戦いの火種
第5話
朱音がワクワクの初登校している、一方その頃。
織は事務所で自分のデスクに座り、天井を仰ぎ見ていた。
仕事がなくて暇すぎる、わけではない。
むしろ彼の手元には、とある依頼に関する書類があった。その中身を読んで辟易としたからこそ、彼は天井を仰ぎ見るしかなかったのだ。
「思ったよりも、出てくるのが早かったな」
「まだ一ヶ月だぞ……」
机の上に立つ全長十五センチのミニチュア吸血鬼、グレイも書類を覗き込み、顔を顰めている。
小鳥遊蒼の知り合いの転生者。織と朱音のこの世界での戸籍も用意してくれた、政府の人間。そこから依頼という形で、情報提供があった。
二人の戸籍を用意してくれた上に、朱音が学校に通う上で必要なあれこれも世話になった。そんな借りがあるところに、報酬金までちゃんと出すと言われてしまえば、織は首を縦に振らざるを得ない。
「しかし、武器商人か。また厄介なやつが転生者だったもんだな」
「ふむ、寄越された情報は名前と写真、この街に潜伏していることだけか。名前は当てにならないだろうな。どうせ偽名を使っている」
書類に載せられた写真は、まさしくこの町で行われた取引の現場だ。スーツの男性が四人映っている。
そのうちの一人、メガネを掛けた四十歳前後に見える、白スーツ姿の男。そいつがターゲットの武器商人。
写真の下には注釈で、右腕に蛇の刺青がある、と書かれている。
一応はその他にも、情報は書いてある。過去どのような場所でどのような兵器を売ったのか、顧客は誰なのか、この国をどれだけ脅かす存在なのか、などなど。
しかし正直なところ、その辺りの情報は織やグレイにとって、どうでもいいものだ。
重要なのは、この新世界における彼女らの平和を、崩し得る存在なのかどうか。
「しかし、考えたものだな」
「なにが」
「ルーサーを戦いに巻き込まないため学校に通わし、奴のいない間に仕事を進めることだ」
改めて指摘されると、織はバツが悪くなって表情を歪める。
グレイの言う通りだ。朱音を学校に通わせたのは、娘に普通の学校生活を送って欲しいという願いもあったけど。同時に、朱音のいない間に、自分とグレイだけで脅威を排除しようという考えもあった。
一徹が記憶を保持していたことは話してある。けれど、あの時に交わした話の内容までは、教えていない。
だから朱音は、この新世界に迫る脅威のことなんて、何も知らないのだ。
それでいい。あの子はもう、戦わなくていい。なにも背負わなくていいから。
「おめでとう、桐生織。これで貴様も、立派な大人の仲間入りだ」
「卑怯だって言いたいなら、はっきりそう言えよ」
「褒めているつもりなのだがな」
ククッ、と喉を鳴らしているのを見るに、全く褒めているようには見えない。
一転して真剣な表情に戻ったグレイは、視線を再び書類に落とす。
「だが、実際のところどうするつもりだ? いくら狭い街とは言え、人一人を探すのには苦労するぞ。魔術を使うか?」
「それは最終手段だ。幻想魔眼があるから、魔力を使っても朱音にはバレないけど。赤き龍だったか? そいつのこともある。そっちに反応されて街に攻め込まれたら、本末転倒だ」
「ふむ、たしかにそうだな。ならば、地道に聞き込み調査か。以前までの貴様より探偵らしくていいじゃないか」
「嫌味かお前」
まあ、たしかに。旧世界での織は、探偵と呼ぶには少しというか、かなり、脳筋で解決してきた節があるけど。
なにせ幻想魔眼と賢者の石があるのだから、大概のことはゴリ押しでなんとかなる。
今回は、その二つともを制限しなければならない。先程織自身も言ったように、超常の力に頼るのは最終手段。
武器商人の転生者と戦闘になってしまったり、本当に赤き龍とやらが現れてしまった時だけ。
