9章その1 失態と告白①

 早朝の聖堂は重苦しい空気に包まれていた。集まった五人の顔には、一様に沈鬱な表情が刻まれている。

「悪霊め」

 ウェルが呟き、荒々しく何度も三叉を切った。その後ろで、苦し気に目を閉じたマズローが俯いている。

 聖堂の中央。エリスが焼かれたまさにその場所に、リノは横たわっていた。今はもう白の遺骸布に覆われて見えないが、そこにあったすさまじい光景はミナの目に焼き付いている。

 つんと立った鼻もくっきりとした目も焼け崩れ、その顔はとても正視できるものではなかった。燃焼のむらからだろう、身体は黒、茶、赤と毒々しいまだら模様を描いており、それが一層おぞましさを増幅させていた。単に火を点けたくらいでは人体は黒ずみにならないということを、ミナは初めて知った。

 死体を発見したのは、今回も朝課前の清掃に来たセラだ。報せを受けてミナたちが駆けつけた時、彼女はすでに正気を失っていた。

「そんな……どうして……」

 そう繰り返すばかりで、呼びかけにも反応しない。今は自室に運び込まれており、ノラが介抱に当たっている。その隣の部屋では、事件を知り昏倒したローザがこちらも横になったままだ。

 教会前に集まった住民たちに、朝課および晩課、そして聖堂の使用は当分中止だと伝えると、目に見えて動揺が走った。また何か起きたのではないか、と詰め寄る彼らを宥めるのは容易なことではなく、再び暴動が起きるのは時間の問題だと、場にいる誰もが感じた。

 死体を見て、ミナは二度吐いた。その凄惨な姿のせいだけではない。墓所でリノに問い質しておけば、こんなことにはならなかったのではないか――そんな思いが後悔となって臓腑を刺激したのだ。

「畜生!」

 何度目かの怒声を響かせると、ハルは壁に右手を叩きつけた。その拳は、しばらく前から赤く腫れ上がっている。

「おい、いい加減にしろ。そんなことしても何にもならねえだろ」

 ロンゾがハルの肩を掴む。その声もからからにひび割れていた。

「うるさい!」

 手を払いのけようとするハルだったが、その身体をロンゾはぐっと壁に押し付ける。

「いい加減にしろって言ってんだよ」

 感情を押し殺した低い声。だが、隠しようもなく震えが混じっている。

「そんなことしてる暇があるならよ、とっととこんなことしたクソ野郎を捕まえるぞ」

 睨み合う二人だったが、すぐさまハルが肩を落とした。

「ああ、そうだな。さっさと捕まえて終わらせよう」

 ロンゾが力を緩める。と、それを待っていたかのように、ハルは脱兎の勢いで聖堂を飛び出した。突然のことに周囲が反応できずにいる中、ぴんと来たミナは慌てて後を追いかけた。

