第41話 ユルい時代に誕生したクソ法律! 生類憐れみの令とは!?

 江戸時代編の最初に、江戸の政治は「キツい、ユルい、キツい、ユルい」の繰り返しだと、お話しました。

 

 初代家康~三代目家光の間で行われた『武断政治』はとてもキツく、「参勤交代」、「武家緒法度」、「一国一城令」などによって、大名やサムライを厳しく管理、搾取する事によって、コントロールしようとしました。


 武断政治は『徹底管理とコントロール』の江戸幕府を象徴するような政治ですが、やり過ぎました。

 

 違反したり、幕府の言う事を聞かない大名から、身分を剥奪したり、領地を削減したり奪ったりしたもんだから、大変な事になりました。

 というのも、主人がいなくなって牢人ろうにんとなったサムライがたくさん現れたからです。


 牢人というのは、現代で言うところの失業者みたいなものです。


 国の政策によって失業者が増えていきますし、当然治安も悪化していきました。こうして幕府に対しての不満は高まっていきます。


 そうして、ついに『慶安けいあんの変(由井正雪ゆいしょうせつの乱)』、『承応じょうおうの変』というクーデターが多発する事になりました。



【ユルい文治政治スタート】

家綱「こりゃいかん! 武断政治はやり過ぎた!」


 クーデターが多発した事を重く受け止めた、四代目将軍・徳川家綱とくがわいえつなは、力で人々を押さえつけるような武断政治をやめて『朱子学しゅしがく』という学問を中心にする『文治政治ぶんちせいじ』へと切り替えました。


 朱子学っていうのは古代中国の思想、『儒学じゅがく』を発展させたものです

 要するに朱子学は儒学の上位互換ってところでしょうか。つまりモンハンワールドからの、モンハンワールドアイスボーン。ペルソ○5からのペ○ソナ5ロイヤルみたいなものですねw


 こんな感じで儒学のバージョン2、朱子学を幕府は推奨し、やり方を「力中心」から「教育中心」に変えました。



【締め付けがユルくなって花開いた! 元禄文化】

 文治政治によって締め付けがユルくなり、世の中は安定していきます。


 さて、世の中が安定すると、例のごとくカルチャーが育っていきます!


 今まで歴史を見てきたように、源平合戦が終わり鎌倉時代になると争いが減ると、仏教が盛り上がった「鎌倉文化」が発達しました。

 また、日本が南北に分裂した「南北朝時代」が終わり、世の中が平和になると室町幕府を中心に「北山文化」、「東山文化」が発達しましたね。


 江戸時代も例外ではなく、世の中が安定すると『元禄文化』というカルチャーが発達していきます。


 さて、今までの文化で中心となるのは、貴族、サムライ、僧侶など身分が高い人たちですが、元禄文化の特徴は『町人』が中心となっているところです。


 元禄文化の始まりは、江戸ではなく大阪です。当時の大阪は『天下の台所』と呼ばれるほど盛り上がっており、商業が発達していました。

 

 なのでリッチな町人がたくさんいたんですね。

 

 こうしてお金に余裕がある町人が、娯楽を求めるようになったので、元禄文化が花開いたのです。


 浮世絵、歌舞伎、人形浄瑠璃など、今の外国人が「イッツ・ジャパニーズ・カルチャー! イエーイ」といった感じ喜ぶ文化が誕生したのが、元禄文化の時です。


 また芸能だけでなく、『おくのほそ道』で有名な『松尾芭蕉まつおばしょう』が活躍したのも、元禄文化が盛り上がっていた時です。

 余談ですが、「松尾芭蕉の正体は忍者だった説」は知っていますか? 


・そもそも松尾芭蕉は忍者の家系。

・一般人が通れない関所も難なく超えて、日本中を旅している。

・「おくのほそ道」から移動速度を計算すると、歩く速度が異様に早い。


 などの理由により、松尾芭蕉は幕府と繋がりがある忍者だったのではないか? という説もあります。

 本筋から脱線するので掘り下げませんが、調べてみると面白いですよ。


 こうして「キツい武断政治」から、「ユルい文治政治」に変わった事で、カルチャーが盛り上がり楽しい時代がやってきたわけです。


 しかしこの後、あるとんでもない法律が出来た事によって、江戸の街は大きく揺らぎ、幕府は財政難に陥ります。


???「命は大切にしないとね~。犬を可愛がらない奴は死刑だよ」


 そう、教育中心の文治政治の時に、あの歴史に名を残す悪法「生類憐れみの令」が発令されるのです!



【やり過ぎた法律、生類憐れみの令!】

 文治政治時代の将軍、五代目・徳川綱吉とくがわつなよしは、お勉強大好きのガリ勉君でした。


 学問好きが高じて儒教の学校を建てるくらいです。このように、教育政策にも熱心な将軍だったんですね。


 さて『生類憐れみの令』と言えば、「犬をいじめただけで死刑になるという、極端な動物愛護法」で有名なんじゃないでしょうか?


