二人三脚

霜月かつろう

第1話

 翔太しょうたの足がいつのまに太くなっていることを実感して子の成長に喜びを感じながらもそんな些細な事を気付いてやれていなかったことに後悔も同時に襲ってくる。不安そうにこちらを見上げてくる翔太しょうたの頭に手を置いてポンポンとしてやる。透かしだけ口元が緩んだのが分かる。それでも全身の力は抜けておらず緊張し続けているのが分かって。どうにかしないとと焦りは募る。

 綾子あやこが家から出ていったのは昨日の晩のことだ、急な用事でおじいちゃんとおばあちゃんのところに行ったのだと説明した時の翔太の顔が今も忘れられない。

 こんな運動会の前日に出ていくなんて綾子も信じれないことをする。そう責めたい気持ちはすべて自分に返ってくるも分かっている。それだけ追いつめたのだろうか。そう考えるけれど思い当たる節が見当たらなくて、それがそもそもいけないのだと思う。翔太がこれほど大きくなっているのも気が付かなかったのだ。

「ねえ。つけ方ってこれであってるの?」

 翔太が二人三脚用の専用バンドのセッティング終わったようで考え事から引き戻される。

「あ、ああ。あってるよ。練習した通りにやれば大丈夫だから」

 運動会の種目のひとつの親子競技に参加するのは前もって決まっていたので休日のたびに練習をしていた、いや俺とではない綾子とだ。だから正直練習通りやれるなんてことはないのだ。

「ちょっとリハーサルしてみるか」

 どちらの足からスタートするか相談して内側の足から出すことにする。せーのの掛け声と共に足を一歩踏み出してみる。

 おっ。意外といけるじゃないか俺。そう自画自賛したものの。

「ねえ。遅い。それじゃあ勝てないよ」

「いいじゃないか。勝てなくたって」

 翔太が不満そうにして、少しだけむっとしてしまう。これがいけないのだ、大人げないにもほどがある。よく綾子にも注意された部分だ。というか昨日でって言ったのもこれが原因なのではないのか。そう思えてくる。

「よくない。約束したんだから」

 約束。だれとだろう、友達とか好きな子とかなのか。それなら自分一人で出る競技の方がしっくりくる気もするから違うのだろう。しかし、翔太がここまではっきり言い切るのは珍しい。いつもはっきり言いなさいと怒られているのを見ているので強い意志を感じる。それすらも成長している証拠なのだろう。

『もう我慢できないの。違うわね。我慢しなきゃ生きれない生活はしたくないの』

 そう言い放って綾子が荷物をまとめ始めた時、明日は運動会だし出ていくはずがないと決め込んでいた。翔太のためにもそんなことをしないと、そこまでの覚悟はないとそう思っていた。でも綾子が出て行って帰ってこないと気付いた時にはもうどうすることもできなくて、起きた翔太に嘘をついて無理やり準備してここにいる。運動会があってまだよかったとすら思っている。今日はやることがあるしやりきらなくてはならない。

 しかし明日からはどうだ。翔太の朝食を、夕食をどう用意すればいい。朝はがんばるしかない。夜は仕事だ。帰るころには翔太は寝ていなければならない。朝に夕食も準備してから出るのか。そんなことが今の自分にできるのだろうか。

「次が出番だね」

 翔太が小さな手でこちらの手を握ってくる。少し汗ばんだその手からは緊張が伝わってくる。もしかして、勝たなくてはならない理由でもあるのかもしれない。親としてその力にはなってやりたいと思う。綾子がいないのにわがままひとつ言わない息子のためだ。

 一列になって白線の上に立つなんて何年ぶりのことだろう。少し緊張してきた。隣をみると筋肉質のお父さんと目が合ってにっこりされた。愛想笑いで返したけれど、定期的に運動しているのだろう。引き締まった肉体はこちらのものと比べたくはない。

「位置についてよーい」

 先生の声に体が一瞬固まる。隣の翔太を見ると目の前を睨め付ける様にしっかり前を向いている。その決意に満ちた目にこちらも気合が入る。

「どん!」

 スタートピストルの音と共に足を動かす。それなりにうまいスタートを切れたと言い切れるくらいにはスッと足が前に出た。翔太が引っ張っているのかもしれない。このままつまずかなければ一位になれるかもしれない。

 レースは往復だ、中間地点に置いてあるカラーコーンをぐるっと回って元の線まで戻ればゴールだ。そのカラーコーンまで来たところで視界の片隅に違和感を覚えてそちらに視線が集中してしまう。

 綾子だ。目深に帽子をかぶっているけれど見間違えるはずはない。なぜここにいるのだ。いろんな通信端末で連絡したけれど一切返信がなかった綾子がなんでここにいるんだ。

 そちらに気を取られていたら、足がもつれて思わず転びそうになる。身体が悲鳴を上げるのを無視しながら何とか体勢を持ち直す。しかしその間に何組かに抜かれてしまう。

「これあじゃ、お母さんとの約束が」

 翔太がそう呟いた。どういうことだ。約束したのは綾子とだっていうのか。練習している時に絶対勝つと約束していたのかもしれない。絶対勝とうとふたりで頑張っていたのだ。

 そんなの頑張らないわけにはいかないじゃないか。運動不足の足がはちきれそうになるのを感じながら力を込める。足を前に前に出す。カラーコーンまでもてばそれでいい。翔太を一番にあそこまで連れて行くんだ。

 それに応えるように翔太も一生懸命足を動かしてくれている。風を切るのが分かる。次々と抜かれた分を取り戻していく。一組。二組。先ほど隣にいた筋肉質親子が手の届く場所にいる。それを抜ければ一位でゴールだ。

「翔太ー!がんばれー!!」

 綾子の声がした。翔太の足がさらに力が込められるのが分かった。俺は。と疑問に思わないでもないが綾子はまだ怒っているのだろう。それは素直に謝ろう。行きたがっていた映画にも連れて行こう。できることはなんでもしよう。先ほどまで考えていた未来に比べればどれも大したことはない。

 まずは目の前のゴールだ。久しぶりにがむしゃらなんて言葉が頭に浮かんだ気がした。久しぶりの感覚。ゴールまであと少し。一位までもあと少し。

 ほんとに?心の奥底で自分が問いかけてくる。綾子が出ていった理由も分からないでゴールして、それで何もなかったこのようにもとに戻れるの?そう問いかけてくる。

 そんなのは知らん。これはゴールでありスタートだ。それでいいじゃないか。また始めればいい。きっとなんとかなるさ。翔太が頑張っているんだ。頑張らないわけにはいかないじゃないか。

 自分の迷いを振り払うように足を動かした。ゴールテープに飛び込むように走り抜けた。

「父さん速いじゃん」

 翔太が笑っていた。とりあえずはそれでいいのだとそう思えた。

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二人三脚 霜月かつろう @shimotuki_katuro

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