11

「かくしてあの日、なにがあったかを確信した朝倉秀一は、我らが宮野家に辿り着いたわけか。一体いくらかかったんだ?」


「なに、これよりは安くついたさ」


 重い空気を取り払うような高い声に、秀一もまた軽口のように返してきた。とんでもない額をぽんと口に出し、そのリッチっぷりに嫉妬しそうになった。


「初めてちとせの顔を知ったときは驚いたよ。若い頃の母さんそのものだ」


「俺だって驚いた。最近亡くなった妹の写真だと見せられたのが、若い頃の母さんそのものだ」


 ちとせは自分の妹かもしれないと秀一が言ったあの日、ファンをこじらせすぎて、ついに頭が狂ったのではないかと思った。こいつとの付き合いは今日までにしようと、心に決めた俺に差し出されたのが、仁美の写真であった。


 母さんの生き写しとも言えよう少女の顔。


 秀一がおかしくなったのではなく、真実かもしれないと納得いくに相応しい証拠であった。


 後日、家に招いて詳しい話をすると言って、おみやげに持たされたのがDNA採取セットというわけだ。


「仁美はきっと、どこかでちとせを見かけたんだ。母さんの生き写しを見て、もしやとね」


「『私を見つけた』か」


 仁美は自らが産まれた時の話は、よく聞いていただろう。ただの早産ではなく、同じことをした家族がその日駆け込んできたのだ。印象に残っていてもおかしくはない。


 私は間違ってここにいるのかもしれない。


 これは自分だけが家族と血が繋がっていないという、苦しみや悲しみから出た言葉ではない。むしろこれは、彼女にとって希望であったのかもしれない。


 嬉しい。私と兄さんは血が繋がっていない。


 二人がどういう兄妹だったのかは知らないが、きっと、本気で秀一のことが好きだったのだろう。狭い世界で見出した、未熟な子供なりの愛であろうと、それは彼女にとって本物であった。


 秀一への愛があったからこそ、ちとせを見たときに、取り違えの可能性を見出した。いいや。ずっとそうであって欲しいと、望んでいた過去を見つけたのかもしれない。


「ちとせに辿り着いた流れはわかった。よくそこまでやったと思うくらいにな」


「大したことはしてないよ。可能性を見出したんで、人に頼んで調べてもらっただけだ」


「大学生が一人、じゃあ調べようと思って出す額じゃないってことだ。両親にだってなにも話してないんだろ?」


「こんな話、簡単にできるわけないだろ」


「その通りだ。簡単にできる話じゃない。……だから、血の繋がりを確かめた後、ヒデはどうするつもりなんだ?」


 検査の結果は、一週間もかからないと言っていた。結果はまだわからない。だが自分たちの中ではその答えが、もう出ているのだ。それはもう確信へと変わっている。


 秀一のこの先の出方次第では、もう友人ではいられなくなる。


 例え血の繋がりがどうであろうと、ちとせは自分の妹である。父さんの娘である。そして誰でもない母さんの魂を継いだ子供だ。


 今更真実を明かりの下に晒し、両家族の雁首を揃えることに意味なんてない。そこには不幸しか生まれない。


 情景が目に浮かぶ。娘の死から立ち直れず、不安定だからこそ、秀一の母親はちとせを返してくれなんて言葉を吐くかもしれない。父さんは本当の娘が死んだ事実を突きつけられた上で、そんなことを言われるのだ。相手の家族がなまじ裕福であるからこそ、堂々と跳ね除けることはできず、ちとせの顔色を窺うだろう。そのときちとせは、どんな思いをするだろうか。


 少なくとも宮野家には不幸でしかない。不幸になるだけの真実に、一体なんの意味がある。


「大丈夫だよ。君が思っているようなことはしない」


 そんな秀一の出方を伺っている自分の顔が、怖いものだったのか。そんな顔を見せないでくれと言うように、秀一は首を振った。


「僕はただ、真実を知りたいだけだ」


「真実?」


「仁美がなぜ殺されなければならなかったのか。ただの不幸に選ばれた偶然だったのか。それとも仁美でならなければいけなかった必然だったのか」


 秀一はパソコンの中に、まるで妹を見出すように優しく撫でる。


「仁美が僕のことをどう思っていたのかは、日記帳の通りだ。そういう自覚もあった。でも僕にとって仁美は家族で、大切な妹だ。それ以上になることはないし、それ以下になることもない。思春期特有の一過性のものとして、いずれ僕に興味をなくすだろうと見守っていた。実際、兄離れは習い事を辞めて以来始まっていた」


