01

 九月を迎え、暦上秋となったこの時期。


 大学はまだまだ夏季休業真っ盛り。すっかり遅寝遅起きが染み付いた、大学生の鑑のような生活を満喫していたとある朝、父さんに叩き起こされた。


 なにかを憤っているわけでもなければ、それを抑えているわけでもない。真剣な面持ちをしながら、着替えるよう促してきた。その圧力に押され、文句も言う暇もなく車に乗せられた。


 ローンが残っているマイカーではない。出迎えご苦労とばかりの運転手付きの、黒いセダンであった。秀一の愛車とは違い、どこでも見るような国産車。警察の捜査車両なのは一目でわかった。


 一切の質問を許されず、連れて行かれた先は最寄りの警察署。かつて父さん宛に着替えなど届けに、何度も足を運んだ場所だ。


 玄関前で車を降りると、「ついて来い」とだけ言われ、それに逆らうことなく父さんの背を追った。


 そうして辿り着いた一室は、六畳間ほどの殺風景な部屋だ。椅子とテーブル。ドラマで見るような、スタンドや花瓶など、小洒落たものなどなにもない。


 先客がいた。高そうなスーツを着こなした、エリート然とした男だ。三十にこそ満たないが、青年期を脱し社会に揉まれた顔つきだ。次の瞬間、メガネをクイっと上げそうな、そんな警察官だった。おそらくキャリア組だろう。


 自分の置かれた立場は大体わかった。これから行われることも察した。


 父さんに目で入れと促されるがまま、とっとと奥の椅子へと座った。置かれたこの身は、扉から遠くに座らされるのが常である。


 父さんとエリートが、同時に腰をかけたのを見計らい、口を開いた。


「カツ丼は? 朝飯がまだなんだ」


 エリートの顔は涼しいまま変わらずも、父さんの顔つきは険しいものとなった。


 どうやら冗談は通じないようだ。


「どういう状況か、わかっているか?」


 気持ちを押し殺すような重々しい声で、父さんは告げる。


「何年父さんの子供をやってきたと思う。見ればわかるさ。父同伴の三者面談が許されてることには驚いたけど」


 こういうのは、家族は外されるもんだと思っていた。


 父さんもずっと警察に尽くしてきたのだ。まだ事実が固まっていない内は、せめて介錯はさせてやろうという、上からの温情があったのかもしれない。


 今、自分が置かれている状況。


「それで、俺はなんの容疑者なわけ? 無辜の民を轢いた覚えもなければ、刺した覚えもないんだけど」


 なにかの犯罪の容疑者にされている。


 目撃しているかもしれないとか、その場に居合わせただけなら、父さんもこんな顔をしていない。もっと気軽に、惰眠を貪っていないで社会貢献しろと、首根っこを捕まえるだけで済んでいるだろう。


 これは間違いなく、取り調べだ。


「二日前なにをしていたのか、教えてもらっていいかな?」


 エリートは見た目のきつさとは相反し、優しい言葉をかけてくる。父さんの鞭に対した飴というわけではないだろう。


 一方、自分はそんな二日前になにをやっていたのか。それを思い出すのではなく、社会的になにがあったか。頭の中に検索をかける。すぐにそれの当たりはついた。


 大きなため息が出る。


 よりにもよって、あの事件の容疑者かと。


「ノックアウトゲームか」


 目の前の二人の口が固く結ばれる。


 父さんの顔は悲哀に満ちたものであり、エリートの顔は確信への足ががりを得たそれであった。


「で、なんで俺が容疑者にあがったのか……」


 机をトントンと指で叩きながら、可能性を検討してみる。


 今まで一切の痕跡を残さず、今日までろくな容疑者を見いだせなかった。それがこいつこそ犯人だとばかりに、なぜ急に俺の名が上がったのか。


 現場にそれを示す物が残っていた。なんてことがあったとしても、事件前からあった落とし物の可能性もある。ちょっと話を聞かせてくれ、くらいの気軽さで始まるだろう。いきなりこんな容疑者扱いはされないはずだ。


 そうなると証言だ。


 ノックアウトゲームは徹底的に人目を気にして行われている。現場周辺の聞き込みから、自分を示す証言を得たのはありえない。なにせその日その場にいなかったのだから。


 ならどこから得られた証言かと言えば、被害者からもたらされたものだ。


 被害者がたまたま犯人の顔を目撃できた。その人相から自分に辿り着いた……は、まずないだろう。事件が起きたのは二日前。いくら誤認とはいえ、あまりにも動きが早すぎる。


 そうなると、被害者が直接自分の名を口にしたのだ。


「被害者が、俺の顔を見たとでも言ってたんだな」


 被害者がそう口にすれば、動きが早くてもおかしくはない。


 ではなぜ、自分の名前が出たのか。なぜ犯人ではない自分の名前をわざわざ口に出して、そんな嘘をついたのか。


「……被害者は、十九歳女性」


 ピクリとする二人を無視して、可能性を更に検討していく。


「なるほど、そういうことか」


 その答えに辿り着くのに十秒もいらなかった。


 被害者の名前は世に出回っていない。けれどその名は、フルネームで頭の中に蘇っていた。


「被害者は、俵田京香だな」

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