応援コメント

第54話 国会設立のきっかけとなった! 自由民権運動とは?」への応援コメント

  • 西南戦争が終わった明治十年代も、ゴタゴタは続く~よ、どこまでも~♪
    そりゃ、まあ、ついこの間まで、幕藩体制のいわば「王国連邦」みたいなものだった日本を、中央集権の近代国家に変貌させようというのだから、大変なのは当たり前ですな。

    ちなみに、「西南戦争」と「自由民権運動」、どちらも「サムライの、新政府への反発」と捉えるのは、ちょっと、どうなのかな?
    西南戦争を頂点とする「士族の反乱」は、確かに、復古的なサムライたちによる反乱でしたけれども、そうして、江戸時代の支配階層であったサムライたちは同時に知識階層でもあり「自由民権運動」を主導したのも事実ですけど、でも、「自由民権運動」は、単に「士族の不満の発露」というに留まらない、日本の近代化に欠くべからざる、より広い国民運動だったと思います。
    例えば、東京の青梅の山村で、村人たちによって憲法草案が議論されたりしていた。
    国中の様々な階層で、「新しい国のあるべき姿」が熱く議論されていた。
    そもそも、明治元年、日本の新しい国の指針として明治天皇が発布した「五箇条の御誓文」に、
    「広く会議を興し、万機公論に決すべし」
    とあり、国会開設は、明治新政府の国民への約束とも言えるものだったです。
    そういう意味でも、国会開設を求める自由民権運動を「サムライの不満の発露」と捉えるのは、ちょっと違うのでないかなと思う私です。

    もちろん、歴史には色々な解釈があってしかるべきですけどね。

    とにかく、良い事も悪い事も色々あったけれども、天皇の統帥権規定が第二次世界大戦で悪い形で現れたのも事実だけれども、中世的分権体制だった江戸期日本を、世界に伍していける近代国家に作り替えるという大事業を成し遂げた私たちのご先祖である明治の日本人は、やっぱり、我々の誇るべき先達なのではないでしょうか?