「DNA鑑定までするような妹だぞ。そんな簡単にブラコンを卒業できるのか?」


 むしろ血の繋がりがないのを知り、勢いづいてもおかしくない。


「それがさ、あれだけ僕から離れまいとしていた仁美が、あっさり離れていったんだ。家族の時間以外は、常に部屋にこもりっきり。休みは朝から出かけて、夕方までは帰ってこないのが当たり前。たまには妹サービスでもしようかと遊びに誘ったら、散々迷った後、『ごめんなさい兄さん。やらなきゃいけないことがあるから、それが落ち着いたらまた誘って』なんて言い出すくらいだ」


「たんに嫌われた、というわけではなさそうだな」


「僕だけに向けられていた興味が、割かれたんだろうね。もっと夢中になれるものを見つけたから、僕に時間をかけられなかったんだ」


 すると秀一はパソコンに目を落とした。


「きっとその答えが、この中には眠っている。僕の知らない仁美の行いが、あの不幸を呼んだのなら僕はその真実を知りたい。例え目を覆いたくなるような真実であったとしても、僕は知らなければならないんだ」


 仁美の謎は、秀一たちに隠れてなにに夢中になっていたのかだけではない。必ずそこには大人が絡んでいるはずだ。


 その大人を知らなければならない。関係性をハッキリさせなければならない。


 無手の女子高生が得るには、あまりにも高価すぎるパソコン。これはその大人から与えられたものなのか。別方面から手に入れたものなのか。どちらにせよ、これを得るために仁美が差し出していた対価は、一体なんであったのか。安楽的に想像できる手段だったならば、秀一の心を抉るのに十分以上の痛みを放つ。


 目を背けるのは楽である。ただし秀一は一生、胸の内に癒えない傷のような痛みを抱えることとなる。


 秀一が選んだのは、心が抉られるほどの痛みを受ける覚悟をしてでも、真実を知ることだった。もしかしたらその先に、救いがあるかもしれないと信じて。


「その第一歩が、まずは血縁関係をハッキリさせようってことか」


 一つ一つ、手が届く真実を明らかにしよう。それが秀一の選んだ手段であった。


「ただの私的な探求だ。君を巻き込んでしまったことについては、申し訳ないと思ってる」


「だな。俺にとっては本当の妹はもう死んでいて、ちとせとの血縁関係を否定されただけだ。一銭にもならんどころか、ろくなことがない」


 秀一は顔を俯かせる。


「でもいいさ。なんであれ彼女は、母さんの血を継いだ子供。ここまで聞かされたらもう、無関心ではいられない。ここまで知ったんだ。最後まで付き合ってやるよ」


 顔を上げた秀一は何度か瞬きをすると、すぐに笑みを浮かべた。


「ありがとう、トシ。君のような人が、ちとせの兄で良かったよ」


「俺としては、そっちの可愛い妹が羨ましい。なにせちとせは、可愛げがない。俺はずっと、可愛げのない妹で我慢していたんだ」


「そしてちとせは、大好きなお兄ちゃんがいないことを諦めていたのか。ないものねだりはしない主義だと言って」


 いつもの調子でおどける自分に、秀一もまたいつもの調子で軽口を叩いていた。


 そんなことをしていると、急にお腹が鳴った。


 秀一のような天然ハンサムは、きっとお腹が鳴ったりはしない。アイドルがおならをしないのと一緒だ。つまりこの音は、自分の腹からもたらされたものだ。


 そろそろ日が暮れそうな時刻だ。いい感じに腹が減ってきた。


「飲みにでも行こうか。今日のところは奢らせてくれ」


「わかった。だったら奢られてやるか」


「はは、君は偉そうだ」


 清々しそうに、秀一はいつかのように笑っていた。





 一週間後、ちとせは果たして誰の妹であったのか。


 なんのひねりも驚きもない答えを差し出され、そうかと言って春は終わった。

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