SKETCH BOOK
夜月よる
シムラクルム
キーンコーンカーンコーン
授業の終わりを報せる鐘が鳴り、教室の時が動き出す。
席を離れ友人と他愛もない話で笑い合う者。好きな音楽で両耳を閉ざして自分の世界に閉じこもる者。まだ二限と三限の間なのに弁当を食べている者。
ほとんどの人間が忙しなく動く中、鐘が鳴る前も後もずっと机に突っ伏してる彼女こそがこの物語の主人公。
そんな、全く動かない美良の背後から忍び寄る一つの影。それは美良の耳元に顔を近づけ、軽く息を吸い込むと少し生ぬるい風を美良の耳に吹き込んだ。
美良は何とも言えない気持ち悪さにビクンと大きく体を震わせ、勢いよく頭を持ち上げた。
そして、驚きの冷めやらぬうちに周りを見渡すとそこには、にやけ顔をした犯人がいた。
しゃがんで机に顎を乗せたまま美良を見る大きく丸い瞳。左だけ結わえたショートの髪は輝く純黒と言う矛盾を孕めている。そして、保護欲の
そう。つまり彼女は……
小動物系女子だ。
そう。小動物系女子なのである。もちろん二回言ったのはこれが大切な事だからだ。
この世には二種類の女子がいる。小動物系女子か、それ以外か。
友人はそこそこいたが、親友と呼べるのは侑ぐらいだった。
「いつまで寝てるんだ? もう休み時間だぞ!」
と侑はニシシと笑った。
「昨日は徹ゲーしたからねー」
そう言って美良はふわぁと欠伸をした。
「今日もテツゲーするの……?」
「うーん、流石に今日は寝るかな? もしかして何かあった?」
「今日放課後一緒に遊べないかなって……」
伏し目がちに少し心配そうにそう聞いてくる侑。こんな可愛い子からのお誘いを断る者がいるだろうか? もちろん美良はOKした。
その後、二人は周りと同じように他愛もない会話をしていると授業の始まりを告げる鐘が鳴り始めた。
名残惜しそうだったが、侑は急いで自分の席へ戻って行った。
* * *
やっと最後の授業も終わり美良が手を上に組み、大きく上体を反らしていると後ろから侑が抱きついてきた。
「やっと終わったよぉ。ね、早く行こっ!」
疲れているのか元気なのかよく分からない侑にはいはい。と言って、教科書と筆箱を鞄に入れると美良は立ち上がった。
美良は自転車通学だが侑はバス通学なので、校門を出たすぐの角を曲がり校門が見えなくなったところで侑を荷台に乗せて漕ぎ出した。
「ところで今日はどこに行くか決まってるの?」
あてもなく漕ぎ出した所で美良が質問する。
「うーんと……まだ!」
「だよね……侑の事だしなんとなくわかってたけど。じゃあ、いつもの所でいい?」
「もちろん!」
そう元気よく返事したかと思うと侑は突然自転車の横の出っ張りに足をかけ立ち上がり
「はいよー、シルバー!!!」
と美良の頭を
「シルバーってなんだよ。俺様のことはゴールドと呼びなっ!」
「あはは!突っ込む所名前なのっ!?」
十分ほど田園風景しかない路を行くとぽつぽつと家が見え始め、そこからさらに三分ほど進むとこの辺りで一番大きな街へ着いた。ここに美良たちの目的地『ユートピア』があった。
木造の古めかしい扉を押すとカランとドアベルがなり、珈琲の香りを乗せた風が横を通り過ぎる。ここは美良と侑がよく学校帰りやサボりの時に来る喫茶店だ。
「お?いらっしゃーい」
間の抜けた挨拶をする彼女はここの喫茶店のマスターだ。金に染めた髪に派手なスカジャンを羽織り、片手には煙草というこのノスタルジックな店にはまったく似合わない見た目をしているが、話すと気さくで、なぜこの喫茶店がそこそこ繁盛しているのかの理由を垣間見ることができる。
美良たちは、どうもと挨拶しながら、いつも座る四人がけのテーブルに座った。
「おい、お前ら二人なんだから四人席に座るんじゃねーよ」
「どうせ今は美良と私しか居ないじゃーん」
「そうそう。てかお客にお冷まだですかー?」
