第10話

 朱音と愛美が虎の魔物に襲われることになる、その二日前。

 愛美が助手になった翌日の話だ。


 その日のパトロールも終え、前日のように彼女を桐原の屋敷へ送り届けた後。織は上空に魔力の反応を捉えて、驚き急いで飛び上がった。


「まさか、また赤き龍が出たのか……?」

「いや、これは違うぞ探偵。覚えのある魔力だ」


 胸ポケットから出てきて肩に乗ったグレイが、夜空を見上げている。こいつは愛美がいる時は全く姿を見せず、声も発さない。

 まあ、この姿のグレイを見せても混乱させるだけだろうし、仕方ないと言えば仕方ないが。


 そんなミニチュア吸血鬼の言う通り、魔力の元へ近づけば近づくほど、それが織も馴染み深い魔力であることが分かってきた。

 すでに記憶と力を取り戻している、凪やその仲間たち、織から見たところの先代キリの人間ではない。

 もっと身近な、あの世界では共に戦う仲間だった者の魔力。


 果たしてその正体は、部屋着のワンピースから背中に漆黒の翼を生やした、ツインテールの後輩だった。


「葵⁉︎」

「織さん……」


 目を丸くして、呆然とした表情を浮かべた黒霧葵が、ゆっくりとこちらに振り返る。

 誰かの記憶が戻っている可能性については、グレイも言及していたし、織も頭の片隅には置いていたが。


 まさか、それが彼女になるとは。


「お前、記憶が戻ったのか……?」

「はい……全部、思い出しました。あの世界でのこと、全部」

「でも、なんで力まで……」


 記憶が戻ったことはいい。その可能性を示唆されていた。けれど、力まで一緒に戻るのはおかしい。

 この世界には、魔術も異能も存在していないのだ。例外は織を含めた数人だけ。幻想魔眼の持ち主であれば、力を戻してやることはできるが。自力で取り戻すなんて、あり得ないはずなのに。


「キリの力が影響しているな」


 早々に答えを出したのは、肩に乗っているグレイだ。その存在にたった今気づいたのか、葵は驚愕の声を上げる。


「え、グレイ⁉︎ なにその姿!」

「色々と事情がある。それより葵、貴様、力はいつから使えるようになった?」

「記憶が戻ってからだけど……」

「ふむ……アルマキリスについて、どの程度把握している?」

「グレイの奥さんで、私たちが持つ人間の部分の遺伝子でしょ?」

「その通りだ。そして、アルマキリスはかつて、桐原から分たれた一族でもある」


 桐原が受け継いだキリの力は『繋がり』だ。織も徹心秋水を通して、その力の恩恵に預かったことがある。

 葵の中に眠っていたのは、黒霧が受け継いだ力だけではなかった。だからこその魔術は、実際にいくつか見せている。


「そっか……だからあの時、翠ちゃんとエクスカリバーが使えたり、カゲロウと蓮くんの三人で簡単に術式を掛け合わせたりできたんだ……」


 グレイとの最終決戦で見せた、翠との合体魔術。ついぞ放たれることはなかったが、あれは葵と翠だけじゃない。カゲロウと蓮の力すらも、あの剣に込められていた。

 もっとわかりやすいのは、蓮とカゲロウの三人で作り出した、聖剣を持つ水と雷の巨人だろう。


「赤き龍の影響に加えて、我々との繋がりが、貴様の記憶を呼び起こし、力までも取り戻させた。なにせ貴様の身に流れる遺伝子は、私のものだからな。繋がりを通して、私の魔力が多少流れたのだろう」


