繋がる時間、紡がれる記憶

第11話

 ここ最近は晴れ空が広がっていたから、夜になると星がよく見える。

 どこにどんな星座があるなんてのは知らないが、こうしてただ眺めているだけでも、綺麗だと感じるものだ。


 五月の中旬にもなると、夜であっても少し暑い。どこからか虫の鳴き声が聞こえて来るのは、少しずつ、夏の気配が訪れている証拠だろう。

 それに耳を傾かせていれば、公園の入り口にひとりの少女が現れた。


 この夜と同じ色の髪。新雪のように白い肌。何度見ても飽きることなく見惚れてしまう、美しくも幼さの残った顔立ち。

 桐生織が、旧世界で、あるいはこの新世界でも、二人といないほど愛した女性。


「よう、悪いなこんな夜遅くに」

「こんばんは……」


 ブランコを囲う柵に腰掛けた織の元へ、どこか気まずげな顔でゆっくり歩み寄ってくる愛美。ポケットから自販機で買った紅茶を取り出し、それを渡した。

 礼を言いながら受け取ってくれた彼女は、織の隣に腰を下ろす。しかしペットボトルの蓋を開ける気配もなく、両手で紅茶を持って地面を見つめるのみだ。


 自分が朱音の母親であることや、葵も魔術師のひとりであると知ったのは、昨日のこと。それからまだ一日しか経っていない。

 かつての彼女なら、たった一日で感情の整理を無理矢理にでもつけていたのだろうが。

 今の愛美は、普通の女子高生だ。


 かつての彼女とは違う。同一人物ではあるのだろうけど。旧世界で織と過ごした記憶なんて、今の愛美は持っていない。

 殆ど別人だ。


 それでも、今ここにいる愛美のことは、やっぱり好きで。

 その優しく正しい在り方に惹かれたのは、紛れもない事実で。

 ならば、全てを話すしかない。


「今のこの世界が、作られたものだって言われたら、お前は信じるか?」

「どういう、こと……?」


 多少いきなりすぎたか。言葉の意味を測りかねて、愛美は恐る恐るこちらを見つめる。

 どこからどう説明すればいいのか、織自身もイマイチ纏まっていないのだ。だから、上手く説明できないのだとしても、ありのままを話すしかない。


「作られたってのはちょっと違うな……この世界が偽物ってわけでもない。でも、前の世界ってのがたしかにあったんだ。世界中に魔術や異能の存在が潜んでいて、当たり前のように魔物が跋扈する、そんな世界が」

「あなたは、その世界から来たってこと?」

「俺だけじゃない。てか、それだと葵の存在が説明できないだろ」


 あまり重苦しくなりすぎないよう、柔らかい声音を意識する。それでも愛美の表情から、鎮痛とも呼べるものは消えてくれないが。


「世界そのものを、丸々作り替えた。魔術や異能が存在しない、本来あるべき世界に」


 だから、誰が旧世界からやって来たとか、そういう話ではない。

 文字通り、この世界全てだ。

 人も、物も、法則も、その全てを作り替えて、今の新世界がある。


 その意味を理解できたのだろう。愛美の顔には徐々に驚きが浮かび上がる。


「俺や朱音、葵だけじゃない。桃や緋桜さん、カゲロウ、蓮、翠、サーニャ。晴樹やアイクも。もちろんお前も、みんな魔術師で、俺たちの大切な仲間だった」

「そんなの……急に言われても、信じられないわよ……」

「だろうな。それは仕方ない、誰も覚えてないんだ。俺たちの中にしか、あの世界での記憶はない」


 想定していたよりも多くの人が、旧世界での記憶を持ち越していた。

 それでも、隣にいる少女とかつて紡いだ記憶は、もう自分の中にしかないのだ。


「朱音が未来から来たってのは、その世界でのことだよ。俺とお前の娘ってのも本当のことだ」

「だったら……」


 濡れた瞳に、キッと強く睨め付けられる。声は震えていて、彼女の激情は今にも溢れそうになっていた。


「だったら、私のこの感情は……前の世界の刷り込みってこと……? あなたが少しずつ気になり始めていたのも、朱音のことを可愛がっていたのも……全部、今の私じゃなくて、前の私のものだったってこと?」

