第42話 天才、新井白石VS暴れん坊将軍!? 正徳の治と享保の改革
やり過ぎ法律、『生類憐れみの令』によって、江戸の町は大変な事になってしました。
「命を大事にしましょう」と言いつつ、必要以上に犬のエサ代と犬小屋を豪華にしたので、幕府の財政は悪化の一途を辿っていました。
この犬のう○こみたいな法律を出した徳川綱吉が死んですぐに、将軍をついだ家宣は速攻で生類憐れみの令を廃止しましたが、幕府の財布には冷たい風が吹いていたのです。
それだけでなく金山、銀山など、鉱山からとれる鉱石の産出量が減ってきたり、飢饉や大火事などの災害が起きました。
当然、復興費用がかさみ、幕府の財政を追い込んでいたのです。
災害や金の産出量が減ったのは仕方がないですが、犬小屋とエサ代にお金をかけすぎたのは、失敗ですね。
「一に質素、二い質素、三、四がなくて、五に質素」という、家康の家訓を守っていれば、財政難の悪化は回避できたかもしれません。
家宣「これは財政をなんとかしないといけない! 新井白石、頼んだぞ!」
白石「わかりました。この白石、幕府の財政を改善しましょう!」
家宣に呼ばれた新井白石という人物ですが、一言でいうなら天才です。すごく頭が良いから、財政状況の改善のために呼ばれたすね。
それでは新井白石の活躍を見ていきましょう!
【新井白石って何者なの?】
新井白石は元々、下級武士の家に生まれました。現代で言うと、三流サラリーマンの子供ってところですね。
さて、身分的にも家庭環境的にも、将来的に幕府で仕事をするような人物にはなれませんが、白石はとにかく頭がよかったのです!
なんと3歳の時に、儒学書を丸ごとコピーできるほどの天才で、スーパーキッズだったのです。
天才、新井白石はどんどん出世していき、最終的に将軍の側近として働くようになります。
【天才、新井白石による正徳の治とは?】
白石がまず目をつけたのは、小判でした。
白石「なんだ、この小判! 金がほとんど入ってないじゃないか!」
なんと、家綱の時代に出回っていた小判は『元禄小判』と言って、金が少なくほかの金属を混ぜた粗悪な物だったのです。
犬のエサ代によって幕府の財政は悪化していきました。そこで「小判を増やせばいいじゃね?」という安直な考えで、金の量を減らして小判を大量生産したのです。
小判の数を増やせば、流通するお金は多くなります。
しかし出回る小判が増えると、小判そのもの価値が下がります。反対に物の値段が上がります。
政府がお金をつくりまくって、皆がお金持ちになっても、物は増えません。なので物価が上がります。
その極端な例を『スーパーインフレ』と言って、「パン一個の値段が一億円なった」、という事例が世界にはあります。
白石はこのインフレをなんとかするため、金の量を増やした『正徳小判』を造りました。
この改革は上手くいって、インフレはなくなるのですが、逆に物価が下がり過ぎるデフレの状態になってしまったと言われています。
また白石は「
これは、輸出によって日本から出ていく金や銀の量を抑える代わりに、製品の輸出量を増やすというものです。
現代風に言うと、ガソリンの輸出量を減らす代わりに、車の輸出量を増やすみたいなものですね。
こうして新井白石という天才を中心に行われた、素晴らしい政治を『正徳の治』といって、このまま財政がよくなっていくと思ったら……
白石の正徳の治は、たったの7年で終わってしまうのです。
【あっさり終わった正徳の治】
なぜ、白石の正徳の治が、すぐに終わってしまったのか、お話していきましょう。
家宣「いやあ、白石はよくやる……なぁ、あれ……急に体調が悪く……ウッ!」
なんと、白石の主君である家宣が突然、病気で死亡していしまいました。将軍に就いていた期間は、たったの3年でした。
こうして家宣の息子の
家継「ぼくねー。いえやす様みたいな、立派なしょうぐんになるのー」
なんと、家継はまだ4歳だったのです。
さて、そんな家継でしたが4年後、8歳という若さで亡くなってしまいました。
家継が亡くなった事により、家康直系の血は途絶えてしまいました。
ここで江戸幕府は終わってしまうのでしょうか!? と言いたいところですが、「家康の血が途絶えたら、
徳川御三家というのは、「徳川家の親戚の中でも、特に力を持っている家」の事で、尾張徳川家、水戸徳川家、紀州徳川家があります。
こうして、次期将軍に選ばれたのは紀州徳川家出身の、
そう、時代劇「暴れん坊将軍」で有名な吉宗ですね!
