02
「誰だい、それ?」
あれから二週間後、仁美の月命日に朝倉家を訪れていた。
今日は朝から二人揃って両親がいないらしく、いつもより早い、昼に線香をあげていた。今日はこうして早い時間に来たのだ。折角だから昼でもどうかと誘われ、出てきたのはピザだった。
宅配ではない。冷凍ピザ。しかし庶民が常備するような、安物ではない。
九月に入って、成人を迎えた自分を祝うように、ビール付きの至り尽くせり。乾杯をしたところで、成人を迎えたとんでもない日のことを、こうして語ったのだ。
「俺の元カノだよ」
「元カノ!?」
君にそんな過去があったとは、と秀一は口をあんぐりさせている。普通に無礼なことであるが、ここはぐっと堪えることにした。
「前にな、自然消滅したと思ったら、消滅していなかったことで揉めたんだ」
「ま、君は恋人作りに精を出しているからね。揉めてもおかしくはない」
「いや、向こうの……浮気ってことになるのか?」
自分の中では自然消滅していた。だからあれを浮気だとは思っていないが、当人にとっては立派な浮気のようだった。
「ある日突然、『新しく好きな人ができた』『相手は包容力のある社会人』『放っておくあなたが悪いの』って電話がかかってきたんだ」
「それで君は憤ったのかい?」
「まさか。わかった、と答えたら、なぜか別れ話がもつれたんだ」
なにを言っているんだとばかりに、秀一の眉根を寄せている。
「自分のことを棚に上げて、浮気していたのかと責められたんだよ。着信拒否したら、仲間を引き連れ直接罵りに来たんだぜ。信じられるか?」
「それはまた……凄い元カノだね」
「結局さ、浮気疑惑なんてどうでもよかったんだよ。自分を差し置いて、大学生活を満喫している俺が気に食わなかったんだ」
「それでトシは、それをどう対処したわけ?」
「なんにも。なにせ奴らは、ちとせのところまで行ったんだ。それで全部解決」
「前後関係がまるでわからない」
ちとせのところまで行ったのに、なにもしなかったのかと秀一は言わない。語尾の全部解決の意味を見いだせず、頭の上に疑問符を掲げている。
「ちとせがさ、奴らにこう言ったんだ。『おにいはあれで、捨てられたことに腸が煮えくり返ってるからさ。あまり刺激しないであげて。今はまだ爆発してないからいいけど、後ろからガツンって来たら困るでしょ?』って」
「あぁ……」
納得げに秀一は息をつく。
それだけで全部解決の意味と、自分が容疑者になった理由を悟った顔である。
「つまりそのせいで、顔も見てないのに、君が犯人だと騒ぎ立てたのか」
「そう、こんなことをやる奴は、あいつしかいないって冤罪をかけてきたんだ」
呆れて物も言えないとばかりに、秀一は両肩を上下させた。
これが今回の顛末である。京香は犯人として自分の名前を上げたのだ。
過去のノックアウトゲームに関わっているかはどうあれ、模倣犯として、自分は容疑者となった。京香はハッキリと顔を見ただけではなく、都合の良いようにちとせの言葉を改ざんして、自分が京香を脅していた旨を警察に伝えたのだ。
あの場で、すぐに父さんはちとせと連絡を取った。「ああ、そんなこともあったね」と言っていたちとせだったが、そのせいで兄が容疑者になったことには仰天していた。ただし、謝罪はなかった。
「よくすぐに無罪放免になったものだ。一般人が知らない被害者の名を出したことに、疑われなかったのかい?」
「そりゃあもう、エリートメガネはこいつこそが犯人だ、とメガネを光らせていたな。そして父さんは顔面蒼白だ」
父さんはあの瞬間、息子の不始末を詫びるために職を辞する覚悟をしていたらしい。
「でも残念ながら、奴の思惑は外れた。あいつがガツンとぶん殴られたとき、俺はちとせのタクシーだ。車載カメラで足りないなら、ヒロさんの店の防犯カメラでも調べろって言ったらあっさり釈放された」
かくして、宮野和寿への容疑はすぐに取り下げられた。
アテが外れて肩透かしを食らっていたエリートだったが、警察の子供から犯罪者が出なくて、ホッとしているようにも見えた。
そして警察署を出て、気が抜けた父さんはもっとホッとしていた。
行きと違い帰りの車内に、重苦しい雰囲気はない。ようやく一息つけたところで、
「俺は父親に、無実の罪を追求された」
そうからかうと、
「おまえの無駄な推理が、ここまで俺を追い込んだ。その刑事顔負けの察しの良さはなんなんだ」
「隔世遺伝だよ。有能な祖先の血が、俺の代で発揮されたんだ」
「そこは俺の血だろ」
そんな父さんを、運転手が笑っていた。
秀一にその話をすると、気の毒そうな顔をしている。
なにはともあれ、自分はなにもやっていない。胸を張って堂々としている。
京香については、今度は自分の次に掴まえた恋人の名を上げたそうだ。どうやらもう別れているらしく、あいつに違いないと。京香は被害者でこそあるが、警察はもう、あいつの証言を信用していないようだ。
「以上が、俺の身に降り掛かった悪いニュースだ」
「じゃあ次は、良いニュースというわけか」
乾杯後、一度は言ってみたいセリフである、「良いニュースと悪いニュースがある。どちらから聞きたい?」との問いかけに、秀一は後者を選んだ。
悪いニュースはこうして終わりを告げ、残るは良いニュース。
秀一の顔は、あまり期待はしていない。どうせまた、同じようなネタなのだろうと、高をくくっているのだ。
「仁美が残した謎が全て解けた」
「え」
だから目をパチパチさせ、口を半開きにした秀一のその様は、実に狙い通りである。
仁美が残した謎、その真実。
それは電話でもたらすのではなく、こうして顔を突き合わせるときこそが告げるのが相応しいとずっと思っていた。
秀一の夏季休暇は、学部特有だけではなく、金持ちの忙しさも伴って、中々予定を合わせられなかった。それがようやくあったのが今日であり、丸々一ヶ月経っていた。
「仁美はちとせを見つけたんじゃない。どうやら二人は、出会っていたようなんだ」
ようやく、ずっと教えてやりたかった事実を、ついに秀一へ告げることができた。
もったいぶることもなく、事実を調べ上げたことを偉ぶることもなく、秀一の胸に刺さり続けてきたトゲを、さっさと抜いてやった。
秀一はホッとしたように息をつくと、その目頭は少しばかし濡れていた。
当時、十二歳の少女が頼った大人は、悪い大人ではなかった。むしろ誰よりも頼りになる大人だと知って、心の底から安堵していた。
「そう……だったのか」
「まさかちとせにやったことを、とっくにやられていたとはな」
「ははっ。因果応報だ」
果たして応報は、どちらの身に降り掛かったものか。
「仁美の愛は、重たいな……」
秀一は喉を潤すとそう言った。
今は遠くへ逝ってしまった妹の愛を、改めて実感し、困ったようにしている。それでもまだ、その重さを感じたいように思い馳せる秀一を茶化すことはできなかった。
「これで終わりじゃないぞ」
気持ちが落ち着いた頃を見計らい、続きをもたらした。
「え?」
「言っただろ、全ての謎が解けたって」
そう、全ての謎は解けたのだ。
「あのパソコンで仁美がなにをしていたのか。それを含めての全てだ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます