03

 訥々とヒロさんは昔話を語り始めた。


 自分は昔から人とは違った。


 周りの少年たちがあれがいい、これがいいと異性に見つける性的欲求を、ヒロさんは彼らに見出していた。


 綺麗な服に憧れた。


 可愛い服に憧れた。


 アイドルの顔を見て、自分もこんな風になりたいと願っていた。


 今でこそ許容されつつある願望であるが、昔はまさにそんな望みに社会は排他的であった。男が女の子らしいことをするなんて、許される行為では決してない。


 もし成人であれば、そのような道を切り開くことは可能かもしれない。ただ当時のヒロさんは中学生だった。


 成人してからの社会もそうであるが、学校というコミュニティは、いつだって獲物を探している。大義名分を掲げて攻撃するのに相応しい、そんな獲物を。


 ヒロさんはそれを自覚している。だからこそずっと隠してきた。


 周りの少年たちが夢中になれるものに夢中になれない。そんなヒロさんが唯一、彼らが羨むものを持っていた。


 音楽であった。


 中学生となると、小学生とはまた違うカッコよさを求め始める。ロックバンドはまさにそれである。


 事故で両親を亡くしたヒロさんは、祖母と二人暮らし。ただ両親が残した遺産の一つに、ロックを始めるのに必要なものが大体揃っていたようだ。それこそ家の地下には防音設備があるほどで、裕福な家庭であったらしい。


 ちとせや真理のように、両親から英才教育を受けていたヒロさんは、多才に楽器を扱えたようだ。その知識も同年代の少年たちとは比較にならないほど深かった。


 小学生当時、まるで見向きもなかったそんなヒロさんの一面を、少年たちは羨んだ。皆がヒロさんをもてはやし、教えを請うてきたそうだ。


 毎日のように少年たちを招き、自分の持てる全てを差し出した。そこに上下関係などない。彼らと音樂を通じて友情を育んだのだ。


 少年らしい中学時代の青春である。このまま進めば、きっと少年たちの中でヒロさんは「あいつは昔から凄かったよ」と懐かしまれたであろう。


 ただし、ヒロさんは人とは違う。


 彼らとの友情の中に、恋や愛を見出したのだ。


 当時、ヒロさんに懐くように、仲がよかった子がいたらしい。それこそクラスで一番カッコよく、女子たちからも人気があった少年だ。


 そんな少年が、ヒロさんに全幅の友情を差し出してきていた。それを恋や愛など届かなくても、理解者になってくれるかもしれない。そう思っても仕方のないことであろう。


 だからヒロさんは、告白したらしい。


 結果として、汚い物を見る目を向けられ、次の日には学校中に広まったようだ。


 学校というコミュニティがどのような形で牙を剥くか。パッと思い浮かぶようなことは、大体起きたらしい。


 学校にはいられなくなり、不登校になったヒロさんであったが、その攻撃の手は緩まない。


罵詈雑言の手紙なんて可愛らしいもの。家に石を投げられ、落書きもされたらしい。ヒロさんの祖母はその辺りしっかり警察沙汰にしたが、犯人は特定できず。数こそ減ったが、嫌がらせがなくなることはなかった。


