5章 その2 審問と可能性②

 短い休憩を挟み、事件当日の状況について聞き取りが始まった。そこで聴取された事件の概要に、ハルの考察を加えてまとめると以下のようになる。

 当日の晩、被害者であるエリス修道女はいつものように教会の食堂で夕食を摂った。食事を共にしたのは、いま聖堂に集められている五人と司教の合わせて六人。これもいつも通りである。食後、彼女は他の修道女三人とともに修道院へ、残りの三人――マズロー司教、ノラ監督官、ウェル料理長――は教会裏手の宿舎へ戻った。

 修道院は建物正面中央に入口があり、入ってすぐの小ホールから左右に廊下が伸びている。部屋は廊下に沿って建物正面側に設えられており、左右に各々四つ、合計で八部屋ある。

 左手の部屋は手前からエリス、リノが使用し、残り二つは空き部屋となっている。一方の右手は手前からセラ、ローザの部屋、図書室、物置部屋となっており、突き当りには外の厠へとつながる木戸が設けられている。

 修道院に戻った四人は小ホールで別れ、それぞれ自室に入った。これ以降、朝まで誰も部屋を出ず、エリスを目撃した者もいない。

 事件後に被害者の部屋を調べたところ、ドアには鍵は掛かっておらず、こじ開けた形跡はなかった。また室内は整っており、争った跡などは見られなかった。

 部屋の壁は厚く、ある程度の物音は遮断するが、もし激しい争いがあったなら、少なくとも同じ屋根の下の三人には届いたと考えられる。だが、事件当夜にそのような物音を耳にした者はいなかった。

 一方、廊下は地面がそのままむき出しになっており、足音はあまり響かない。注意すれば、三人に気付かれず抜け出すことが可能だ。

 以上から、エリスは皆が寝静まった頃、自分の足で教会へ向かったものと推測される。

 自然に考えると、彼女を殺した人物によって呼び出された、ということになるだろう。夜中にも関わらずエリスがそれに応じていることから、相手としては教会関係者の六人が疑わしいが、審問では全員がそれを否定している。

 敷地内の芝生には怪しい痕跡や足跡はなかった。修道院から教会入口までは、長年の往来よってできた轍があり、その夜もエリスはそこを通ったのだろう。

 聖堂へ着いたエリスは、おそらく自分を呼び出した何者かに絞殺された上、身体を焼かれた。厨房のかめから油が減っているのが確認されており、これが使われたと見てよい。

 死体の第一発見者はセラ修道女。翌早朝、その日の清掃係だった彼女は朝課前、まだ陽が上らないうちに聖堂へと入り、内陣中央の床に横たわる被害者を見つけた。

 そのあまりの惨状に、彼女は声もあげずその場にへたり込んでしまう。しばらくの後、朝課の準備にやって来たマズロー司教が彼女を見つける。彼はすぐさまウェルに関係者全員を集めさせ、次いでロンゾを呼びにやらせた。

 以上が大まかな流れだ。

 最後に、敷地の施錠状況について付け加えておく。敷地へと繋がる唯一の入口である鉄柵門は、夕食後にウェルが閂を下ろすことになっており、当日もしっかりと施錠したことを証言している。外部から侵入しようとすれば、ロンゾの倍もある鉄柵をよじ登り、びっしりと並んだ忍び返しをどうにかして避けなければならない。完全に不可能というわけではないが、かなりの困難を伴うだろう。

 また、教会自体には入り口は二か所――正面扉と厨房の勝手口があり、どちらも終日施錠されることはない。聖堂の扉についても、その内側に閂はあるものの鍵は設えられておらず、こちらも常時解放されている。このため、少なくとも教会関係者ならば労せず聖堂へ侵入することが可能だ。

 これが事件のすべてである。「取っ掛かりがなさすぎる」とハルがぼやいたのも無理はない。

 陽が暮れる頃、審問は一旦打ち切りとなった。ぞろぞろと証人たちが出て行く中、審察官三人は疲労困憊のていで長椅子に身体を投げ出していた。

「はあ、大変だったね」

 ミナはぐっと身体を伸ばした。肩の周りが強張っている。審問中、ずっと力が入っていたらしい。

「調査応援って、こんなに大変なものなの?」

「いや」

 ハルがくたびれたため息をつく。

「どんな事件だろうと、本来ならちょっとした見落としや勘違いで説明がつくはずなんだ。この国では偽証ができないからな」

「はん、俺の気持ちが少しは分かったんじゃねえか?」

 ここぞとばかりに身を乗り出すロンゾに、「そうだな」とハルが素直に頷いた。それだけ彼も滅入っているのだろう。

「それで?」鼻白んだ顔でロンゾがさらに尋ねる。「何か分かったことは?」

「より一層の調査が必要ってことは分かった」

「それは何も分かってないってことだろ」

「可能性は二つしかない」

 ロンゾの言葉を振り払うように、ハルは断言した。

「一つ目。犯人は町の外部から侵入した」

「侵入は不可能だって、さっき言ったよな?」

「ああ、聞いたよ」噛みつくロンゾに、淡々とした口調で答える「だが、外壁が高いってだけでそれも確実じゃないだろ? 何らかの方法で壁を乗り越えた可能性もゼロじゃないんだ」

 ミナは首を傾げた。

「何らかの方法って?」

「いくらでもあるだろ? ロープを引っかけて登るとか、誰かが引っ張り上げるとか」

「あの高さを? 足場もないのに?」

「『加護』があれば可能だろ」

「あ」

 ハル以外の口から同時に声が上がる。

「瞬間移動やら通り抜けなんかはできないが、能力によっては壁を登るくらいの芸当は朝飯前だ」

 加護――神が与え給うた恵み。その力は強大だが、決して万能ではない。長年の知見と聖篇解釈の積み重ねから、以下の四事象への干渉は実現不可能であると結論付けられている。

