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 ノックアウトゲーム。数年前アメリカで問題になった、若者の間で流行った犯罪だ。ルールは簡単。見知らぬ通行人を後ろから殴りつけ、一発で気絶させるだけ。ゲームと銘こそ打っているが、やっていることはただの通り魔だ。ゲーム感覚で行われているぶんタチが悪い。


 かつて日本のニュースで流れるほど問題になったそれが、今になって日本に上陸してきた。それに一役買ったのが、動画共有サービスやSNSの類なのは間違いなかった。


 再生数稼ぎやSNS映え。一人でも多くの者に見てほしいという承認欲求が、行動の過激化に繋がっている。


 全ての呼び水は『ノックアウトゲーム』というタイトルで投稿された動画だ。構成は至って単純。通行人を後ろから殴りつけ、一発で気絶に追い込む。至ってシンプルな、ノックアウトゲームの典型的な内容だ。


 動画をアップした本人たちは、全てが仕込みの遊びのつもりだった。不運だったのは、殴るほうも殴られるほうも、あまりにも迫真の演技だったことだ。


 説明で演技である旨をコメントにいれていても、全ての視聴者がそこまで確認するわけではない。知らなければただの犯罪の瞬間を撮っただけの動画だ。


 すぐさまSNSを介し炎上を重ね、凄まじい再生数を叩き上げた。そしてノックアウトゲームという存在が、かつて以上の存在感を持って、日本に広まることとなった。真似する者が出てくるのは当然の帰結とも言える。


 都市圏を中心で広まる流行り病は、自分の住む都市でも多くの被害者を生み出した。


 ネット上でこれを行った瞬間を上げる者はもういない。しかし、人を後ろから襲う魅力に取り憑かれた者が今も、この都市には存在している。


「おい、溢れる!」


「わっ!」


 怒りからビールを注いでいることすら忘れていた。溢れる寸前まで盛り上がった泡を、口で迎えに行く。


「今度こそ捕まったの?」


「これが捕まった顔に見えるのか」


「射程圏にとらえたりとかは?」


「相変わらず証拠すら残さんよ」


 僅かな希望もバッサリ切り捨てされ肩を落とした。


「どうした、今日に限って」


「……友達の家族が、ちょっとさ」


「それはやりきれんな。だが今日の被害者もまたやりきれん」


「また中学生?」


 ノックアウトゲームの特徴の一つに、加害者は必ず自分よりか弱い者を狙う。そうなると自然と標的は小柄の女性になりやすい。


 なのに父さんは首を横に振りながら、


「小学生だ」


 汚らわしいものを見てしまったかのように顔が歪んだ。


「幸い命に別状はないが、もう一つの問題は起きた時刻。夕方頃に行われたってことだ」


 犯行はいつだって日が沈んでから行われる。だからこそ今日まで、幼い子どもが襲撃されるようなことは起きなかったとも言えた。


「市民の怒りが身にしみた」


「犯人への?」


「捕まえられない警察への、だ」


 今回の事件がどれくらい難しいかはよく理解していた。特定個人を狙った犯罪ならば、被害者の人間関係を起点に捜査が行える分、事件を重ねれば重ねるだけ犯人を絞り込むことができる。


 今回のような無差別に行われる犯罪にはそれがない。


 犯人に繋がる物的証拠が見つからない場合、残りは近隣への聞き込み、監視カメラの映像頼りだ。無論それは、犯人も承知の上だろう。予め安全にゲームを行える舞台を広範囲に下調べをしているはずだ。もし当日、事を起こす前に不自由があるのなら、日を改めるだけでいい。


 悪条件しか揃っていない中、犯人を捕まえられないのを怠慢と切り捨てるのは酷な話だ。だがそんな理屈、市民には通用しないのもまた事実である。


「犯人はさ、本当に絞れてないわけ?」


 警察は守秘義務の塊だ。もしかすると実は犯人逮捕まで、もう少しなのではないかと期待した。


「疑り深い息子だ。信用しろ、本当に絞り込めてない」


「そういった信用は裏切ってくれ」


「俺の勘では十代から二十代、もしくは三十代から四十代の男性だ。女性の可能性も否めん」


「ガバガバじゃん」


「明日からまたしばらく遅くなる」


「俺はさ、父さんの背中を見てきて一つ決めてるんだ」


 くだらないジョークへの仕返しのように言った。


「絶対に警察官にはならない」


「そういった皮肉は、胸にくるから止めてくれ」


「皮肉じゃないって。ブラックな職場にはつきたくないだけだよ」


「それがいい。特に刑事なんてなるもんじゃない」


 自らの仕事を卑下する父さん。


「やり甲斐以外、良いところなんて一つもない」


 かと思えば、自らの職務を誇らしげに語る。


「それより、ちとせは最近どうだ?」


 ここ一週間、ちとせとまともに顔を合わせていない父さん。というのも、父さんの帰りが早ければちとせは遅くまで帰ってこない。ちとせが早ければ今日みたいに父さんの帰りが遅くなる。


 ちとせは夜遊びをしていない。むしろ信用できる相手が見てくれている。その安心感こそあるが、やはり同じ家に住んでいて、娘の顔を見ないのは気になるところであろう。


「どうもなにも、バンド活動で忙しそうなくらいで、面白みのあることなんてないよ」


「そうか」


「しいていうなら、彼氏ができたくらいかな」


「なんだと!」


 父さんは仰天し、叫んだ。中身が空だったからこそ被害はないが、あまりの動揺にグラスを倒すほどだ。


「彼氏? ……ちとせに、彼氏。彼氏ってなんだ?」


 まるで彼氏という言葉を理解できないようだ。


「前から言い寄られてたんだよ。人望の厚い、人気者のバスケ部のエースに」


「言い寄られ……は、あるとして、嘘だろ?」


「来週、夢の国でお泊りデートだって。父さんには内緒らしい」


 父親には内緒の、娘のお泊りデート。その意味に絶句し、父さんは言葉を紡げず喘ぐだけとなった。


 内心面白おかしく笑いながらも、流石に可哀想になってきた。


「ま、嘘だけどさ」


「おまえはっ! この……ッ!」


 からかわれた父さんの怒りは、それを上回る安堵に包まれ全身の力が抜けていた。


 恨めしそうに睨みつけてくるので、これはまずい悟った。フォローを入れなければ。


「でもさ、そういった誘いを今日受けたのは本当らしい」


「……ちとせはなんて?」


 息子への信頼を失くしながらも、聞かずにはいられない様子だ。


「『お父さんが同伴でいいなら考える』ってバッサリ切り捨てたってさ」


「そうだよな。うん、そうだ。そうなるよな。俺の娘は偉い!」


 自らを納得させるよう父さんは何度も首肯する。むしろ断る理由として、自分があげられたのがなにより嬉しそうだ。


 ひたすらちとせを讃えながら、二本目のビールを持ち出した父さん。手酌をすると、景気づけとばかりに一気に呷った。


「一方、息子の方はダメだ。一体誰に似たんだおまえは」


「隔世遺伝って知ってる? 有能な祖先の血が目覚めたんだ」


「減らず口め。そんな血はさっさと眠らせろ」


 自分の思い切り投げた球は、乱暴な言葉で返ってくる。自分たちにとってこれは、長年培ってきた父子のコミュニケーションだ


 だが続けて投げる父さんの球は、この胸を抉るには十分の威力を放っていた。


「それに引き換えちとせはわかりやすい。間違いなくあれは、母さんの血だ」

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