 行き先は修道院だった。開け放たれた部屋へ飛び込むと、ハルがベッド上のセラに掴みかかっていた。その横では突き飛ばされたのだろう、ノラが床の上に倒れている。

 無我夢中でハルの腕にしがみつくが、無造作に後方へと払い飛ばされる。恐ろしい力だった。

 たたらを踏む彼女を、背後から太い腕が抱き止めた。ロンゾだ。彼はハルの襟首を掴んでベッドから引き剥がすと、がっちりと羽交い絞めにした。

 けれど、ハルは止まらない。ベッドの隅で震える少女になおも掴みかかろうと、滅茶苦茶に身体をねじる。

「おい、いい加減にしろ! キレてんのはみんな一緒だ。八つ当たりか何か知らんが、そういうのは犯人にぶつけろ!」

「ああ、だからぶつけてる! こいつかローザのどっちかなんだ! こいつらは――」

「ハル! 違うの!」

 ミナが叫ぶ。

「ああ!?」

「セラたちは、ちゃんと洗礼を受けてる! それはマズロー司教も保証してくれた!」

 ハルの動きが止まる。ぎこちなく振り返ると、震える声で質問を投げかけた。

「どういうことだ?」

 エリスを含め、四人が受洗していることを説明するミナ。それを聞いて事情を察したのだろう、ロンゾが横から口を挟む。

「四人が洗礼を受けてるのは間違いないぜ。その儀式には俺も立ち会ったし、町の人間なら誰でも知ってる」

「何でだ?」

「あ?」

「何で昨日言わなかった?」

「はん、俺は蚊帳の外だったみたいだからな。伝えようがないだろ?」

「あんたには言ってない!」

 ハルはミナをきっと睨みつけた。

「何でそれを昨日言わなかった!」

「……ごめんなさい」

 そう、昨晩眠りに落ちてしまった彼女は、調査の結果について一切をハルへ伝えずじまいだったのだ。

 怯えるセラたちに詫びて部屋を出ると、情報共有のために三人は食堂で顔を突き合わせた。墓所でのリノとのくだりまで話が終わると、ハルはにわかに立ち上がった。

 行く手を塞ぐように、ロンゾが扉の前に立つ。

「どこへ行く」

「どけよ」

「セラのやつなら今、とても話ができる状態じゃない。誰かさんのせいで尚更な」

「関係ない。修道女連中が事件に関係してるのは間違いないんだ。なら、さっさと聞き出すまでだ」

「ロンゾさんの言う通りだよ。セラは――」

「ミナは黙ってろ」

「でも」

 ハルが傍の椅子を蹴り上げた。

「自分のしたことが分かってるのか? どうしてリノ修道女から話を聞き出さなかった! 何か知ってたんだろ? 殺されたのはきっと口封じだ。犯人は二人の話を隠れて聞いていたんだ。ミナのせいで取り返しのつかないことになったんだぞ!」

 ミナは立ちすくんだ。言葉の一つ一つが胸を深く抉ってくる。

「おい、そんな言い方はないだろ! こんなことになるなんて誰が想像できる!」

「罪人が野放しになってるんだぞ? また犠牲者が出ることくらい予想できなくてどうする?」

「はん、じゃあ聞くがな、この事態を予想できてたらしいお前は、それを防ぐために何かしたのか? 間違った推論立てて間違った調査させてたくせに、偉そうな口利くんじゃねえ!」

「ああ!?」

「やめて!」

 ミナは叫んだ。口論はもうたくさんだ。それに――

「ロンゾさん、庇ってくれなくていいです。私が迂闊だったんです」

 そう、今回は間違いなく自分に非がある。ミナは深く頭を下げた。

「本当に、ごめんなさい」

 ハルは舌打ちし、それっきり黙り込んだ。


 修道女たちへの聴取はひとまず見送られ、まずは現場、そしてリノの遺体を調べることとなった。

 遺体の頚部には、火傷で消えかかってはいるものの扼痕があり、これが死因と考えられた。また、現場には遺体を焼いた跡が床に残っている以外、目につく痕跡はなかった。いずれも第一の事件と同じだ。

 遺体は聖堂左手にある安置室へと一時的に運ぶことになった。埋葬しようにも、その現場を住民に見られでもしたら暴動を誘発しかねない。幸いにも、恒炎の浄化作用には腐敗を遅らせる効果もあるため、数日置いておく分には問題はなかった。

 続いて、審問が行われた。といっても、セラはロンゾが言った通りの状態で、ローザはまだ昏睡から回復していないため、話を聞けたのはそれ以外の三人だけだったが。

 証言から浮かび上がった状況は、第一の事件と見紛うばかりだった。

 リノは夕食後すぐに修道院へと戻り、それ以降に彼女を目撃した者はいない。そして、犯行に関して三人はきっぱりと否定し、いくら具体的な質問をしようがそれ以上は何も得られなかった。

 結局、審問は短時間で切り上げられ、その後の時間は敷地内の調査に費やされた。鶏舎、物置小屋、水浴み場、修道院、そして宿舎の一部屋一部屋に至るまで、徹底的に検められていく。だが、手掛かりとなるようなものは何一つ発見されなかった。リノの自室も第一の事件と同様の状態で、目新しい事実は何も引き出せなかった。

 調査が終わる頃には、とうに正午を過ぎていた。ぎらつく太陽の下、微かにそよぐ風は生ぬるく、汗にまみれた身体と苛立った心にはひどく不快だった。

 重い足取りで教会へ引き返す途中、ミナはふと視線を感じた。見回すと、鉄柵の向こうに幾人もの顔がある。町の住人たちだ。どの目も一様にぎらついており、どうやら彼女ではなくハルの様子を窺っているようだった。ロンゾがそっと囁く。

「気をつけろよ、ハル。あいつら、お前のことを疑っているぜ」

「え!?」

 ハルに代わり声を上げるミナ。それに反応してか、いくつかの視線が彼女へと向けられる。その目に浮かぶ不穏な光に肩を縮めながら、ロンゾにそっと尋ねる

「今朝のこと、町の人にはまだ報せてないんですよ?」

「聖堂が立ち入り禁止になったんだ、何かあったってのは馬鹿でも分かる。というより、エリスのこともハルがやったと思ってるだろうな、あの目は」

「滅茶苦茶じゃないですか! 最初の事件の時、私たちはここにいなかったんですよ?」

「異邦人だからだろ。言いがかりも甚だしいが、不安にとり憑かれた人間に論理は通じねえ。滅茶苦茶だろうが何だろうが、少しでも疑えそうなものがあれば飛びつく。こないだの暴動で、俺もいやってほど思い知らされた」

「そんな」

 ミナはもう一度鉄柵を窺う。そこから覗く目のすべてが、再びハルを凝視していた。

「ふん、本当に大層な町だな」

 当の本人は不機嫌に吐き捨てた。

 教会へ戻ったところで、三人はそれぞれ別行動をとることになった。ハルは敷地内を再度調査し、ロンゾは司教と今後のことを相談するため、宿舎へ。

 そして、ミナはセラたちから話を聞くため修道院へ向かった。

 自分から言い出したことだった。もう取り返しはつかない。だが、後悔を引きずったまま何もしないわけにはいかない。二人から情報を聞き出すことが、責任を取ることに少しは繋がるはず――そう考えたのだ。