「どの道、聞き込みなんてしていたら、ルーサーに勘付かれる可能性が高いことを忘れるなよ」
「分かってる。長引かせるつもりはねえよ」
新世界でこの街に住むようになってから、一ヶ月。織はすでに、棗市である程度のネットワークを構築していた。
事務所から近い商店街の人たちなんかは、元々織が一方的に知っている人たちばかりだし、彼らが織のことを受け入れてくれるのも分かっていた。その上で愛美を始めとしたかつての仲間たちは、割と多方面に顔が利く。
この街には住んでいないが、凪や龍、ルークもいるのだ。
おまけに桐原組の組長も全面的に味方。
極め付けは、グレイの異能。
敵が名前や顔を変えていたとしても、情報操作の副作用が残っているその眼があれば、一目見ただけで正体を看破できる。
街に住む全員が織の味方とは、さすがに言えないが。これだけ頼もしい人たちがいてくれれば、今日一日でもそれなりの収穫が期待できるだろう。
「とりあえず行くか。怪しいやつがいれば、すぐに教えてくれ」
「任せていろ。私とて、この世界を壊されることは望まんからな」
シルクハットとジャケットを手に取り、織は事務所を出た。
◆
「失礼します」
先導する翠と明子に続いて、朱音も職員室に足を踏み入れた。
学校のどこよりも静かに感じる場所だ。教師たちの話し声がないわけではない。生徒と話している者もいれば、教師同士で授業について相談している者もいる。
ただ、無駄な話をしてはいけない、というような。謎の威圧感にも似た雰囲気が、実際以上に静謐さを感じさせていた。
魔術学院日本支部の職員室とは大違い。
「加茂先生」
「入部希望者を連れて参りましたわ」
そんな職員室の一角に座る、四十前後に見える男性教師に、翠と明子が声をかけた。
メガネを掛けた彼は、人の良さそうな笑顔で振り返る。
「おやおや、天文部に入部してくれる子がいたのですか。これは嬉しい事ですねぇ」
おっとりした話し方は、しかし裏腹に、朱音の中で警笛のような何かを鳴らしていた。
全身が少し強張り、待て待てと内心で自分を落ち着かせる。
悪い癖、とでも言うか。朱音がまだ、平和な世界に慣れていないからこその弊害。なにかあれば、直ぐに身構えて警戒してしまう。
椅子ごとこちらに振り返った加茂は、その体つきや姿勢から、なにか格闘技や武道の類を嗜んでいたのだろう。
恐らく、朱音が警戒してしまったのは、それを感じ取ったからだ。
「君はたしか、転校生の桐生朱音くんですね?」
「はい。天文部に入部希望です!」
「では、この入部届を渡しておきます。提出は明日以降でも構いませんから、出灰くんと土御門くんから、部室で活動について聞いてきなさい」
「分かりました!」
先程の警戒も忘れるほどに元気よく挨拶を返して、三人は職員室を出る。
次に向かったのは、校舎二階の第二理科準備室。今日も授業で使った第二理科室の隣に位置するそこは、窓に暗幕が下り、外の光を遮断していた。部屋の電気をつけることで、ようやく部屋の中をはっきりと見渡せる。
「どうぞお座りくださいな、朱音さん。今お茶を淹れますわ」
「お菓子もありますよ。きのことたけのこ、どちらがいいですか?」
「翠、なんでその二択を出したの……?」
「今のうちに、敵か味方かを判断しておきたかったからです。ちなみにわたしがたけのこ」
「わたくしはきのこですわ! 朱音さんも、きのこの方がお好きですわよね⁉︎」
電気ポットとお茶っ葉で紅茶の用意をしている明子が、えらく食い気味に聞いてきた。かと思えば、対面に腰を下ろしている翠は、やけに鋭い眼差しでこちらを見ている。
こ、答えづらい……別にどっちでもいいとか、言いづらい……!