 ということは、だ。

 可能性があるのは、葵だけじゃない。


「翠ちゃんとカゲロウは⁉︎」


 尋ねる葵に、グレイは首を横に振った。


「あの二人では、アルマキリスの遺伝子が足りない。今よりも大きな異変が起これば分からないが、現状で自然と記憶を取り戻すことはないだろうな」

「そっか……」


 ホッと安堵のため息を吐く後輩は、きっと二人には今のままでいて欲しいのだろう。

 旧世界では葵も中々面倒な事情を抱えていたが、それでも人間として生きていた時間がある。他方で、あの二人にはそれがない。


 方やグレイの息子として、半吸血鬼として生き続けてきた少年と、方やネザーのために生み出され、そこの代表の駒として生きていた少女。

 そんな二人に、この新世界では普通の子供として暮らして欲しいから。


「取り敢えず、ずっとここにいるのもなんだしな。うちに来いよ」

「はい、そうします。朱音ちゃんにも会いたいですしね」


 転移の術式を組み上げながら、そう言えばと疑問に思ったことがあった。


「てかお前、なんでこんなとこいんの? いきなり上空に魔力反応出てきてビビったんだぞ」

「いや、いきなり記憶戻ってこっちもビックリしてたんですよ。とにかく自分の目で全部視たかったですし」


 まあそんなものか。たしかにいきなり記憶が戻ったら驚くだろうし、現在の世界の詳細な状況なんて分からないだろう。

 葵の異能があるから、ある程度理解してくれただけだ。

 もし今後、葵のように記憶を戻す者が現れれば。不用意な魔術の使用を控えたい現状、ちょっと面倒なことになりかねない。


 事務所の前まで転移すると、その術式を見ていた葵がへー、と感心するような声を上げていた。


「魔導収束を組み合わせてるんですね。織さん、多重詠唱ってできたんですか?」

「魔眼で無理矢理な。いや本当、葵で良かった……拡散した魔力を回収する手間が省けたし……」


 葵が異能で魔力の拡散を防ぎ、魔導収束と同じく自身で吸収していたのは、本当に助かった。いくら織とはいえ、一度拡散してしまった魔力全てを回収するのは、かなり苦労する。


 赤き龍がお構いなしに魔力を使ったから、今更ではあるのだが。


「ただいまー」

「お邪魔します」

「おかえり父さん! ……と、葵さん?」


 二人で事務所に入れば、テレビを見ていた朱音が元気に迎えてくれる。しかし同行者に気づいて、小首を傾げていた。

 そんな朱音に、葵が優しく微笑みかける。


「久しぶり、でいいのかな。未来のこと、あの子たちから聞いたよ。頑張ったんだね、朱音ちゃん」

「もしかして……思い出したんですか……?」

「うん。あの世界のこと、朱音ちゃんがいた未来のこと、全部ね」


 感極まったのか、瞳を潤ませた朱音が、葵に駆け寄ってひしと抱きつく。葵もそれを受け入れて、ぽんぽんと優しく背中を叩いていた。


 微笑ましいその光景を眺める織の肩で、全長十五センチの吸血鬼は、なるほど、となにやら訳知り顔で頷いている。


「葵にはあの未来の記憶があるのか……二重人格の呪いによる特異性も、記憶を取り戻した一因ということだな」


 よくよく思い返せば、黒霧葵という少女は、その特異性とやらに満ち溢れた存在だ。

 人間と吸血鬼の遺伝子を同時に持ち、神の記号すら植えられ、二重人格の呪いも与えられていた。更には、後天的にキリの人間へと至ったこともある。ドレスもなしに位相の力を使える、唯一の存在。

 仲間内でも一際異彩を放っていた彼女だ。記憶と力を取り戻したのも、頷ける。


「取り敢えず、飯にするか。葵、お前も食ってくだろ?」

「あ、はい。せっかくですし、話もしておきたいですし。手伝いましょうか?」

「おう、んじゃ頼む」


 揃って二階に上がり、買い置きしておいた食材で夕飯の支度をしながら、葵に現状を説明した。赤き龍と転生者のこと、味方をしてくれる人たちのこと、愛美のこと。

 時折混じる質問に返しながら話していると、あっという間に夕飯が完成。今日は牛ハラミ肉を自家製甘辛タレで焼いたのがメインだ。日に日に上達していく己の料理スキルに、織は内心でほんの少しドヤ顔。