 しかし中身を見てみると……

・無闇に動物はいじめちゃいけないよ

・子供を捨てるのは禁止。捨て子を見つけたら、役人に相談してね

・病気の人はいたわりましょう。


 といった感じで、「社会福祉と動物愛護法」を合わせたような法律だったんですね。


 教育に力を入れて、社会福祉と動物愛護法も整える。これだけ聞くと、すごくいい将軍です。


 しかし、生類憐れみの令の、唯一にして最大の悪いところは「やり過ぎた」事と言えます。


 それでは、綱吉が出した『生類憐れみの令』を見ていきましょう!


 

【そもそも、なんで生類憐れみの令を出したの?】

綱吉うーん。困ったなぁ。どうして、江戸の町には捨て子が多いんだろう……」


 このように、綱吉は捨て子の多さに困っていました。

 

 なぜ捨て子が多かったのかというと、強い者が勝ち残り、血で血を洗う戦国時代が終わってから、まだ間もなく、人々の中で「命を大切にしよう」という考えがありませんでした。なので……


母「ちょっと子供を造り過ぎちゃったわ。育てるお金がないどうましょう」


父「捨てればいいんじゃない」


母「そうね」


 現代では考えられませんが、色々な理由で子供を育てるのが厳しくなると、平気で子供を捨ててたのです。


 人々が命を粗末に扱う様子を嘆いた、綱吉は……


綱吉「みんなにもっと、命の大切さを学んでほしい。そうだ! 弱い立場の人を守る法律をつくろう!」


 このように考え、『生類憐れみの令』を出したのです。なので、社会福祉に関する法律や、捨て子対策が含まれているんですね。


 一説によれば、なかなか子供ができない綱吉が、お坊さんに相談したところ……


お坊さん「貴方の祖先は人をたくさん殺めた、その報いが降りかかっているのです。だから命を大切にしなさい」


 このように言われたから生類憐れみの令を出した、という説がありますが、最近では「人々に命の大切さを学んでほしい」という、“意識改革”のためというのが、有力視されています。


 こうして、人々の意識改革の為に生類憐れみ令が出されるのですが、とんでもない事態を招きました。



【命を大切にするのはいいけど、やり過ぎた!】

 生類憐れみの令のお陰で、捨て子が減りました。よかった、よかった……と、言いたいところですが……


綱吉「動物も大切にしなきゃだめだよ! そうだ! 江戸の町には野良犬が多いから、保護施設を造って江戸中の野良犬を連れてきなさい!」


家臣「え、江戸中ですか!?」


綱吉「そう! 命は大事にしないといけないからね!」


 こうして江戸に東京ドーム20個ぶんもの広さを誇る、超巨大犬小屋が建てられます。

 これはもう犬小屋どころか、犬屋敷ですね……しかも建設に使ったお金は現代に120億円と言われていて、オリンピックの競技場並の資金が犬小屋に投じられたわけです。


 無駄に豪華で大きな犬小屋には、8万匹の犬が飼われていたそうです。


 しかも、犬に与えるエサは、一般庶民が食べられないような、超高級食材ばかり……しかも8万匹もいるので当然、エサ代がかかります。


 こんな風に家綱は、とにかく犬を優遇したので『犬公方』と呼ばれるようになりました。


 勿論極端な動物愛護は、犬以外の動物も対象でした。


「金魚を飼う時は、幕府に届け出を出してね」

「農作物を荒らす害獣でも、殺しちゃダメだよ。破ったら死刑」

「蚊を殺したら島流し」


 こんな感じで厳しすぎる動物愛護法によって、人間よりも動物が偉くなってしまいました。



【生類憐れみの令の結果】

人々「命は大切にしないといけない!」


 生類憐れみの令のお陰で、人々の意識改革は成功し、無闇な殺生はしなくなりました。


 しかし……


幕府「犬小屋の維持費と、エサ代でお金がどんどん減っていくー! ひいいい」


 無駄に豪華な犬小屋を造って、しかも高級食材を食べさせていたので、幕府の財政はどんどん悪化していきました。


 そして、綱吉が死ぬ間際に……


綱吉「生類憐れみの令は、これからも、ずっと……続けてくれ……」


家宣いえのぶ「わかりました! 任せてください」


 綱吉が亡くなり、六代目将軍・徳川家宣とくがわいえのぶが将軍になるのですが……


家宣「家綱様が死んだので、生類憐れみの令は廃止します!」


 家綱が死んで、生類憐れみの令は速攻で廃止されました……とは言え、生類憐れみ令はやり過ぎただけで、悪い法律ではないので、捨て子対策、社会福祉、動物愛護は引き続きおこなわれたそうです。


「うおおおおお! やったあああああ! 家宣様ありがとうございます」


 極端な動物愛護法によって、窮屈な生活を強いられていた人々はから歓喜の声が上がったと言われています。

 生類憐れみの令違反によって逮捕されていた者は釈放され、無駄に豪華な犬小屋は解体されました。


 先程もお話したように、犬小屋の維持費と、犬のエサ代によって幕府の財政は悪化の一途を辿っていました。


 家宣が将軍になった頃には、幕府のお財布の中に冷たい風が吹いていました。

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