05
終わってみれば丸くは収まった。
けれど波乱に満ちた一日だった。
精神がすり減ったとまで言わないが、すっかり疲れ切っていた。今日はこのままぐっすり眠れるだろうと、明かりを落として目を閉じたところで、
「おにい、まだ起きてる?」
ちとせが入ってきた。礼儀としてのノックはあったが、返事を待たずの入場だ。
今更それを咎めたところで馬耳東風だろうと諦め、億劫だが首だけを向ける。
パーティーが開けそうな可愛らしいパジャマ姿ではない。シャツとハーフパンツ。シンプルないつもの寝間着姿で、ちとせは枕を抱いて佇んでいた。
「どうした?」
「ちょっと可愛い妹として、兄孝行でもしようかなって」
可愛い妹と兄孝行。ちとせとは無縁矛盾すぎて、脳内には疑問符が浮かんでいた。
扉を締めこちらに寄ってきた思ったら、枕をベッドに置くなり、
「さ、詰めて詰めて」
と、布団に潜り込んできたのである。ずいずいと勢いに押され、不法侵入を許してしまった。
これが仁美のようなお兄ちゃん好き好きな可愛い妹なら、倒錯的な感情に支配されたかもしれない。だが残念ながらちとせは可愛げのない妹である。そんなのが布団に入ってきても邪魔なだけだ。
こうしてちとせが添い寝を求めてきたときは、母さんが亡くなって以来。
「おにい」
だからちとせにとって、今日のことはそれに匹敵するような事件であったのだ。
「お父さんのこと、ありがとね」
父さんとの関係性。変わらぬ家族でいたいという、ちとせの想い。それが今日、一度崩れ落ちんと揺らごうとしたのだ。
表面上なんともなさげに過ごしていたが、家から避難していた時間は怖かったのかもしれない。帰ったら宮野家の世界は変わっている。そんな恐怖に囚われていたのだ。
でも蓋を開けてみれば、いつも通りの宮野家の世界がそこにはあった。むしろ仁美のことを父さんに話せるくらいの、世界の進展があったのだ。
それもこれも、素晴らしき兄の活躍があったからこそだと、ちとせもわかっているようである。
「でも、殴るのはやりすぎ」
感謝から一転、それはすぐに咎めるものへと変わっていた。
「情けない姿を見せたのが悪い」
だから自分は悪くないと主張するのだ。
「お母さんにあれだけ似た血の繋がった娘が、もう死んでいるなんていきなり突きつけられたんだもの。動揺したって仕方ないよ」
あれは動揺なんて生やさしいものではなかった、なんてことまでは言う必要はないだろう。ちとせは自分の娘じゃなかった、なんて弱音を吐いたことを知らせる必要はない。
「動揺なんてまた、なれない人間の真似事を」
「おにいはお父さんをなんだと思ってるのさ」
「ゴリラだ。ゴリラはゴリラらしく、ウホウホだけ言ってればよかったんだ」
呆れたようにちとせは息をつく。
もぞもぞと横向きとなり、ちとせはこちらを向いた。
「今日はさ、おにいがいてくれてよかった」
微笑を浮かべながら、らしくないことを口にした。
「おにいがわたしのおにいで、本当によかった」
ちとせらしくない、真っ直ぐなまでの兄へと捧げる感謝と好意。ついそれを出してしまうほどに、今日は大事件だったと示している。
改めて思い出す。ちとせと自分は血が繋がっていない。
贔屓目どころか、可愛げのない妹を持つ兄フィルターを通しても、ちとせの外見について認めなければならない。絶対に口にはしたくないが、自分の周囲にいる女の子の中では、飛び抜けて可愛いのである。
それが今、吐息がかかるほどの距離。それも同じ布団の中にいる。
倒錯的な感情に襲われドキリとした。
「兄の偉大さを知ったか」
そんなわけがない。
「うん、生まれて初めて知った」
ほらこの通り、どこまでも可愛げのない妹なのだ。
「だからこうして、可愛い妹が甘えるという、兄孝行をしてるんだよ」
「可愛い妹に添い寝をせがまれるのはいいが、可愛くない妹が布団に入ってきても邪魔なだけだ」
強がりでも照れ隠しでもなんでもない本音である。
ちとせの両腕に絡め取られ、この腕が柔らかな感触に包まれていようと微塵もドキドキしないし、性的欲求も促されない。
どこまでいっても、所詮ちとせはちとせである。自分にとってただの妹にすぎない。
そしてその先で、こうしていつものやり取りが行われるのだ。
「恋人がいないのがおかしいくらい可愛いよ」
「身の丈に合わない理想があるんじゃないのか?」
「おにいと一緒にしないでくださーい。その気になればすぐに作れますー」
「そういうのは作ってから言ってみろ」
「そうだね、ひととせを畳んだらいい加減作ろうかな」
「お、和民くんにもついにチャンス到来か」
「あんなの死んでもごめんだよ」
「御社への申込みは、まだまだあるとでも?」
「んー、たまには就活するのもいいかな」
「いい求人でもあったのか?」
「うん。禁断の恋って求人に申し込んでみようと思うの」
と、いつもの流れの先で、甘えるような声色をちとせは発した。
真っ直ぐとその目はこちらを見据え、絡ませた腕は更なる力が入る。
ジッと、ただ自分の答え待っている。
自分の想いは告げた。早く貴方の答えを知りたいと、そう言わんばかりのとろけるような微笑み。恋する乙女の情を、その満面に描ききっていたのだ。
「止めておけ。おまえ程度じゃヒデには届かん」
器用な奴めと、そんな顔を鼻で笑った。
「つまんなーい。少しくらいドキっとしてくれればいいのに」
やはり罠だったとばかりに、ちとせから抗議の声があがる。ドキリでもしようものなら、これでもとばかりにいじくり倒す気でいたのだ。
「ドキっとするには可愛げが足りん。ヒデの妹を見習って、お兄ちゃん好き好きアピールを、普段からしておくべきだったな」
恋愛小説であれば、仁美のように兄妹のままではいたくない。なんてこともあるのだろうが、宮野家の兄妹に限ってそれはない。
今までも、これからも、それは変わらないのである。
「わたし、ないものねだりはしない主義なの」
可愛げのない妹は、そうやっていつものように兄を蔑ろにするのであった。
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