「流石に愛美さんと朱音ちゃんのご飯を毎回用意してただけありますね……なんかちょっと悔しい……」

「まあな。このタレとか、結構自慢だぞ」


 なんて話しつつ、出来上がった料理を居間の机に並べた。三人揃っていただきます。


「さて、葵。現状については、大体理解できたな?」

「うん。グレイもいるのは未だに納得できないけど、大体は」

「ならいい、次はこちらから質問だ。貴様、記憶と力はいつ戻った?」

「ついさっきだよ。学校から帰ってきてすぐに、居眠りしちゃって。あの子たちと会う、夢を見たの」


 あの子たち。葵がそう呼ぶのは、消えてしまった彼女の別人格、その二人だろう。

 この新世界でも、戻ることのなかった二人。別人格という特性上仕方のないことではあるが、織は内心でかなり残念に思っていた。


「びっくりしたよ。夢の中のあの子たち、大人の姿で出てきたからさ。聞けば、朱音ちゃんがいた未来での姿なんだって」


 そこで全て聞くことで、思い出したらしい。

 なるほど、と納得する。この世界で、あの二人がどこにもいないのは。それを本人たちが望んだからだ。

 としていることを望んだ。だからあの二人は、今も彼女の中にいる。


「織さん。明日からは、私も手伝います。赤き龍と転生者、そいつらがこの世界の平和を壊そうっていうなら、戦わないわけにはいきませんから」


 大好きなみんながいる場所に、自分もいたいから。黒霧葵はいつだって、そのために戦う。自分の居場所を、大好きな人たちを守るために。


 織も朱音も知らぬことだが。それこそ、葵がこの新世界に望んだことだ。


「ああ、頼むよ」

「葵さんがいれば、百人力ですので!」


 親子二人が元気に返し、視線は残り一人に集まる。すぐそこで浮いている、葵のもう一人の父親とも言うべき吸血鬼に。


 彼はため息をひとつ吐くと、己の遺伝子を受け継いだ少女を、胡乱げな目で見つめた。


「私としては、反対したいところなのだがな。プロジェクトの子供らを、再び戦いに巻き込むなど」

「そんなの、今更でしょ。むしろ私は、自分があのプロジェクトで生まれて良かったって、今ならそう思う」

「ほう、意外な言葉だな」

「だってそのおかげで、私には戦う力があるんだから」


 強い瞳で見つめられ、おまけにそんなことまで言われてしまえば、グレイとしても返す言葉を持たないらしい。

 肩を竦めるのみだが、それが彼の返答なのだろう。


「ていうか葵、お前、両親に記憶が戻ったこと、ちゃんと言えよ?」

「あー……言わないとダメですよね、やっぱり……旧世界で二人と過ごした記憶ってないから、ちょっと戸惑っちゃうんですよね」


 肩を落として苦笑いを浮かべる彼女の複雑な生い立ちを、改めて思い知ってしまった。

 葵に比べると、織も朱音もまだまだマシな方かもしれない。



 ◆



 桐原愛美にとって、黒霧葵とは。

 可愛い後輩のひとりだ。中学の頃からなにかと後ろをついて来る、妹のような存在といっても過言ではない。

 溺愛してくる兄をウザがりつつも憎からず思っていて、従姉妹の翠をとても可愛がり、同じ生徒会の蓮に対して淡い恋心を抱いている、本当に普通の女子高生。


 愛美が魔術なんてものに関わってしまっても、変わらず在り続ける日常の象徴。


 その日常が、音を立てて崩れる。

 今目の前で、全身に雷を纏い刀を振るう少女は、紛れもなく愛美の後輩たる少女だ。けれど、瞳を紅く輝かせ、虎の魔物を屠る冷徹なその姿は。

 その魔物とまるで変わらない。


「これで、終わりっ!」


 一筋の稲妻が迸ったかと思えば、虎の首が落ちていた。切断面からボトボトと血が流れ、死体は粒子となって消えていく。

 それを朱音が、織と同じように魔法陣へ回収していた。


「ふぅ……久しぶりだし、ちょっと手こずっちゃったね」

「十分動けてたと思いますが。父さんなんて、久しぶりの戦闘のすぐ後に筋肉痛でしたので」

「まあ、普通の人間の体ならそんなものじゃない?」


 言いながら、二人がこちらに歩み寄って来る。へたり込んでしまった愛美へと、葵が手を差し出した。


「愛美さん、大丈夫ですか?」

「……っ」


 意識して行った反応ではない。

 咄嗟に、反射的に。先程までの、人間離れした姿を見ていたから、つい。

 差し出された手を見て、愛美は脅えてしまった。


 あちらから見れば、その反応はなんとも分かりやすかったことだろう。

 葵は取られることのなかった手を、どこか寂しそうな、あるいは諦めたような目で見つめている。


 決定的に、間違えてしまった。


「ち、ちがっ……今のは……!」

「……いえ、その反応が正しいですよ。同じ立場だったら、私もそうなってたと思いますから」


 違う。魔物と同じだなんて、そんなわけがない。だってそこにいるのは、紛れもなく黒霧葵だ。私の後輩だ。

 なのに私は、どうしてそんな、拒絶するようなことを。


「朱音ちゃん、愛美さんを送ってあげて。話をするにしても、日を改めた方が良さそう」

「そうですね……この近辺の調査もしておきたいですので、葵さんはそちらをお願いします」

「うん、分かった。それじゃあ愛美さん、また学校で」


 笑顔でそう言い残し、葵はどこかへ姿を消してしまった。

 愛美の中に残ったのは、後悔だけだ。たしかに魔物は怖い。織や朱音が守ってくれなかったら、容易く命を落としてしまう。それが分かるから、未だに恐怖で震えてしまう。

 そんな魔物と、葵や朱音たち魔術師が、同じなんて。そんなわけがないのに。


「母さんは、なにも間違ってないよ」


 自分のことを母と呼ぶ少女が、真剣な目でこちらを見つめている。


 朱音からそう呼ばれるということは、つまりはそういうことなのだろう。でも、到底受け入れきれない。


 足下が突然光り始めたかと思うと、桐原邸の前に転移していた。朱音は真剣な顔のまま、声を低くして言う。


「私たち魔術師は、魔物とその本質自体は変わらない。父さんが言ってたでしょ? 魔術を使って目的を達成しようとする自分勝手な奴ら、それが魔術師だって」

「でも……あなたたちは人間で、私を守ってくれてるじゃない……」

「それが目的に通ずるからね。本当なら、こっちに関わるべきじゃなかったんだよ。私たちは怖がられるくらいが丁度いい。それなら、関係のない人たちがわざわざ踏み込んでくることもないから。父さんは、まだまだその辺りが甘いから」