 当時十二歳の少年は遺書を残し、その輪っかに首を通そうとした。


 後、五分。それが起こらなければ、ヒロさんはこの世にいなかったと語っている。


 ロープに首を通すだけのところで、表玄関が騒がしくなった。きっとまた自分への嫌がらせかと思ったが、それは正解であり、はずれでもあった。


 嫌がらせは、絶対に見られてはならない。騒がしくすることがあったとしたら、行為の一瞬後だけだ。


 祖母が玄関から出ると、また一層騒ぎが大きくなった。


 ヒロさんにとって、大事な祖母だった。自分のせいでこんなことになっているのに、そこで怪我をしようものなら目も当てられない。


 慌てて玄関に走り出すと、そこには三人の少年がいた。そして、そんな少年の一人を意地でも逃がすかと羽交い締めにしている少女がいたのだ。


「それが、玲子だったのよ」


 どうやらその少年たちは、ガラスを割りに来たようだ。投石し、狙い通り一室の窓は割れた。


 後はいつもどおり逃げるだけ。そのタイミングに現れたのが、母さんだったらしい。


 彼らの一人を羽交い締めにし、大声で叫び散らかした。


 そんな声を上げているのだ。近所の至るところから、なんだなんだと、色んな顔が飛び出してきた。


 かくして少年たちは、逃げるのを諦め、警察のお世話になったのだ。


 その後、どういう対応を取られたのかは大人たちが知るのみ。ただ二度と、ヒロさんの家には嫌がらせなどは起きなくなったようだ。



     ◆



「かくしてたまたま通りかかった母さんは、諸悪の根源を取り押さえ、事件を解決したわけか。めでたしめでたし」


 素晴らしい勧善懲悪ものだった。我が母親らしい活躍である。


「全然めでたしめでたしじゃないわよ。大変だったのはここからよ」


 どうやら無事完結していないようだ。


「警察を待つまでの間、あたしを見た玲子の第一声はなんだったと思う?」


「なんだったと思うって……」


 母さんのことだから、大変だったわね、なんて安っぽい言葉を吐き出すわけがない。ヒロさんを労るとも思えない。


 なまじ母さんを詳しく知るからこそ、突拍子もないことを言い出すに違いないのはわかる。答えを探している自分に、ヒロさんは時間切れだとばかりに言った。


「あなたがヒロね。私、玲子。さあ、早くロックを教えて頂戴、よ」


 いつかの責任を取ってのような衝撃が走った。


「え、なに? 当時のまんまなの、その台詞?」


「そのまんまもそのまんま。会ってそうそう、いきなりヒロ呼ばわりよ? なんだこの女はと開いた口が塞がらなかったわよ」


「母さんはさ、やっぱりどこが頭のネジが飛んでるわ」


「その飛んだネジこそが、玲子の味よ」


 ネジを飛んだ呼ばわりを怒るどころか、愉快そうに肯定するヒロさん。むしろそれを味だと言っている辺り、ヒロさんの母さん贔屓は凄い。


「ロックを始めたいと思った矢先、あたしのことを聞きつけたみたいでね。その日の内に知って、その日の内に家まで来たのよ、玲子は」


「それで、ヒロさんはどうしたのさ? まさか『ロックな奴だ。わかったよ、教えてやるからとっとと家に入りな』って言ったわけでもないだろ」


「対応に困っているとお婆ちゃんが『教えてあげなさい』って言ったのよ」


「それもそれで凄い話だ」


 ヒロさんの祖母はもう亡くなっているらしいが、それでも凄い胆力だと思わざるえない。


「それで、教育一日目の母さんはどうだったのさ?」


「『これがロックの魂、ギターなのね』と手に取ったのが、ベースだったわ」


 それは酷い。無知の自分でも、弦の数で区別がつく。


「当時の玲子は、ロックどころか流行りの曲すら聞かないような子だったのよ」


「それがなんで、ある日唐突にロックを始めるのに繋がるんだ」


「寿幸と出会ったときと一緒よ。出会ったのよ」


「ロックに?」


「そ。あの曲にね」


 そしてヒロさんは、その曲名を教えてくれた。タイトルは当然英語であり、簡単な英語の羅列であるのに、なんと訳していいのかわからない。


 ただ、その曲名には聞き覚えがあった。聞いたことがある曲だからではない。今日、真理から仁美が弾いていたと教えられた曲だ。


「もしかして有名な曲だったりする?」


「昔の曲を知っていたら偉いとは言わないわ。でも、この道を通れば無知ではいられない。そのくらいに有名な曲よ」


 それはきっと、昔流行った曲を知っているそれと近いのだろう。音楽番組を見ていれば、昔名を馳せた曲の知識が身につくような。


「当時の玲子が、あの曲に衝撃を受けたのはわかるわ。つい真似したくなるのもね」