「あー、私は、あれかな。アルフォートが一番好きかな」
「出ましたわね邪教徒が!」
「邪教徒⁉︎」
「どちらも選ばないことで、自分はどちらも好きだと意思表示をしているのですね。しかし朱音、わたしは分かっていますよ。あなたが本当は、里の者であることを」
「里の者ってなに!」
ぽん、と肩に手を置き、たけのこを差し出してくる翠。いや、ありがたく頂くけども。
受け取ろうかと思ったら、座っている丸椅子ごと、グイッと後ろに引き寄せられた。キャスターがカラカラと音を立てて、朱音の体は明子に抱き寄せられる。
「なにを抜け駆けしようとしていますの? 朱音さんはこれから、わたくしと共に山で暮らすのです。さあ朱音さん、邪教の魔の手から今救ってあげますわね」
「邪魔をしないでください、明子。その様に無理矢理な手口はあまり好まれませんよ。朱音に嫌われてもいいのですか?」
「あらあらあら? 翠さんこそよろしいのでして? あまりわたくしに口答えいたしますなら、もう紅茶は用意してあげませんことよ?」
「……卑怯ですね」
むぅ、と眉を顰めて唇を尖らせる翠。どうやら降参らしい。
完全に脅し以外のなにものでもない手段を取った明子は、三人分の紅茶を運んだ後、机の上にきのこの山を置いた。これで高笑いとかしてたら、完全に悪役だった。
いや本当、私はどっちでもいいんだけどね。きのこでもたけのこでも、アルフォートでも。食べられるならなんでも。
「それでは、説明の続きといたしましょうか」
「そうですね。とは言え、わたしたちの活動は基本的に、天体観測がメインです。その他の活動は、天体観測の下準備と終わった後のレポート提出くらいでしょう」
「レポート?」
「ええ、それがこの部の活動実績になりますのよ」
当然ながら、活動した実績のない部活動を存続させるなど、予算の無駄でしかない。
その為には形としてなにか残ることをしなければならず、手っ取り早いのがレポートと言うわけだ。
なるほど、と頷きながら、朱音はぽりぽりときのこの山を食べ続ける。
「とは言え、そこまで畏まったものでもありませんわ」
「実際にその目で見て、感じたことを書けばいいのです。わたしたちは中学生、サーニャのような天体物理学者とは違います。知識自体も、彼女と比べれば雲泥の差がありますから」
そんなものか。朱音は空の元素を使う都合上、天体系の知識はそれなりに有している。恐らく、普通の中学生レベルではない。
そのあたりも、周りと合わせた方が良さそうだ。じゃないと変に怪しまれるし、どこがきっかけとなって朱音たちのことを勘付かれるかも分からないから。
「天体観測かぁ……楽しみだなぁ……」
ついにたけのこの里まで開けて食べ始めた朱音は、来たるその日の情景を想像してみて、つい微笑みを漏らしていた。
◆
収穫、なし。
もはやいつも通りみたいな感じがありつつも、織はその結果に肩を落とし、机に突っ伏していた。
場所は商店街の中にある、小さな喫茶店。その窓際の席だ。
「見事に誰も見たことないのか……」
「そう簡単に見つかるのなら、我々に依頼を回して来ないだろう」
胸ポケットで窮屈そうにしているグレイの言う通り、聞き込み程度で見つかるなら、織たちの元に来る依頼はもっと違う形となっていたはずだ。
例えば、取引の現場を抑えろ、とか。
相手は武器商人。それも数々の生を経験してきた転生者だ。
今よりももっと殺伐とした旧世界で、お上の目を盗んで来た。一探偵が簡単に見つけ出せるほど、敵も甘くはない。
「できれば、もうちょい情報が欲しいとこだな……」
「そうだな。転生前が有名ならば、そこから潜伏方法が露見することもあるだろう」
「お前、旧世界でその辺のこと知らなかったのか?」
「候補は二人ほどいるがね」
いるのかよ。だったら早く教えて欲しかった。恨みがましく胸ポケットを睨むが、ミニチュア吸血鬼は織の視線などどこ吹く風。顎に手を当て、なにやら考え込んでいる。
「ただ、そのどちらも私の知る限りでは、あまりバカな真似はしないやつらだよ。感覚的には、剣崎龍やルージュ・クラウンと似たやつらだ」
「つまり、世界の再構築で後悔を晴らすのを諦めた、ってことか?」
「あくまで、私の知る限りでは、だ」
どのような後悔を経て、転生者となったのか。この世界に、何を思うのか。
当然ながら、そんなのは当人以外には完全な理解などできない。だから、グレイがそう言っていたとしても、実際のところは違う可能性だってある。
「ただ、私もその二人と深い交流があったわけではない。何度か利用したことはあったが、戦ったことはなかったからな」
「なんの転生者かは知らないのか」
「ああ。だから言わなかったのだ」
結局、めぼしい情報はないまま。
今日一日で終わらせられるとは思っていなかったが、まさか本当に収穫ゼロとは。
意気込んでおいてこのザマなのは、旧世界の頃から変わらない。
氷が溶け始めて薄くなったアイスコーヒーを、喉に通す。ブラックの苦味が脳の覚醒を促してくれないか、と期待したものの、やはりなにも思い浮かばない。
