はてさてこれは、犯人が言い回しで逃れたか、そもそも審問を受けてないか、そもそもミト教徒じゃない人間が紛れてたのか……。
一つ聞いておきたいんですけど、今回の話で引用がセーフとなっていますが、『俺は審問に対して推理小説の台詞を引用して答えたからセーフ』みたいなのはないですよね?
(それと、ここに自分の考えを投下しちゃっていいんでしょうか?問題があるようなら削除します)
作者からの返信
コメント、質問ありがとうございます!もちろん、なんでも投下しちゃってください♪
引用がセーフなのは「嘘をついている自覚」がない場合となります。創作や架空のもの(偽り)を引用して「罪を逃れようとする」場合は、言い訳をする場合と同様に「嘘をついている自覚」があると言えるので神罰は発動します。
でもそうなると、伝記やらノンフィクション、自分で書いた日常のメモとか偽りじゃないものからの引用という抜け道がありますね、、(^^;)
解決案としては、引用するときは必ず引用元を宣言してから引用しなければ「嘘」と見做されることにすればいいかもですね。ちょっと直してみます。
本編上は引用による罪逃れというギミックは使えないことしていたので、ご指摘のおかげで細部を詰めることができました♪ ありがとうございました”(^O^)/
現時点で明らかになった神罰の条件としては、
・実際に偽証すること
・偽証の自覚があること
加えて、
・引用元の明示なく引用した内容に偽りが含まれていること
という感じですね…!
ルールが明確になってきて、予想が捗ります。
一つ(少し意地悪かもしれない)質問なのですが、
「本人には偽証の自覚があるが、実はそれは勘違いであり実際には偽証ではない」
という場合、神罰は下るのでしょうか?
※この先言及される内容であったり、問題ある場合は消します…!
作者からの返信
コメント&質問ありがとうございます♪
たしかにそういうケースは考えられますね!そこまで考えが至っていなかった(^^;)
「勘違いであり実際には偽証ではない」ということは「発言自体は真実」であるということなので、神罰は下らないとするべきかなと思います(^^)/
考えてみると、相手を騙すために言葉を選びレトリックを尽くして「偽証にならないような」発言をするというのも、似たような構造にあるといえます。「本人に相手を騙す(偽証する)自覚はあるが、言葉の上では偽証ではない」ということなので。
こうやって鋭い質問を投げかけていただけるのは勉強になりますし、作品の質の向上にもつながるのでとてもありがたいです(^^)/これからも何でも書き込んじゃってください♪