「ヒロさんはそれを知って、喜んで母さんにロックを教えたわけか」


「まさか。この女、さっさと飽きてくれないかなって思っていたわ」


 ヒロさんが母さんに向けるとは思えない辛口を吐く。


「でもお婆ちゃんが、玲子が帰るときに必ず言うの。『また明日も来なさい』って」


「恩人だから?」


「それもあるだろうけど……きっとお婆ちゃんはわかっていたのよ。玲子こそが、あたしを立ち直らせるキッカケになるって」


 昔、ちとせがヒロさんの祖母の写真を見たがり、その場にいたから見たことがある。キツめの頑固婆さんという感じであるが、真っ直ぐな芯の通った、意思の強さが窺えた。


「あたし、楽器を触らなくなっていたのよ。あれだけ怒られながら朝から晩までやっていた音楽を、辞めちゃってたの」


「なるほど。母さんを通じて、無理にでもその機会を作ったわけか。ヒロさんとロックは切っても切り離せない。楽器さえ再び手に取れば、ヒロさんは必ず元気になる。今は辛いときかもしれないけど、そうやって今さえ乗り越えれば、こんなこともあったなと笑い飛ばせる日がくると、お婆さんはきっと信じていたんだ」


「ええ、その通りよ。そして和寿」


「なに?」


「あんたは女の子を飽きさせない喋りもできれば、顔もいい。服のセンスも悪くはないし、清潔感もちゃんとある。出会いの場に積極的に赴いて、彼女を作ろうとする努力を怠っていない。そこまでしてなぜ彼女ができないのか、不思議なほどよ」


「だろ? なぜこんな俺に彼女ができないのか。世界の七不思議なんだ」


「あんたがモテないのが、今のでよくわかったわ」


 どうやらヒロさんは、世界の謎をまた一つ、解き明かしてしまったらしい。


「自分の欠点は、ちゃんと自分で気づきなさい」


 ヒロさんの教育方針はスパルタなようだ。今の会話をいくら吟味しても、欠点はなく自分の長所以外見受けられない。


「玲子にロックを教えるようになったあたしは、それこそ毎日付き合わされるはめになったわ。休みの日なんて、それこそ朝から晩まで。お婆ちゃんも玲子が来るとニコニコするから邪険にできないし、参ったものよ」


「母さんは、当時から遠慮がなかったのか」


「家に来るようになって一週間後には、今日のごはんはなにかしら、だったわ」


 どうやら出されたご飯まで、遠慮なくたかっていたらしい。


「だからね、切り出したのよ。学校で耳にしている噂は、全部本物だって」


 ヒロさんの本質の話だろう。中学生特有の潔癖は、ヒロさんのような存在を受け入れられない。


 ただし、母さんは当時から普通ではないのはよくわかった。きっとそこに、当たり前の潔癖などなかったはずだ。


「母さんはさ、もしかしたらこう言わなかった。『それ、私がロックをやるのに関係あるの?』って」


「流石、玲子の血を引くモテない男ね。一字一句違わず、その通りよ」


 感心したヒロさんであるが、なぜか素直に褒めてくれない。むしろモテない男なんて罵声が飛んできた。


「その後にこうも言っていたわ。『むしろヒロはそのままでいいわ。私ってほら、可愛いじゃない。ヒロが普通の男だったら、このまま惚れさせてしまって、ロックどころじゃなくなるわ』って」


「ちとせが母さんの子供なのがよくわかる一幕だ」


「ええ、間違いなくちとせは玲子の子よ。こればっかりは、疑いようがないわね」


 血の繋がりなんて関係はない。やはり大事なのは、どうやって育ったかだ。むしろ最近、それを意識してしまったから、ついこんな言葉が出てしまったのかもしれない。


「そして次の言葉で、あたしは玲子に救われたの。『周りにどう言われようと、ヒロはヒロの生きたいように生きればいいのよ。こうして私にロックを教えるのが好きなように、ヒロはこれまで通り、好きなものは好きなままでいい。それでいいのよ、きっと』」


 大切な思い出を噛みしめるように、ヒロさんは頬を緩めた。


「凄いな、母さんは」


「ええ、凄いのよ、玲子は」


「自分にロックを教えるのが好きとか、当たり前のように言ったのか」


「ええ、それが玲子にとって、疑いようのない事実なのよ」


 困ったような顔をするヒロさん。


 あまりにも身勝手なその様を見て、当時のヒロさんは、すっかり呆れてしまい、イジメがバカバカしいと思ったに違いない。その日、ヒロさんは開き直り、新たな人生を歩もうと決意したのだろう。


 身勝手一つで、一人の人生をあっさり救ってしまった。ここまでいくと、母さんはもう天才だ。


 やっぱり自分では、母さんには勝てない。改めて、その事実を確認したのだった。

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