「でもっ……!」


 続けようとした言葉は、朱音の笑みひとつに止められた。

 どこか儚げで、悲しそうな。けれど、こちらの言葉を止めるだけの力を持った笑顔。


 しかしすぐに魔術師としての顔に戻った朱音は、冷たく言い放った。


「父さんには私から言っておく。だから母さんは……愛美さんは、もう関わらないで」

「私たち……家族なんでしょ……?」


 思わず漏らしてしまった一言が、朱音の表情に僅かな揺らぎを見せた。

 先日、織が言っていたことだ。魔術師は自分勝手な奴らばかりと聞かされて、なら探偵の目的はなんなのかと聞いた時。

 彼は、家族を守るために戦うんだと。


 桐原愛美にとって、家族とは特別なものだ。他のなにを差し置いても優先されるべきものと、そう言っても差し支えない。

 桐原組のみんなが大好きだ。愛美は一徹と血は繋がってないし、桐原組の中にも、そんな人はいない。それでもみんな、本当の家族よりも強い絆で結ばれている。

 歪に見えても、普通じゃなくても、愛美にとっては、組のみんなが家族で。


 織と朱音も、そんな存在だと言う。

 大切な家族の一員なのだと。


「家族だから、だよ」


 悲しげに呟かれた言葉。踵を返した朱音の表情は見えない。

 その言葉の真意を図っているうちに、朱音は姿を消してしまった。


 後輩を拒絶してしまい、探偵たちが家族だと知って、もう関わるなと言われ。

 私はこれから、どうすればいいのだろう。


 答えは決まっているはずなのに、動き出すための勇気だけが、足りていなかった。



 ◆



 ドラグニアから帰ってきた織は、事務所に着くなり朱音と葵からことの経緯を聞かされて、ため息を吐かざるを得なかった。


「そうか……愛美にバレたか……」

「ごめんね父さん。完全に私のせいだよ」

「いや、どうせ最後まで隠し切れるもんでもなかったんだ。朱音は悪くない」


 落ち込む娘の頭を撫でて励ます。

 遅かれ早かれ、バレることではあっただろう。隠し通せるものじゃなかった。

 とはいえ、織の予想よりも早かったが。かなり強力な魔物が現れたこともあるし、丁度いいのかもしれない。


 だから朱音は悪くない。誰が悪いのかと言われれば、それは織だろう。


「完全にドラグニアに行くタイミング間違えましたね」

「だよなぁ……いや、向こうが大したことなくてよかったんだけどさ……」


 織がドラグニアに向かっていたのは、龍とルークの報告を受けてのことだった。

 今日は朝から、こちらの世界に帰還した転生者の二人に、葵と一緒にドラグニアの様子を聞きに行ったのである。


 そこで赤き龍の端末、織たちが遭遇したのと同じやつがいたと聞かされ、急いでドラグニアへ向かったのだが。


「まあ、蒼さんもアリスさんも、アダムさんもイブさんもいるんだし、大事になるわけないよね」

「織さんが行ったところで、大して役に立てることはなかったんじゃないですか?」

「いや言い方。その通りだけどさ。もうちょい先輩に対して気を遣えよ」


 そう、あの世界には蒼とアリスだけでなく、アダムとイブもまだ滞在しているのだ。曰く、赤き龍の一件が片付くまでは、ドラグニアにいるとのことだ。

 あれの本体と正面切って戦えるのは、同じ枠外の存在のみ。蒼とアリスだけでも戦えるだろうが、勝てる保証はない。ドラグニア世界なら、その他の異世界よりも世界自体の強度が高いので、枠外の存在である二人も比較的長く滞在できるらしい。


