第二章 飛鳥時代編

第5話 聖徳太子なんていなかったんだ……

 邪馬台国から大和朝廷成立まで、ずっと空白の時間が流れていましたが、徐々に歴史がはっきりしてきます。


 というのも日本は朝鮮半島へ出兵して、高句麗と戦っているからです。また500年ごろには中国の宋にプレゼントを送っています。


 このように外国とドンパチしたり、外交していたので記録が残っていますが、曖昧なところが多くボンヤリとしています。

 

 ずっと白紙だったページに、ようやく下書き程度の絵が描かれるようになったものでしょうか。


 そして592年、飛鳥時代になると歴史がいきなりハッキリするようになったのです。


 突然『ジャンプ』に載っているような、ちゃんとした漫画になるようなものですね。しかも飛鳥時代からずっとカラーページですw

 

 なぜ飛鳥時代なり歴史がハッキリするようになったのかと言うと、日本人は文字を使うようになったからです。


 また『遣隋使』や『遣唐使』という外交官を派遣して、外国とやり取りするようになったから記録が残るようになったんですね。

 これはずっとゲームボーイで遊んでいた人が、switchを持ち始めたような進歩ですw


 ここからしばらく歴史は、『天皇、仏教、貴族(豪族)』この三つ巴による覇権争いが続いてきます。

 このキーワードを軸に見ていくと、歴史がスッキリ整理できるので、簡単に理解することができます。


 飛鳥時代の大きな変化といえば、『仏教』を取り入れた事です。


 日本にはアマテラスを最高神とする『神道』という宗教がすでに存在していましたが、なぜ『仏教』という外国の宗教を日本に取り入れたのでしょうか?

 

 それは実は『法律』を作る為だったのです!


「仏教で法律!? 関係あるの?」と思う方もいるでしょうが、それが“おおあり”なんです!


 それでは飛鳥時代の日本に行きまし


【仏教伝来】


蘇我氏そがし「外国ではこういうやり方をしてるんですよ! 最新のやり方を取り入れるべきです!」


物部氏もののべし「ダメだ! 外国の宗教を入れたら、日本の神々が怒るに決まっている!」

 

 おや歴史がハッキリしたと思ったら、いきなりケンカしています。

 ただならぬ雰囲気ですね。なにがあったのでしょうか?


蘇我氏「“仏教”を取り入れないなんて、そんなのダサいですよ」


物部氏「なんだとー! 日本は神道の神々だけで十分だ!」


 どうやら仏教を受け入れるか、受け入れないか、有力者が対立しているようです。


 現代では当たり前のように仏教寺院があるようになりました。

 しかし538年(諸説あり)仏教が入ってきたばかりの日本では、『仏教オススメ派の蘇我氏』と『仏教イヤイヤ派の物部氏』に別れて言い合いをしていました。

 

 この出来事を『祟仏論争すいぶつろんそう』と言います。


蘇我&物部「どうするんですか? 天皇!?」

 

 最終的な決定は天皇に任せたようです。


天皇「うーん。国が仏教を崇拝するのはマズイと思うんだよねー。けど蘇我くんが、個人的に仏教を信仰するのはいいよ」


 こんな感じで、国内に仏教を取り入れる事を、天皇は認めました。


 さて、なんで蘇我氏は仏教を国に取り入れたかったのでしょうか? それは仏教を基盤にすると天皇を中心として法律でまとめる国を作りやすいからです。

 

 元々仏教は、遥か昔インドでブッタが悟りを開いて生まれた宗教です。


ブッタ「悟りを開いて輪廻から解脱しましょうね。(‐人‐)ナムナム」


 というのが、元来の教えでした。


 しかし長い時を経て日本に来る間に、様々ルールが出来たり、身分制度を取り入れたしました。

 

 つまり仏教は、人民を支配しやすいように権力者が作り変えていったのです。


 なので『仏の教え』はあくまで“おまけ”であり、仏教を取り入れる本来の目的は『支配システム』だったのです。


 ビッ○リマンチョコで例えるなら『ウエハース(おまけ)=仏の教え』で、『シール(目的)=支配システム』のようなものですねw


 仏教を反対した物部氏は、国家体制の現状維持を主張し、仏教をオススメした蘇我氏は政治改革を行おうとした訳です。


 さて、いつの時代も古いやり方、考え方はイノベーションに勝てません。明治維新が成功したり、IT革命によって一気にインターネットが普及したり、ガラケーのシェアがスマホに獲られたりしています。


 進んだ仏教文化と大陸の技術、新しい知識を取り入れた蘇我氏は力を付けていき、古い考えに固着し時代に取り越された、物部氏は衰退していきました。


 そして蘇我馬子そがのうまこが、物部氏を倒してしまったのです。


 馬子が政権トップに出て、仏教は朝廷によって認めれるようになりました。

 

 こうして、天皇ではなく、天皇の周りにいる豪族が覇権を握るようになります。



【聖徳太子って一体なんだったんだ!?】

 いよいよ登場するのが聖徳太子と推古天皇です。


 推古天皇は日本初の女帝として有名で、聖徳太子は天皇の代わりに政治をする摂政せっしょうという役職についていました。

 

 実は推古天皇の即位と聖徳太子の出世の裏には、実は蘇我馬子が絡んでいます。


 なんと馬子は前の天皇を暗殺して、推古天皇を即位させたのです。なぜ馬子は野蛮なことしたのでしょうか!?

 

 理由は推古天皇は馬子の姪であり、聖徳太子は親戚だったのです。


 馬子の目的は『推古天皇、聖徳太子という自分の血族で朝廷のトップを固め、覇権を握ろうとしたのです!』


 馬子は悪いやつですねー!


