すごろくのススメ
蓬葉 yomoginoha
すごろくのススメ
もう一つ言うとするなら、一人ですごろくもするかなあ
と言ったら、たたでさえ困惑していた友人をさらに困らせた。
「……ひとり、で?」
「うん」
「どうやって」
「え? いや、普通に一人で全員分さいころ振るだけだよ」
「ああ、そういうことね。何個かコマがあって、それぞれ進めてくんだ?」
「そうそう。わかってくれる?」
「わかるわかる」
「おーよかったよかった」
さすが、長い付き合いの友人だ。理解力がある。
しかし、長い付き合いの友人はすぐに首を傾げた。
「でも、なんでそんなことするのかは全然わかんない」
*
こんにちは。
どっかで会った? と思った方は、また会いましたね。そうです。一人回転寿司の女です。
今は一人、百マスのすごろくに、サイコロ一つで向かい合っています。
サイコロは、これ何角形だろう……。ちょっとわからないけど、0から10までの数字が出せるものです。用意するコマは12コマ。
駒それぞれには某有名レースゲームのキャラクターの名前をつけています。あの人たちの場合レース以外もするけれど。
※ちなみにこっから先のルール説明は絶対に煩雑になると思います。だから、理解しようと思わなくていいです。
えっと、ルールを説明するとこんな感じ。
まず、サイコロを振り、目の大きい順に順番を決めて「ふりだし」に並べる。
あとは簡単、一コマずつサイコロを振っていくだけ。
でも、12コマ皆がゴールするまでやっていたら日が暮れてしまう。だから、途中で脱落制度を設定しています。
言葉で説明するとかなり難しいのですが、一応こういうことです。
「誰かが20マス目以降の10の倍数のマスを越したターンの終了時に最下位のコマを脱落させる」
例えば、マリオが、あ、著作権やばいかな。ええっと……、まあいいや。例えば、誰かが20のマスを初めて通り過ぎたとします。その後最後のコマの分までサイコロを振っていって、そのターンが終わります。そのときにビリだったコマを脱落させてから次のターンを始める、っていう制度です。
わかります? わからなかったらそれでもいいです。ようするに12コマ全部がゴールするまで責任は持ちませんよ、ということです。
20マス目から90マス目まで一コマずつ脱落させていくので、一位がゴールした時には、一位を合わせて4つのコマだけが残るようになっています。脱落してくコマを見てると、ああ、人生もこんな感じなのかなあって思います。
それから、横やりが入ってくることもあるので、必ず毎ターン各コマの順位をメモしておきます。こうすることで、途中で中断しなきゃいけないときとか、誰かにコマを飛ばされてしまったときとかにリロードできるんですよ。バックアップみたいなものです。
**
っていう遊びを、私は小学生の時からたまにしています。
「何が楽しいの?」って思ったでしょ。でも、そう言われたって困る。
私としては面白いと思っているからやっているのだけで、どうしてそう思うのかはよくわかっていないから。
でも、すごろくにしろワニワニパニックにしろ、黒ひげ危機一発……漢字ミスった髪だここ。……にしろ、大人数でやれば絶対楽しいなんて、そんなの幻想だ。そうは思わない? 人間の本性は人と交流するときに出てくるというのもひとつの意見だけれど、私は一人でいる時こそ、孤独と向き合うときにこそ、そういうのって出てくるものだと思うんです。
ひとりで何かをしていたって何も学べないという人もいるけれどそんなことはないと思う。ずっと集団で過ごしていたら、むしろ自分が溶けてなくなってしまいそう。元も子もないじゃん。それじゃ。
魔の37マス目。ふりだしにもどる。今回のゲームはふりだしに戻るコマが多い。けれどさっきふりだしに戻ったコマはもう最後尾に追いつきそうだ。
それだって一人孤独にサイコロと向き合った結果だ。まあ、振っているのは私だし、ふりだしに戻したのも私だけれど。
「50マス目到達……」
ふりだしにもどったばっかりの最後尾のコマを弾く。容赦なく、脱落。
人生ゲームを一人でやったことはさすがにないけれど、これはあれよりもよほど人生を現している気がする。落ちるもの飛べるもの……。なんかこんな歌詞あったよね。逆だったかもだけど
窓から夕陽が差し込んでくる。制服を脱ぎ、体操服にスパッツというしどけない姿に、やわらかい温度が降り注ぐ。小学生たちが元気にはしゃいで道を歩く声。私も意外とああやってたよな、と記憶の手綱を握る。
ほんとに、私みたいな一人が好きな……ううん、好きなわけじゃないんだ。好きというより、嫌いじゃないというべき。
そっか。だからか。まだ友達がいてくれるのは。
一番気楽だと思う。人間として、いや生き物として。
群れるときは群れて孤独になろうとはせず、一人ぼんやりするときは一人ぼんやりして群れようとはしない。だから孤独で悲しくもならないし、苦しくもない。
まあ自己暗示かもしれないけれど、そうやって生きていけたらと、結構本気で思う。
5時、母が帰ってきた。
「夏織……はまた一人で遊んでたの」
「うん」
「小っちゃい頃からホント好きね、一人が」
「うーん」
「ドーナツ安売りしてたから食べよ」
「うん!」
私はすごろくを片付けて母の前に座った。節操がない? かもしれないね。でもそれも人間だよ。
「甘い」
「ね。身体悪くなりそう」
「ほんと」
母と私は笑う。二人きりの家にその声が響く。
「そういえばテストの結果出たんじゃない?」
「ん? うん」
リュックサックの中から、ちぎれかけの個票を取り出す。全部平均点以下、少しダサいなあと思う。けれど、それを見た母は「あら」と笑みを見せた。
「すごいじゃない。みんな30点代。縁起がよさそう」
「そうかな」
「そうよ。うふふ」
昔から母はこうだ。だから、私は自己嫌悪というものを家ではあまりしないで生きて来た。
「でもお母さん一回全部0点取ったことあってね。そのときはめちゃめちゃ怒られたから、気を付けてね」
「うん。0点は取らない」
「頑張れ」
「うん」
多分私は、0か1かのすごろくを振って生きてるんだと思う。だから進んでも進めなくても五十歩百歩。落ち込まないし喜ばない。けれど意外と味気なくはない。
もうすぐ今日が終わる。やり残したことは、ない。
あ、やり残した! とか、っておけばよかった! って思うのは大体後になってからなんだから、今わかるはずもない。
そういうのを後悔というんだろうけれど、気づいたときにやり直せばいいんだ。だから、バックアップが必要なんだ。
思ったより長くなってしまいました。ごめんなさい。今日も私、夏織のひとりごとを見に来ていただき、ありがとうございました。またいつか会いましょう。おやすみなさい。
すごろくのススメ 蓬葉 yomoginoha @houtamiyasina
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