第85話 初体験

 お嬢様であるシャーロットにとって初めての野菜収穫。


「……やってやりますわ」


 なぜか空気が張り詰める中、入念にストレッチをしているシャーロット。


「これから戦いでも始めるつもりか?」

「まあ、戦いと言えば戦いなのかもしれないね」


 眉根を寄せて尋ねてくるハノンに、俺はそう答えた。

 貴族であるシャーロットは、これまで調理された後の野菜しか見てこなかった。それが、初めて収穫を行う――まあ、ちょっとばかり力がこもるのも無理はないかな。


「じゃあ、こっちのフレイム・トマトから収穫していくか」

「え、えぇ」


 シャーロットは農場にある真っ赤なフレイム・トマトへ、先に渡しておいた収穫用小型ナイフを片手に持ち、恐る恐る手を伸ばしていく。


「あ、あの」

「うん?」

「ほ、本当に大丈夫なんですの? 触った直後に爆発とかしないでしょうね?」


 野菜への偏見が凄い。

 

「大丈夫だよ。そんなトラップなんて仕掛けられていないから」

「わ、分かりました。あなたを信じますわ」


 大袈裟だなぁ。

 そんなことを思いながら、俺とハノンとクラウディアさんの三人はシャーロットの人生初体験を見守っていた。

 

「! と、取れましたわ!」


 初の収穫がうまくいき、大喜びのシャーロット。

 

「うまいじゃないか。そこにある籠に入れておいてくれ」

「了解ですわ!」


 フレイム・トマトを両手で包み込むように持ち、そっと籠の中へ。まるで高価な宝石でも扱うかのような慎重さだ。


「さあ、どんどんいきますわよ!」

「おう」

「どれ、ワシも手伝うかのぅ」

 

 シャーロットに負けていられない、と俺とハノンも収穫用ナイフを手に持ち、フレイム・トマトの収穫へと移る。

 と、その時、クラウディアさんの表情が目に飛び込んできた。

 なんというか……信じられないようなものを見たような……驚愕って感じの顔をしていた。


「どうかしましたか、クラウディアさん」

「あ、い、いえ……シャーロットお嬢様があそこまで楽しそうにしている姿を見るのは実に久しぶりのことだったので、つい……」


 どうやら、普段はさっきのようにはしゃぐことは滅多にないらしい。

 ……けど、それもそうか。

 学園ではキアラのライバルとして、常に成績上位でいることが義務付けられている。魔法でも体術でも、決して後れをとってはならない。いついかなる時も、プレッシャーがついて回る。


 ただ、今のシャーロットは、そういった重圧から解放されているように映った。

 労働で汗を流し、頬には泥がついている。

 これまで体験したことのない、爽やかな疲労。

 きっと、ここでの作業は、彼女にとっていい影響を及ぼすだろう。

 ハノンと一緒に笑顔で野菜を収穫する彼女の笑顔を見て、俺はそう確信するのだった。



 野菜を収穫してツリーハウスへ戻ると、すでに料理の下ごしらえは完成していた。

 そのため、調理の前に風呂へ入ろうとマルティナが提案し、シャーロットとクラウディアさんを含む全員で浴室へ。

 ツリーハウスの風呂は大きめに設計してあるので、ふたり増えても問題なく入ることができるだろう。うちで育てているバブル・バーベラの葉はシャンプーとボディソープの役割を持っているため、それを大量に持ち込んで盛り上がっている。


 風呂場から漏れ聞こえる女子たちの声を聞きながら、俺は淹れたてのコーヒーが入ったカップに口をつける。


「まあ……乱入するわけにもいかないし……」


 自分でもよく分からない言い訳をしつつ、みんなが風呂からあがるのを待ち続けるのだった。

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