「かもしれないな」


 端的な返答は、この上なく拒絶を示すもの。

 ハッと息を呑む愛美の方を見ることもせずに、織は淡々と続ける。


「俺は今でも……いや、今の愛美も好きだよ。世界が変わっても、その在り方は、魂の輝きは、なにも変わらない。どこまでも優しくて、なによりも正しいお前のことが、好きだ。でも、だからこそ、俺たちとは関わらないで欲しいって思う。傷つけたくない、傷ついてほしくない。お前にはもう、戦いとは無縁の日常を送って欲しい」


 それが、織の出した結論だ。

 例え愛美本人の願いに背くことになっていても。守るためには、こうするしかない。


「だからもう、うちには来るな」


 言い終えた瞬間。織の頬を、鋭い衝撃が襲った。

 腕を思い切り振り抜いて平手打ちした愛美は、その眦に雫を溜め込んでいる。両手で持っていた紅茶を、強く押し付けられた。


「そんな風に、好きって言われたくなかった……」


 言葉と共に一粒の雫を残し、愛美は公園から走り去っていく。

 残された織は夜空を見上げて、ため息を吐いた。


「いってぇ……」


 これでいい。ここまで拒絶すれば、彼女はもうこちらに関わってこない。

 これで、いいんだ。



 ◆



 公園から走り去った愛美は、溢れ出る涙を我慢することもできず、家までの道を歩いていた。

 どうしてこんなに涙が出て来るのか、自分でも分からない。きっと悲しいんだと思うけど、泣くほどのことでもないだろう、と冷静な自分が告げている。


 でも、どうしたって涙が止まる気配はない。

 彼を意識し始めていたのも、朱音のことを無条件に可愛がっていたのも。二人を疑うことなく、魔術なんて世界に飛び込めたのも。

 全部、前の世界の刷り込み。私自身の意思じゃない。


 自分の知らない自分がいることに、途轍もない恐怖を覚える。


「どうして私は、覚えてないのよ……」


 覚えていたら、あの探偵の力になれたはずなのに。

 彼に、あんな寂しそうな顔をさせずに済んだのに。


「そんなに思い出したいなら、思い出させてやろう」


 背後から、声が聞こえた。

 振り返ろうとして、しかし。全身に強烈な痺れが襲いかかり、愛美は意識を暗転させる。


「これでいいのか?」

『ああ。この娘の持つ『繋がり』の力とやらがあれば、それでいい。幻想魔眼も賢者の石も必要ない。後は、あの探偵どもを誘き寄せる餌にでも使おう』


 ぐったりと倒れた愛美を担ぎ、二つの影は闇へ姿を消す。



 ◆



 どうやらあの馬鹿な先輩は、結局愛美を遠ざけることにしたらしい。

 朝起きてから自分の部屋で身支度を整える葵は、昨日電話越しに聞いた報告を思い出して、ため息を漏らさざるを得なかった。


 気持ちは分かる。今の愛美は、旧世界のことなどなにも覚えていないのだ。

 普通の女子高生。戦う力なんて持っていない。彼女を守るためには、魔術の存在から遠ざけるのが一番。


 そうでなくても、今の愛美はかなり危うい状態にある。

 何かの拍子に、全てを思い出してしまってもおかしくはないのだ。


 それには葵の存在が大きく影響していた。

 葵は他の記憶保持者と違い、殆ど自然に思い出したのだ。

 魔術世界において、縁や因果というものは、大きな意味を持つ。それこそ、名前による親和性などが代表的だろう。


 今回の場合は、葵が旧世界での記憶を取り戻したことによって、その因果がこの世界にも生まれてしまった。

 魔術の存在がなくなってしまったこの世界ではあるが、しかし一方で織や朱音、葵自身をはじめとして、魔術を使える者は存在している。ならば魔術法則は消えてしまったわけではなく、それが旧世界のキリの人間となれば、その法則に当てはまってしまう。


