09

 そのくらいの時期に、ちとせは挙動不審だった。


 なにかに思い馳せるようにボーとし、声をかけても上の空。母さんの死から立ち直ろうとしていた矢先だから、父さんと共に心配はしていたのだ。


「仁美からコンタクトがあったのは、七月に入ってすぐだった。先輩を通じて、連絡先を教えてくれたの」


「先輩を通じてって……仁美は軽音楽部ってわけじゃなかったんだろ?」


「うん。だから先生を尋ねることから始めたんだって。あの日来たのは、どこの学校の生徒だったのか。どんな目的で来たのか。軽音楽部絡みだとわかったら、わたしと連絡が取りたい、取り次いで欲しいと訪ねたらしいの」


「それはまた、凄い行動力だな」


「そう、仁美は一度決めたら凄い行動力を発揮するんだよ」


 仁美が取った行動は言うのは易しだが、行動に移すのは胆力がいる。先生に尋ねることはできても、見知らぬ先輩方のもとを訪れ、仲立ちを頼むのだ。当時十二歳の少女がそこまでの行動力を発揮するのは、並大抵のことじゃない。


 同時に、母さんの血を感じた。あそこまでは破天荒ではなくても、動き出したら止まらない。お嬢様育ちでは考えられない力が、血にでも宿ったのだろうか。


「仁美の連絡先を渡されてね、連絡をするのを迷ったんだ」


「迷った? おまえがか?」


「おにいと違って、わたしは繊細だから。仁美が連絡先をよこしてきた理由も、なんとなく察してたの」


 ちとせもまた、俺と一緒で察しがよく、そして敏い。なにより母さんにベッタリで、自分の生まれたときのことはよく心得ている。母さんの生き写しが目の前に現れたら、難なくその意味に辿り着けるだろう。


「迷った末に、かけたのか」


「うん。人生でもっとも長い五分だったよ」


「たった五分かよ」


 これには突っ込まざるえなかった。やはり自分の妹は、繊細とは程遠い。


「でもね、次の五分は人生でもっとも短く、ドキドキした五分だった。要件はお互いに承知してる。電話をくれてありがとうから始まったけど、いきなり自分の誕生日を言ってくるんだもの。わたしも同じだって答えると、今度は生まれたときの話をされて、話が早いのなんの。仁美はね、早期決着を望んでたんだよ」