 ロンゾは渋い顔をしたが、二人をなるべく刺激しないようにと釘を刺した上で、提案を飲んだ。切実に訴えるミナに根負けした形だ。一方で、ハルは何も言わなかった。食堂での一件以来、彼とミナとの間に言葉はなく、視線が合うこともなかった。

 セラの部屋の前に立つと、中から荒々しい声が聞こえてきた。誰かが言い争いをしているようだ。ためらいながらもノックすると、ぴたりと声がやむ。ややあってドアから顔を覗かせたのは、自室で休んでいるはずのローザだった。

 ミナの来訪に驚きながらも、彼女は中へ通してくれた。

「どうぞ」

 その声は、今朝昏倒した人間のものとは思えないほど、はっきりとしたものだった。いや、それだけではない。彼女は顔を俯けることなく、しっかりとミナを見つめている。顔色はまだ悪いものの、昨日までとはまるで別人のようだった。

 セラはベッドにいた。肩をすぼめ、怯えに満ちた目でこちらを窺っており、こちらも以前の面影はない。二人が並ぶと、まるでお互いの魂が入れ替わってしまったかのように見える。

 彼女たちの変貌ぶりに戸惑いながらも、ミナはベッド脇の小椅子に腰かけた。その隣にもう一つ小椅子を引き寄せ、ローザが座る。

「だいじょうぶ?」

 ミナの問いかけに、セラが小さく肩を震わせて言った。

「聞いた?」

「え?」

「部屋の外で私たちの話、聞いてた?」

「ううん、はっきりとは。何か話してるのは分かったけど――」

「何しに来たの?」

 被せるようにセラが聞く。やはり、これまでとは様子が違う。遠回しに聞くのは逆効果と考え、ミナは率直に尋ねた。

「こんな時に、ごめん。でも、こんな時だからこそお願い。隠していることがあるなら教えて」

 セラの顔が目に見えて青ざめる。一呼吸置いて、ミナは墓所での一部始終を話した。――その言葉に、二人の修道女は同時に目を落とした。

「隠してることがあるんだよね? リノはそれを明かそうと決心したんだと思う。でも、あんなことになってしまって……。お願い、彼女のためにも、知っていることを教えて」

 すぐに答えは返ってこなかった。二人とも俯いたままだ。ミナの胸に、じりじりとした焦りが湧き上がってくる。

「ミナさん」

 先に顔を上げたのはローザだった。眼鏡の奥から覗く瞳には、墓所で見たリノそっくりの光が浮かんでいた。

「確かに、私たちには隠していることがあります。さっきセラちゃんと話していたのは、それをどうしようかということでした。セラちゃんは、このまま黙っていた方がいいって。でも私はもう……これ以上耐えられません。聞いてくれますか?」

 セラが悲鳴に近い叫びを上げた。

「駄目! 話しちゃ駄目!」

「リノちゃんも殺されちゃったんだよ!」

 はっとするほど鋭い声だった。

「昨日リノちゃんを止めなければ、こんなことにはならなかったかもしれない!」

「でも、止めなかったら私たちも!」

「ちょっと待って! 止める止めないって、どういうこと?」

 成り行きについていけず、ミナが割って入る。口をつぐんで俯くセラを横目に、ローザが答えた。

「昨日、リノちゃんと話をしたんです」

 晩課前、リノは二人を自室に呼び寄せ、墓所の一件を語ったのだという。最初のうちは、単なる仲直りの報告だと思っていた二人だったが、次第に雲行きが怪しくなっていく。そして、エリスに恥ずかしくない行動を取りたい、とリノが訴えるに至り、顔色をなくすことになった。

「隠していることを全部話そう、それが償いだからって。まっすぐな目で。でも……私たちは止めました。確かに償いになるかもしれないけど、私たちも火刑になってしまうから」

 その言葉に驚きながらも、やはりという思いが生じる。薄々とは気付いていたのだ。この国において隠しごとというのは、大抵は罪と関連しているものなのだから。

「それで、けんか別れみたいになってしまって」

 議論は平行線を辿り、結論が出ないまま晩課のため中断した。夕食後、再び話を持とうとしたが、リノは何も言わずに自室に閉じこもってしまう。そして――

「リノちゃんも殺されてしまった。もう、黙っているなんて私にはできない。セラちゃんも、本当はそう思っているんでしょう?」

 ローザはセラの手を握り締める。

「きっと、大丈夫だから」

 いやいやをするように首を振るセラ。だが、その背をあやすようにさすり、繰り返し諭すと、観念したようにがっくりと肩を落とした。

「全部お話します」

 ミナをまっすぐに見て、ローザが言った。

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