10
秀一が大人しくなった後、すぐに警察に通報した。
119番通報は事件性があるとそのまま警察へ連絡へ行く。ノックアウトゲームの犯人を捕まえた、既に連絡を受けていると思うから、こっちのほうへ来てくれと。
秀一があれだけ物騒なことを叫んでいたのだ。あちらこちらから近隣住民が集まってきてくれたおかげで、現在地を告げるのに困らなかった。犯人は住民たちに任せ秀一に寄り添っていると、すぐにパトカーのサイレンが聞こえてきた。
この都市を騒がしている二大事件の一つだ。何台も次から次へと現れるものだから、あっという間に野次馬だらけになってしまった。
駆けつけた最初の警察官に、自分は刑事の息子であることを告げた。父さんの名を出すと、知っているようだから話が早く済んだ。
茫然自失、心神喪失。
そんな四字熟語が似合う秀一に、今はなにも聞かないでほしい。休ませてやってくれと頼むと了承してくれた。
代わりに自分が、今日起きた全ての顛末を語ったのだ。
ノックアウトゲームの唯一の死者。秀一がその兄であることを知ると、目を丸くするほどに驚愕された。加害者と被害者家族、その巡り合わせに唸りをあげながら、犯人が殺されかけた経緯には得心がいったようだ。
そして最寄りの警察署まで連れて行かれると、また同じことを繰り返し話した。相手は秋の初めにメガネを光らせながら、自分を取り調べていたエリート刑事である。
話を聞き届けたその人は、
「流石、宮野さんの息子さんだな。完璧な対応だったよ」
質問を挟むことなく、そう褒め称えてくれた。
ちわわ夫婦への咄嗟の指示、秀一を引き離したこと、そして警察官への理論整然とした説明。その一つ一つを持ち上げて、間違いどころかこれ以上ないものだったと。事件に居合わせた当事者が、皆こうであれば仕事が楽なのにと笑ってすらいた。
そして最後に、
「お友達の過剰行動については悪いようにはしない。警察官の誇りをかけて、経歴に傷つかないよう全力でやらせてもらうよ」
と、頼もしく言ってくれたのだ。
いつもの調子に戻った自分は、
「なるほど、警察はそうやって、都合よく不祥事を隠匿してくのか」
なんて軽口を叩いてしまった。
彼はそれに気を悪くするどころか、
「なんだ、宮野さんの息子なのに、そんなことも知らなかったのかい?」
と返してくる様は流石であった。
◆
別室で休ませてもらっていた秀一。
その部屋に訪れると、若い婦警が秀一と共にいた。どうやら自分がむさ苦しい男を相手にしている裏で、美人婦警に優しく手当てをしてもらっていたようだ。
顔面を殴り続けた拳だけではなく、犯人の抵抗の跡か。右の頬にガーゼが貼られていた。
「誠に遺憾なハンサムが台無しだな」
第一声でそう茶化すと、疲れたように秀一は口角をなんとか上げた。
「ははっ……僕は、誠に遺憾なのか」
「遺憾の意を表する」
かつてのようなくだらないやり取りだ。
違うのは、耐えられずお腹を抱えていなかったこと。
「トシ……ありがとう」
そんな秀一の身を婦警から引き受けると、玄関へと向かった。
今日の所は親を呼んでいるから、来たら帰っていいと言われたのだ。明日から同じことを繰り返し聞かされる日々になるが、そこは協力をしてくれ、と。
玄関へと辿り着くと、父さんの姿はない。どうやらまだ来ていないようだ。
代わりに、
「秀一!」
秀一の名を呼ぶ二人の男女が駆け寄ってきた。
いかにも身なりの良い二人。それが秀一の両親であることは、顔を見ただけで自分にはわかっていた。
「心配かけて、ごめん……」
駆け寄ってきた両親に、秀一はそう応じた。心が疲弊しきった秀一の、今口に出せる精一杯の言葉だ。
母親のほうは秀一の胸元を掴みながら、ただ嗚咽を漏らすばかり。娘が亡くなってまだ一年も経っていないのに、次は息子のほうがこんなことになったのだ。筆舌に尽くしがたい感情に飲まれているのだろう。