「暴れん坊将軍、吉宗」と「天才、白石」によって改革が進むかと思いきや……
吉宗「白石。クビね」
白石「ガーン」
こうして、白石の正徳の治は、吉宗が将軍になったことによって終わってしまいました。
クビになった後、白石は作家として生活しました。
【ワンマン将軍、吉宗の改革】
幕府の財政難をなんとかするために、暴れん坊将軍こと徳川吉宗は、幕府の建て直しを行います。
今までのやり方をガラっと変えたんですね。
吉宗が行ったこの改革を『享保の改革』と言います。
以前お話したように江戸幕府の政治の特徴は「キツい、ゆるい、キツい、ゆるい」の繰り返しだとお話しましたが、八代目にして「キツい」の時代になります。
キツい武断政治から、ゆるい文治政治、そして吉宗の『キツい、享保の改革』が来るんですね。
家綱や綱吉のように「お勉強大好き」というよりは、戦国武将のように強い「戦闘型の将軍」で、『初代将軍家康の時代』のような輝かしい江戸幕府の権威を取り戻すために、吉宗は奮闘します。
享保の改革を行った吉宗のキャラですが、現代で言うなら「体育会系でワンマン社長タイプ」と言えます。
吉宗の前までは、実際に政治を行うのは将軍ではく、周りの人たちでした。新井白石に政治を任せた、家宣がいい例だと思います。
そんな歴代の将軍とは違い、吉宗は自分が先頭に立って、自分でやらないと気がすまないタイプの将軍だったんですね。
さて、享保の改革ですが、どのようなことが行われたかと言うと、農業、経済、人員、都市開発、etc……と、かなーり多方面に手をくわえています。
なので「わかりやすく、簡単」にお話するために。ダイジェストのように、箇条書きにしてお話することにしました。
それでは、ワンマン将軍吉宗の享保の改革を見ていきましょう!
【色々なことをした享保の改革!】
①人材
足高い制といって、吉宗は家柄や身分にこだわらず、優秀な人材を集めました。なので、下級武士や下級役人、民間人から積極的に、出来る人を探して登用しました。
②農業改革
江戸幕府の財源は米でした。年貢として納められた米を役人に配り、役人は米を食料したり、換金したりして生計を立てていました。
吉宗は財源を増やすためには、米の生産量を増やそうとしたんですね。
そこで、新田開発に力を入れ、新しい農具の開発も行われました。
その代わりに年貢を増やしました。しかし増税が厳しく、享保の飢饉という災害も重なり『百姓一揆』が多発しました。
③経済改革
また、倹約令を出して無駄な出費をなくしました。
⑤その他
目安箱を置いて町人の意見を聞きました。
火事対策として、延焼防止のため火除地という空き地や、広い道であろる広小路をつくりました。
簡単に書きましたが、吉宗は本当にたくさんの改革に着手しました。
デフレの脱却、年貢の徴収率アップなどの効果を出し、景気は上向きになりました。吉宗の享保の改革は上手くいったといっていいでしょう。
しかし、江戸幕府の財政難は完全には回復せず、幕府の金策はまだまだ続きます。
【視野が広かった吉宗】
家綱、綱吉、家宣、そして白石は儒学、朱子学が大好きで、これらの学問によって国を納めようとしていました。
少しおさらいすると、朱子学中心で学問を行う事を、文治政治といいます。
しかし、吉宗は朱子学が嫌いでした。
吉宗「朱子学とか、儒学とか、もう古い!! 今まで朱子学で、なんとかしようとしたけど、全然ダメだったじゃないか!」
こんな風に吉宗は朱子学をディスりました。
じゃあ、吉宗は勉強嫌いだったのか、というとそうでもなく、新しい分野の知識を日本に持ち込みます。
それは「西洋の知識」です。
天文学や生物学など、進んだ西洋の知識を積極的に取り入れたのです。もちろん、輸入経路は、唯一貿易していたヨーロッパのオランダからです。
しかし、当時はキリスト教禁止の時代です。『禁書令』と言って教義だけでなくキリスト教い関する本を、輸入するのを禁止する法律がありました。
とは言え、教え以外にも様々な知識が含まれているのも事実。
新しい知識を日本に取り入れたい吉宗は……
吉宗「本くらいならいいだろ!」
こんなユルい事は言ってませんが、『禁書令』を緩和し、天文学書、動物図鑑など輸入していきます。
そして、その中に『蘭学』と言って、蘭ねーちゃんを勉強する学問……じゃなくて、「医学」に関する、本が入っていました。
これが後の日本の学問を変えていく事になります。
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