


 しかし、それを許してくれる状況でもない。

 織たちが戦ったあの端末は、恐らく世界改編の時に残された置き土産だろう。不完全な復活を遂げた本体はドラグニア世界に飛ばされたが、その寸前でなんとか端末をこの世界に残した。

 幻想魔眼と賢者の石。

 やつの力から分たれた、その二つを回収するために。


 その端末は排除したが、しかしまだもう一つ、この世界に残されたものがある。


魔王の心臓ラビリンス。それがまだ、この世界に残されてる」

「あの迷宮が、ってことですか?」


 尋ねたのは葵だ。旧世界であの迷宮に挑んだことのある身からすれば、心底勘弁願いたい話だろう。織も同感である。


 しかし、それには首を横に振った。

 味わうように日本酒の入ったお猪口を傾けるグレイが、説明を引き継ぐ。


「迷宮そのものがそのまま残っている可能性は低い。あれはかつての学院が赤き龍を封印した結果生まれた、副産物のようなものだからだ」


 そこに魔王の心臓という名を与え、封印をより強固なものにした。しかしその名を与えられたことにより、迷宮は本当に心臓そのものとしての意味を持つようになってしまったのだ。

 副産物として生まれたのかもしれないが、今となっては話が違ってくる。


「心臓の中に本体が眠るという、少し妙なことになっていたがね。しかし世界の再構築の際、魔術や異能といった存在は殆どが消え失せた。それは赤き龍とて例外でない」

「だから異世界に飛ばされて、端末だけをなんとか残したって話だろ。迷宮だって魔術が絡んでんだから、その心臓も消えたんじゃねぇのか?」

「違うよカゲロウ。たしかに迷宮としては消えたかもしれないけど、心臓としての機能そのものまで失われるわけじゃない。相手が枠外の存在って言っても、生物であることに違いはない。なら心臓はその存在の核になるし、本体が生きている以上は姿形を変えてどこかにあるはずなんだ」


 やはりこういう時、桃がいてくれると話が早い。カゲロウもなるほど、と納得して、次の疑問を呈した。


「なら、どんな姿に変わってるってんだよ」

「それが分かれば、苦労はしないんだよ」


 肩を竦めてお手上げの桃。魔女殿にも分からないとなれば、この場の誰にも分からないだろう。

 なにせ情報が不足している。グレイであっても、あの端末の情報を全て閲覧できたわけではなかった。

 心臓に関しても、ただ失った状態にあるというのとだけが分かって、その心臓がどこにどのような形で存在しているのかは視えなかったという。


「とにかくそういうことだから、俺は父さんとかドラグニアと連携しつつ、魔王の心臓ラビリンスを探してみるつもりだ」


 現状、このメンバーの中で最も自由に動けるのは、織とグレイの二人だ。他のみんなには、この世界での日常というものがある。

 学校や仕事といった、決して捨てることのできないものが。捨てて欲しくないものが。


 それをみんなは分かっているのだろう。それぞれから頷きが返ってきて、織はほんの少しホッとした。

 織一人には任せられない、とか言われると思っていたから。


「でも、その心臓を見つけてどうするつもりなんですか?」

「……」

「え、ちょっと織くん? もしかして考えてなかったの?」


 核心を突く蓮の質問に、織は思わず黙ってしまった。

 そう、桃の言う通りである。どのような姿を取っているのかが分からない以上、見つけてどうするかは全く考えていなかったのだ。


 呆れたようなため息は、ずっと静かに黙っていた愛美から。


「そんなことだろうと思ったわ。仕方ないとは言っても、ある程度の方策くらいは考えておきなさいよ」

「うす……すんません……」


 湿度の高い視線に見つめられて、織の頭は下がる一方。

 まあ、見つけてどうするかは、また後で考えるとして。


「あー、そうだ。もしドラグニアに行ってみたいってやつがいれば、いつでも言ってくれよ。今はレコードレスがなくても、向こうに行けるからな」

「話逸らしたね」

「強引すぎますね」


 朱音と翠から淡々と突っ込まれ、もはや泣きそうになってしまう織。

 俺がこんななのは今に始まったことじゃないんだから、そろそろ勘弁してくれ。とは、さすがに口に出して言えなかった。



 ◆



 今後の話も済ませ、そろそろ日付も変わるかと言う頃に解散となった。

 二人一部屋与えられた寝室で、織は久しぶりに、愛美と二人きりの時間を過ごしている。


「サーニャに娘を取られた気分だわ……」

「今に始まったことじゃないだろ、それ」


 どこか寂しげに言う愛美だが、朱音も気を遣ってくれたのだろう。愛美は少しずつ事務所に引っ越す準備を進めているが、高校にも普通に通っているし、なんなら受験生だ。おまけに生徒会長までやっている。

