07

「父さん」


「父さん!?」


 突如声をかけてきた刑事をそう呼ぶと、秀一は驚嘆しながら復唱した。


「見てのとおりだ」


 先程の問いに答えるよう、リラックスの粋を尽くす姿を見せつける。


 父さんの視線は、そんな自分と秀一の右手を見比べていた。


「駐車場には、俺の知っている車はなかった」


「そりゃあ家にあるしな」


「おまえがわざわざバスに乗ってまで、ここに来るとは思えん」


「当然だな」


「俺にはこの光景が、運転手を差し置いて偉そうにしているようにしか見えん」


「そう、トシは偉そうなんです」


 刑事の見事な観察眼に答えたのは、秀一だった。友人の父親とのファーストコンタクトは、それでいいのだろうか。


 眉をひそめ、父さんは呆れたように顔に平手を当てた。


「父さんこそ、事件の聞き込みかなんか?」


「ああ。この辺で殺人があったのは、おまえもニュースで見ただろ?」


「ほら、言った通りだろ?」


 父さんのだろ、をそのまま右から左に流すように、だろっと口にした。こればかりは秀一も感服していた。


「でも、父さんがその担当になっていたのは予想外だ。てっきりノックアウトゲームの担当かと思ってた」


 父さんは家族だからといって、あれこれの事件の担当になった、と語ることはあれど、その中身を家族の団らんのネタにすることはない。口に出すのは精々、ニュースで流れる程度のもの。守秘義務や節度を守る人だ。