 さて、聖徳太子は『冠位十二階』や『憲法十七条』を制定して改革を行いました。


 冠位十二階っていうのは、“家柄に関係なく個人の功績や才能によって階級を分ける”という制度で、要は能力主義にしたんですね。

 

 これにより、ただ家柄がいいだけで威張ってるおっさんを排除して、夜○ライトや高○清麿のような、頭が良くて優秀な人材を採用できるようになりました。

 

 そして憲法十七条ですが、早い話が『空気を読んで、上下関係を大切にしなさい』というものです。


 様々な法律を作り改革を行った、聖徳太子の政治能力はずば抜けていていました。


 また、10人同時にしゃべっても、全員の内容が聞き取れた、みたいな逸話が残っています。


 一見スーパーマンのような聖徳太子ですが、最近は“聖徳太子いなかった説”が有力になっています。

 権力者が都合のいいように歴史を改竄かいざんされたり、脚色されたのではないかと言われています。


 私が小学生の時に学んだ歴史の授業ってなんだったんでしょうか( ノД`)…

 


【がんばれ妹子! 日本の未来はお前にかかっている】

 気を取り直して日本史をお話を続けましょう。あんまり言うと歳がバレてしまいそうですしw

 

 聖徳太子の実在は怪しいですが、改革が行われたのは事実のようです。

 

 聖徳太子はフィクションかもしれませんが、そのモデルになった人物、厩戸王うまやどおうが一連の改革を行ったと言われています。

 

 なので厩戸王もかなり優秀な人物だったと言われています。


 こうして厩戸王の改革が進む中、中国では『ずい』という国が、どんどん大きくなっていました。


 隋は煬帝という皇帝を中心として、周辺諸国を属国にして貢ぎ物(プレゼント)を強要したりしていました。要はジャ○アンですねw


煬帝「ちょっと、腹へったなー。お前、メロンパン買ってこいよー」


諸国「へい、煬帝さん! メロンパン買ってきました!」


 中国ではこんな感じになってたんですね。勿論、煬帝のジャイア○っぷりは海を挟んだ日本にも伝わっていました。

 

 聖徳太子もとい厩戸王と推古天皇は、隋を危惧していました。


推古天皇「煬帝がこっちに来たらマズイわ!」


厩戸王「そうだ! こちらから使いを出しましょう! 小野妹子おののいもこ。ちょっと隋に天皇の手紙を持って行ってくれる」


 こうして小野妹子が隋に派遣されます。


 これが有名な『遣隋使けんずいし』です。


 さて妹子が中国に向かっている間に、隋と煬帝について簡単にお話しましょう。


 隋は文帝を初代皇帝として誕生し、やがて中国を統一するほどの大きな国となりました。

 文帝は質素倹約を好み、女遊びもしない堅実な人物でした。

 

 そんな人柄だった文帝の時の隋は、安定した国となりましたが、ヤバくなるのは次代の煬帝からです。


 煬帝は文帝とは真逆の暴君中の暴君でした。

 

 皇帝の座を奪われる事を恐れ、自分の兄弟を全員殺し、女遊びをしまくり、自分に歯向かう者は容赦なく殺して、釜茹での刑という残酷な刑罰を行いました。


 極めつけは100万人という民衆を動員して行った京杭大運河けいこうだいうんがの建設です。

 その距離は2500キロにも及ぶ大運河なので、そんな大事業を行える権力は凄まじいものになります。

 

 国の存亡を掛けて妹子は隋に向かったのですか、相手はスーパー暴君の煬帝です。

 もしかしたら妹子は生きて帰ってこれないかもしれません。

 妹子のプレッシャーは相当なものだった事でしょう。チキンの私が妹子の立場だったら、怖くて毎晩オネショしてしまうかもしれませんw


 さあ、煬帝のところにやってきた妹子ですが、天皇から預かった手紙を渡します。その内容というのは……


『太陽が昇る国の天皇が、太陽が沈む隋の皇帝に申し上げます。対等な外交をしませんか?』


 このようなものだったのですね。


煬帝「ふーん。そっちは、この俺様と対等な外交がしたいわけねー」


妹子「はい! その通りです!」


煬帝「ふざけるなあああああああああああああ! なんでお前のところのような小さな国と俺様が対等にならなきゃいけないんだ!」


 ああ! 煬帝がぶちギレました! 

 

 このままじゃ妹子は殺されてしまいます! 


 それだけじゃなく、隋が日本に攻め込んでくるかもしれません。


 妹子と日本の運命はどうなるのでしょうか!?


煬帝「だが、しかし、ぐぬぬぬ……仕方がないお前の国と対等な外交をしてやろう」


 なんと、あのスーパー暴君で歴史界のジャイアンこと煬帝が折れました。何故でしょうか?


 実はこの時、隋は朝鮮半島にあった高句麗こうくりという国との、関係が悪化していました。

 そんな中、日本と揉めると余計にややこしくなるので争いを避けたかったのです。

 

 厩戸王と推古天皇は隋と高句麗の関係を知ったうえで、小野妹子を派遣したといわれています。


 遣隋使は、ただ小野妹子が隋に行ったという事ではなく、ひじょうに高度な外交だったんですね。

 

 さて、隋ですが、遣隋使が来た後、高句麗を何回も攻めますが、ことごとく失敗してしまいます。

 運河建設という大規模すぎる事業をやされたうえ、いくさが失敗したので、民衆の不満は高まっていき内乱が発生。

 煬帝は殺されてしまいました。


 こうして一時は栄華を誇った隋ですが、たった二代で終わってしまいます。

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