 人生を揺るがす最大のイベントを、ちとせはたったそれだけで纏めてしまった。それだけで纏まるほどのシンプルさ、速度で仁美は動いたのだろう。


「早期決着した結果、どうだったんだ?」


「確かめたいと仁美が言ったの」


「血の繋がりを?」


「そ、血の繋がりを」


「なんでまた。そんなことしなくても、もうお互い確信してたんだろ?」


「自分の確信だけじゃ、仁美には足りなかった。裏付けされたデータを望んだんだよ」


 また、なんで……と思ったところで、すぐにその理由に思い至った。


「まさか、ヒデとの関係か?」


「『もし血が繋がってないと証明できたら、兄さんの子供を産んでも問題ないじゃない』。仁美はそう言ってたんだ」


 ちとせは自分の反応を窺うように、ニヤニヤしている。あのときの驚きを、おまえも共有するんだと言わんばかりだ。


 いや、仁美の日記見ていたが、これには仰天する。


「兄さんと結婚じゃなくて、子供を産みたいか。愛が重たいな」 


「そう、仁美の愛は重いんだよ」


 軽く言うちとせだが、その愛の矛先が、自らの血の繋がった兄である。そこに思うことはないだろうかと問いたいが止めた。きっとないのだろう。


「仁美の重たい愛のために、確かめてみることにしたの」


「DNAをか?」


 ちとせは元々ミルクティー派である。カフェラテの味に飽きてきたのか、ボトルそのものを渡してきた。


「子どもたちだけで、どうやって?」


「まさか。ちゃんと大人の協力を得てだよ」


「大人の協力って……」


 ちとせの残飯処理をしながら、ストローに口をつけて考える。


 仁美の謎の一つ。どうやってDNAを調べたのか。そこには大人の手があったのはわかっていたが、それこそが秀一の頭を悩ませた。


 ちとせと仁美。一体二人は誰の手を借りたのか。まさか父さんなわけないだろうし、そうなると他に大人は……


「……まさか」


 一人、思い至った。むしろその可能性以外になかった。


「ヒロさんか!?」


 ちとせの最大の支援者であり、母さんの信仰者だ。


 まさか今回の件に絡んでいるとは思わなかった人物であり、同時に、全てが納得いく答えでもあった。


「ヒロちゃんに仁美を引き合わせたときは、大変だったよ」


「ヒロさん、驚いただろ」


「驚いたなんてもんじゃないよ。ヒロちゃん、大号泣で泣き止むまで大変だったんだから。嗚咽が凄いのなんのって」


 ヒロさんの大号泣と嗚咽。どんな姿か想像こそできないが、わからないでもない。


 当時自分を救った母さんの姿そのものが、目の前にいきなり現れたのだ。事情を知ったヒロさんの感情が爆発するのは、至極当然のことである。


「ヒロちゃんも、見た目だけで確信できるとはいえ、ハッキリさせるのは賛成だった。必要な物は全部用意してくれたよ」


「どうあれ、母さんの血を引いてる子供だもんな。それでヒデとの兄弟関係を、ハッキリさせたわけか」


「まさか。朝倉家はお医者さんのお家だもん。そういうのを持ち込んで見つかれば、大変なことになるでしょ。調べたのは、おにいと仁美、そしてわたしとの兄妹関係だよ」


「一体いつの間に……」


「そこはほら、お薬で眠っているうちにちょちょっと」


 口に含んだカフェラテが、ストローを伝って逆流した。


「マジかよ。同じことをとっくの昔にされていたのか」


「同じこと……?」


「あ……」


 咄嗟に口をつぐみ、顔を背けるももう遅い。


 顔を背ける瞬間、ちとせの顔は大義名分を得たと、面白い玩具を見つけたかのようにニヤついていた。


「へーへーへー。おにいは可愛い妹に薬を盛って、DNAを採取して、そして最後にはエッチな悪戯をしたんだ。うわー、おにいの変態―!」


 横目で見ると、自分の身体を抱きしめクネクネしている。いつもよりワントーン高い声が、それを一層わざとらしくしている。


「誰がするか! そもそも俺は、可愛い妹に薬を盛ったりなんてしていない」


「じゃあおにいは、誰に薬を盛ったのさ」


「可愛くない妹だ」


 そんな面白くない答えは聞いていないと、ちとせは脇腹を突いてきた。


「検査結果は、おにいの知っている通り。わたしの可愛さの秘密は、血にあったわけ」


 自分たちの血の繋がりの否定。それをあっけからんと伝えるどころか、ちとせは誇るかのようにすらしている。


「そうか……大事なのは家庭環境というわけか」


「おにいにしては良いこと言うね。ちょっとびっくり」


 目をパチパチするちとせの目は、珍しく兄への敬意が込められていた。


「ヒデと同じ血を引いているとは思えない、可愛くない妹の秘密は、こうして明らかになったわけだ」


「そうだね。仁美が宮野家で育っていれば、素晴らしい兄に恵まれず、他所のお兄さんを見てこう羨ましがるんだよ。大好きな兄さんがほしいな。でも、私はないものねだりはしないわ、って」


 皮肉と皮肉の応酬。


 そこに互いへの悪意などなく、宮野家ではよく見られる兄妹のコミュニケーションだ。そこに変化などありえない。


「どうあれ、わたしは宮野家で育った。それは変えられないし、今更変わらなくてもいいことだよ。わたしは大好きなお母さんの子供。大好きなお父さんの娘。これからもそれは、変わらないよ」


 照れも含みもそこにはない。宮野ちとせの真実だ。


 朝倉家がどれだけ裕福な家庭であるかは、仁美を通じて承知しているはずだ。本当であればそこにはちとせがおり、今とは比べ物にならない生活が待っていた。


 自分の代わりにその世界を得た仁美に、ちとせは羨むでも妬むでもない。今の世界こそ自分の居場所だと、ちとせは信じている。


 仁美の残した想いである『間違った世界で生きてきたからこそ、こんなにも幸せなのだから』。それを体現するかのようだった。


 ならばもう、自分から言うことはない。ちとせは仁美のように、人生への折り合いをつけているのだ。つけているなら、


「大好きなお兄ちゃんが抜けているぞ」


 素晴らしい兄を蔑ろにしていることに、苦情をつけた。


「わたしって、ないものねだりはしない主義なの」


 わかっていたが、返ってくるのはいつもの答え。


「でも、仲間ははずれは可哀相だから、おにいも入れてあげる」


 まるでついでとばかりに、ちとせは言った。


 早歩きで何歩も行った先で振り返った。満面に喜色を塗りながら、夕焼けをその背にし、聞き慣れない言葉をちとせは紡ぐ。


「大好きだよ、おにい」


 頬が赤く染まっているのは、果たして夕焼けのせいか。照れを誤魔化すために夕焼けを利用したのなら、これまた見事な作戦だ。


「これからも可愛い妹がいる素晴らしき人生を、噛み締め喜んだほうがいいよ」


 一つの真実が表に出たからといって、これまでとなにも変わらない。


 恋愛小説であれば、仁美のように兄妹のままではいたくない。なんてこともあるのだろうが、宮野家の兄妹に限ってそれはない。


 自分にいるのは、いつだって可愛げのない妹だけだ。


「はいはい、可愛い可愛い」


 そんな可愛げのない妹を適当に褒めながら、これまで通り、くだらないことを言い合いながら帰路についたのだった。





 人生が一変するようで、一変しない夏が終わった。

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