 春頃に小学生が被害にあった事件。帰りがそれで遅くなったことがあった。そこから父さんは、ノックアウトゲームの担当だと勝手に思い込んでいた。


「その件についてはノータッチだ。あれが起きて帰りが遅くなるのは、担当事件の人員が持ってかれるからだ」


 あの事件が忌々しいとばかりに、父さんは唇を尖らせる。


「流石に被害者の名前くらいは頭に入っているがな。顔までは知らん」


 そんな父さんの言葉を耳にして数秒。ドキリとした。秀一もそれは一緒らしく、つい顔を見合わせてしまった。


 仁美は若い頃の母さんに瓜二つだ。警察には仁美のあらゆる情報があがっている。顔写真を見ようものなら、すぐに真実に辿り着くだろう。


 今日ほど父さんが、ノックアウトゲームの担当じゃなくてよかったと思った日はない。


「なんだ?」


 男二人顔を見合わせたことに、父さんは怪訝そうにする。


「てっきり父さんが、ノックアウトゲームの担当だと思ってたんだ」 


「トシは適当なこと言ってばかりだ」


 即座に秀一は合わせてくる。周りにうちの父親は、あの事件の担当だ。そう吹聴している体にした。


 父さんは訝しげに眉根を寄せ、自分たちを交互に見比べる。


「ん……?」


 左右に幾度も振られた首は、ふいに秀一を前にして止まった。


「えっと、君は?」


「あ……秀一と言います。学部は違いますが、トシとは同じ大学です」


 あ、と言ったのは言葉に詰まったわけではない。仁美の件もある。朝倉の姓を名乗るのを躊躇ったのだ。


「秀一くんか。偉そうな息子が世話をかけているようだな」


「いつものことですから」


 自分への皮肉交じりの言葉に、秀一は嫌味のないカラっとした声色で答える。


「それで君は、前に家に来たことがあったかな?」


「いえ、お邪魔したことはありませんが」


「そうだったか? いや、どこかで見たことがあるような……」


 唸りながら父さんは、過去に秀一の影を探し始めている。秀一も秀一で、どうしたのかとキョトンとしている。


 仁美の顔も知らないのだ。まさかそっちの線から、顔を知られていることはないだろうと、秀一は高を括っているのだ。


 一方、なぜ父さんがそんなに唸りを上げているのか、自分にはわかった。


 ちとせだ。秀一の中にちとせを見出し、既視感を感じたのだ。かつて自分も同じことを感じたから、父さんの奥歯に物が詰まったような苛立ちがよくわかる。


「ああ、あれだよあれ。こいつが噂のヒデだからよ」


「噂のヒデ?」


「ちとせに聞かなかった? 俺の顔を知っているくらいに、熱狂的なちとせのファンがいるって。それがこの金持ちハンサムのヒデなんだ」


「おまえの顔を知るほどの、ちとせのファンか」


 秀一の上から下までを舐めるように父さんは値踏みする。


「た、たまたま飲み会でトシを見かけたもので。つい声をかけてしまって……」


「マナー違反は反省してるし、ちとせの害になる悪い奴じゃない。それは俺が保証するから、信用してくれていい」


 照れる演技をする秀一に、すぐに自分は合わせていく。


「ちとせと比べれば、おまえの信用は雀の涙だ」


「見ろよヒデ、息子を信じない酷い父親がいる」


「ちとせに彼氏ができたと騙されて以来、おまえの言葉の全てを疑うようにしている」


「自業自得だ」


 しかつめらしく言う父さんに、秀一はそう言った。もちろん、誰に言ったのかは言わずもがな。


「なら、今後はちとせに彼氏ができ、産めよ増やせよな男女交際になろうとも、俺は口をつぐみ続けるしかないわけだ」


 悔しそうに喉を鳴らす音がした。


「人望の厚い、人気者のバスケ部のエースとの進展についても、胸にしまうことにするよ。なにせ俺は、父親に信用されない息子なのだから」


「真偽は別にして、話くらいは聞いてやろう」


「偉そうな父親だ」


「偉そうな息子には、このくらいが丁度いい」


 例えどれだけ信用できない息子であろうとも、自身よりはその辺りに精通していることは、父さんもわかっているのだ。一週間前、和民くんがまたもちとせに振られたことは知らないでいる。


 そうやって言い合っている内に、秀一への追及の手は止まった。全ては計算通りである。


「ともあれ、最近のちとせの調子はどうだ?」


「父さんがさ、ここで調べなければいけないのは娘の動向じゃない。殺人が行われた経緯と、その犯人だ」


「いいから、どうなんだ」


 仕事中だというのに、やけになにかを気にする父さん。


「別に、いつも通りじゃないのか? なにかちとせにあったわけ?」


「……最近、ちとせの新曲にうるさく言う奴が多い」


「そうなのか?」


 秀一に話を振る。俺との接触での役作りで、ひととせのことは詳しいはずだからだ。


「質が落ちたという書き込みがあるのは確かだよ」


 ジロっと睨む父さんに、秀一は慌てて口を動かし続ける。


「五月くらいからかな。一部のファンが新曲に対して、曲の作り込み不足を指摘したんだ」


「一部のファンって、どんなファンだよ」


「海外のファンだよ。動画サイトを通じて、ひととせを評価してきたファンがいるんだ」


 ちとせの曲の歌詞は、どれも英語である。だからこそ、世界の一部に根強いファンができたのだろう。


「先月出した曲も、同じような評価でね。新しい音に挑戦しているというわけでもないから、質が落ちたと批評されてるんだ」


「ヒデの感想はとしては?」


「五月以前と以降では、質が違うのは確かだよ」


 秀一はそう評した。父さんの前だからといって、耳障りのいい言葉を使わないのは、真摯に向き合った結果だろう。


「僕としてはそこまで悪し様に言うほどでもない。けれどさ、人間って奴は、誰かを悪く言うときこそ生き生きする生き物だ。海外のファンのコメントは批評だが、そんな彼らの言葉を真似して、偉そうにする奴が多すぎるんだ。トシのお父さんが目にしたのは、そんな批評家気取りの悪口だったんじゃないかな」


 「うむ」と父さんは頷く。自分を前にしても、ちゃんとした批評をする秀一に一目置いたのだろう。少しばかし辛口であっても、今はギラギラした眼差しを向けていない。


「へー、ネットじゃ今、そんなことになってるんだな、ちとせは」


 一方、そんな二者に対して、まるで無知な自分はそんな感想しか出てこない。


「なに他人事みたいに言ってるんだ。君はちとせの兄だろう」


「そうだ。おまえも兄なら妹が頑張っていることに、もう少しくらい興味を持て」


 二人揃って、妹への無関心さを非難する。


 真っ昼間から良いご身分であることを再び取り上げて、年齢が年齢なんだか気をつけろとだけ釘を刺し、父さんは職務に戻っていった。

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