04

 帰り道。


 神様がお帰りになるのに、あれから一時間以上もかかっていた。


 十一時を回ってからようやく、満足そうに偉そうな妹は車へ乗り込んだ。


 ごめん、の一言もなかった。代わりに、ありがとう、の一言はあった。文句の一つを言ってやろうとしたが、すっかり気分が削がれてしまった。


「え、お母さんとヒロちゃんの馴れ初め、今更知ったの?」


 つい先程、ヒロさんとこんな話をした、と聞いて驚くちとせ。


 日本語は正しく使えと軽口を叩こうとしたが、止めた。男女が親しくなったキッカケには違いない。


「うっわ、おにいはさ、なんか、そういうところで家族への情が足らないよね。もうちょっとお母さんたちの過去に、興味を持とうとしなかったわけ?」


「女のおまえにはわからんことだと思うが、両親の過去を詮索をしないのが、男の正しいあり方なんだよ」


「それで今更になって、詮索をしたんだ」


「俺もそろそろ大人だ。母さんの過去に向き合うときが来たんだよ」


 ヒロさんとした同じような会話を繰り広げる。


 ジト目が横から向いているような気はするが、確認はしない。運転中よそ見をしないことが、運転手の正しいあり方だからだ。


「おにいくらいになるとさ、お母さんが何人兄弟だったかも知らないでしょ?」


「二人から三人兄弟、もしくは四人兄弟の、紅一点だ。姉妹だけだった可能性も否めん」


「兄が二人に妹が一人の四人兄妹だよ。兄妹全員優秀で、よく親のいうことを聞く子供だったんだって」


「まるで俺みたいだな。やはりそこは血か」


「お母さんは、成績も平凡で、好きなこと以外頑張れない性格だった。親の言葉に歯向かい、ついには他の兄妹からは煙たがられていたんだって。やっぱりお兄ちゃんは、お母さんの子供だね」


 ちとせの軽口への切り返しは、まさに鋭さを誇っている。こういうところは、やはり自分たちは兄妹だと実感する。


「そんな家庭環境だったから、人生がつまらなかったんだって。自分が悪いのはわかっているけれど、性格は簡単に変えられるものじゃない」


「小学校を出てすぐの子供なら、なおさらか」


「流行り廃りも興味がないから、周りの子たちにもついてけない。家でも学校でも、ずっと一人。それでもいいんだと、熱中できるなにかがあるわけでもなかった。お母さんの世界はね、ずっと止まっていたんだよ」


 初耳であった。母さんにそんな暗い過去があったとは。


 家族との折り合いは悪くても、周りを巻き込んだ人気者タイプかと勝手に信じていた。


「それが、あの曲に出会って全部変わったわけか」


 真理とヒロさんに、今日立て続けになって教えられた曲名を口にする。


「そんなに凄い曲なのか?」 


「当時のロックの流れを変えて、一時代を築いた曲だもの。凄くないわけがないよ」


 するとちとせは、スマホをいじり始めた。連絡が来たわけでもなければ、自分との会話に飽きた暇つぶしのわけでもない。


 ギターの音が聞こえてきた。ちとせが音楽を再生したのだ。


 軽快な音で始まるその曲は、妙に耳に馴染む。ついそのリズムを口ずさみそうになり、気づけば軽く頭を振っていた。


 自分は、この曲を知っている。


 ただし、世に広まっているであろう音源からではない。母さんがギターを触る準備運動としてよく弾いていたイントロだ。


 何度も耳にしてきたギターフレーズ。準備運動は終わった。そう言わんばかりにドラムなどの激しい音が重なり出し、静かな歩みが衝撃となって走り抜けた。


 一流大学に通っている自分である。ただし英語のヒアリング能力が高いわけではない。英文は読めるが聞き取りは苦手。ところどころの歌詞は拾えるが、それでもなにを訴えかけているかはさっぱりだ。


 それでも、つい動き出したくなるような熱がある。


 気づけばすっかり聞き入っており、信号の赤と共に、この曲は終わりを告げた。


「どうだった?」


「良いんじゃないか?」


 出てきた感想は、そんなつまらないものだ。


 自分にしては珍しく、乗りに乗ったという感覚を得た。母さんがが散々弾いていた曲だからこそ、初めてなのにここまで乗れたのだ。


「おにいにしては、珍しく素直だね」


 ちとせもまた、素直にそう言った。


 母さんの世界を変えた曲を、良いんじゃないかでまとめたことに、ちとせからのお怒りや叱責はない。そもそも、自分に曲のレビューをできる能力がないのを、知っているからかもしれない。


「一時代築いた曲だと聞かされて、嘘だろ? と思うより、なるほどね、と納得するくらいには良い曲だと思うよ。これを作った本人も、時代の流れを変えれて大満足だろうな」


 それが悔しいので、感想を少しばかし付け足した。ちょっと気の利いたことを言えた自分に大満足だ。


「作ったとうの本人は、この曲を生み出したことを最後まで後悔したようだけどね。文字通り、死ぬほどに」


「は?」


 ちとせは右手で銃の形を作ると、こめかみにあて、人差し指は上へと跳ねた。それがどういう意味を指すかは言わずがな。


「だって、売れたんだろ?」


「商業的成功がさ、幸せに繋がるとは限らないってことだよ。大ファンってわけじゃないから、わたしも詳しくは知らないけど、その葛藤はわからないでもないよ」


「葛藤?」


「ほら、わたしってさ、可愛くて歌声もバッチリでしょ? ちょっと息抜きにアイドル路線で売り出せば、すぐに大成功するよ」


 尊大で偉そうなことを、さも当然のようにちとせは言った。


「でもわたしは、同じ音楽でもロックバンドとして成功したいの。アイドル路線を前提とした、音楽の成功なんて欲しくない。つまり、そういうことだよ」


 世のアイドルが聞いたら怒られても仕方ない発言をする我が妹。


 でも、言わんとしていることはわかった。真面目な文学作品を書いていた作家が、ある日ちょっとした大衆娯楽小説を書いて、世間から高い評価を得た。世間は彼に、新たな作品を求めるだろう。人生を捧げようと思っていた文学ではない。名前が売れるキッカケとなった、娯楽を求められたのだ。


 自分は表現者の類ではない。売れればそれでいいだろうと思うが、やはり、彼らには彼らなりの矜持がある。ちとせはそれを言いたいのだろう。


「それでも聞き手にとっては、そんなの関係ないんだよ。作り手が曲へ抱く意図や愛憎になんてお構いなし。動き出さずにはいられないほどの力が、この曲には宿ってしまったの」


 信号が、青になった。


「それこそ止まっていた世界が簡単に動き出しちゃうくらいの、音楽の力がね」

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