第2話  争いが始まった!? 弥生時代

 紀元前300年になると、人々の生活様式に変化が現れます。特に顕著に変化があらわれたのは土器です。

 

 というのも、縄文土器は野焼きで作っていたのに対して、弥生土器は藁や土をかぶせて焼きます。

 これが窯の役割を果たすので、焼いている時の温度が一定に保たれ、縄文土器に比べて良質な焼き上がりを実現出来たのですね。

 また縄文土器というのは、土器の表面に縄を押し付けて出来た縄目状の模様がありますが、弥生土器にはこの模様がなくなったのです。


 縄文時代の終わり頃にはすでに稲作が行われていましたが、田んぼもより発展しています。

 最初は自然の湿地を利用したものでしたが、人工的な用水路で水を引いた『乾田』が多くなっていきます。乾田というのは田舎でよく見る田んぼの事ですね。


 このように縄文人と大陸から渡ってきた人は混ざりあいながら、生活様式は変わっていき、徐々に弥生時代へと変わっていくのです。



【弥生時代に国が誕生した!】


 さて、弥生時代の村にやって来ました。

 人々は相変わらず竪穴式住居に住んでいますが、お米を貯蔵する為の高床式倉庫がありますね。


 おや? 村の中心には何やら大きな建物がありますね。これは縄文時代にはなかったものです。近くで見てみましょう。

 

大きな建物ですね。技術が向上したのがわかります。

 地面の上に直接建っているのではなく、地面に打ち付けた柱で建物を支えていますね。これは人が住む家ではなく、会議や祭祀を行う村の重要拠点と言えます。

 

 現代でいう所の国会議事堂みたいなものでしょうか。


 さて、変化は建物だけじゃなく、農具にも現れています。

 石や木で作っていた農具は段々と鉄製の物に変わってきました。大陸から製鉄技術が伝わったのでしょう。

 このように技術が進歩した事によって、収穫量は大幅にアップします。


 やったね弥生人! 美味しいご飯がたくさん食べられるよ!


 村の周囲で人々が集まって作業していますね? 堀や柵を作っているようですが、何をしてるのでしょうか? ちょっと聞いてみましょう!


 すいません、何を作っているのですか?


弥生人「近隣の村が、俺たちの米を狙って攻めてくるから、防壁を作ってるンゴ」


 農耕がもたらしたのは、豊かさだけではなかったようです。


 食物が安定して食べられる反面、各村によって収穫量に差が出るようになりました。

 こっちの村は豊作だけど、あっちの村はあまりお米がとれたなかった、というように村によって採れるお米の量にムラがあったのです。そうムラだけに……


 はい、つまらないダジャレは置いておいて、このように農耕によって“貧富の差”が生まれたのです。

 つまり経済格差ですね。

 

 経済格差はいつの時代も不満をまねき、それが戦争につながります。あの第一次、第二次世界大戦のきっかけも経済格差が原因と言われています。


弥生人「あ! 敵が攻めてきたンゴ! 皆剣をとって戦うンゴ! 」


 製鉄技術は農具をグレードアップさせただけでなく、剣などの武器を作るのにも使われるようになったのです


敵「相手の村を攻め落として米を奪うンゴ!」


「米は渡さないンゴ!」 「俺たちだって美味しい米が食いたいンゴ!」 「うわー、やられたンゴ」 「上から来るぞー! 気をつけろー!」


 あれ? どこぞの越前さんがいたような……ともかくここは弥生人が激しく争っているので危険です! 武器を持つ事よりも、スマホを扱う事に特化した私たち現代人は、この場から逃げましょう!