一度飲み干してお代わりを頼もうと思えば、グレイがポケットの中に引っ込んだ。ふと顔を上げて窓の向こうを見れば、市立高校の制服を着た長い黒髪の美少女が、こちらに微笑みかけて手を振っている。
何故か持っている竹刀袋を肩に担いで、ぱたぱたと喫茶店の中に入ってきた。
「こんにちは、探偵さん。今日はお一人?」
「おう、朱音は今日から登校だからな」
「ああ、この前そんなことを言ってたわね」
織に許可を取ることもなく、向かいの席に腰を下ろす愛美。まあいいんだけど。
傍にカバンと竹刀袋を置いて、店員に紅茶を頼んでいた。ついでに織も、コーヒーのお代わりを注文する。
「お前こそ、いつも桃と一緒にいるのに、今日は一人なのか?」
「ええ。あの子なら今頃、緋桜とよろしくやってるんじゃないかしら」
「へぇー」
なんの気もなしに答えたが、旧世界であの二人のことを知っている身からすると、色々と感慨深いものがある。
悲劇的とも言える別れになってしまった桃と緋桜だ。この新世界で仲良くしているなら、それに越したことはない。
「私も、今日は剣道部に顔を出してたから」
「それでその竹刀袋か」
剣道を始めとし、空手や柔道などなど。彼女が様々な武道の経験者であることは、織も話を聞いていた。その中でも特に、剣道が得意なことも。
剣道部に所属しているとは聞いていなかったが、面倒見のいい愛美のことだ。部員のやつらの指導にでも行ってたのだろう。
店員が紅茶とコーヒーを持ってきてくれ、互いに一口喉に通す。
「それで? あなたはこんな所でなにしてたのよ」
「仕事。ちょっと人探しの依頼があってな。お前、この人見たことないか?」
懐から写真を取り出して、愛美に手渡す。
正面からの写真というわけではなく、明らかに怪しい現場の写真ではあるものの。今のところは手元にこれしかないのだ。愛美も怪訝な目で写真と織とを見比べていた。
しかしその視線は、どうやら写真の状況に対するものではないらしく。
「この人、うちの中学の先生に似てるわね」
「中学の?」
「朱音が今日から通う中学よ。私、そこの卒業生で天文部だったんだけど。その天文部の顧問と似てる気がするわ」
「……いや、待て待て。お前それ、マジで言ってるか?」
「嘘ついてどうするのよ」
不機嫌そうに唇を尖らせる愛美。可愛い。可愛いが、それどころじゃない。
まさかそんな身近にいたとは。中学の教師なんてやってれば、そりゃ商店街の人たちが中々知らないのも頷ける。
だが、違和感は残る。
中学校の教師をやるなら、この棗市か近隣の街に定住していなければならない。
しかし相手は武器商人だ。依頼主から送られてきた書類には、この街どころか日本以外でも、取引を行なっていたらしい。
辻褄が合わない。この街に定住して、なおかつ日本全国、あるいは世界中を飛び回るなんて、ほぼ不可能。
愛美が中学の時からとなると、少なくとも三年以上はこの街に住んでないとおかしい。
しかしそれらを可能とするだけの力を、織は知っている。
「いや、それは有り得ないか……」
小さく呟き、首を横に振る。
魔術や異能を使えば、条件は全て満たすことができる。できてしまう。
しかしそれ自体が有り得ないことだ。この世界に、それらの力は存在していない。一部の例外を除いて。
「ちょっと、一人で考え込むのはいいけど、私を放ったらかしにしないでよ」
「ああ、悪い悪い」
キッと睨まれ、苦笑を返す。
店内の時計を見てみれば、そろそろ十八時半だ。朱音は帰ってきているだろうし、夕飯の準備をしないといけない。
だが、今すぐに動きたいという気持ちはある。他の誰でもない、朱音が通う中学。そこの教師だ。本当に今回のターゲットであるなら、早いうちから始末をつけておかなければ。
「それで、探偵さんはどうするの? その人に今から会いに行くっていうなら、私が取り計らうけど」
「そうだな……なら頼んでいいか?」
言いながら、胸ポケットの吸血鬼を事務所まで転移させた。なんの確認も取らなかったが、あいつならこちらの意図を察してくれるだろう。
恐らくその中学教師は、確実に黒。直感に似た部分がそう告げている。
だがその具体的な所が見えて来ない。魔術もなにもなしに、どのようにして教師と武器商人を両立しているのか。
そもそも、あの小鳥遊蒼の目を、どのようにして掻い潜ったのか。
「ならさっさと行きましょうか。もう時間も遅いし、あまりゆっくりしてると帰っちゃうわ」
「だな。朱音をあんまり待たせすぎると、怒られちまうし」
残っていた紅茶とコーヒーを飲み干して、二人して席を立つ。
勘定は纏めて織が払った。こんなところでもないと、男としての甲斐性的なのを見せられないから。
「あれくらい自分で払うのに」
「いいから奢られとけ」
なんて問答を繰り広げながら、店を出る。
向かう先は、朱音が通うことになった市立中学校。果たしてなにが飛び出してくるか。
これは早速、朱音にもバレてしまうかもしれない。
内心でため息を吐きつつ、愛美と並んで足を進めた。
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