04

 その後の宮野家は、ほぼいつも通りであった。


 ほぼ、と表現こそしているが、わだかまりがまだ残っているわけではない。


 父さんにはちとせではない、血の繋がった娘がいた。その現実を現実として受け入れ、母さんのもう一人の忘れ形見が、どのような娘であったのかを知りたがったのだ。


 ちとせもヒロさんも、もう隠し事は必要ないと、沢山のことを父さんに語った。母さんとは大違いな上品さと、受け継いだ行動力など。これは育ちだな、こっちは血だな、などと開き直っておかしそうに話しているのだ。


 父さんへの隠し事に後ろめたさもあった二人だ。肩の荷がまた一つ下りたことに、ホッとしたように笑っている。


 目出度い日には寿司だとばかりに、ヒロさんが出前をしてくれた。


 丁度出前が来た辺りで、秀一から連絡があった。


 どうやら平和なこちらと違い、向こうは大変らしい。


 秀一の父親は思った通り、ちゃんと娘への折り合いがつけられたらしい。仁美の代わりはいないのだと、ちとせを取り返そうとは考えていないようだ。ちとせを残して宮野家が全滅でもしない限り、引き取ろうと動くことはないだろう、と。


 ただし、問題は母親である。


 ぽっと湧いた、血の繋がりを持った娘に、断固として取り戻すべきだと主張している。正しい形に戻すべき、おまえたちは家族を見捨てるのかとばかりに、秀一と夫を責め立ててすらいるようだ。


 十五分ほど電話で状況を伝えられると、またもごめん、と言われたので、ちゃんと奢られてやるから安心しろと、いつもの軽口を叩いてそれで終わった。


 リビングに戻り、さあ自分も寿司を食うぞと意気込み、寿司桶を覗き込むと、好物のマグロ類は早々に全滅していた。


 それを責め立てると、


「あるでしょ。目、大丈夫?」


 と、ちとせはネギトロを箸で差したのだ。


「今度連れてってあげるから、今日のところは諦めなさい」


 ヒロさんはそう言ってビールの酌をしてくれた。父さんをぶん殴った大立ち回りを「やっぱりあんたは玲子の子ね」と愉快そうに評価してくれている。この家がこれまで通り回っていくことに、家族同様にヒロさんは喜んでくれているのだ。


 父さんもまた、そこに憎しみはない。代わりに、またあの車に乗せてやるから待っていろと言うのだ。あの車とは、秋の頭に送迎してくれた国産車のこと。おまえのために令状を取ってきてやると息巻いているのだ。


 殴られた後遺症で、醤油が口の中でしみてい痛がっている様を一通り嘲笑うと、もう大丈夫だろうと秀一にもたらされた、現在の朝倉家の修羅場を伝えたのだった。


 重苦しさこそないが、問題は問題に違いない。これからの朝倉家への対応から目を逸らすことはできない。どうしたものかと皆で息をつく中、


「……あの人の世界は、仁美が亡くなってからずっと止まったままなんだよ」


 ちとせがそんなことを口にした。


「娘が死んだ現実に向き合えない。そんなときに、ぽっと血の繋がっただけの他人が湧いてきたものだから、そのまま現実から目を逸しちゃったんだよ」


 血の繋がっただけの他人。ちとせは自らの生みの親を、そのように表現したのだ。


「ちとせは向こうのお母さんのことを、どう思っているんだ?」


 父さんは問いかける。恐る恐るではなく、ただありのままのちとせの想いを聞きたいと。向こうのお母さんだなんて口にした。


 仮にも血を引いた母親だ。思うことの一つくらいはあるだろう。


「別に、なんとも思ってないよ。あの人は血の繋がらない双子の、そのお母さんというだけ。たまたま血が繋がってるだけの人。それ以上でもそれ以下でもないよ」


 なんともなさげにそんなことを言い切った。


 まさかそこまでの折り合いをつけているとは。ストイックというか、あっさりと言うか、話を聞いているこっちが拍子抜けするほどだ。


「仮にも実の母親だろ。生んでくれた感謝くらいはしたほうがいいぞ」


 ついそんな軽口をつい叩いてしまったが、反撃はすぐにもたらされる。


「もし仁美が病弱だったら、感謝したかもしれないね。でも、お母さんも仁美を元気に産んだんだから、五分五分だよ」


 徹底的にそこは線引いているようだ。


 あの人は自分の母親なんかではない。自分の母親は宮野家の母親一人だと。


 見方を変えれば、ちとせが冷たい人間に思うかもしれない。向こうは娘を失っているのだ。血が繋がっているのだから、もっと優しくするべきだ。歩み寄ってやるべきだと、無責任な外野は自己満足のために綺麗事を並べるだろう。


 だが、そうではないのだ。


「だから娘だと忘れられちゃうなんて、このままだと仁美が可哀想。あの人には、誰が自分の娘あるかを思い出してもらって、ちゃんと現実に向き合ってもらわないといけない。なんとかして、あの人の止まった世界を動かすしかないんだよ」


 朝倉家の娘は仁美だけなのだ。それだけは変えてはいけない真実だと、ちとせは言っているのだ。


 問題は、それをどうするかである。


 真理やヒロさんの後悔を取り除き、拳一つで父さんの顔を上げさせた占い師にして霊媒師たる自分でも、この案件だけはお手上げである。


 なにせ夫や息子の言葉すらも届かないのだ。


「なにか良い手段でもあるのか?」


 ちとせの顔には、まるで秘策があるように映った。


「次のライブに来てもらう」


 もたらされたのは斜め上の答えである。


 ちとせ以外の皆が「は?」という音を漏らさんばかりだ。


 一体それでどう解決するんだと、まさに不可解な秘策である。


 ちとせはそれを自信満々に、胸を張るようにこう言い切ったのだ。


「ロックにはね、世界を回す力があるんだよ。止まった世界が簡単に動き出しちゃうくらいの、音楽の力がね」

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