 旧世界の記憶を自然に取り戻すことができる、という因果が生まれ、そこに愛美の中に眠っているキリの力が影響すれば。

 彼女は本当に記憶を取り戻してしまう。


 愛美に魔術を使わせたり、魔力を与えたりしてしまえば一発だろう。

 だから織は、決して愛美に魔術を使わせようとしなかった。今の愛美であっても、魔力行使自体は可能であるにも関わらず。


 そんな彼女のケアが、同じ高校に通っている自分の仕事だろう。

 先日は思いっきり拒絶されたし、めちゃくちゃ傷ついたりしたけど。愛美はそれ以上に辛いはずだから。


「おはよー」

「おはよう葵」

「朝ご飯、もう出来てるよ」


 二階の自室から一階のリビングに降りれば、両親が揃っていた。兄の姿はない。まだ寝ているのだろうか。大学生は朝がゆっくりで羨ましい限りだ。


 葵にとって、今の両親は少し複雑な立ち位置にいる。当然この世界で生まれてから今日までの記憶はあるし、その中で葵の両親はこの二人以外にいなかったのだけど。

 旧世界での記憶を取り戻した今となっては、思うところが色々とあるわけで。


 それでも、こうして家族四人で過ごせるのが、今の葵にはとても嬉しくて。

 旧世界ではついぞ敵わなかった、家族との時間。掛け替えのないそれを、失いたくない。

 両親も、兄も、最期の時には一緒にいられなかったから。


 その兄がいないのを見計らい、彼には聞かせられない話を切り出す。


「ねえお父さん、お母さん。キリの力がこの世界自体に影響することってあるのかな?」


 そう尋ねたのは、葵自身がキリの力についていまいち理解しきれていないからだ。

 概要程度はわかっているし、表面的な情報自体は閲覧済み。しかし、具体的にどの程度の規模で力が発揮されるのか。

 個人のレベルなら、葵も身をもって体感したことがあるけど。それが世界規模になるとどうなるのか。


 娘からの突然の問いかけに、顔を見合わせる両親。そして答えたのは、父である紫音だ。


「俺たちも完全に把握してるわけじゃないからなぁ……でも、この新世界に影響するほどってなると、相当大きな力を持ってないとダメだ」

「そうね。それこそ、幻想魔眼と同レベルくらいじゃないとダメかも」


 母である朱莉の言葉も続き、葵は一つの可能性に思い当たってゾッとする。

 愛美が持つ『繋がり』の力。あれは彼女自身の性格も相まって、相当大きなものになっている。葵や朱音が持つそれとは、比にならないほどに。


 なにせ桐原愛美だ。

 大体はそれだけで説明がついてしまう辺り、彼女の力の規格外さが分かるだろう。


 そして、もし敵がそれを把握していたとしたら。

 狙われるのは幻想魔眼と賢者の石ではない。間違いなく、愛美を狙って来る。


「愛美さんが危ない……」


 ポツリと漏らした呟きの意図を、両親は察してくれたらしい。紫音がスマホを手に取り、どこかへ連絡しようとした、その時。


 街のどこからか、巨大な魔力の波を感知した。断続的に街全体へ広がるそれは、鳥肌が立つほどに強大なもの。地面を震わせ、テーブルやその上に置いたものが揺れている。

 紫音と朱莉も気づいたのだろう。紫音が手に取ったスマホは、中途半端な位置に掲げられたまま。他方で朱莉の動きは早く、すぐさま凪へと連絡を飛ばした。


 ここまで大きな魔力を、あからさまに飛ばす。目的なんて分かりきったものだ。


「挑発されてる……? でも、なんのために……」


 一般人には、ただの小さな地震程度にしか思われない。魔術師にしか感知できない異常を、分かりやすく飛ばしてくれる。

 場所も特定できた。先日虎の魔物と戦った、あの工事現場だ。


「父さん、母さん! 葵!」


 考え込んでいると、二階からドタバタ音を鳴らして兄が降りて来た。

 その顔は驚きに染まっていて、けれどすぐに、泣きそうな顔になる。


「お兄ちゃん?」

「緋桜、まさかお前」


 そのまさかだった。

 リビングに現れた勢いそのままに、緋桜が抱きついて来る。いきなりの出来事で混乱しそうになったが、兄の情報を視て、おかしな様子の原因に気づいた。


「思い出したの……?」

「ああ、全部思い出した! あの世界でのこと、全部……ごめんな、葵……お前を置いて、先に死んじまって……お兄ちゃん失格だ……」


 力強く、抱きしめられる。

 そんな風にされて、そんな風に言われると、葵まで泣きたくなってしまって。

 鼻の奥がツンとする。ずっと、旧世界でそのことを知った時から、ずっと我慢してたのに。今はもう、そんな必要がないから。


「本当だよ……お兄ちゃんのバカ……」


 ギュッと、葵からも一度強く抱きしめ返して、緋桜は体を離して行った。

 眦を拭い、思考を切り替える。現状持ち得る限り全ての情報を駆使し、並列して演算を開始する。


「お兄ちゃん、今の魔力の波で思い出したんだよね?」

「ああ。多分、俺だけじゃないな」

「みんな思い出してるって思った方が良さそうかも……私は愛美さんのところに行く。お兄ちゃんはみんなと合流してから、織さんのところに向かって。あの人なら、力を全部戻してくれるから」