 つまり、織が心配することなどなにもない。むしろ心配する方が失礼だ。


「しかし、赤き龍の本体を今すぐにどうこうできる、という話でもない。まだ暫くは、こちらの世界でもあの端末が動き続けるだろうな」


 織の肩に乗ったミニチュア吸血鬼が、忠告するように言った。そしてグレイの言う通り、ドラグニア世界のどこに赤き龍の本体がいるのか、未だ分かっていないのが現状だ。

 こちらの世界に残っているらしい魔王の心臓の件もある。放置しておくわけにはいかないだろう。


「それよりルーサー、今日戦った魔物はかなり強かったとのことだが、なにか特殊な力でも持っていたか?」

「うーん……多分なんだけど、徐々にこっちの動きに適応してた、感じがするかな」

「貴様の動きにだと?」

「うん」


 桐生朱音が戦闘で用いる体術は、かなり特殊なものだ。一度の戦闘ですぐに慣れるなんてあり得ない。

 しかし、それを可能とするだけの力を、その魔物は有していたのだろう。


「適応か……亡裏の体術に追いつくってことは、魔術よりも異能の方が可能性あるな」

「相手は枠外の存在ですから、なにが起きてもおかしくはないですしね。実際私も、情報が完全に視えたわけじゃなかったです」

「そこは仕方なかろう。私とて、赤き龍本体の情報は全て視えなかったのだからな」


 情報操作の異能。その副作用による、情報の可視化。

 旧世界では、その異能に随分と助けられたが、ここまで通用しない相手というのは初めてだ。


 普段のアドバンテージを失った状態での戦い。本来はそれが当たり前なのだろうが、普段と違うということは、本人たちの予想以上に足枷となる。


「問題は、転生者の方だな……」

「あの魔物、私は魔力源に近づいてないのに現れたんだよ。父さんの例を見るなら、誰かの魔力に反応して刺激されて、それで魔物化しないとおかしいのに」

「第三者の手によるものと考えた方がいいな。ルーサー、葵、あの場に他の者の気配はあったか?」

「全くなかった。元からいた人たちはみんな食べられてたし、私たちが出入りする前後にも、魔力の気配はあれ以外になかったよ」

「うん、私が駆けつけた時も同じかな」


 イマイチ正体が見えない。

 あるいは、隠れるのがかなりうまいやつなのだろう、今回の敵は。

 いや、この際断言してしまおうか。


「魔力を刺激して魔物化させたのは、多分俺たちが追ってる転生者だな。市立中学に勤める加茂って教師だ。こいつ自体も、黒であることは間違いない」

「ほう、その証拠はあるのか?」


 尋ねるグレイに、織は虚空から一枚の紙を取り出した。それは依頼主から送られてきた、追加の報告書だ。

 他の三人に見せれば、三人それぞれがため息を溢していた。


 報告書に載っている写真。そこに映されているのは、織たちが先日遭遇した化け物。赤き龍の端末と、白いスーツを着た四十代くらいの眼鏡の男性。市立中学に勤める加茂だ。

 その二人が、コンテナの山に囲まれた港で会っている写真。


「昨日撮影されたらしい。この街の南側、埠頭のあたりでな」


 言いながら、織もため息を溢してしまう。

 先程事務所に来る前、この写真が送られてきた時など、魔術通信越しに依頼主に詰め寄ったほどだ。なぜ写真が撮影できるくせに、その場で取り押さえないのかと。


 自分たちが向かったところで返り討ちだ、と言われてしまい、織はなにも言えなくなったのだが。