 時間――過去に遡ることも、未来へ跳躍することもできない。もちろん、時間の流れを止めることはできない。

 空間――空間を操作することはできないし、飛び越えることもできない。ハルが言ったように、瞬間移動、物体の通り抜けといったものは存在しない。

 存在――有るものを無いように、また無いものを有るように見せかけることはできない。一言で言えば、幻を創出することはできない。

 また、ミナの炎球のように単純な構造のものは創り出すことができるが、構造が複雑すぎて隅々まで完璧にイメージできないものは創出不可能である。同じく構造を十全に把握できないという理由から、複製をつくることもできない。

 加えて、物質の大きさや質量、組成を変えることはできない。つまり、砂金を金塊の山へと増殖させることはできないし、銅貨が金貨に変化することもない。 

 生死――生物の命を思い通りに奪うことはできないし、死んだ者を蘇らせることもできない。また、生殖以外に生命を創り出す術はない。

 これ以外に、一度に使える回数や持続期間には限りがある、自身の身体能力を上げる加護はない、という制限がある。加護は本人の生命力を消費して発動させているから、というのが専らの定説だ。見境なしに使うと身体に激しい反動がくることが確認されており、この説の有力な証拠となっている。

 ロンゾが首を振った。

「神に選ばれた加護持ちが罪を犯すなんて、あるわけないだろ? まだ異教徒の魔術って方が説得力あるぜ」

「異教徒の魔術なんて信じてるのか?」

 ハルの目に冷笑が浮かぶ。

 異教徒が妖しい術を使った、おそろしい業を持っていた――その手のまことしやかな噂話は、教国内にごまんと溢れている。ミナですら、両手で足りないほどは知っている。

 だが――

異教徒が妖しい術を使った、おそろしい業を持っていた――その手のまことしやかな噂話は、教国内にごまんと溢れている。

 だが――

「あれは得体の知れないものへの恐怖から生まれた迷信だぜ。はっきりとその存在が確認されたことはこれまで一度もないんだ」

 彼の言う通り、異教徒の魔術は噂の中にだけ存在する代物だ。公式にも、異教徒の魔術は否定されている。ただ、それで国民が安心するかというと、それはまた別の話なのだ。

「それとも、この辺の異教徒――テパ族だったか、そいつらは特別なのか?」

 その言葉にロンゾが舌打ちする。

「俺だって信じちゃいないさ。そんなものお目にかかったこともないしな。あくまで加護持ちが罪を犯すのに比べたらって話だ」

「加護持ちは罪を犯さないって? さあて、それはどうかな?」

 ハルはちらりと隣の少女へと視線を送った。

「そうだね」素知らぬ顔で返すミナ。「罪人を逃がしたことのない立派な使徒でも、犯罪を見逃すことがあるみたいだしね」

 微妙な空気が流れる。一人蚊帳の外となったロンゾが尋ねるように視線を投げかけるが、答えはなかった。

「で?」仕方なく話を進める。「もう一つの可能性は?」

「住民の中に偽証している者がいる。もしくは、ミト教徒でない人間がいる」

「はっ」

 ロンゾは鼻で笑った。

「それこそあり得ねえ。言ったろ? この町のやつらはみんな顔馴染みだって。お互いのことはよく知ってるし、間違いなくみんな信徒だ」

「全員が口裏を合わせているかもしれないだろ?」

「……信徒の俺が保証してるんだぜ?」

「あんたが仲間外れか、それともグルか。可能性はいくらでもある」

「この町のこと、馬鹿にしてんのか?」

 二人の間に剣呑な空気が漂う。が、

「それはおかしいよ、ハル」

 すぐさまミナがそれを打ち消した。

「もし全員がグルだったら、わざわざ私たちを呼ぶ理由がないよ。それに、ロンゾさん以外がグルだったとしても、事件を隠蔽するくらい簡単なはずでしょ。事件が表沙汰になっていること自体、ハルが間違ってる証拠じゃない?」

 驚いたように目を瞬くハル。

「意外に――」

「ちゃんと考える頭は持ってますから」

 ハルは肩をすくめた。

「まあ、あくまで可能性の話だ。俺も本気で言ってないさ」

「あ?」ロンゾの不機嫌な声が割り込む。「冗談でもそんなこと言うな」

「冗談で言ったわけじゃない。可能性として挙げたんだ。これだけ取っ掛かりのない事件だ、考えうる可能性は一つ一つ検証すべきだろ? それに、少なくとも町の誰かが言葉を弄して偽証している可能性は残っているはずだ」

「……まあ、な」

 苦い顔をしながらも、ロンゾは引き下がった。

「えっと、じゃあどうする?」

「分担して調査しよう。俺とロンゾ審察官は外壁を調べる。侵入した痕跡が見つかるかもしれないしな。ミナは教会関係者と行動を共にしてくれ。もうすぐ晩課に夕食だ。彼らに張り付いて、普段の行動パターンを確認してほしい。もし可能なら、何でもいいから情報を引き出してくれ」

 方針が決まったところで、思い出したようにハルが口を開いた。

「ああ、そうだ。一つだけ分かっていることがある」

 その視線が下がる。つられてミナも目を落とす。ほのかな明かりに照らされた大理石の床。そこに刻まれた、薄茶色の焦げ跡。

「殺された人間がいる限り、殺した人間がいる。そいつを俺たちは捕まえなきゃならない」

 まるで、自分自身に言い聞かせているかのような声だった。

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