「入店一分でお冷を催促するような奴は客じゃねぇよ……ったく、しょうがねぇ」
マスターは渋々と言った様子でお冷を美良と侑の前に置いた。
「マスター!私オムライスね」
「侑がオムライスなら……私はパンケーキ!」
「二人揃って面倒臭いの頼みやがって。二十分ぐらい待っとけよ」
そう言うとマスターは奥の厨房へと入っていった。
「ねぇ美良〜?最近あの子とはどうなの?」
「あの子って?」
「またまたぁ〜、とぼけちゃって!ゆうき君のことに決まってんじゃん」
「だから、あいつはただの幼馴染だって!」
ゆうきは美良とは物心付く前からの腐れ縁で本当の兄弟のように仲が良かった。その性で、二人は付き合っているなどと噂がしばしば流れてくる。
しかし、そんなものは事実無根。本当はゆうきは侑のような小さくて可愛らしい子がタイプだ。
「私より侑の方がお似合いだと思うけどなー」
ゆうきが密かに侑へ想いを抱いているのを知っている美良はさりげなく侑へ探りを入れてみた。
「うーん。私は美良の方が好きだなー」
「可愛すぎか!惚れてまうやろ!!!」
「なんで関西弁!?」
「ほら、オムライスとパンケーキだぞ」
美良がゆうきへの憐れみと侑のあまりの可愛さに関西弁になっていた所に二人の頼んでいたオムライスとパンケーキが届いた。
「あれー?私のパンケーキ写真に写ってるのより小さくない?」
「いつもこうだろ。食わねーなら片付けるぞ」
マスターがパンケーキの乗った皿に手を伸ばすと、美良は体でパンケーキを覆うようにしてその手を阻んだ。
「嘘!嘘!食べるから取らないでよ!」
「わかった。とらねーよ」
そう言ったマスターはカウンターの内側の椅子に座って再び煙草を吸い始めた。
「なんかあったら呼べよ。暇だったら聞いてやるから」
などと接客業にあるまじき事を言うマスターに二人は、はーいと返事をすると出された料理を食べ始めた。
* * *
お皿が空になってから二時間。ここへ来てから二時間半が経ち、少しずつ店内に客が増えてきた。
そろそろお会計しようか。と美良と侑はマスターを呼ぶ。
「やっと帰るのか。何時までも居座りやがって」
「何よ。私たちお客様じゃない」
侑にそう言われたマスターは、ふっと笑うと
「そうだな。また来いよ」
と言った。
二人はドアベルを鳴らしながら扉を開けて店の外へ行く。二人の背中が遠くなって行くのを見て、つい叫んでしまう。
「まだ行かないで!五分だけでいいから……」
美良がこちらを振り向く。しかし私の声は届くはずもなく二人は店を後にした。
美良と侑は帰りは別れを惜しむように自転車をゆっくりと押して話しながら帰っていた。
いつものように侑の家まで行って。美良は家へと帰り。また翌日学校で会う。いつも通りの日常。何時までも変わらず続いていくと思い込んでいた日常。それはこの日でプツリと途切れてしまう。
二人が前からフラフラと蛇行しながら走ってくるトラックに気づいた頃には既に五メートルも離れていなかった。
物凄い轟音が鳴り響き、体が宙へと舞い、地面へ引き戻される。脳が痛みを理解した頃には既に体を動かすことはできなかった。
私が侑の方へ視線を移すと侑の体は赤いモザイクに覆われ、ピクリとも動かない。時間が経つにつれて赤いモザイクは侑の周りに広がってゆく。
キーンコーンカーンコーン
泡沫の夢。つかの間の蜃気楼の終わりを告げる鐘が鳴り、意識が次第に戻ってゆく。私は涙を流しながら思いを馳せる。
『当たり前こそが幸せなのだ』という言葉。殆どの人が耳にしたことがあるだろう。しかし、その意味に真に気づけるのは日常を、その当たり前を失った時なのだ。
学校帰りに寄り道。馬鹿みたいな会話。恋愛に勉強。そんな日常を取り戻すために私は今日も侑に会いに行く。
SKETCH BOOK 夜月よる @joryu
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