 旧世界では割と自由に動けていたから、それと比べればかなり忙しくしていた。


 それに、織も愛美も、朱音を含めた家族三人での時間を優先していたから。

 二人きりの時間は全く取れていなかった。


 そんな朱音は本日、サーニャと同室。一緒に寝るのだと嬉しそうにしていた。


「そういえば、桐原組の人たちはどうしてる?」

「みんな元気よ。記憶も戻ったみたいだし、また織に会いたいって」

「近いうちに顔見せに行かないとだな」


 赤き龍出現の影響は、織の想定よりもかなり広がっていた。なにせ愛美と一定以上繋がりのある者たち全員だ。

 浮かんでくる顔は、両手の指じゃ足りないくらいにいる。


 そしてなにより、大切な家族の一員である、あの狼も。


「この前なんて、アーサーがいきなり抱きついてきたからびっくりしたわよ」

「俺もアーサーに会いたいけど、また噛みつかれそうだよなぁ」


 結局全然懐いてくれなかった、妙に人間臭い白狼を頭に思い浮かべて、二人してつい吹き出してしまう。

 今は狼じゃなくて狼犬だが。


 その後も、他愛のない話を繰り広げる。

 今の学校生活のことだったり、友人達とのことだったり、自分たちの父親のことだったり、ドラグニアのことだったり。

 愛美とこうやって言葉を交わせることが、とても幸せで。すぐそばにいる少女への愛おしさが、溢れんばかりに湧いてくる。


「ねえ、織」


 話がひと段落すると、柔らかな声音で名前を呼ばれる。

 首にかけていたチェーンを徐に外した愛美は、そこに吊るしていた指輪を、織に差し出した。


「これ、もう一度あなたの手で、嵌めてくれる?」

「ああ、勿論」


 指輪を受け取り、白魚のような指に手を添えた。指先ひとつ見ても、まるで神が自ら作った芸術品のように美しい。なんてのは、少し言い過ぎだろうか。


 左手の薬指に、指輪を通す。

 織も同じ場所にしているそれは、あの世界で二人が永遠を誓った証。

 まるであの時の焼き直しのように、愛美の頬には涙が伝っていた。


「もう、絶対に手放さない。忘れない。未来永劫ただひとり、あなただけを愛するわ」

「重いな」


 つい笑ってしまうと、不満げに頬を膨らませる。ポスっと、全く力の入ってない拳で胸を叩かれた。そんな様が、どうしようもなく可愛らしい。


 朱の差した頬に手を添えて、小さな口づけを落とした。


「俺の未来全部、お前に捧げるよ」

「あなただって、十分重いじゃない」


 泣きながら笑う少女が、とても美しくて。

 甘える猫のように擦り寄ってきた愛美を、強く抱きしめた。



 ◆



 サーニャの別荘へ旅行に向かってから、更に一週間後の土曜日。

 それぞれがこの世界での日常に戻りつつある中。今日も今日とて閑古鳥が絶叫している桐生探偵事務所は、ひとつの変化を迎えていた。


 いや、変化というよりは。元の形に戻った、と言った方が正しい。


「わわっ、くすぐったいよアーサー!」


 リードもせずにここまでやって来た賢い狼犬が、大きな体を後ろ足だけで立ち上がらせて、朱音に抱きついている。

 娘も全く嫌そうな顔をせず、それどころか嬉しそうに笑っていた。


 アーサーを連れてきた本人も、どこか喜色を孕んだ優しい笑みで、一人と一匹のじゃれあいを見ている。


「やっぱり、アーサーもいてくれないと始まらないよな」

「ええ。大切な家族の一員なんだもの」


 事務所の床に尻餅ついた朱音の顔に、アーサーが鼻をスリスリしている。旧世界でも人間味溢れていた狼犬は、笑顔を浮かべているように見えた。


 と、そのアーサーが不意に朱音から離れて、織の元へてくてくと歩み寄ってくる。

 どうしたのかと不思議に思っていれば。

 なんと、驚くことに、あのアーサーが。


 織の足に顔を擦り寄せてきたではないか!


「お、おい、今の見たか! アーサーが俺に懐いた!」

「喜びすぎよ」

「そうだよ。ていうか、昔からアーサーはなんだかんだで、父さんに懐いてたと思うし」


 嫁と娘からは淡白な反応しか返ってこなかったが、織としてはまさに天地がひっくり返るほどの出来事だ。

 あれだけ嫌われていたと思ったのに、こいつめ……可愛いじゃねえか。


 はしゃぐ織を一瞥した狼犬は、ふんすと鼻を鳴らしてまた朱音の方へと戻ってしまう。


 撫でようと伸ばしていた織の手は、虚しく空を切るだけだった。やっぱりまだ懐いてないのかな……。


「とにかく! 今日から母さんとアーサーもここに住むんだし、夜ご飯は豪華にしてね!」

「最初からそのつもりだよ」

「やったー!」


 大袈裟に喜び、何を食べたいのか一つずつ挙げていきながら考える朱音。

 その様子を微笑ましく見守っていると、隣から視線を感じた。穏やかな笑みのままで織を見つめている愛美に、目だけでどうしたのかと尋ねる。


「本当に、また家族みんなで、ここで暮らせるんだって思うと、無性に嬉しくなったの。叶わないんだろうな、って。心のどこかで思ってたから」


 その不安は、何度か聞かされていた。そして、強がる言葉も同時に。

 きっと自分は全部忘れてしまって、織とは赤の他人になっているだろうけど。絶対にまた出会うのだと。家族みんなで、またここで暮らすのだと。


 その願いが、叶ったのだ。


「今日からまたよろしくね? 探偵さん」

「その呼び方、なんかむず痒いからやめてくれ」

「ふふっ、考えとくわ」


 小悪魔じみた笑みを見せられると、また折を見てその呼び方で揶揄われるのだと分かってしまう。

 けれど、それもなんだか、悪くない気がしてきた。


 これからだ。

 これからまた、俺たち家族の新しい未来を、紡いでいこう。

 どこにも記録されてない、幸せな未来を。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る