3章その1 そして事件が語られる ①

 サウスウェルズは、教国南西のはずれに位置する小さな町である。馬車を乗り継いでの三日間は天候に恵まれ、それだけ見れば順調な旅だったといえよう。だが、晴れ渡った空とは裏腹に、車中は当初、剣呑な空気に覆われていた。乗客となった二人はそれぞれ車両の両端に座り、目線も合わせないといった有様で、聞こえるのは車輪と蹄の音だけだった。


 * * *


「あんた、本当に審察官か?」

 裁きの門から戻って来るなり、ハルが言った。

「あんな簡単な詐欺に引っかかるし、動きはとろいし、ちびだし。その上をしてるって、頭おかしいんじゃないか」

 何を言われるかと構えていたところに、いきなりの面罵だ。ミナの方もきちんと話すどころではない。勢い、大声を上げて反論することになった。

「時間に遅れて来るわ、何のためらいもなく腕をへし折るわ、そんな人に言われたくないです! あと、身長関係ないし!」

「相手は罪人だ。腕の二本や三本、何が悪い?」

「腕は二本しかありませーん」

「揚げ足取るなよ。このちび」

「この人でなし! 虎!」

「虎ってなんだよ」

 子どもじみた不毛な遣り取りは延々と続き、サウスウェルズへ出発する頃にはすっかり会話はなくなっていた。

 不思議なことに、ハルがミナを捕縛しようとする素振りを見せることはなかった。「最悪」を覚悟していたミナは戸惑いを隠せなかったが、あえて尋ねることはしなかった。捕まらないのなら、それに越したことはないだろう。

 首都を出ると、風景は一気に牧歌的なものへと変わった。街道沿いには草原が広がり、時に広大な森が横たわっていた。小高く開けた道に差し掛かると、遠く山々が青くそびえるのが見え、ミナは歓声を上げる。彼女にとっては初めて目にする景色だ。やがて道が下り坂に差し掛かり、山々が背後に消えるまで、彼女は飽きもせず眺め続けた。

「ただの山にここまで感動できるやつ、初めてだ」

 実に久しぶりに、ハルが声を上げる。振り返り、ミナは澄ました声で答えた。

「うらやましいですか?」

「お気楽なご身分だと思ってね。まるで旅行気分だ」

 それが口火となり、ぽつりぽつりと会話が生まれるようになった。打ち解けたわけではない。気まずい沈黙に耐え切れず発せられた、それは言葉のぶつけ合いとでも言うべきものだった。それでも、お互いの情報を交換する役には立った。

 ハルはミナの一つ年上で、審察官としても一年先輩だった。出身はミティア教国の東に位置する小国で、この国へと移り住んだのは十歳の時らしい。応援派遣については、ミナと同じく今回が初だという。

「何で私たちなのかな?」

「本当に、何であんたなんだろうな」

 ハルは言葉のいちいちが挑発的、そして何かにつけて皮肉を口にする少年だった。一言で言えば、鼻につく相手である。

 それでも、ミナはできる限り話しかけた。弱みを握られているという微妙な立場が口数を増やしたのだ。加えて、今回が彼女にとって初めての調査応援である。リズの不在も相まって、誰かと話していないと心細いという思いもあった。

 南下するにつれて、陽光はじりじりと強さを増していった。まだ夏には早いが、車内に籠った熱気は汗ばむほどで、幾度となく空気の入れ替えをしなければならなかった。

 街道沿いに草木はまばらとなり、ついには見渡す限り岩と赤土に覆われた大地となった。時折、岩陰からいたちのような動物が現れ、道を横切っていく。そのたびに、ミナは首をかしげた。――こんなところで、どうやって生活しているんだろう?

