13

 かくしてひととせ最後のライブは終わりを告げた。


 会場一体となってアンコールなんて声が上がったが、今日はひととせのワンマンライブではない。まだまだこの後が続いており、カウントダウンまでのタイムテーブルは組まれているのだ。


 それを乱すわけにはいかないので、


「今までありがとう!」


 とだけちとせは言い残し、あっさりと最後の幕を引いたのだ。


 秀一の母親が立てるようになると、自分たちはライブハウスを後にした。


 娘を蔑ろにしてしまった自責の念は、すぐに収まることはない。嗚咽を漏らし続ける娘の死を受け入れた母親を、その夫と息子はなにも言わず支えていた。


 今日はもうなにも話し合えないだろう。タクシーへと乗り込んだ、秀一の両親をそのまま見送った。


 ちとせの扱いについては、また後日。けれどそこにはもう憂いはない。もう大丈夫だろうという確信すらあった。


「本当に、凄い娘さんですね」


 それは自分だけではない。そう言い残していった秀一の父親も思ったことであろう。


 父さんも満足そうに、かつ全てが丸く収まったことにホッとしながら、仕事へと戻っていた。ちわわの相手に忙しいようで、今日はどうやら合間に抜けさせて貰ってきたようだ。年が明けるまで二時間を切ったというのに、ご苦労なことである。


 こうして残された自分と秀一。


「奢りだ」


「うむ」


「ははっ、ついにそこまで圧縮したか」


 コンビニで調達した缶ビールを差し出され、二人で乾杯したのであった。


 雪国の夜なので寒いが、アーケード街ということで屋根もある。何時間もこうしているわけではないので、少しくらいは我慢することにした。


 今日ちとせが歌った曲。それをスマホで歌詞を見せられながら、秀一から解説を受けていると待たされている感じはしなかった。


 お互い一本飲み終わり、ゴミ箱に捨て振り返ると、丁度本日の主役たちが遠目に確認できた。三人一様にその顔はやりきった達成感に満ちている。


 自分たちが気づいたことに向こうも気づくと、その内の一人が駆け寄ってくる。


「どうだった?」


 ちとせは前傾姿勢でこちらを見上げ、ただそんな一言を発した。


 初めてライブに顔を覗かせた自分に対して、その感想を求めているのではない。端から自分に音楽のレビューができることなど、この可愛げのない妹は期待していない。


 だからたまには、自分ができる兄だということ知らしめなければならない。


「確かにロックには、とんでもない音楽の力があるんだな」


 自分の感想と同時に、全てはちとせの思ったとおりになった。それをこの一文に詰め込んだのだ。


 するとちとせは得意げに、


「でしょ?」


 かつ満足そうにいつものにへら顔を浮かべたのだった。


 娘の死という現実を受け入れられず、何ヶ月も止まり続けてきたその世界を、二分もかからず動かしたのだ。今日くらいは軽口や減らず口が多い自分でも、ちとせの活躍を手放しで褒めてやろう。


