第24話 鎌倉時代に花開いた、日本の仏教文化とは!?

 歴史というのは乱世→平和→乱世→平和という流れを繰り返しています。


 世の中が平和になると、いつの時代も文化が発展します。


 ヒカキンや東海オンエア、キズナアイなどの様々なYouTuberが活躍できるのも、第二次世界大戦という大きな乱世の後に訪れている、平和な世の中だからかもしれません。


 鎌倉時代にYouTubeなんていうコンテンツはありませんが、北条家が世の中を治めたので、平和な時代が訪れ文化が育っていきます。


 平安時代でも源平合戦が始まる前、世の中が安定していた時期に『国風文化』が花開きました。


 さて、国風文化の特徴は『貴族を中心とした文化』でしたが、これに対して鎌倉文化は『庶民と武士を中心とした文化』という特徴があります。


 その中でも仏教によるカルチャーが、花開く時代でもあります。


 それでは庶民を中心とする鎌倉文化を見ていきましょう!



【仕事の合間にやるだけ、お手軽に悟りが開ける鎌倉新仏教】

 鎌倉時代以前の仏教というのは、貴族のための信仰であって、庶民に救いを差し伸べるものではありませんでした。

 しかし鎌倉時代になると、庶民にも仏教を広めようとするお坊さんたちが現れます。

 このお坊さんたちは、それぞれやり方は違いますが、せっせと農業にいそしみ、時間がない農民たちでも簡単に悟りが開けるような工夫をしました。


 これを現代でたとえると『忙しいビジネスマン必見! 聞き流すだけで英語がわかるリーディング』とか、『このパットをお腹つけるだけで、簡単にシックスパットになれます!』みたいな事をうたってる商品に似ています。


 このように、厳しい修行や、難解な学問を必要としない、庶民のための仏教を鎌倉新仏教といいます。


 それでは、鎌倉新仏教とはどのようなものなのでしょうか?



【念仏を唱えるだけでオッケー!】

 これからお話する法然ほうねん親鸞しんらん一遍いっぺん日蓮にちれんの4人は、『仏を信じて、念仏を唱えれば救われます』という、シンプルな教えが特徴です。


 しかし、それぞれに個性があり、やり方も違うので、一人づつお話していきます。


法然ほうねん

 法然は浄土宗じょうどしゅうの開祖で、この宗派が日本で一番信者が多いと言われています。彼は『専修念仏』の教えを説きました。


 この専修念仏が、どのようなものかと……


法然「いいですか皆さん、一日に何回か“南無阿弥陀仏”と唱えるだけで、仏様が救ってくれます。厳しい修行なんていりません」


民衆「ええ、ただ唱えるだけですか!? これなら仕事の合間にできそう!」


 このように法然が説いた教えというは『お手軽! ただ唱えるだけで悟りが開けちゃう、南無阿弥陀仏』というものでした。



親鸞しんらん

 親鸞は法然の弟子であり、浄土真宗じょうどしんしゅうの開祖です。


 彼もまた、“ただ念仏を唱えるだけでいい”という、教えを説きました。しかし、親鸞の場合は法然の教えと少し、違っていて……


親鸞「たった一回だけ、いいから念仏を唱えればいいんです」


民衆「えっ!? たった一回だけでいいんですか!」


親鸞「はい、そのかわり心の底から唱えてください。そうすれば阿弥陀如来が、救ってくれます」


 法然は『一日に何回も念仏を唱える』に対して、親鸞は『たった一回だけでオッケー』という、超お手軽なものだったのです。


一遍いっぺん

 一遍は時宗じしゅうの開祖であり、彼もまた「念仏を唱えればオッケー」という教えでしたが、他の2人とは少しちがっていて……


一遍「皆さん、念仏を唱えながら、一緒に踊りましょう」


民衆「唱えながら踊るんですか? なんか楽しいですね♪」


 このように、ダンスしながら念仏を唱える『躍り念仏』というものを広めました。

 

 さらに、ただ踊っただけでなく……


一遍「皆さん、よくできましたね! それじゃあ、これを差し上げます」


民衆「ええ! 記念品までくれるんですか!? おもしろい!」


 一遍は『念仏札』という、記念品も配りました。

 

 この躍り念仏は、民衆たちの間でブームを巻き起こし、一遍が配った念仏札は200万枚以上と言われているので、ダブルミリオンを達成したといってもいいでしょう。


 この一遍の躍り念仏が、盆踊りの元になったという説もあります。



・日蓮

 日蓮は日蓮宗の開祖です。

 彼は「“法華経ほけきょう”を信じて、ひらすらに『南無妙法蓮華経』と唱えれば、人は生きたまま仏になる事ができる!」と説きました。


 法然、親鸞、一遍に似ていますが、日蓮は武士の家系に生まれで、とても血の気が多い人でした。

 なので他の宗派を非難したといわれています。

 しかも、鎌倉の北条家にやってきて……


日蓮「南無阿弥陀仏を説いている連中がいるが、あいつらは間違っている! 止めないと他国が侵略してくるぞ!」

 このように、国に働きかけ、他の宗派を排斥しようとしたと言われています。 



【ちょっとだけストイック! 禅を取り入れた仏教】

 鎌倉新仏教の内、今からお話する道元どうげん栄西えいさいは、『禅』というものを取り入れ、どちらも『座禅』によって悟りを開く事をオススメしました。


 座禅を組むなんて、なんだか大変そうですが、山にこもって滝に打たれたり、山道を何日も歩き続けるような厳しい苦行は必要とせず、『お家で座ってるだけでオッケー!』というのが、2人が共通するキャッチコピーになっています。



 このように「ツベコベ言わず座禅していればいいんです!」と主張して、禅に特化した仏教を『禅宗ぜんしゅう』といいます。

 

 さて、この禅は農民よりもサムライの間で流行りました。

 ちょっとだけストイックだけど、難しい学問を必要としないので、体育会系のサムライに受けたのでしょう。


 それでは鎌倉時代に花開いた、日本の『禅』を見ていきましょう!


道元どうげん

 曹洞宗そうとうしゅうの開祖である道元は、禅を取り入れて「細かい事はいいから、ただ座って精神統一すればいいんです!」と説きました。


『ただ、座ってるだけで悟りが開けちゃう!』というのが、道元のやり方です。


栄西えいさい

 臨済宗りんざいしゅうの教えを日本に持ってきた栄西も、禅によって悟りを開く事をオススメしました。

 これは道元と同じなのですが、栄西のおもしろいところは、日本の文化に影響を与えているところです。


 栄西は中国にわたり、仏教を学びました。そして、中国に元々あった臨済宗の教えを日本に持ち込みました。

 さて、栄西が輸入したものは新しい仏教の教えだけではなく、『日本茶』も含まれていました。

 

 また有名な『風神雷神』の屏風がある建仁寺けんにんじは、栄西のお寺です。



【そのころ海の向こうでは……】

 日本が平和だった時期に、日本茶だったり盆踊りだったり、六人のお坊さんを中心にカルチャーが育っていくわけですが、海の向こうでは大変な事になっていました。


チンギス・ハーン「世界は俺たちが征服するんだぁ! お前ら全員、このモンゴル帝国にひれ伏せー! フハハハハハハ!」


 なんだか、大陸では大変な事になっていますね。


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