「生き物っていうのは、必要ならどんな状況にも適応するもんさ」

 ミナの視線に気付いたのだろう、ハルがつまらなそうに言った。

 すでに首都を出発してから三日。それだけの時間、意地を張り合うのは難しい。相変わらず座る位置は離れていたが、会話自体は言葉のぶつけ合いの段階を脱しつつあった。だがハルの次の言葉で、二人の間の緊張が再び高まることになる。

「でも人間は違う。必要もないくせに罪を犯すし、偽証が禁じられても人を騙そうとする。そんなろくでもない連中を、どうして逃がすんだ?」

 身を硬くするミナ。この三日間にその話題が出たことはなく、すっかり油断していた。そっと窺うと、瞬きもせず彼女を見つめる眼差しにぶつかった。ごまかしは通じそうにない雰囲気だ。心を決めるように一つ息をつくと、彼女はまっすぐに視線を受け止めた。

「違うよ」

「……あ?」

「みんながみんな、好きで罪を犯すわけじゃない。どうしようもない事情がある人もいる。なのに、罪を犯したってだけでやり直す機会を奪われるなんて、それこそろくでもないことじゃない?」

 ハルは馬車の外へ目を遣ると、ぞんざいな口調で言った。

「そのうち絶対痛い目見るぜ」

「それならそれで別にいいし」

「周りからよく言われるだろ? 頭の中お花畑だって」

「そんなことないし。とろいって言われてるだけだし」

「胸張って言うことか?」

 呆れ果てた声が返って来る。

「まあ、あんたがそんなだし、周りもどうせろくなやついないか」

「は?」 

 自然とミナの声が大きくなった。自分がどう言われようが構わないが、今のは聞き捨てならない。

「そんなことないし! みんなちゃんとした人だし。教区長も、リズも!」

「リズ?」

「私の教育係。口は悪いけど、仕事はきっちりするし。それに私のこともちゃんと分かってくれるし、思ってくれてる。どこぞの誰かと違ってね」

 言っているうちに、ミナは段々腹が立ってきた。

 反対を唱えながらも、リズはミナの行動を黙認してくれている。意志を示してくれている。だが、目の前の少年はあれこれ文句を言うばかりで、彼女の処遇については一向に触れようとしない。これでは生殺しではないか。処分が下されるのか、それとも助かる可能性があるのか。この機会にはっきりとさせておくべきだ。

「立派な教育係がいて何より。それにしては全然教育がなってないみたいだがな」

 投げかけられた皮肉を無視して、ミナは彼へと一歩にじり寄った。

「で、どうするの?」

「何?」

「私のこと、捕まえないの?」

 あまりの直截さに虚を衝かれたのだろう、ハルが絶句するのが分かった。顔色は変わらないが、瞳がわずかに揺らいでいる。

 ――いい気味!

 ミナは勢い込んだ。

「罪人は処刑するべきなんでしょ? なら、捕まえないと」

「それができるなら苦労はない」

 遮るようにハルが声を上げた。苦虫を噛み潰したような顔になっている。黙って先を促すと、

「教区長から止められてるんだよ」

「どういうこと?」

「そのままの意味さ。ミナ・ティンバー審察官を捕まえてはならないってな」

 今度はミナが面食らう番だった。彼女の行為が知られていただけでも謎であるのに、ますます訳が分からなくなった。

 第十四教区長とはまるで面識がない。名前すら知らない。そんな相手に、彼女を見逃すどんな理由があるというのだろう?

 そもそも、見逃すつもりなら、ハルに彼女の行いを教えなければ済む話ではないか。わざわざ伝えたのはなぜなのだろう?

 派遣先で露見する可能性を見据えて、事前に釘を刺しておいた? ありそうなことだが、だとしてももう一つの疑問は解消されない。そこまでして彼女を守る意味は? 結局、どこまで行っても堂々巡りに陥ってしまう。

「どうして」

 思わずこぼすと、「知るか」と吐き捨てるように返ってきた。

「いくら聞いても答えられないの一点張りだ」

 初めて、ミナはぞっとした。自分のあずかり知らないところで、何かが起きている? もしかすると、今回の捜査調査命令もその一環? 不穏な予感が胸に広がってゆく。

 ――でも、一体どうして?

 答えが出ないままもつれていく思考。それを中断させたのは、ハルの声だった。

「ああ、どうやら着いたみたいだな」

 彼は進行方向をまっすぐ指差していた。暗雲を振り払うように、馬車の外へ大きく身を乗り出すミナ。遮るもののない開けた大地に、遠く黒い影がそびえ立っているのが見えた。

「あれが……サウスウェルズ?」

 渦巻いていた思考の数々はどこかへ吹き飛び、彼女の目はその黒い威容へと釘付けとなった。

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