 全ては丸く収まった。


 問題は全て片付いたのだから、もう心配することはない。


 だから抱えた問題ではなく、気になった身近な驚きについて確認したい。


 ちとせに追いついてきた二人。その内の一人に顔を移した。


 占い師らしく、前置きなく過程をすっ飛ばしてズバリ聞いたのだ。


「まさか真理が次に見つけた、結成予定のメンバーって」


 我が妹と交互に見ながら、真理の未来のバンドメンバーについてを。


「はい、この三人での結成です!」


 と、真理は悪戯っぽく、元気にそんな答えを差し出してきたので仰天した。


 二人だと思ったでしょう? でも残念、三人だと。


 そしてその三人目が誰を指し示しているか。この三人、というのだからここにはいない人物ではない。けれどそれはそれで驚かざる得ない。


「は、ヒロさんも!?」 


「ええ。ちとせのギターに続いて、真理のベースが揃ったんだもの。ここはドラマーの出番じゃない。ガールズバンドの結成ね」


 ニカリと笑いながら、ヒロさんは胸を張る。


 若き頃は母さんと共に夢を追いかけた。


 ひととせの頃は二人に夢を見た。


 どうやら今度は、ちとせと真理に夢を見るだけでとどまらず、共に目指す仲間としてその夢を追いかけるようだ。


 いい年こいて、なんてことは思わない。むしろヒロさんらしくすら思う。


 ただこれだけはおかしいと、指摘させてもらいたいことがある。


「いやいや、二つの意味でガールじゃないのが混ざってるって」


 問答無用で頭を叩かれガクってなる。そんな自分の様がおかしくて、場がどっと沸くのだった。


「まあまあ、わたしたちは仁美の意思を継いだ者同士だから。そこに垣根なんてないんだよ」


 ヒロさんへのフォローなのかわからぬが、ちとせはそんなことを言った。


 仁美はひととせの作詞作曲でありながら、透明人間であり続けてきた。けれどこの三人の前でだけは実体化して、共に音楽を作り上げることで、その絆を強く結んできた。


 そんな仁美が残した絆が、この三人を強く繋いでいるようだ。


「実は次のバンド名も、もう考えてるんだ」


「早いな、まだ一年以上先の話だろ?」


 来年は大学受験で忙しい。それは真理だけではなく、共に進学を見据えたちとせもそうだ。高校生活最後の一年は、音楽活動なんてしている暇はないだろう。


 なのにもう、バンド名を決めているというのだ。きっとちとせが主導に決めたに違いない。


 忙しないというか、落ち着きのないというか。


「で、なんて名前にしたんだ?」


 さあ聞いてくれという顔をしているので、しょうがないので礼儀として聞いてやることにした。 


「春夏秋冬と書いて、ひととせだよ」


「全く変わってないじゃん」


 返ってきたのはまるで代わり映えしないバンド名であった。ただ漢字がついただけである。


「全然違うよ。元々わたし、四季の意味を込めて、ひととせって名付けたわけじゃないもん。むしろ仁美に聞いて、初めてそんな言葉があるって知ったくらい」


「は?」


 つい間抜けな声を上げてしまう。


 そういえば真理がひととせに込められた意味、みたいなことを言っていた。すっかりちとせに聞くことを忘れていた。


 一年、四季、春夏秋冬。


 ひととせの意味でパッと思い浮かぶのはこんなところ。これに沿って名付けたと思ったのだが、ちとせはそうではないと言うのだ。


 では一体どんな意味を込めて、ひととせと名付けたのか。


 四季を示す意味でないなら……と、考えること十秒。その答えについに辿り着いた。大きなヒントは、二人で考えたのではなく、ちとせが考えたにあったのだ。


「なるほど、確かにこれ以上ない名付けだな」


「でしょう?」


「ああ、名付け主の頭の単純さがよく出てる」


 うるさい、と言わんばかりにちとせはお腹をつついてくる。


 いや、まさかここまで単純な意味だったとは。真理が第三のメンバーとして、遠慮するのも頷ける。まさにひととせは、あの二人の世界を示す名であった。


 秀一もそれに思い至ったのか。我が妹の単純さに、「なるほど」っと笑っている。


 そこで今まで無視していたわけではないが、ようやくちとせの顔は秀一を捉えた。秀一もまた、真っ直ぐにそれを受け止めた。


 二人がこうして正面からの向き合うのは初めてだろう。


 血の繋がった兄妹。その初顔合わせだ。


「はじめまして、仁美のお兄さん」


「ああ、はじめまして。妹が世話になったね」


 そこに生まれるドラマなんてなにもない。


 血は繋がっていようとも、自分たちは兄妹ではない。その線引きを真っ先に始めたのだ。これからも今までも、仁美を介しただけの関係を貫き通した。


「この後さ、仁美の話を聞かせてもらっていいかい?」


「もちろん」


 秀一の願いを、ちとせは笑って答える。


 二人きりでこの後話をしたいというわけではない。この後は、ライブの打ち上げである。解散祝いという言葉の使い方もおかしいが、ひととせの終わりは決して悲しいものではない、一つの節目だ。


 冬の終わりは世界の終わりではない。季節は巡り新たな春がやってくる。そんな新たに訪れる一年。その階段を登るための、卒業祝いのようなものだ。


 憂いなく前を向けるようになった者たちにとっての、新たな門出である。


 そういう意味で自分は、五人の中で唯一の仲間はずれ。


 なにせ自分には仁美との思い出はない。ただ、そんな血の繋がった相手がいたのだなと。占い師として彼女の想いを代弁する機会はあったが、結局それは知ったかぶり。もう二度とそんな偉そうな真似をするつもりはない。


 それでいいのだと、今日はこの四人を輪の外から眺めることに徹しようと。そう決めたとき、


「あーあ……」


 急にちとせが、気を落とすような息を漏らした。


「こうして目の当たりにすると、やっぱり羨ましいよね」


「なにがだ?」


 なんのことかと問いかける。


「こんなカッコイイお兄さんを持ててさ。そりゃあ仁美も、兄さんの子供を産めるでしょ、なんて重たい愛を振りかざすわけだよ」


 ちとせは横目で、ニヤリと秀一の顔を伺う。


 自分たちは笑ってしまった。


 秀一もまた笑っている。ただし自分たちとは違い、困ったような苦々しいものだ。


「一度くらいわたしも、そんな気持ちになってみたいけどさ」


 と、それで終わるかと思ったら、ちとせはまだその口を閉じる様子がない。


「うちじゃ絶対に無理だよね」


 皮肉げに、そんな戯言漏らす我が妹。


 どうやら秀一をネタにしながら持ち上げて、自らの兄を貶めるという暴挙に出たようだ。まさに遺憾の意を表さねばならない蛮行である。 


 そしてその先で、いつものやり取りが行われるのだ。


「どうやらうちの妹は盲人のようだ」


「わたしの視力、両目とも1.5だよ」


「嘘つけ。見えてるなら、絶対ヒデの妹のようになるはずだ」


「お兄ちゃん好き好きって?」


「そうだ、大好きなお兄ちゃんは誰にも取られたくないってな」 


「あぁ、いいね、大好きなお兄ちゃん。でも――」


 春に宮野家の兄妹には血が繋がっていないことが発覚した。


 夏にはそれを互いが承知している、共通認識となった。


 秋になっても代わり映えのない兄妹であり続けた。


 恋愛小説であれば、仁美のように兄妹のままではいたくない。なんてこともあるのだろうが、冬になっても宮野家の兄妹に限ってそれはない。


 何度季節が巡ろうとも、それはこれからも変わることはないのである。


「わたし、ないものねだりはしない主義なの」


 なにせ可愛げのない妹は、いつだって素晴らしき兄を蔑ろにするのだから。

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