 

 争いが起きるようになったので、村は武器や防壁などの軍備を兼ね備えた国へと発展していきます。


 こうして日本国内は小さな国が乱立するようになっていったのです。



【ボンヤリとしている弥生時代】

 さて、世界中の古代文明ではすでに文字が使われていました。

 エジプト文明のヒエログリフ、メソポタミア文明の楔形文字くさびがたもじなどの古代文字ですね。

 

 このように世界の文明というのは、文字に記録を残していたから誰が何をしていたのかというのがわかります。

 なので、約4000年も昔の事でも、ファラオと呼ばれる王様がエジプトを統治していたのが判明しているのです。

 

 ちなみに古代遺跡から見つかった、石板に書かれた古代文字を解読したところ『購入した商品が粗悪だったからムカつく! もう二度と買わない』みたいな事が書いてあったそうです。


 まるで古代のツイートみたいですねw 

 石板=Twitterみたいなものでしょうかw


 さて、一方日本では長い間文字が使われていませんでした。

 なので、弥生時代は誰が、どこで、何をしていたのか、というのがわかりません。

 弥生時代は古代エジプトよりも2000年くらい新しいのに、文字を使っていなかったからボンヤリしています。


 一応『漢書』という中国の古い書物に……


『海の向こうに“”っていう土地があって、100個くらいの国があって、なんかワチャワチャしてるよ』


 と書かれています。これが日本に関する確実な初見です。


 しかしTwitterにツイートする程度の内容なので、詳細はわかりません。

 もしかして、140文字以内という制限でもあったのでしょうかw


 さて、次に日本について言及されるのは『後漢書』という書物ですが、漢書よりももう少し詳しく書いてあります。

 時系列としては漢書は紀元前100年頃の事をツイートしているのに対して、後漢書に関しては西暦100年前後に関して書かれています。

 

 その内容というのは……


『紀元前57年、にある奴国なこくの使者が、プレゼントを持って後漢にやってきたよ。なんか奴国は倭の南の方にあるって言ってた。光武帝は印鑑をあげたよ。


 西暦107年になると倭の国王である師升めんすいっていう人がやって来て、安帝に奴隷160人あげて、皇帝に会いたがっていたみたい。


 西暦147年になると倭国は王様がいなくなったから、すっごく戦争してるよ。怖いねぇ』

 このように、もう少し詳しいことが書かれていました。


 光武帝が奴の国にあげた印鑑ですが、九州は福岡県福岡市にてある日、金の印鑑が発見されました。


 これがあの有名な金印ですね。


 しかも金印には『漢委奴国王(漢の倭の奴国の王)』と彫られていました。


 これを見た歴史家は……


歴史家「印鑑で、漢で、奴国って、後漢書の内容とピッタリじゃん!」

 

 という事で奴国は、現在の福岡県にあった国の1つである事がわかったのです。

 

 ちなみに金印が発見された場所は『金印公園』として土地や遺跡を保存しており、見学する事もできます。


 次に登場する師升めんすいですが、詳しく事はわかりません。


 一応、面土国めんとこくという国の王だったと言われていますが、皇帝と会えて、金印がゲット出来たのかもわかりません。 


 さて、なんで当時の人達はわざわざ、中国の後漢にわざわざ足を運んでいたのでしょうか? 海を渡るという事は海で遭難するリスクもあります。

 

 しかし、後漢と交流するメリットは大きくて、まず中国の進んだ技術を取り入れられる事、そして後漢の後ろ盾が得られる事です。

 

 奴国は後漢の光武帝に認められ、金印をもらいました。


 そしてこの金印が他の国との戦いに使えるたのです。というのも……


奴国「ほら見て! 金印だよ。家のバックには後漢がついているのに、攻めちゃってもいいのかな? もし家が負けたら後漢が黙っていないよ」


 このようにマウントをとる事が出来たのです。だから師升もわざわざ後漢に行ったのですね。


【卑弥呼登場! 邪馬台国へ】

 さて、次の目的地は皆さんお待ちかね、あの有名な邪馬台国です。

 

後漢書にも書いてあるとおり、西暦147年ごろから倭では、王座をめぐり多くの国々が争いをしていましたが、ある人物が女王が即位した事によって戦乱は収まります。


 そう、ある人物こそ卑弥呼です。


 それでは、次は邪馬台国に行きましょう。場所は『魏志倭人伝』に書いてあるので、その通りに行けはたどり着くはずです。

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