父親のほうはそんな息子になんて声をかけたらいいか、わからずにいるようだ。
「君が和寿くんだね。警察の方から話は聞いている」
代わりに自分の顔を捉えると、その頭を下げてきた。
「本当に……本当にありがとう」
涙声を滲ませながら、心からの感謝を向けられた。
命を救う仕事を目指していた息子が、人の命を殺めんとしたのだ。仁美のこともあり仕方ないとはいえ、その胸中は計り知れない。
「いえ、友達ですから」
軽口も、気の利いたことも言えず、ただそれしか言えずにいた。
秀一を囲う二人を見て、改めて思い出した。
これがちとせの血の繋がった夫婦。本来であればちとせは、この二人のもとで仁美と呼ばれながら育つはずだった。
そんな世界の正しい形を思うと、不思議な気分だ。
「和寿!」
朝倉夫婦を真似するように、自分の名を呼び駆け寄ってくる二人がいた。
男女二人。違いがあるとすればそれは夫婦ではない。
「おにい!」
親子であった。
まずい、と。目を剥くほどの衝撃を受けた。それこそかつて、自分に顔を見られる危機一髪に陥った、仁美の心境がわかってしまったほどに。
こっちに来るな。
自らを心配する二人……いや、妹に向かってそう叫びそうになった。
時は既に遅し。
二人はもう手が届く距離まで来てしまったのだ。
「話は聞いた。よくやったな」
珍しいほど真っ直ぐな、父さんから捧げられる称賛。自らの息子の活躍に、誇らしそうにすらしていた。
一方、ちとせもまたいつものように、その口が『おにい』と目の前で開きそうになったが、それはすぐに閉じられた。
時が止まったのだ。
そう表現せざるえないほどに、その比喩表現は正しかった。
朝倉家の両親が、ちとせの顔を見て呆然としていたのだ。それに気づいたちとせは、自らがここには来ていけなかったことを思い知る。
父さんもまた、秀一の母親の顔を目を丸くしながら注視していた。
その間、五秒ほどか。
「和寿くんのお父様ですね。息子が……ご子息に救われました。本当にありがとうございました」
時を進めたのは、秀一の父親であった。
襲われた衝撃よりも、社会人としてあるべき面目を優先したのだろう。
「いえ、息子は当然のことをしたまでです」
父さんもまた、慌てるように止まった時間を推し進めた。
「挨拶が遅れて申し訳ありません。朝倉秀徳です」
「宮野寿幸です」
両者は握手を交わすも、お互い不思議な顔をしていた。
喉まで出かかっているのに思い出せない。そんな既視感に囚われているかのように。
「秀一の経歴に傷がつかないよう、警察は全力でやってくれるそうです」
それは思い出してはいけないことだと、慌てるように口を挟んだ。
「だから今日のところは、秀一を早く休ませてあげてください」
この場から立ち去ってほしいという思いから、つい早くなんて表現を使ってしまった。
秀一の父親はそれに気を悪くすることはない。むしろ言葉に甘えるように、
「わかった。本当に、ありがとう」
息子の身を慮っていると受け取って感謝を述べた。
秀一もまた、疲れながらもこの事態を重く受け止めてくれているようだ。急くように母親の肩に手を置きながら、この場から一刻も早く立ち去ろうとしてくれた。
そこで初めて秀一の母親は、ちとせへの視線を外されたのである。まさにそうしなければ、一生ちとせの顔を見続けていただろう。
帰りの車。その後部座席でちとせの横顔を見る。
自分の視線に気づくと、困ったように笑ったのだった。
全ての真実が明らかになるも、不穏なものを残して秋が終わった。
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