「早めに仕掛けたいところだけど、向こうの正体が見えない以上は悪戯に戦えない。なにせ転生者だし、旧世界と違って色々面倒だしな」


 かつての旧世界であれば、多少無理矢理動いても学院や蒼たちが尻拭いをしてくれた。

 しかし、この新世界には学院もなければ、蒼もいない。織たちにとって加茂が敵だとしても、その他の人々にとって、彼はよき教師なのだから。


 おまけに、向こうの手の内が全く見えない今の状況では、無策で仕掛けるのは愚かとしか言いようがないだろう。

 ここまで織たちに正体を現さなかったあたり、隠蔽や秘匿など、そっち系の魔術や異能を考えた方がいい。つまり、あちらも搦め手が得意な可能性が高い。


「しばらくはいつも通り、魔力の痕跡を追っていって、出てきた魔物を倒して回るしかないね」

「ああ。もしも今回みたいに、あっちから魔物化させられたら困るからな。可能な限り潰しておこう」

「それはいいんですけど、それよりも」


 ツインテールの後輩が、ジーッと織のことを半目で見ている。

 もしかして、無意識のうちになにかやらかしてるのだろうか。前々から葵には割と迷惑を掛けてるので、そんな不安が過ってしまうが。どうやらそうではないらしく。


「織さん、朱音ちゃんも。愛美さんのこと、本当にいいんですか?」

「そりゃまあ……良いも何も、あいつのこと考えたら遠ざけておくべきだろ」

「ですです。さすがの私でも、母さんを庇いながら戦えるとは限りませんので」


 想定外を常に想定しておけ。

 魔術世界での戦いにおける大原則。己の想定している埒外の出来事なんて、簡単に起こってしまう。そこに一般人の愛美という不確定要素を持ち込めば、その可能性は更に高まってしまう。


 だから、織と朱音がどれだけの力を持っていても。彼女を最後まで庇い切れる自信はない。

 元より愛美には、多くの情報を伏せたままだった。彼女を深入りさせすぎず、どこかで遠ざけるために。

 それが少し早まっただけ。


 彼女のことは、必ず守る。命に変えても。

 その約束を違えるつもりはなく、そして彼女を守るためにこそ、戦いからは遠ざける。


「そういうことが聞きたいんじゃなくて……特に織さんは、直接話した方がいいと思いますよ」

「そう言われてもな……朱音の母親が自分だってバレたんだろ? だったら向こうも、俺と会うのは気まずいと思うぞ」

「でも、家族じゃないですか。今はどうあれ、旧世界で三人が家族だったことは、なかったことにはなりませんよ」


 そう言われてしまうと、織はなにも言い返せなくなる。


 旧世界で、愛美からは何度も聞いていた。

 例え世界が変わってしまっても、また家族三人で、この場所で暮らしたいと。

 それが、彼女の願い。

 対して織は、そんな願いに背くことをしている。


「私はどっちでもいいんです。愛美さんとは学校でも会えますから。でも、二人は違うじゃないですか。ここで関係を断つようなことになっても、私は知りませんからね」


 冷たいようでいて、織たち家族三人を思いやった言葉。

 全く、本当にいい後輩を持ったものだ。

 あと一度だけ、愛美と二人で話をしてみよう。いや、一度だけだなんて言わない。彼女を戦いに関わらせるつもりはないけど、今後一切の関わりを断つつもりもない。


 だって俺は、旧世界の愛美も、この新世界の愛美も、等しく大好きなのだから。

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