「俺と朱莉は、凪たちと合流するよ。葵、無茶はするなよ」

「絶対、無事に帰ってきなさいね」

「うん、分かってる」


 この街の情報を閲覧する。

 魔力の反応はいくつかあるけど、昨日までよりも確実に増えていた。きっと、頼れる先輩たちや大切な仲間のものだ。

 ただ、それでも数が合わないということは、魔物も出てきているということで。


「愛美さん……無事でいてくださいね……」


 家を出てすぐ、葵は漆黒の翼を伸ばし、囚われているだろう愛美の元へ急いだ。



 ◆



 棗市全体を襲った異常な魔力は、当然織と朱音、グレイの三人も気づいていた。

 気づいていたのだが、実はそれどころじゃなかったりする。


「くそッ、愛美が行方しれずになってるってのに!」

「落ち着いて父さん。母さんが消えちゃったこととこの魔力、絶対に関係あると思うよ」

「だろうな、偶然にしては出来過ぎだ。先程の魔力は、いわば挑戦状の代わりだろうよ」


 朝、起きてすぐに、一徹から連絡があったのだ。昨日の夜から愛美がいない、と。

 昨日の夜といえば、織が公園で彼女と話をした。喧嘩別れのような形になってしまったから、彼女がちゃんと帰れたのかどうかは確認できていない。


 明らかに織の失態だ。

 あんなことがあっても、ちゃんと無事に帰れるまで見張っておくべきだった。


「でも、だったらどうして愛美が狙われるんだよ。赤き龍は幻想魔眼と賢者の石を狙ってるんだろ⁉︎」

「恐らくだが、桐原愛美の持つ『繋がり』の力を狙ったのだろうな」


 幻想魔眼も賢者の石も、簡単に手に入れることは出来ない。そこで赤き龍は、次善策に切り替えたわけだ。


 愛美の持つ『繋がり』の力は、とても強大なものだ。この新世界でも影響を受けてしまうことは、容易に考えられる。

 やつは愛美の中に眠る力を利用して、位相の扉を再び開こうとしているのだろう。そうなればこの世界にも、魔力や異能の力が流れ込んでくる。

 その力全てを、赤き龍は取り込もうとしているのだ。


 そうすれば、幻想魔眼や賢者の石などなくとも、莫大な力を手に入れることが可能。いや、その力を使って織たちと戦えば、魔眼も石も容易く奪えると思っている。


「やらせるかよッ……!」

「あ、ちょっと父さん!」


 朱音の静止の声も聞かず、織は一人で転移する。場所は街の南側、先日虎の魔物が出たと言う工事現場だ。


 鉄骨が中途半端に剥き出しのままな建物の中。

 完全に人の気配が消えたそこで待っていたのは、二人の影。


「来たな、探偵賢者」

『こうも上手く呼ばれてくれるとは、やはりこの娘は効果的だったな』

「愛美ッ!」


 白いスーツと眼鏡姿の男性、転生者の加茂と、人型の化け物、赤き龍。

 そしてその少し後ろには、縄で柱に縛られ意識を失っている愛美が。その地面には、魔法陣が敷かれている。


「お前らッ……! 誰に手ェ出したか分かってんだろうなッ!」

『時間稼ぎは頼んだぞ、転生者。娘の力が目覚めるまで、今しばらくかかりそうだ』

「仕方ない、頼まれてやろう」


 一歩前に出る転生者、加茂。

 怒りで視界が赤く染まる。歯を食いしばり、拳を強く握りしめた。

 これは完全に織の失態だ。自分がもっとしっかりしていれば、愛美をこんな目に遭わせることなんてなかった。奴らに対するものより、自分自身に対する怒りの方が大きい。


 手元に出現させたシュトゥルムとオレンジの瞳は、そんな織の激情に呼応して輝く。

 この世界がどうなるかなんて、そんなことは織の頭の中から消えていた。


「俺の家族は、返してもらうぞ」


 ただ、そのためだけに。

 探偵は再び、強大な敵へと立ち向かう。

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